序章 ベーオウルフ事件の顛末
「『オベロン』被弾! 被害甚大。戦列を離れつつあり!」
乗組員の悲鳴に似た戦況報告に、艦隊司令官ルネ・ネルヴァ―ル少佐は、アルジェリー級巡洋艦『タウルス』の艦橋中央モニターを青い顔で見上げていた。そこに投影される漆黒の宇宙空間では眩い閃光を帯びる巨大な火球が次々と生まれていく。
「何をしておるかぁ! C級フリゲートを前面に展開させんかぁ!」と、かすれて上ずった声を艦橋中に響かせるネルヴァ―ルの下に
「TT魚雷を視認せり。雷数六! 距離四千二百!」次々にもたらされる麾下艦隊にとって甚だ不利な戦況に汗だくの彼は司令官席から立上り
「回避ぃぃ! 対抗爆雷発射ぁー!」と、無様な金切り声を上げた。
太陽系第四惑星火星の公転軌道上に存在する隕石、小惑星群の集積エリアとなる”トロヤ群”。
その近傍宙域において、火星列強屈指の軍事大国『アトランティア・ネイションズ』海軍と今や国勢の凋落著しい『神聖ローマ連盟』の雄、自由フランス共和国海軍との間で、その戦端は開かれたのだった。
ネルヴァ―ル艦隊出動の目的は封密命令を帯びた友軍艦隊が遭遇し、死闘の末に大破させた敵対艦艇の制圧にあった。彼にしてみればその戦果を濡れ手に粟で独り占めにする好機と、ほくそ笑んでいた矢先であった。
軍上層部が“猟犬”と称した艦艇を視認可能な宙域までに辿り着くや否や、前衛のトロンプ級軽巡洋艦二隻がほぼ同時に、直上と船底方向からの直交砲火に見舞われた。
不意打ちを喰らった二隻が爆発と残骸をまき散らしつつ戦列を離れ行く中、狼狽するばかりの艦隊司令の眼前で、天頂方向から深紅に染め上げられた巡洋艦と駆逐艦数隻から成る小艦隊が、大胆にも味方艦隊のど真ん中を疾風の如くに往き過ぎた。
この奇襲にまったく為す術のない陰険な男の狐目が、モニター内で次第に小さくなる噴射炎群を追っていると、それが消え失せた深淵なる闇の中から……。
突如としてモニターに出現した巨影を見て彼は息を呑んだ。それはライトブルーと紺碧の迷彩に彩られた一隻の戦艦であった。深海から波間へ昇る巨鯨のように悠然と艦影を誇示しながら迫る中、その重砲列全てがこちらに向けられていたのである。
「ハ……ハンニバル!」彼が声を押し殺した刹那、有無を言わせぬ猛烈な火箭が一斉に放たれた。まさに巨人の振り下ろす戦斧を被った『タウルス』では凄まじい振動と艦橋各所から猛烈な火花が上がった。
「二番砲塔被弾! 中央装甲帯を貫通!」
「ダメージコントロール!」
「火災発生! 第四、第十三区画緊急閉鎖!」
各部からの被害報告が上がる中、ネルヴァ―ルは司令官席に収まり、亀のように手足を縮みこませ、”さぁ撃ってみろ!”と言わんばかりに、無防備な船尾を晒して悠然と去り行く戦艦『ハンニバル』を、怯え切った眼で捉えた。
常に首府城の大本営で威勢を張る高級将官にへつらい、昇級試験の成績だけでこれまでの官位に綿々としてきた彼にとってこの失態はあり得ない事態であった。
彼の軍人と言うより、人としてあまりに狭小で偏屈な意識と身勝手な矜持は、今この結果を誰かになすり付ける事にのみに振り向けられようとしていた。
反撃を企図して艦隊の再編成を命じるよりも、指揮官として事態を好転させるために配下の将兵を奮起させる事よりもである。
「機関部へ! 原子炉を安定させぇー! 緊急加速に備えろ」
「これ以上敵艦を近づけるな! 各砲座状況報せ。……報告まだかぁー!」
「医療班を三チームに分け、第二砲塔と中央区画へ急がせろ」
「保安部へ。重傷者で助かる見込みの無い者には処置を。方法は任せる。わかっている……すまない」
この細身で、神経過敏に口元をひくひくさせる青白い面持ちの男は、艦橋勤務の士官らが事態の収拾に翻弄される中でも、保身を確実にするための都合の良い弁明をひねり出す事に全神経を傾けるのに終始するばかり。
本来なら、前衛二隻が目標への接近を図る前に、索敵用ドローンを周辺空域に展開させるなり、旗艦にへばりつくだけの護衛フリゲート艦を以って示威行動を広範囲に展開させるといった、襲撃警戒策を採択することも出来た筈であった。
これは功を欲するあまりに然るべき方策を無視した、ネルヴァール司令が招いた当然の結果であろうと、心ある士官ならば厳しく断じるであろう。だが、この小人物には“自分への反省と責任”と言った思慮が全く欠けていた。
そして、彼は恰好の獲物を探り当てた。士官学校の同期でありながら出世コースにそっぽを向き、現場一筋。同期の仲間内からは“海賊殺し”と呼ばれる鼻つまみ者。
女性でありながら化粧っ気も無く、チビで金髪。常に仏頂面で相手を藪にらみする不躾なあの女中尉。
この案件では、傷ついた旧式フリゲート一隻で奮戦。“猟犬”を大破にまで追い込んだ上に、先々己の出世コースの邪魔者に成りかねない忌々しい奴を。
ネルヴァールの冷酷な細い狐目はいっそう吊り上がり、生白い顔と薄く酷薄な唇には微笑が浮かんでいる。彼は周囲の喧騒を他所に独り言を呟き始めた。
「そうだ。奴がいい……。あいつは封密命令K-Ⅳを自分勝手な解釈で部下に公開したんだ。士官としてあるまじき行為だぞ。これは」と、言いながら身をその場で屈めてさらに
「あの女は“猟犬”との戦闘前に、この極秘案件を大っぴらに平文で通信させたよな。……これも使えそうだ。フフフ」
ついに、決定的な抗弁を思いついた、この司令官は突如として席から立ちあがり昂然として
「き、聞いてないぞ。私が受けた引継ぎ報告には記載されていなかった! ヴァルデスフリートが接近しているなどと……」と、声を震わせた後に、至極当然のようにこう言い放ったのである。
「や、奴の落ち度だ! あの女の索敵ミスだぞ! これはルナン・クレールの所為だぁ!」と、みっともなく喚きたてるのみであった。
巡洋艦『タウルス』の豪壮な艦橋で、艦隊最高指揮官ネルヴァールの奇声が挙がるを、各部署の士官らは一瞥しただけで、すぐに事態の対処に尽力していった。彼の存在を無視するかのように。
火星統合暦 MD:〇一〇四年三月二八日 白日
遂にネルヴァール艦隊は猟犬こと敵巡洋空母『ベーオウルフ』の制圧を断念。船首を一斉に翻した。それぞれの艦艇が中破程度の損害を受け、無様に敗走する中、ルネ・ネルヴァール少佐は司令部宛に以下の暗号メール報告を送った。
発:第二九号案件制圧派遣艦隊司令 ルネ・ネルヴァール少佐
宛:中央軍管区 第二制宙艦隊司令 ラミレス・オーウェン大将
本文:我ら制圧派遣艦隊は当該宙域にて、敵艦艇を視認。接弦を試みるもその最中に所属不明艦隊と接敵せり。
友軍挙って奮戦するも、前任者による事前通告無き事により甚だ不利を被りたり。
我、誠に遺憾ながら当該艦艇の制圧を断念す。
かの不利益を友軍に生じさせたるは前任者の不心得と断じざるを得ず、親愛なる海軍諸兄におかれては果断なる処置を期待するものである。 以上
◇ ◇ ◇ ◇
後日、この報告電文を豪奢な執務室にて披見した、オーウェン大将は
「この若造は何を言うちょるんか?!」と、眉間に皺をよせ、傍に控えている副官に向け
「まぁ、こ奴の爺様には、海軍が世話になっとるけぇの~」と、独り言のように呟いてみせ、副官の持つタブレット端末に、問題の前任者ルナン・クレールの軍事法廷の判決事案を表記させると
「こんなもんで良かろうて……」と、ある文言を記述し、この案件を処理した。
そこには『科料50万ジル』とあった。
結局、いいように敵艦隊になぶられたネルヴァールにはお咎め無し。対して前任者ルナン・クレールには有罪判決に加え、罰金刑まで科せられたのである。
これは世間の言うところの情実人事であるが、こうした風潮は火星を牛耳る列強連邦軍部に蔓延っているのが現状であった。
ただ、この量刑にも当の本人は服役中の軍刑務所にて
「あ、そう……」と軽く受け流して、日々精勤して過ごしたと言う。
後の時代に「火星のジャンヌダルク」と呼ばれた風雲児ルナン・クレールはこの半年後に、新たな物議を沸かして世間の注目を浴びる事となるのである。




