10 聖夜の前に
コウは一週間ぶりに東京へ、自分のアパートに戻ってきた。
コウの短く刈り込むようにしていた髪は、少し中途半端な長さになっている。
(マーサへ行く前に、美容院だね……どっか新しい店に入ってみようか)
近所でいつも切ってもらっていた美容師が先日、辞めていた。
コウは気に入って馴染んだ店でしか髪を切らない主義だから、こうして人が替わった時だけ、新しい店を開拓することになる。
(駅前の学習塾の二階だな、前から気になってたし)
一年ほど前に開業した店で、外から少し見える内装の趣味がいいと思っていた。
ちょうど予約がとれて入っていく。
店内の雰囲気は、ほぼ想像したとおりだった。
気張ってはいないがお洒落な印象があって、均整がとれている。
(これで、美容師さんの腕前がよくないってことはないよね)
アシスタントの女の子が洗髪をしてくれる。
店長兼チーフの女の人とふたりだけでやっているようだ。
チーフは、コウよりふたつみっつ上の年齢だろうか。
(トモコさんぐらいかな? そういえばちょっと似てるかな)
彼女はコウの希望を聞いて、迷いのない手つきではさみを使いはじめた。
切ってもらうのが爽快な感じで、技術が高い人だとわかる。
(よしよし)
安心して身を委せられる美容院を見つけるのは、嬉しいものだ。
めぐみですと名乗った彼女は、手際よく仕上げにかかった。
「こうやって、要所にポイントでワックス入れて……ベリーショートでもちょっと柔らかくなるでしょう?」
「ほんとだ、たいしたもんですねえ」
コウは素直に感心し、いい人に当たってよかったと思った。
「すごく上手だと思いました、めぐみさん、また来ます」
「ありがと、よろしくお願いしますね」
コウは喫茶店に入り、洗面所であらためて鏡の中の自分を見た。
あまり自分の容姿にこだわる性質ではないが(なかなかいいな)と思った。
しばらくしてから、化粧道具をとりだした。
ふだんよりマスカラを強めに入れてみる。
顔が髪型に負けているような気がしたのだ。
(あんまりやりすぎるとオカマさんになっちゃうけどね、あたしの顔……)
だいたい気に入ったようにできた。
「ようし!」
つい大きな声が出てしまって、誰かに聞こえたかと周囲を見回した。
「どうもすみませんでした」
コウが『マーサ』に入っていくと、先に明子が来ていた。
「もう大丈夫なの?」
「年寄りが駄目っぽかったんですけど、持ち直しました」
それは犬のことなのだが、嘘というわけではない。
「よかったじゃない、またぼちぼちいきましょう」
「はい」
喋りながら、明子はコウの姿を眺める。
髪型と化粧のわずかな違いには、もちろん気がついている。
(なんか、気合い入れてきたね……うん、いいことだ)
「おはようございます」
ケンタが入ってきた。
コウは(どっかで見たような子だな……なんかのお使い?)と思った。
「コウちゃん、この人は麺屋のほうからうちに移ってくることになったの、川本くん」
「そういえば、会ってたような気がする……よろしく」
「よろしくお願いします」
ケンタからカクテルバーの仕事をやってみたいと言われていたヨウジは、新店ではなく『マーサ』のほうに彼を異動することにした。
水商売の心得を身につけるには、明子のもとで行儀見習いから始めたほうがいいという判断だ。
(ねえさんのとこで勤まれば、どこ行っても通用するからさ)
(責任重大だね……あたしは、ボーイさんの新人として扱うだけだよ)
(うん、それでいいよ、足手まといになったら遠慮なく言ってな)
そういう会話があった。
これから若い人間ふたりを動かしていくのも大変だと、明子は思う。
けれどビジネスのパートナーでもあるヨウジの頼みだし、明子自身にとっても店に新しい風を入れていくのは悪くないことだという目算がある。
コウは、明子と女ふたりよりも雰囲気が変わっていいかなと考えた。
(ヨウジさんが、店には男手もいるって思ったのかな?)
ケンタはというと、ヨウジの妻が経営する店だと知らされているので、これまでになく緊張している。
(きれいだけど厳しそうな人だな、でもこれがスタートだもんな、いつか新店を任されるぐらいにならないと……)
(こういうの、楽しいわ)
(ヨウジがいて、ジロウくんやコウちゃんが集まってきて、今度はケンタが来て……大変なこともあるけど、やっぱり楽しいよ)
明子はそう考えて、コウの顔を見た。
(ねえ、コウちゃん、ヨウジをとったのは悪かったけど)
(あんたは育ちがよすぎて、欲しいものを欲しいって言えなかっただけなんだよね)
(あんたに足りないのは、その思い切りだけなんだ……そんなあんたが好きなんだけどさ)
(強く、強くなろうね、そうして、楽しく生きようね)
さすがに声に出して言うことはできないけれど。
サンジは通りの外れにある地味なバーに寄ろうと、盛り場を歩いていた。
(そろそろ、ウールのコート出すか)
伊達の薄着ではないが、かなり寒くなるまでそれは着ないことにしている。
いまは古い、よくカメラマンが着ているようなジャケット姿だ。
そこで何か月かぶりにレイカを見た。
勤める店を替えたのか、以前より何ランクか高級そうなドレスを身につけている。
膝のあたり、風に吹かれたようにシルクの生地がまとわりついていた。
たぶん美人といえるんだろうなと思った。
(半人半獣の生き物ってところか)
そんな言い回しが浮かんで自分でおかしかった。
声をかけるつもりはなかったが、彼女のほうでサンジを見つけた。
最後のへんな電話のことは訊くまでもないだろうと思った。
「サンジ! これからどこ行くのよ」
そんなふうに呼び捨てにされたことは一度もない。
やはり、先日からどこか調子が狂っているのだろうか。
「おお、元気かい、ここらへんに勤めてんのか」
「きのうからだよ、一緒に行く?」
「いや、今日は先約があるな」
残念だ、そこの店にいる、また来てくれという意味のことをレイカは言った。
「電話はかわったんだ、こんど会った時に教えるね」
「わかった、頑張ってくれ」
黒服がやってきて彼女の肘のあたりを抱えるようにして連れていく。
(道端で通行人と話し込んでちゃ商品価値が下がるもんな)
「またねぇ」
何もわかっていない。電話も換えたのなら、いつになるかわからない話。
(ただふわふわつき合っているのは、迷惑だったんだろうな)
(おれのほうがもっと気をつけるべきだった)
まだ少し残る割り切れなさ、それが消えていくのを待つしかないかと思う。
(何もかもたよりないままじゃ、一緒に歩くこともできゃしないよな……レイカ)




