第5話:働きすぎの街に社畜が来たらこうなった
街が見えてきたのは、荒野を半日ほど歩いた頃だった。
最初に気づいたのは音だった。
遠くから、声が聞こえてくる。一人ではない。大勢の、揃った声だ。
「……なんか聞こえる」
「あの街です」
ホワイトが、暗い顔で言った。
近づくにつれて、声はどんどん大きくなった。街の輪郭が見えてきた頃には、その声の内容がはっきりと聞き取れるようになっていた。
「労働サイコー!」
「労働サイコー!」
「働けるって幸せぇぇ!」
亮は首を傾げた。
街全体が、黒い靄のようなものに覆われていた。建物の輪郭が滲んで見える。空気が重い。街の中に入ると、その重さがさらに増した。
住人たちが、働いていた。
夜中だというのに、誰も休んでいなかった。荷物を運ぶ者、畑を耕す者、石を積む者。全員が一様に目を開いたまま、機械のように体を動かし続けている。そして口々に叫んでいた。
「労働サイコー!」
「労働サイコー!」
亮はその光景を眺めた。
「……みんな、いつから働いてるんですか」
「朝からずっとです」
コーポが静かに答えた。
「この街が魔王軍に占拠されてから、住人は休む間もなく働かされています。週休三日、一日六時間労働、昼休憩は二時間。それが魔王軍の課す労働条件です」
「週休三日」
「はい」
「一日六時間」
「はい」
「昼休憩、二時間」
「……はい」
亮はしばらく黙った。
「……これ、激務じゃなくね?」
全員が、こちらを向いた。
「何を言ってるんですか!」
ホワイトが声を上げた。普段の熱血な声より、さらに一段高い。
「週休三日ですよ!? 昼休憩が二時間しかないんですよ!? それのどこが激務じゃないんですか!」
「いや、週休二日どころか週七で働いてる人も普通にいるじゃないですか」
「そんな人がいるんですか!?」
「います」
「……この世界に?」
「……まあ、自分がいた世界の話ですけど」
ホワイトが絶句した。コーポが眉をわずかに寄せた。レートが「ひどい話ですわ……」と呟いた。ノワールは何も言わなかった。
「許せない!」
ホワイトが前に出た。
「これが魔王軍のやり口か! 人々をこき使って、闇で覆って……絶対に許さない!」
「いや、でも週休三日は……」
「許せない!!」
亮は黙った。
そのとき、街の中心から、声が響いた。
「ネバー・ハブ・ア・ブレイク!!」
全員が振り返った。
街の広場に、一人の人物が立っていた。
長身で、がっしりとした体格。目の下に深いクマがある。両腕を広げて、空に向かって叫んでいた。
「労働サイコー! 労働サイコー! みんなも叫ぼう! 労働サイコー!!」
「労働サイコー!!」
住人たちが一斉に唱和した。
「……あの人が?」
「デス・マーチ・ヘルワーク。三天王の一人です」
コーポが答えた。
「ホワイト」
「分かってる」
ホワイトが剣を抜いた。
「行くぞ!」
戦いは、始まってすぐに一方的になった。
ただし、一方的なのはヘルワーク側だった。
ホワイトの剣がはじき返される。コーポの魔法が霧散する。レートの呪文が届かない。ノワールが吹き飛ばされて、石畳に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「ノワール!」
「労働サイコー!! 折れない心! 諦めない精神! それが魔王軍の誇りゾス!!」
ヘルワークが叫びながら、四人を追い詰めていく。
亮はその様子を、少し離れた場所から眺めていた。
「……佐藤さん!」
レートが叫んだ。
「助けてください! このままでは!」
「……いや、自分には関係ない話なんで」
「関係ない!?」
「まあ、演技の練習ならしばらく見ておきますけど」
「演技じゃないですわ!!」
ヘルワークがホワイトを蹴り飛ばした。ホワイトが地面を転がる。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫じゃ……ないです……でも、立てます……!」
ホワイトが膝をついたまま顔を上げた。鼻血が出ていた。それでも、目はまだ前を向いていた。
亮はため息をついた。
……まあ、見ていても仕方がないか。
そう思って、一歩踏み出そうとしたときだった。
「ゾス!!」
ヘルワークの拳が、横に薙いだ。
狙いはホワイトだったが、軌道がわずかにずれた。余波が、亮のいる方向に流れてきた。
ドン、と何かが当たった。
「……」
亮は下を見た。
道着が、また破けていた。肩の部分が、綺麗に裂けている。
「……あ、また破けた」
亮はため息をついた。
「てか、なんで毎回道着になるんだよ」
視界の端で、ステータスの数字が少し上がった。
亮はもう一度、ヘルワークを見た。
……なんか、うるさいな。
特別な感情があったわけではない。ただ、うるさかった。それだけだ。
亮は右手を、ゆるく前に出した。
ヘルワークが気づいて振り返った。
「ゾス?」
亮の拳が、軽く、本当に軽く、ヘルワークの腹に触れた。
ごぉ、と空気が鳴った。
次の瞬間、ヘルワークの体が、まっすぐ吹き飛んだ。
街の外まで飛んでいった。荒野の向こうに、土煙が上がった。
「……あ、すんません」
亮は小さく頭を下げた。
しばらく、誰も動かなかった。
遠くから、かすれた声が聞こえてきた。
「定時で……帰りたい……」
それきり、声は聞こえなくなった。
同時に、街を覆っていた黒い靄が、ゆっくりと薄れていった。靄が消えるにつれて、住人たちの動きが止まっていった。
一人が、その場に崩れ落ちた。
また一人が、膝をついた。
次々と、住人たちが地面に倒れていく。糸が切れたように、力が抜けていく。
「……」
誰かが、泣いていた。
「……休んで」
かすれた声だった。
「……休んで、いいんですか……?」
亮は答えなかった。答える言葉が、うまく見つからなかった。
空の黒い靄が晴れて、星が見えた。
「……佐藤さん」
ホワイトが、震える声で言った。
「やっぱり、庇ってくれてたんですね」
「……いや」
「ノワールが吹き飛ばされたとき、助けに行こうとしてくれてたじゃないですか。だから流れ弾が当たって……」
「いや、それは」
「ありがとうございます」
ホワイトの目が、潤んでいた。コーポが静かに目を伏せた。レートが袖で目を押さえた。
亮はしばらく黙っていた。
……いや、完全に事故なんだけど。
「……まあ」
亮はつぶやいた。
「いいか」
星空が、広がっていた。




