第2話:社畜、魔王軍最強の攻撃でシャツを失う
荒涼とした大地の中心に、爆音が響く。
カーロ・ウーシ・ディザスターは、笑いながら戦っていた。
高身長、がっしりとした体格。纏った黒いローブには派手な金の縁取りがされており、目の下には不眠と労働が刻み込んだ深いクマがある。それなのに、眼光だけが異様に鋭く、ぎらぎらと輝いていた。なにかに憑かれたような、あの目だ。
「ゾス! いやぁ今日も張り合いのある仕事! サイコー! やっぱり手を抜いたらダメ! 全力で叩きのめさないと!」
「ぐ……っ」
青いターバンに翻るマント──勇者・ホワイト。
彼が顔を上げた。鼻から血が垂れている。
「……まだ……終わりじゃ……」
剣を握ろうとする。右腕が震えて、うまく力が入らない。それでも諦めないのが、あの男だった。
「ホワイト、アナタは世界の希望。ここで朽ちてはなりません」
紫のローブをまとった賢者・コーポが、静かに、しかし確かな意志を込めて告げる。
「ああ……俺達が時間を稼ぐ!」
黒い装束の戦士・ノワールがホワイトの前に立つ。その背中は、すでに満身創痍だった。
「ホワイト! あなたは逃げて!」
ピンクのドレスの魔法使い・レートが叫ぶ。声が震えている。
「僕だけ逃げるわけにはいかない! ここで諦めたら、世界は黒の闇に包まれてしまう!」
絞り出すような声だった。血が滲んだ唇が、それでも真っ直ぐに前を向いている。
「……諦めない心は嫌いじゃないよ? でも──」
一歩、踏み出す。
ただそれだけで、地面がずしりと揺れた。
「想いだけでも……力だけでも……仕事はできない!」
カーロの右手が光る。黒い光だ。正確には、光の反対だ。あたりの色が吸い込まれるように消えていく。
「っ!?」
「アルティメット・エターナルフォース・エクスカイザー・ドラゴンストリーム!!」
轟音とともに、黒い奔流が解き放たれた。
「ホワイト!!」
コーポの声が木霊する。
しかし、聞こえた悲鳴はノワールのものだ。
「ぐああぁぁぁぁぁぁ!!!」
ノワールがホワイトの前に割り込んでいた。その背中が、黒い炎に呑まれていく。
「ノワール!!」
「……仕事だから、気にするな」
それだけ言って、ノワールは黙った。
「ノワール!!」
ホワイトが腕を伸ばす。指先が届かない。
「ゾス! 仲間を庇う姿! エクセレーンッ!」
カーロが手を叩いた。楽しそうだった。心底、楽しそうだった。
「カーロ!! 貴様っ!」
「ゾス! これでコミット!」
カーロが右腕を振り上げた。その手のひらに、赤黒いエネルギーが集まりはじめる。空気が歪む。熱い。息をするだけで肺が焼けるような感覚が、全員を包んだ。
「アルティメット・エターナルフォース・エクスカイザー……!!」
技が放たれようとする。
そのときだった。
轟音が、空から降ってきた。
全員が反射的に上を見た。
何かが、落ちてくる。
ものすごい速度で。まっすぐに。ためらいも、準備も、何もなく。
次の瞬間、それは荒野の地面に激突した。
ドン、という衝撃ではなかった。もっと激しい何かだった。大地が揺れ、砂煙が爆発するように四方へ広がった。クレーターができた。直径にして数十メートル、深さは見当もつかない。
しばらく、誰も動けなかった。
砂煙が、ゆっくりと晴れていく。
クレーターの中心に、一人の男が立っていた。
黒髪でボサボサ。目の下にクマ。ネクタイが曲がっている。ヨレヨレのスーツを着た、どう見ても戦士には見えない男だった。
男は、きょろきょろと周囲を見渡していた。まるで、電車を降りたら知らない駅だったときのような顔で。
「……なんか、変なとこ着いたな」
亮はつぶやいた。
落下中の記憶はある。地面が近づいてくる感覚も、かろうじてある。
でも痛くなかった。衝撃もなかった。気づいたら立っていた。
「……まあ、いいか」
亮は首を回した。こきこきと鳴った。
辺りを見渡す。荒野だった。地面は赤みがかった岩肌で、空気は乾いていて、遠くから硫黄のような臭いがする。映画のセットみたいなところだな、と亮は思った。
少し離れたところに、人が倒れているのが見えた。
「……え」
亮は眉をひそめた。
三人いる。全員、なんとなく中世ヨーロッパ風の格好をしている。その近くに、黒いローブを纏った大柄な人物が立っている。
「……コスプレか」
どうやら撮影か何かの最中だったらしい。自分が落ちてきて、邪魔をしてしまったようだ。
亮はのろのろと記憶を整理した。
死んだ。女神に会った。100兆円か戦闘力かと言われた。金を選んだら指が滑った。落ちた。そして今ここにいる。
「……まあ、いいか」
死んでも「まあいいか」で済ませられるあたり、自分はだいぶ疲れているのかもしれない、と亮は思った。
亮は砂埃を払いながら、倒れている人たちのほうへ歩いた。邪魔をしたなら、一言謝っておくべきだろう。
「……す、すみません」
亮は声をかけた。
全員が、こちらを見た。
なぜかみんな、ものすごく驚いた顔をしていた。勇者一行っぽい格好の四人は、目が皿のようになっている。あの高さから落ちてきた人間が普通に歩いてきたのだから、当然かもしれないが。
「……撮影中でしたよね。邪魔してすみませんでした」
「さ、さつえい……?」
青いターバンの男が、かすれた声で言った。
「そうじゃないの? あの、コスプレ大会とか?」
「……コスプレ……?」
今度は紫のローブの女が繰り返した。
なんとなく、反応がおかしい気がした。おかしいというか、リアクションの熱量が高すぎる。
「……まあ、邪魔したならすみませんでした。自分はそろそろ……」
亮は踵を返した。
とりあえず帰り道を探さないといけない。帰れるのかどうかも分からないが、立っていても仕方がない。社会人の基本は、とにかく動くことだ。
そう思って、一歩踏み出したところだった。
「──ゾス!」
声と同時に、なにかが亮の背中を直撃した。
轟音が響いた。爆発の音だ。強烈な熱と光が全方位に広がり、砂煙と岩が吹き飛んだ。
しばらくして、煙が晴れた。
「…………」
亮は、下を見た。
上半身が裸になっていた。ワイシャツもネクタイも消え失せている。スーツのジャケットもない。
なぜかズボンだけはまったく無事だった。
「な──」
黒ローブの男が、声を出した。
「な、なぜ生きてる……!? "アルティメット・エターナルフォース・エクスカイザー・ドラゴンストリーム"が……直撃して……!?」
「……あの、シャツが破けたんですけど」
「ゾス……!?」
「撮影を邪魔したのはごめんなさい。でも、これ、弁償してもらえますか?」
「ゾス……!?」
男がひきつった顔をした。
あ、この人がやったのか、と亮は今更気づいた。さっきの爆発は、この人が起こしたものらしい。怒鳴りつけたいところだが、そういう気力が、今の亮にはなかった。
「な……なんで生きてるんだゾスか!!!?」
「なんで生きてるって、酷いこと言いますね」
亮はため息をついた。
「ゾ……ゾス!!!」
男の目がさらにぎらついた。
「ならばこれはどうだゾス!! "グラボロス・ヴァーテックス・コズミックブレイク"!!!」
男が両手を天に向けて広げた。
上空に、巨大なエネルギーの塊が出現した。直径は数十メートルあるだろうか。赤黒い光がうねり、嵐のように渦を巻いている。熱波だけで周囲の岩が溶け始めた。空気ごと焼かれるような圧力が、肌にのしかかってくる。
倒れていた四人が、さっと顔を覆った。
「くっ……あれは……四天王の最強奥義……!」
「避けてください! あなた! 早く!」
ピンクのドレスの女が叫んだ。
亮はその塊を見上げた。でかい、と思った。それだけだった。
次の瞬間、それが亮に向かって落ちてきた。
轟音。衝撃。閃光。
しばらくのあいだ、荒野は沈黙した。
「…………あっつ」
煙の中から、亮の声がした。
煙が晴れる。
亮は立っていた。
「……サウナかよ」
スーパー銭湯の高温サウナより少しだけ熱い、くらいの感じだ。死ぬほどではない。
「…………」
全員が、静止した。
「バカな……」
黒ローブの男が、初めて動揺した声を出した。口元が微かに震えている。
「バカな……私の"グラボロス・ヴァーテックス・コズミックブレイク"が……効いていない……?」
「えっと……ぐわー!」
「ゾス……」
「やられたー」
亮はやめた。これ以上やる気が起きなかった。
男の顔から、血の気が引いていた。
そのとき、亮は少し違和感を覚えた。
「……ん」
頭が、なんとなく軽い。
いや、軽いというよりは、なにか浮いているような感覚だ。風がないのに、何かがふわふわしている。
「……あれ?」
亮は片手を頭の上に持っていった。
触れた髪の感触が、なんかおかしかった。
「……なんか髪が逆立ってる?」
自分の髪に触れながら、亮はつぶやいた。
倒れていた三人のうちの一人、青いターバンの男が、震える声で言った。
「な……何だあの光は……」
男の視線は、亮の頭部に向けられていた。
亮は手を見た。
指先が、薄く金色に光っていた。
「……」
亮はもう一度、頭に手を触れた。
髪が、光っている。
なぜか分からないが、確かに光っていた。金色の光が、静かに、しかし確かな熱を持って、指の間から漏れ出している。
「……」
亮はしばらくその光を眺めた。
「……まあ」
亮はつぶやいた。
「……いいか」
どうせ撮影か何かだ。光っていても別に困ることはない。寝不足の頭には、驚く気力も残っていなかった。
黒ローブの男は、いつのまにか後退りしていた。その顔に浮かんでいるのは、紛れもない恐怖だった。
荒野に、静寂が戻ってきた。
赤みがかった空の下で、亮の髪はまだ、静かに輝き続けていた。




