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パンケーキ(ナターシャ)

ヒース(2)後のお話になります。


 


 すっかり日が昇った時間なのに静かすぎる。

 寝すぎた感もあり、何かが起きていると思い慌てて寝室を飛び出した。

 何やらキッチンで物音がする。

 子守を頼んでいる乳母のフェリだろうか?

 それとも産後で思うように動けないわたしの代わりに料理を頼んでいるメイドのジーナか?

 デレクとロルフ(次男)ヴィム(三男)はどこへ行ったのだろう。


 おそるおそるキッチンを覗けば、お日様の光を背に料理をしていたヒースが「おはよう」と笑っていた。


「おはよう……じゃなくて、おかえり?」

「ん、ただいま」

「ねぇ、子どもたちとか、フェリとジーナは?」

「全員、カレン様がお連れになったよ」

「フェリとジーナまで?」

「そうだね。一人じゃ見きれないからって言ってたけど」

「全然気付かなかった」

「よく寝てたからな。また無理したんだろ? まぁ、子どもたちにもお母様を起こさないようにとは言い含めたけど」


 皇妃になったというのに、カレン様はミユ様やわたしの子どもを呼んで、皇子様や皇女様たちと一緒に見てくださることがある。大抵、ジークハルト様やヒースが長く家をあけた後なので、なんともありがたいというかなんというか。お気遣いに申し訳なくなる。ミユ様たちだけでなく、メイドのわたしにまで。


「帰って来るの、今日の夜だと思ってた」

「そのつもりだったんだけど、ジークも俺も我慢できなくて」


 パンケーキを焼いていたらしく、キッチンは優しい甘い香りが充満している。

 香りに刺激され、わたしのお腹はぐぅと色気のない音を上げた。


「なんか可愛い音がした」


 そう言って近寄ってきたヒースが、わたしの口にクリーム付きのいちごを放り込んだ。

 甘いいちごを咀嚼しながら、ヒースの長い指についてしまったクリームの行方を目で追う。薄い唇が開いて、ペロリと舐めとる姿に、ちょっとだけ顔が赤くなってしまった。


「なんか想像した?」


 なんて笑いながら言うヒースに、わたしは小さく頷いた。

 あまりにも、昔と違い過ぎる。

 こんな冗談を言うような男になると、誰が想像しただろう。





 デオギニアに留学に来た王侯貴族の多くが「もてなしがない!」と声を荒げる。

 そしてそういう短絡的な者は必ずといっていいほどメイドの扱いを間違える。

 文化の違いを知ろうともしないし、学ぼうともしない。


 それによってシン様にどれほどの人が無能と判断されてきたことだろう。

 最初からこちらの文化を受け入れ、低姿勢で教えを乞う人などほとんど見たことがなかった。幼い頃から傅かれて育った者は、他者に頭を下げることができないのだ。


 だからヒースがお茶の淹れ方や食事の作り方などを聞いて来た時は驚き、そして感心した。王族に付き従って来た者でさえ横柄な者が多いと耳にしていたからだ。むしろ、そういった者のほうが酷いという話さえある。


 ヒースに一番初めに教えた料理はパンケーキだった。

 サラダを添えれば朝食代わりになるし、間食にもいいからというのが理由だった。

 パンケーキミックスという粉があり、玉子と牛乳を混ぜるだけで簡単に作れるので、まずはそれを覚えてもらい、朝食から作れるようになってくれたらという思いからだ。


「急に難しいものを作らなくていいと思うんです」

「確かにそうだな」

「混ぜて焼くだけですが火加減などで焦げてしまいますから、ちゃんとお料理の練習になりますよ」


 ヒースはとても覚えが良く、手先も器用だった。

 教えた通り、玉子と牛乳を混ぜた中へ粉を入れる。


「この粉は良くできていて、ふるわなくても混ぜるだけでふんわりするんです。一枚目はわたしが焼いてみますね」


 熱したフライパンに生地を流した。暫く待っていると気泡ができる。

 全体的に気泡ができたら裏返す。ひっくり返したパンケーキはこんがりと綺麗に焼きあがった。


「いい匂いだ」

「そうなんです。出来上がるまでの匂いを感じたりしながら作るので楽しいですよね」


 お皿に焼き上がったパンケーキを乗せる。

 次はヒースの番だと言うと、おそるおそるフライパンに生地を流した。綺麗な円形にならず、眉を寄せていたが、教えた通りに取り組むので焼き上がりは綺麗だった。


「難しいな、綺麗な円形にならない」

「練習すればすぐ上手くなりますよ。焼き加減はとてもいいですし、味が大事ですから」

「……そうか、教えてくれてありがとう。勤務時間外に申し訳ない」

「いえいえ、シン様から留学生のお二人のサポートも密かに頼まれましたので給金はいただいております」

「そうだったのか」

「抜け目ない方ですから」

「密かに頼まれたことを俺に言って大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。細かいことは気にされません」

「細かいことだろうか?母国なら逐一問題になるような話だが……」


 戸惑うヒースに、わたしはにこやかに笑いながら首を振った。

 シン様に頼まれるということは、ヒースの学ぼうとする姿勢は合格点だったということなのだ。


「三枚目もヒースが作ってくださいね」


 頷いたヒースは、先ほどよりも綺麗な円形を作り出した。

 真面目な顔で取り組む横顔は美しく、うっかり見とれてしまいそうになる。


「あら、ひっくり返すの上手ですね」

「そうか?」

「ええ、とっても。出来上がったら、フルーツと一緒に食べてみましょう」

「フルーツと合うのか?」

「合いますよ。シロップをかけたり生クリームを垂らしても美味しいです」

「あぁ、それは美味しそうだな」

「甘い物はお好きですか?」

「嫌いではないな」

「それは良かったです。甘い物を食べてる時ってしあわせな気持ちになりますしね」

「昨日も思ったが、ナターシャは教えるのが上手いな」

「あら、嬉しいこと言って下さるんですね」

「俺は普段はこんな喋り方だし、王族でもないから普通に話してくれていい」

「いけません。わたしはプロのメイドですから。これでもサファスレートより砕けてますでしょ?」

「まぁ、それはそうなんだが……では、プライベートなら?」

「その時は普通にお話しますね」

「あぁ、頼む」


 と、そんな会話をしたのだが――まさか本当にヒースとプライベートなお付き合いが始まるとは。人生何があるかわからないものだ。





 綺麗な円を描いたパンケーキにフルーツを盛りつけているヒースの横に並んだ。

 料理をしていても、佇まいで騎士だとわかる。姿勢がいいから白いシャツがヨレたりしない。引き締まった体躯の、腰で結ばれたエプロンの結び目までかっこいいのだ。

 舐める様にヒースを眺めていたら、手を止めた彼が目を細めてわたしを見た。


「クリームがついてる」

「え?」


 顔を近付けてきたと思ったら、ヒースがわたしの唇の端をペロリと舐めた。

 両手が塞がっていたから唇を使ったのだろう……たぶん。


「一応先に言っておくけど、サファスレートで浮気なんかしてないからな?」

「……しないって思ってたから、心配してない」

「不安そうな顔してたくせに」 

「……してない」

「してた」

「意地悪」


 たまらなくなって両手を上げたら、フルーツを盛り付けるために持っていたスプーンとフォークを置いて抱き上げてくれた。

 幼子のような縦抱っこだった。

 ヒースの首に腕を巻き付けて首元のあたりの香りをすんすん嗅いだ。


「はぁ……落ち着く」


 ポンポンとあやすように背を叩かれた。

 起きたら急にヒースが現れて、どうしたらいいかわからなくなってしまった。

 会いたくて、たまらなかったのに。

 

「寂しかった」

「うん、俺も」

「無事に帰って来てくれて嬉しい」

「這ってでも帰って来る」

「うん……」


 サファスレートから帰って来なくなるのではという、わたしの抱える悩みは、年々薄れてきてはいる。昔はヒースが帰国している間、食事が喉を通らないこともあった。


 ヒースは騎士だ。

 万が一、ジークハルト様が留まれば、帰って来ない可能性はある。


「もっと、ちゃんと抱きしめて」


 耳元で囁いたわたしを落とさないよう抱えながら、ヒースは大股で歩き始めた。




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