フローラ(4)
二年生になり、生徒会に入ったフローラは、忙しい毎日を送っている。
今日はそれほど仕事がなかったはずなのに、細かな用事を済ませていたら、アレンとの約束の時間まであと五分となってしまった。気持ちとしては廊下を走ってしまいたいところだが、ぐっと我慢してギリギリの速度で進む。
そんなフローラをすれ違う生徒は驚いた表情で見送っていた。
昨年のダンスパーティーから、もうすぐ一年が経つ。
事件後、しばらくしてからブリジットから謝罪の手紙が届いた。母からも謝罪に訪れたときの様子を聞いたこともあり、気持ちの整理は徐々についていった。以前のままとはいかないが、手紙のやり取りは続いている。
手紙には、ローズのその後の様子も書かれていた。
ローズの実家は多額の慰謝料を手にしたものの、当主を傍系と交代し、家族揃って領地へ引っ越したようだ。慰謝料のほとんどは領地再建のために使用されるらしい。ローズは領地で当主代行として働く父親の仕事を手伝っているとのことだった。
ブリジットは、いずれローズから手紙が届くのではと言っていたが、手紙はまだ届いていない。そう簡単に気持ちは変わらないだろう。
事件後の長期休暇では、ガルブレイス領の学校の見学をさせてもらった。学校は新しく、とても清潔で広々としていた。校庭というのも初めて見たけれど、まだ王都では知られていないスポーツをしている人がたくさんいて、興味深かった。
ガルブレイス家もマーガレットが賑やかで、時折アレンと言い合いをしていたりして本当に楽しかった。セレスティアがとにかく可愛くて、見ているだけで幸せで。自分がここに居てもいいのだと、そう思える安心感もあった。
けれども、ガルブレイス領の学校への転校はお断りすることになった。
わたしはまだ、王都で何もしていなかったから。
それが一番の理由だった。
長期休暇明けは不安を抱えながらの登校になったけれど、概ね穏やかな学園生活が待っていた。
一部の状況を知る生徒からは遠巻きにされたが、事情を知らない生徒たちが時折話しかけてくれた。そうしているうちに遠巻きにしていた生徒たちも、徐々にフローラに話しかけてくれるようになった。
居なくなった生徒に関しては、事情を詳しく知らない生徒たちも含めて、皆が口を噤んでいた。
そうして秋が深まったころ、生徒会の次の役員決めが始まり、イリーナに一緒にやらないかと誘われたのだ。
シリルにはとても反対されたが、初めてシリルに逆らい生徒会に立候補した。
当選したことを伝えると、シリルは「くそっ」と汚い言葉で悪態をついた。シリルは、イリーナとフローラの接点が増えることを嫌がっているようだった。
もっとも、フローラはシリルがシャーロットのことを好きだと思い込んでいたぐらいなので、自分のカンが当てにならないことを重々承知している。シリルがフローラに全てを見せていないことも。
特に最近は機嫌が悪いようなので余計なことは口にはしないようにしている。
父がこっそり教えてくれた話では、水面下でイリーナとの婚約話が進んでいるのだとか。王宮開催のお見合い後、二人が結婚するという噂が流れたからだという。お見合いで結婚に至ったというストーリーが政策的に有効、かつアディンソン侯爵家という、名目上保守派筆頭の家と縁付けば、改革派対保守派という派閥争いに一応の決着がつくという筋書きもあるようだ。
父曰く「図らずも政策がてら結婚すればいいと思っていたシリルの思惑通りなので、口の上手いシリルでも言い逃れできない状況なのだよ」ということらしい。それを話す父は珍しく、ちょっと意地悪な顔をしていた。
「アレン様! お待たせしました!!」
息を切らし、馬車の前で待つアレンを見つけると駆け寄った。
市井で買い物をするため、アレンは騎士服から私服へ着替えていた。シンプルなシャツを着ていても、その体躯や佇まいでとても目立っていた。新入生が男女問わず見とれているのがわかる。
「待ってないし、走らなくていい。危ない」
「わたし、走るのは得意なので大丈夫です」
「うん、まぁ運動神経がいいことは知ってるんだけど。転ばない保証はないし、そのスカート丈で転ばれると周りにいるやつら全員殴りたくなるからやめてほしいかな」
「……」
最後の言葉は少々不可解ではあったが、黙って頷いておいた。外だろうと淑女が走るのはよくないのだろう。
スカート丈は前と変わらないのだから。
差し出されたアレンの手を取り、馬車に乗り込む。
転校しなかった理由のひとつは、アレンの騎士団の任期があと二年残っていたことが大きかった。王都で一緒に過ごせる時間を大切にしたかったのだ。
フローラはローズの事件以降、アレンとの婚約やアレンへの気持ちを隠さないことに決めた。
初めは勇気のいることだったが、次第に人の視線も気にならなくなっていった。
そうするとアレンも、非番の日や、今日のように早番のときなど、都合がつく日は迎えに来てくれるようになった。
「迎えに来てくださってありがとうございます」
「いや、今日は俺の買い物に付き合ってもらうんだから、お礼を言うのはこちらだ」
「わんちゃんの首輪ですね?」
「あぁ。フローラは犬が怖かったりしないか? 親父がやけに心配してるんだ」
「あまり触れたことはありませんが、可愛いので大好きです!」
「そっか。なら良かった。今は子犬だけど、ずいぶん大きくなるらしい。毛が金色に近くて、目がブルーの犬を探したとか」
「まぁ、それはずいぶんと綺麗なわんちゃんですね。会うのが楽しみです」
「ティアが誕生日プレゼントに犬が欲しいと言ったらしくて。でもなぜかこの話になると母上が苦い顔をするんだよな。なんかあったな、あれは」
ふむ、と思案するようにアレンが顎に手をあてていた。
「名前は決まったのですか?」
「それがまた珍しく揉めてるらしい。ティアはフェルって付けたいんだって。俺としてはティアの犬なんだからフェルでいいんじゃないのかと、手紙に書いたんだけど、それには両親共に反対らしくて。俺からの候補ならティアが考え直すかもしれないからいい名前をローラと考えてくれって。無茶言うよな……名前ぐらいで家の両親が反対するの珍しいんだけどさ」
「フェル……可愛いですけど、金の毛にブルーの瞳のわんちゃんですから、凄く高貴な名前とか似合うかもしれませんよ?」
「王子様みたいな名前ってこと?」
「そうです! たとえば、クリストフェル、とか?」
「おお、なんか豪華になった」
「ですよね? 愛称で呼びたいときはクリス~とか、フェル~とか、どちらでも呼べますし」
「いいな、それを提案してみるよ。ありがとう、ローラ」
「どういたしまして」
結論から言うと、この提案はちっとも良くなかった。クリストフェルと名付けられ、セレスティアが『フェル』と連呼し、フローラが名前の由来を知ったときには後の祭りだったのだが。
「着いたな」
首輪を買いにいく前に、最近流行りのカフェへ連れてきてもらった。
アレンは時々、恋人のいる騎士団員に流行りのお店を聞いて、フローラを楽しませてくれるようになった。
外装も内装もピンク色をしていて、ものすごく目立っている不思議なカフェだった。デオギニアから来た人の店で、サファスレートでよくこの奇抜さが受け入れられたな、と感心するほど斬新なお店だ。
「これはなんていうか、俺が食べていいものなのだろうか」
普段堂々としているアレンのたじろぐ姿は珍しく、とても可愛かった。
アレンの前に置かれたピンクの皿に乗ったいちごのケーキは、クリームが白とピンクの二色になっており、ケーキの上には切ったイチゴが薔薇のように飾られている。
フローラが頼んだケーキの名前は『夢可愛い』という名前で、アレンのケーキ以上に不思議な色合いをしていた。白、ピンク、水色のクリームに、銀色のつぶつぶしたものがかかっている。銀色のつぶつぶしたものを食べてみたけれど、味はよくわからない。とても不思議な食感だった。
「ふふふ。可愛いイチゴのケーキを食べるアレン様、とっても不思議ですね」
「なんでクリームまでピンク色なんだ?」
「夢可愛いから? こっちは水色も入ってますよ」
「夢可愛いってなんだ? よくわからん。うまいけど」
「そうですね」
不思議そうにしながらも、アレンはあっという間に食べ終えてしまった。
アレンから騎士団の面白い話を聞いたり、フローラが生徒会の話をしたりして、楽しいお茶の時間は瞬く間に過ぎて行った。
「忙しなくてすまないが、次の店に行こう。夕方には戻らないとだからな」
アレンと手を繋ぎ、馬車に乗り込んだ。
「お父様が急に、申し訳ありません」
忙しなくなってしまったのは、父が我が家へアレンを連れて来いと言い出したせいだった。
「いや、明日は非番だし、俺は嬉しかったよ。泊まっていいよなんて言われるとは思わなかったし」
「そ、そうですね……しかもそれはお母様からでしたし」
「うん。ビックリしたけど、婚約者として認めて貰えたみたいで、本当に嬉しかった」
「そんな、ずっと前からアレン様のことは両親共に頼りにしていましたから。ですが、それとは別に、お母様、妊娠してからちょっと変わりました」
「そう?」
「はい。お父様もですけど」
「その表情からすると、良い意味でってことかな?」
「そうですね。休まず働いていた父が、つわりで苦しむお母様の傍にいたいと言って、お兄様に仕事を振って帰ってくるようになりましたし。つわりが終わって落ち着いたかと思えば、今度はお母様が久しぶりの出産に不安を感じているようで、早く帰って来て欲しいと言って……お父様に甘えるお母様なんて初めて見ました」
フローラがいないと思っているのか、父の膝に乗ったり、腕によりかかったりしているのを見てしまったときなどは、部屋に入るのを止めてしまうほどだった。親のそういうところを見るのは恥ずかしいと言ったら、アレンは遠い目をしていた。
「あーー、これ言うと、すごい引かれると思うんだけど」
「なんでしょう?」
「うち、そういうのしょっ中だから、ガルブレイス家に住むようになったら……なんていうか、ごめんな?」
「いえ、いえ、だいじょうぶです。アレン様のお父様とお母様なら絵画のようできっと美しいでしょうし」
「いや、全然……親父とかただのエロ親父だから恥ずかしい」
「やはり、自分の親だから恥ずかしいのでしょうか。アレン様とだったら、わたしは嬉しいですけれども」
「えっ?」
「あっ、すみません。なんだかはしたないですね」
「そんなことないけど、ビックリした。ローラはそういうの嫌かなって、なんか勝手に思ってたから」
「そんなことないです! わたしも、そういうことに憧れはありますし」
「……っ、」
「すみません、それこそ引いちゃいますよね?」
手で顔を覆って、上を向いてしまったアレンに謝った。
父と母のやりとりは恥ずかしいが、少し羨ましくもある。
アレンとあんな風にずっと仲良くいられたらと、どうしても願ってしまうのだ。
「あー、ちょっと、ごめん」
「なんでしょう?」
「目、瞑ってくれる?」
「はい」
よくわからないが、とりあえず目を瞑った。
アレンはしばらく「うーん」とか「あー」とか呻いた声を上げていた。
「何かお困りですか?」
「あー、うん……ちょっと、触れてもいい?」
「はい……」
なんだろう。
目を瞑ってるし、見えなくてちょっと怖いけど。
「やっぱ、駄目だ。鬼の形相のシリルが迫ってくる。いや待て、それどころじゃない」
「……?」
アレンの言葉に首を傾げているうちに、柔らかいものが頬に触れて離れていった。
たぶん、アレンの唇だろう。
思わず頬を手で押さえてしまった。
「目を開けてもいいよ。ごめん、嫌だった?」
「い、いえ、大丈夫です、嫌じゃないです」
「真っ赤だな」
「そうでしょうか。アレン様も、ですが」
「マジか。困ったな。スマートにできなくて申し訳ない」
「……いえ、そんなことないです」
「……なんだ、その、ものすごく恥ずかしいな?」
「そう、そうですね」
なんだか二人してモジモジして、犬の首輪を買って帰った後もギクシャクしてしまい、母に白い目で見られながら「節度を守ったお付き合いをなさい」と叱られた。
頬への口づけしかしていないというのに全く理不尽だ。学園ではもっとすごい話をいっぱい聞いているのだから! いや、聞いた話のどれもが、今のフローラには到底無理なものばかりだけど。
父とアレンは仲良く晩酌をし、母にお小言を言われながら美味しいご飯を食べた。つわりがあった頃は母が大人しかったので、それだけ元気になった証拠だと思い、お小言は聞き流した。
その後、げっそりしながら帰って来たシリルが皆にイリーナとの婚約が決定したことを発表したのだが、父も母もフローラもそろそろだろうと思っていたのでさほど驚かなかった。アレンだけが目を見開いて驚いていた。
晩餐に加わったシリルは、終始不機嫌そうに酒を飲んでいた。
それは父と母が揃って寝室に上がってしまった後も延々と続いた。
「なんだよお前、フローラとイチャつきやがって」
「え、なんで知っ」
「はっ!? なんかしたかお前」
「いや、なにも? っていうか、なんでお前そんな絡んで、そんなに婚約が嫌だったの?」
「は? 嫌なんて一言も言ってないけど?」
「じゃあ、なんでそんなに荒れてんだよ」
「絶対、ほったらかすし、そんなのイリーナ嬢がかわいそうじゃん」
「……うん?」
「しかもどこへ行くにも護衛付き、こんな堅苦しい家、彼女には似合わないだろ?」
「……よくわかんないけど、お前、もしかしてめっちゃ好きなんじゃ」
「好きだよ」
「えっ……じゃぁいいじゃん」
「よくないだろ? 好きな子に窮屈な思いさせて、お前嬉しい?」
「いやー。まぁそれは嫌だけど」
「生徒会に入ってきたときから、可愛いなって思ってたんだよ。キャンキャン吠える小型犬みたいでさ。構いたくなるんだよな。うるさいのは嫌いなはずなのに、彼女だけはなんか平気だったし。だから余計、そういう関係にならないように遠ざけてたのに。商会には乗り込むし、道場には入門するし、お見合いに出て来るし。あんなに可愛いのに、お見合いなんかに来たら、野生の群れに突っ込んできたウサギみたいじゃんか? 性格はイノシシだけど」
「お前、令嬢のことを犬とかイノシシとか言わない方が」
「いいんだよ、可愛いから」
「可愛いのかよ、面倒くせぇな……ん? ローラ、大丈夫か?」
アレンがこちらを向いて言った。
物凄く情けない顔をしていると思う。
「お兄様がすみません。凄く酔ってるみたいですね」
「酔ってない」
「お兄様、そろそろ寝てください」
「酔ってない」
シリルの侍従を呼んで、肩を持ってもらいシリルを運ぶことにした。
かなり抵抗していたが、最後は自分から立ち上がってくれた。
「お前ら、絶対に幸せになれよ?」
「あぁ。ローラのことは任せてくれ」
「うん、大丈夫よ。お兄様。アレン様となら幸せになれるよ」
シリルはアレンとフローラの言葉に力強く頷いて、侍従に引っ張られながら部屋を出て行った。
「あいつ酒癖悪かったんだな」
「わたしも知りませんでした」
「シリルは結局、恋愛結婚ってこと?」
「そう、なるんでしょうか?」
「俺たちの子どもは、恋愛結婚かもなぁ」
「そうですね……でも、自分で選べるのはいいことかもしれません」
「……ローラは後悔してない?」
「後悔ですか?」
「俺との結婚。一応、政略だし」
「わたしたちって政略結婚ってことになるんですね? 忘れてました」
フローラがそう答えると、一瞬驚いた顔をしたアレンは口を開けて笑った。
「良かった。ローラからすれば、状況的に断れないだろうし、ちょっと心配だった」
「アレン様こそ、わたしで後悔してませんか?」
「するわけない」
「よかったです」
「ローラが大好きだよ」
「わ、わたしも、アレン様が大好きです」
二人でクスクス笑って、アレンが「そろそろ寝よう」と立ち上がる。
そうですね、と頷いてフローラも立ち上がった。
アレンは自然な仕草でフローラを抱きしめると、額に触れるだけのキスをした。
アレンが真っ赤な顔で「おやすみ」と言って部屋を出るのを、額を押さえながら見送った。
* * *
サファスレートはその後、お見合いや恋愛結婚が主流になり、わずかに残っていた政略結婚はすっかり途絶えた。
その過程で、婚約も書類を交わさないものが主流になった。書類を交わすほどの婚約は、王族や高位貴族のみに残る慣習となった。
自由になれば苦しむ令嬢はいなくなるかと思えば、そんなことはなく。
男女共に恋愛に苦しむ人が増えた。
婚約が曖昧になり、裏切られても慰謝料をもらえないなどのトラブルも増え、家格が合わず、親と揉めるケースも増えているという。
女性も仕事に追われるようになり、出生率はゆるやかに減少している。宰相になったシリルは、国の方針として出生率の向上を目指しているが、なかなか厳しい状況らしい。
婚約や結婚、幸せに正解はなく、サファスレートは今も変化しようともがいている。
そしてルーズヴェルト侯爵家では。
母が無事に女の子を出産し、妹は現在、両親と共に領地でのびのびと暮らしている。
忙しい身を心配していたけれど、シリルはイリーナとおしどり夫婦になり、三人の子どもがいて、イリーナは現在四人目を妊娠している。
ガルブレイス家では。
アレンとフローラの間にも長男と長女がいて、二人とも元気にすくすく成長している。
セレスティアは。
十二歳年上の、第二王子だったラインハルト(既にデジュネレス公爵位を継いでいるが独身だった)と恋に落ち、サファスレートの社交界を賑わせた。
ブレイデンは、ありとあらゆる浮名を流したラインハルトに娘は任せられないと荒れた。マーガレットも困惑を隠せない様子だったが、セレスティアの情熱を止めるのは難しかった。
渋るブレイデンを納得させるため、ラインハルトは現在行われていない神殿での古典的な婚約式を行うと決め、大々的に発表した。
セレスティア以外の女性を娶る気はないという強い意志に、ブレイデンはようやく首を縦に振ったのだった。
セレスティアとラインハルトの婚約は、サファスレートに新たな風を吹き込むだろう。
完結までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この後のSSでは甘めのお話を更新しています。
そういったお話がお好きな方はぜひお読みいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




