第8話 オッサン精霊、靴より胸当てを買ってもらう
◇◇◇◇
アリスのあとに続いて、冒険者ギルドへ入った。
扉をくぐった途端、あちこちから視線が集まる。
剣を下げた冒険者。鎧を着た冒険者。荷物を抱えた冒険者。
その中に、パジャマ姿で裸足の俺がいる。
「……朝から目立ってるな」
「さっきの戦いを見た人たちがいるのよ」
「そうだといいんだが。俺には、みんな足元を見てるように思えるよ」
アリスは壁に張られた依頼書のところへ向かった。俺もあとを追う。
「今日は何を受けるんだ?」
「簡単な依頼にするわ。コージ、休みの日だものね」
「覚えてくれてたか。助かるよ」
「ゴブリン退治はどう?」
「……それが君の言う簡単な依頼か」
アリスが一枚の依頼書を指さした。
俺には文字が読めないので、内容を聞く。町の西にある森で、最近ゴブリンの数が増えているらしい。街道にも姿を見せるようになり、ギルドが討伐依頼を出しているという。
「今回は、奥まで行かなくてもいいの。街道の近くを調べて、ゴブリンを三体討伐すれば達成よ」
「三体か。前みたいに『まだ余裕があるから奥へ行こう』はなしだぞ」
「分かってるわよ」
「返事が少し早すぎるな……」
アリスは依頼書を外し、受付へ向かった。
受付の女性はアリスを見ると、にこやかに挨拶した。
「おはようございます、アリスさん。今日はどちらの依頼ですか?」
「西の森のゴブリン討伐よ」
「承知しました。最近、街道付近でも目撃が増えていますから、気をつけてくださいね」
受付の女性が依頼書を確認し、俺へ目を向けた。
「こちらの方は、先ほどギルドの前にいらした……」
「ああ、見られてましたか」
「はい。三人の冒険者が、立て続けに転んでいたので」
「向こうから殴りかかってきたんですよ。俺は足を払っただけです」
受付の女性は笑顔のまま、俺の服と足元を見た。
「アリスさん、今日は精霊さんもご一緒ですか?」
「ええ。高位精霊のコージよ」
「人間です。あと、裸足なのは俺の趣味じゃありませんからね」
「……承知しました」
どう見ても承知していない顔だった。
「そうだわ。前回のレッドホーンボアの報酬も受け取らなくちゃ」
アリスが解体場でもらった引換券を出す。受付の女性は台帳を確かめ、硬貨の入った袋を渡した。
アリスは中を見て、嬉しそうに目を輝かせる。
「思ったより多いわ!」
「そりゃよかった。あれだけ大きいのを担いだ甲斐があったよ」
受付の女性が、また俺の足元を見た。
「討伐に行かれる前に、履き物を用意されたほうが……」
「そうします。今まさに、その相談をするところでした」
「安心しました」
他人にそこまで安心されるほど、俺の足元はひどいらしい。
ギルドを出ると、アリスが硬貨の袋を軽く持ち上げた。
「前回の報酬がよかったから、コージの靴を買ってあげるわ」
「本当か。助かるよ」
裸足で歩いても、足の裏は不思議と痛くない。召喚されている間は、足裏まで強くなっているのかもしれない。
だが、痛くないことと、人前を裸足で歩きたいことは別だ。
アリスの後ろを歩きながら、ふと思う。
若い少女のあとを、薄着で裸足のオッサンがついていく。
「……これ、俺がアリスの奴隷に見えてないか?」
「何を急に言い出すのよ」
「だって君はちゃんと服も靴もある。俺はパジャマに裸足だ。しかも君のあとを歩いてる」
「コージは私の精霊よ」
「それも本人の意思を確認してないだろ。余計に心配になってきたよ」
「じゃあ、胸を張って歩けばいいじゃない」
「胸を張った裸足のオッサンになるだけだよ!」
道行く人がこちらを振り返った。
俺は口を閉じ、アリスについていった。
◇
防具屋の店内には、革鎧や胸当て、盾、靴が並んでいた。
新品らしい品もあれば、使い込まれたものもある。修理しながら長く使うのだろう。
「いらっしゃい。何を探してる?」
店主らしい大柄な男が、奥から出てきた。
「このコージに合いそうな、中古の革靴を見せてほしいの」
「中古?」
思わずアリスを見た。
「新品を買ってくれるんじゃなかったのか?」
「新品は高いのよ。中古で我慢して」
「いや、ありがたいんだが……中古か」
「でも、裸足よりはいいでしょう?」
「それはそうだが……」
店主は俺の足を見て、棚の奥から靴を何足か持ってきた。
「このあたりなら入りそうだな。どれも底は直してある」
見た目はそれほど悪くない。多少の傷はあるが、履いて歩くには十分そうだ。
俺は一足手に取った。
履く前に、念のため靴の中を覗く。そして、何となく匂いを嗅いでみた。
「クサッ!」
慌てて顔を離す。
革の匂いに汗と足の匂いが混ざり、何とも言えない臭さだった。
「当然だろ。中古なんだからな」
店主は平然と言った。
「手直ししたあと、中も拭いて天日干しはしてあるぞ」
「干してこれか……」
別の一足を取る。こっちはどうだ。
中へ鼻を近づけた。
「クサッ! こっちもか!」
「どれも使っていた靴だからな」
「アリス、これはちょっと厳しいぞ」
「我慢して。履ければいいでしょう?」
俺は靴を持ったまま、自分の足元を見た。
裸足だ。
つまり、この靴を履くなら、靴下なしで直接足を入れることになる。
ヤバい……ヤバすぎる。
履いたあとの俺の足がどうなるか、想像したくもない。
「……アリス。靴はいらない」
「さっきまで欲しがっていたのに。贅沢ね」
「新品を買えって言ってるんじゃない。ただ、今の俺には裸足のほうがましだ」
少なくとも、召喚中は石畳を歩いても痛くない。
アリスは肩をすくめ、店主に靴を返した。
「じゃあ、靴はいいわ。その代わり、コージに合う胸当てを見せて」
「胸当て?」
「ゴブリン退治に行くんだもの。防具くらい必要でしょう」
「それはそうだが、順番が妙じゃないか?」
店主が持ってきた胸当ては、使い込まれた革製だった。
恐る恐る匂いを確かめる。
「……靴よりはましだな」
「防具を選ぶ基準が匂いなのか?」
「今の俺には大事な基準なんだよ」
パジャマの上から胸当てをつける。少し重いが、肩ひもを調整すれば動きにくくはない。
アリスが満足そうにうなずいた。
「いいじゃない。冒険者らしくなったわ」
「上半身だけな」
アリスは胸当ての代金を払い、俺たちは店を出た。
これから西の森へ、ゴブリン退治に向かう。
パジャマの上には革の胸当て。足元は裸足のままだ。
俺は自分の格好を見下ろして、ため息をついた。
「朝から召喚して働かせるうえに、支給品は胸当てだけか。まず守るべきは、俺の足元だろ!」
「足の裏、痛いの?」
「いや、不思議と痛くない。だから余計に気味が悪いんだよ」
俺は石畳を踏んでみた。硬さも、細かな砂の感触もある。なのに痛みだけがほとんどない。
ゴブリンに殴られても平気だったのだから、今さら足の裏だけ普通ということもないのかもしれない。
「じゃあ、森へ行きましょう」
「待て待て」
「今度は何?」
「腹が減った」
アリスが俺を見上げた。
「まだ食べてなかったの?」
「寝てたところを呼ばれたんだぞ。いつ朝飯を食う時間があった?」
「あっ」
「あっ、じゃないよ。寝てるところを呼び出されたんだぞ。朝飯どころか、顔も洗ってないんだよ」
町の通りには、朝の露店が並び始めていた。香ばしい匂いが風に乗って、こちらまで流れてくる。
さっきまでは若い冒険者たちのせいで気が張っていたが、匂いを嗅いだ途端、腹がぐうっと鳴った。
アリスが俺のお腹を見た。
「精霊さんのお腹も鳴るのね」
「人間だからな。日本には『腹が減っては戦ができぬ』ってことわざがあるんだよ」
「ことわざ? どういう意味?」
「腹が減っていると力も出ないし、集中もできない。何かを頑張るなら、まず飯を食っておけってことだ」
「ああ、なるほど。魔物と戦う前にも、ちゃんと食べたほうがいいのね」
「そういうこと。腹が減って力が出なきゃ、ゴブリンを倒すどころか、こっちが追いかけ回されるぞ」
「でも、コージならお腹が空いていても勝てそうだけど」
「そういう油断がいけないんだよ。長距離の運転だって、腹が減って集中力が落ちたら危ないからな」
「分かったわ。何か食べてから行きましょう」
「そうしてくれ。今朝は休みのつもりだったんだから、せめて朝飯くらい落ち着いて食いたい」
アリスが案内してくれたのは、鉄板の前に客が並ぶ露店だった。
店の男が、焼き色のついた腸詰めを薄いパンに載せる。炒めた玉ねぎと緑色の葉を添え、端からくるりと巻いた。
「おっ、うまそうだな」
「朝はここで買う冒険者も多いのよ。歩きながら食べられるから」
「それはありがたい。仕事の日の朝飯みたいなもんだ」
「コージの世界にもあるの?」
「似たようなものはな。運転の仕事をしてると、片手で食べられる飯が助かるんだよ」
俺は店の男に一つ頼もうとして、手を止めた。
財布がない。
寝ていたところを召喚されたのだから、当たり前だった。
「……アリス」
「何?」
「すまん。金を貸してくれ」
「靴を買わなかった分があるから、私が出すわ」
「助かるよ。帰ってもこちらの金で返せないのが、何とも心苦しいが」
「魔物を倒してくれれば、十分よ」
「朝飯の代金が魔物退治か。ずいぶん高くつくな」
アリスは俺の分を買い、店の男から包みを受け取った。
できたてを一口かじる。パンは柔らかく、腸詰めは熱い。肉汁と玉ねぎの甘さが口に広がった。
「うまいな、これ」
「でしょう?」
「やっと異世界で飯を落ち着いて食える」
そこで俺は、この前ワイルドボアの肉を食べている途中で帰還したことを思い出した。
手元のパンを見つめる。
「……これ、食べ終わる前に帰らないよな?」
「まだ召喚したばかりよ」
「そう言われても、前科があるからな」
俺は少し歩調を速めながら、もう一口食べた。
町の西門へ向かう道には、荷車を引く商人や、朝の依頼へ出かける冒険者たちがいた。
剣や弓を持った連中の中で、俺だけが裸足にパジャマ、胸当てを着けて朝飯をかじっている。
通りすがりの冒険者が二度見した。
「……やっぱり、この格好は目立つな」
「胸当てを着けたから、さっきより冒険者らしいわよ」
「胸から下も見てくれ。どう見ても寝起きのオッサンだろ」
アリスは俺の足元を見てから、口元を押さえて笑った。
「でも、さっきはカッコよかったわ」
「今は?」
「朝ご飯をおいしそうに食べてる精霊さん」
「その感想、褒めてるのか?」
「もちろん。朝ご飯を食べてるときのコージ、ちょっと嬉しそうだったもの」
アリスは口元に手を当てて笑い、俺の返事を待たずに軽い足取りで先へ行った。
「……そりゃ、飯がうまけりゃ嬉しいだろ」
俺は残りのパンを急いで口に入れ、あとを追う。西門を抜ければ、街道の先はゴブリンが増えているという森だ。
朝飯はうまかった。腹も満たされた。
ただ、ひとつ問題が残っている。
「アリス、足元に尖ったものが落ちてたら教えてくれよ」
「足の裏は痛くないんでしょう?」
「痛くなくても、踏みたくないものはあるんだよ!」
俺は足元を確かめながら、アリスのあとを追った。
朝飯は支給された。次に交渉するのは、休日出勤手当だ。
もっとも、この世界の給料を一円ももらっていない俺には、割増する元の賃金すらなかった。




