第6話 オッサン精霊、契約条件に物申す
◇◇◇◇
翌朝。
俺はトラックの運転席で、コンビニのおにぎりをかじっていた。
昨日は異世界で肉料理を完食できず、その前は弁当の卵焼きをアリスに持っていかれた。
どうやら俺は、異世界へ行くたびに腹を空かせて帰ってくるらしい。
「まったく、異世界まで行って肉を少し食べただけで帰ってくるとはな。次は完食させてもらうぞ」
おにぎりをもう一口かじった、そのときだった。
運転席の周囲が白い光に包まれた。
「おいおい。今度は食い始めてすぐかよ。少しくらい待てないのか」
次の瞬間、俺は森の中に立っていた。
右手には、食べかけのおにぎりがある。
目の前には、杖を持ったアリスがいた。
「精霊さん、来てくれたのね!」
「来たくて来たんじゃない。見てくれ、このおにぎり。あと一口で食べ終わるところだったんだぞ」
「おにぎり?」
「そこからかよ。まあ、いい。今日は何の用だ?」
アリスは、いつになく真剣な顔をしていた。
「今日は、コージに大事な話があるの」
「大事な話? また討伐じゃないだろうな」
「違うわ。召喚契約についてよ」
「契約?」
嫌な予感がした。
異世界で契約といえば、だいたい碌な話ではない。
奴隷契約、主従契約、あるいは死ぬまで従う契約。
異世界漫画で何度も見てきた展開だ。
「先に言っておくが、俺は借金もしないし、保証人にもならないぞ」
「何の話よ」
「契約って聞くと、身構えるだろ。こっちは51歳なんだ。契約書の小さい文字で痛い目を見る年頃なんだよ」
「召喚契約に、紙の契約書はないわ」
「それはそれで怖いな」
アリスは杖を胸の前で抱えた。
「私はまだ召喚師として経験が浅いから、高位の精霊とは本契約を結べないの」
「高位の精霊?」
「ええ。だから、コージとは召喚仮契約の状態よ」
「仮契約?」
「そう。今は私が召喚すれば、コージがこちらへ来る。でも、本契約ではないから、召喚できる時間も短いし、力を十分に引き出せないの」
「いやいや、力は十分すぎると思うけどな。ワイルドボアを担いで、ゴブリンを片手や体当たりで吹き飛ばしたんだぞ」
「それは、コージが高位精霊だからよ」
「だから俺は人間だって」
「仮契約を結んだ精霊は、本契約を結ぶと召喚主の眷属になるの」
「眷属?」
その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がさらに強くなった。
「眷属っていうと、異世界漫画では主の魔力や加護を受けて、主の命令に従う者って感じなんだが?」
「だいたい合っているわ」
「合っているのかよ!」
俺は思わず、おにぎりを持った手を振った。
「それ、俺がアリスの部下になるって話じゃないか。しかも魔力と加護をもらう代わりに、命令に従う。ずいぶん立派な雇用条件だな。給料は出るのか?」
「給料?」
「報酬だよ。長年働いてきたからな。無償労働には敏感なんだ」
「眷属にお金を払う召喚師はいないわ」
「それを堂々と言うな! ブラック企業よりひどいじゃないか!」
アリスは、なぜ俺が怒っているのか分からないらしく、首を傾げた。
「でも、本契約を結べば、コージはもっと強くなるわ。私の魔力で体を強化できるし、簡単な命令なら遠くにいても伝えられる。危険な攻撃から私を守ることもできるのよ」
「守るって、また俺を盾にする気じゃないだろうな」
「そんなことしないわ。……たぶん」
「今の間は何だ。たぶんって言ったよな?」
「それに、本契約を結ぶには、召喚師の実力が足りないの。だから、今は仮契約のまま」
「じゃあ、俺は何をすればいいんだ?」
「これまでどおり、私が呼んだら来てくれればいいわ」
「それだけ聞くと、出勤要請だな。しかも勤務時間も不定、勤務地は森、仕事内容は魔物退治。労働条件がひどすぎる」
「でも、コージは精霊でしょう?」
「何度言えば分かるんだ。俺は人間。日本人。51歳。トラックドライバー。腰痛持ちだ」
「精霊としては若くて、人間としては少し年を取っていて、荷物を運ぶ仕事をしていたのね」
「最後の二つは合ってる。最初の一つだけが違うんだよ」
アリスはしばらく考えたあと、何かを思いついたように顔を上げた。
「分かったわ。仮契約のあいだは、コージを無理に本契約へ誘わない」
「最初からそうしてくれ。俺は会社もまだ辞めていないんだ。異世界で勝手に眷属にされたら、帰ったあと女房に何て説明すればいい」
「奥さんにも、コージは精霊だと説明すればいいじゃない」
「説明できるか! 『俺は精霊だ。異世界で召喚主と仮契約や眷属の話をしてきた』って言ったら、病院へ連れて行かれるわ!」
アリスは、初めて少し笑った。
「コージは変な精霊ね」
「だから人間だって。変なのは、俺を勝手に精霊にしている君のほうだよ」
そのとき、森の奥から大きな音が響いた。
木々が揺れ、鳥の群れが一斉に飛び立っていく。
「何の音だ?」
「魔獣かもしれないわ」
「おい、今日は契約の説明だけじゃなかったのか?」
「ちょうどいいわ。仮契約の力を確かめましょう」
「いや、ちょうどよくない。俺はおにぎりを食べてる途中なんだぞ!」
アリスは杖を構えた。
「行くわよ、精霊さん!」
「だから俺は精霊じゃない! それと、食事中の人間を戦場へ連れていくな!」
森の奥から、巨大な影が姿を現した。
ワイルドボアよりも一回り大きい、赤黒い毛並みの魔獣だった。額には二本の角があり、黄色い目がこちらを睨んでいる。
「コージ、やっちゃってください!」
「その時代劇風の言い方何とかならないのか?」
「ジダイゲキ・フウ?」
「まあ、いい。あいつの名前をおしえろ」
「レッドホーンボアよ!」
「危険度はどうなんだよ!」
魔獣が地面を蹴った。
「来るぞ! アリス、横へ避けろ!」
「コージは?」
「俺は……まあ、なんとかする!」
俺は食べかけのおにぎりを懐へしまい、迫ってくる魔獣を見据えた。
「食べ物を粗末にするなって、昔から言うんだよ。お前を倒して、今度こそ最後まで食べてやるからな!」
魔獣の角が目の前まで迫った。
俺は体を横へずらし、すれ違いざまにその額を右手で軽く叩いた。
ドンッ、と森全体が揺れるような音がした。
レッドホーンボアは地面を転がり、木の幹に激突した。
「……またか」
俺は右手を見た。
「だから、軽く叩いただけなんだって。俺の手、どうなってるんだよ」
アリスは目を輝かせた。
「やっぱり高位精霊ね! 仮契約なのに、あんな魔獣を一撃で倒すなんて!」
「喜ぶ前に、俺の話を聞け。俺は高位でも精霊でもない。現役のトラックドライバーだ!」
アリスは倒れた魔獣へ駆け寄った。
「これなら、今日の報酬も期待できそうね!」
「そうかい。ところで、これをどうやって町まで運ぶんだ?」
俺は、地面に横たわるレッドホーンボアを指さした。
「もちろん、コージよ」
「だよね~。聞くまでもなかったな」
「コージなら運べるでしょう?」
「運べるかどうかじゃなくて、運ぶ人間を最初から俺に決めるなって話なんだよ」
しかし、ほかに運ぶ手段があるわけでもない。
俺はレッドホーンボアの脚をつかみ、肩へ担ぎ上げた。
「うわ……やっぱり重いな。ワイルドボアより一回り大きいだけあって、腰にくる」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃなかったら、今ごろ下敷きになってるよ。まあ、仕事で荷物を担ぐことはあるから、歩けない重さじゃない」
「やっぱりコージはすごいわ!」
「すごいんじゃない。人手不足の現場で鍛えられただけだよ」
俺はレッドホーンボアを担いだまま、森の出口へ歩き始めた。
「ところで、アリス。この世界のことを少し聞いてもいいか?」
「何かしら?」
「冒険者って、誰でもなれるのか? それとも試験があるのか?」
「冒険者ギルドに登録すればなれるわ。最初はEランクから始まって、実績を積めば上がっていくの」
「Eランクが一番下か?」
「そうよ。上はD、C、B、A、そしてSランクね」
「異世界漫画と同じだな」
「アリスは何ランクなんだ?」
「私はEランクよ」
「まだ一番下なのか」
「でも、コージのおかげでもう少しでランクが上がるわ。今回の討伐と、レッドホーンボアの討伐。それに、荷馬車を助けた実績もあるもの」
「俺が知らないところで、ずいぶん評価に貢献してるんだな」
「次はDランクになれると思うわ」
「それはよかったな。俺も少しくらい、運送業の経験が役に立ったらしい」
森を出るころには、空はすっかり夕方の色になっていた。
町の門が見えてくる。
門番は、こちらに気づくと目を見開いた。
「また見られてるな」
「レッドホーンボアを丸ごと担いでいるからでしょう?」
「それだけじゃない。作業服に安全靴で魔獣を担いでる51歳の男なんて、そうそういないだろ」
「コージの服装も珍しいのね」
「そこを自覚してなかったのかよ」
門番が駆け寄ってきた。
「おい! その魔獣はどうしたんだ?」
「倒したので、町へ運んできました」
「また、あんたが一人で担いできたのか?」
「まあ、そうなりますね」
「やっぱり、すごい力だな!」
「力があるというより、運ぶ人間が俺しかいなかっただけです」
町へ入ると、道行く人々の視線が一斉に集まった。
「みんな見ているわね」
「そりゃ見るだろ。魔獣を丸ごと担いだ作業服のオッサンが歩いてるんだから」
「精霊さんが注目されているのよ」
「だから俺は人間だって。しかも今日は仕事中なんだぞ。契約の話をして、魔獣を倒して、これを担いでる。勤務内容が重すぎるだろ」
アリスは冒険者ギルドの裏手へ俺を案内した。
そこには、血の跡が残る大きな作業台と、魔獣を解体するための道具が並んでいた。
「解体をおねがいします」
俺は作業場のギルド職員に声を掛けた。作業場の職員が、レッドホーンボアを見るなり声を上げた。
「あんた、またか! しかも、また担いできたのか?」
「またって、まだ2度目ですよ」
「2度目でも十分おかしいんだよ!」
「全く……。今回はレッドホーンボアか、これは高く買い取れるぞ。解体には時間がかかる、引換券を渡しておく」
「ありがとうございます。ではお願いします」
アリスは引換券を受けった。
「これで報酬と交換できるわ」
「よかったな。俺はもう、肩と腰が痛いよ」
「今日はかなり稼げそうね!」
「それはよかった。ところで、前回の肉料理の件だが――」
その瞬間、俺の体が淡い光に包まれた。
「あっ、帰還が始まったわ」
「ちょっと待て! 今回も肉料理を食わせろ!」
「次はもっと一緒に冒険しましょうね、コージ精霊さん!」
「次も仕事の話かよ! せめて飯を食わせてからにしてくれ!」
俺の視界は、白い光に覆われた。
◇
気づくと、俺はトラックの運転席に戻っていた。
懐から、食べかけのおにぎりを取り出す。
少し潰れていたが、まだ食べられそうだった。
「……異世界の眷属になる前に、まず異世界肉料理を完食する。これだけは譲れんな」
俺はおにぎりを最後まで食べた。
どうやら俺は、会社を辞めると伝えた51歳のトラックドライバーでありながら、異世界では高位精霊として仮契約まで結ばれてしまったらしい。
ただし、給料も精霊手当も、まだ一円ももらっていない。




