第5話 オッサン精霊さん、報酬で肉を食べる
◇◇◇◇
整形外科の診察を終え、俺は薬局で薬を受け取った。
診察の結果、腰の状態は以前と大きく変わっていないらしい。
医師からは、無理な運動をしないこと、長時間同じ姿勢を続けないこと、痛みが強くなったら早めに来ることを言われた。
「痛みが軽くても、無理はしないでくださいね」
「はい」
俺は素直に返事をした。
異世界へ行くと腰の痛みがほとんど消える。
ワイルドボアを担いで歩けるほど体が軽くなる。
しかし、それで腰が治ったわけではない。
長年の経験から、痛みがないことと、治っていることは別だと分かっている。
それでも、診察前に異世界へ飛ばされ、診察室へ戻ってきたときには、さすがに医師へ説明したくなった。
もちろん、できるわけがない。
俺は薬の入った袋を持って、家へ帰った。
◇
「おかえりなさい」
「ただいま」
玄関で靴を脱いだところで、妻が俺の服を見た。
その視線が、ズボンの裾からシャツの胸元へ移っていく。
「病院へ行っただけなのに、どうして泥と毛がついているの?」
「ちょっと転んだ」
「病院の中で?」
「まあ……遠くまで転んだんだよ」
妻は黙って俺を見た。
その顔は、まったく納得していない。
「それに、あなたから獣臭がする」
「獣臭じゃなくて、加齢臭だよ」
「どっちでもいいから、早くお風呂に入って」
「はい……」
俺は素直に浴室へ向かった。
ワイルドボアを担いで町を歩いたせいで、服には魔獣の毛がつき、靴下は泥だらけだった。異世界へ行ったことを隠すなら、もう少し別の場所へ帰してほしい。
せめて、自宅の脱衣所に戻るのではなく、服を汚さずに戻る方法はないものか。
「アリスに言っておくか。召喚するときは、もう少し周囲に配慮してくれって」
浴室の中でひとり呟いた。
返事は当然、なかった。
◇
翌日も、俺はいつもどおり会社へ出勤した。
体の痛みはある。だが、昨日の診察で薬をもらったせいか、少しだけ楽な気がする。
仕事を始めると、昨日のワイルドボアのことも、アリスのことも頭から離れた。
いや、正確には、完全に忘れることはできない。
荷物を持ち上げたときに、腰が思ったほど痛まない。立ち上がるとき、いつもより体が軽い。
異世界で召喚されているときほどではないが、何か体に変化があるような気もした。
「気のせいかな」
俺はそう呟いて、次の荷物へ手を伸ばした。
その日の仕事が終わり、トラックを会社の駐車場へ戻した。
明日の配送予定を確認し、忘れ物がないか運転席を見回す。
これから事務所へ戻って、退勤の打刻をするつもりだった。
そのとき、助手席の上に白い光が現れた。
「……まさか」
嫌な予感が当たった。
「今日は仕事が終わったばかりなんだけど」
光が俺の体を包み込む。
次の瞬間、俺は石造りの建物の前に立っていた。
目の前には、看板の掛かった大きな建物がある。人が出入りし、革鎧を着た者や武器を持った者が行き交っていた。
アリスが俺を見つけ、手を振っている。
「コージ! 今日は約束どおり、ごちそうするわ!」
「おお、それはありがたい」
思わず声が出た。
前回は、報酬を受け取った直後に帰還した。肉料理を食べることができなかったため、今回は少し期待している。
「今回は肉を食べさせてくれるんだろ?」
「その前に、冒険者ギルドへ行くわ」
「先に食事じゃないのか?」
「ワイルドボアの報酬を受け取らないと、お金がないもの」
「そこからなの?」
アリスは俺の袖をつかみ、建物の中へ引っ張っていった。
◇
冒険者ギルドの中は、思ったよりも広かった。
壁際には依頼書が貼られた掲示板があり、中央には受付のカウンターが並んでいる。酒場のような一角もあり、昼間から食事をしている冒険者の姿もあった。
俺は周囲を見回しながら、アリスについていく。
「ここが冒険者ギルド?」
「そうよ。依頼を受けたり、報酬を受け取ったりする場所ね」
「会社みたいなものかな」
「会社?」
「仕事を紹介してもらう場所」
「それなら、コージもここで仕事を探せばいいわ」
「俺はまだ今の会社を辞めてないよ」
「そうなの?いつやめるの」
「来月末にね」
「それなら、今から異世界で働けばいいじゃない」
「話が早すぎるな」
受付カウンターへ着くと、アリスはワイルドボアの引換券を差し出した。
「これを報酬と交換してほしいの」
「はい。確認しますね」
受付の女性は引換券を受け取り、内容を確認した。
「ワイルドボア1体と、ゴブリン3体ですね」
「そうよ」
「ワイルドボアを丸ごと運んだという報告もありますが……」
受付の女性は、アリスの隣にいる俺へ目を向けた。
「こちらの方が?」
「私の召喚精霊よ」
「精霊……ですか?」
「人間です」
「人間の姿をした召喚精霊なの」
「だから人間ですって」
受付の女性は困ったように笑った。
「召喚精霊の方が、ワイルドボアを運ばれたのですか?」
「まあ、はい」
「そうですか……」
女性の視線が、俺の顔から肩、腕へ移った。
昨日から何度も同じ目で見られている。
人間にしては力がありすぎると思われているのだろう。
「報酬は、こちらになります」
受付の女性は、硬貨の入った袋をアリスへ渡した。
「ありがとう!」
アリスは袋を受け取ると、中身を確認した。
「これで、今日はいい収入になったわ」
「それはよかったね」
「さあコージ、食べに行くわよ」
「そだね。楽しみだな」
「今日は報酬を受け取ったから、好きなものを選んでいいわよ」
「じゃあ、今度こそ肉料理を頼もうかな」
アリスは嬉しそうに笑った。
そのまま店へ向かうのかと思ったが、アリスはギルドの酒場にある席へ俺を連れていった。
「ここで食べるの?」
「注文してくるから、少し待っていて」
アリスはカウンターへ向かった。
俺は椅子に座り、店内を見回した。
見知らぬ世界の冒険者たちが、酒を飲み、食事をし、依頼の話をしている。
その中に、仕事帰りの作業着姿で立っている俺がいる。
異世界の冒険者たちに囲まれた、現役トラックドライバーの作業着姿。
場違いにもほどがある。
しばらくすると、アリスが料理を運んできた。
大きな皿の上に、焼いた肉と野菜が盛られている。香ばしい匂いが漂い、見ているだけで腹が減ってきた。
「お待たせ。ワイルドボアの肉料理よ」
「ワイルドボアって、あの?」
「そうよ。買い取ってもらった肉の一部を、ここで料理してもらったの」
「なるほど。自分で倒した魔獣を食べるわけか」
「そういうことね」
俺はナイフとフォークを手に取り、肉を切った。
口へ運ぶと、少し硬いが、噛むほどにうま味が出てくる。
「おいしいな」
「でしょう?」
アリスも嬉しそうに肉を食べている。
しばらく食事を続けたあと、俺は何気なく尋ねた。
「アリスは、両親と一緒に暮らしているの?」
アリスの手が止まった。
「両親?」
「うん。家族はどうしているのかなと思って」
アリスは、少しだけ考えるように目を伏せた。
「もう、いないわ」
「え?」
「父親は魔獣に殺されたの。母親は病気で亡くなったわ」
アリスは淡々と話した。
「私は孤児院で育ったのよ」
「……そうだったのか」
俺は手にしていたフォークを皿へ置いた。
「悪い。余計なことを聞いてしまった」
「別に気にしていないわ」
「でも……」
「この国では、よくあることだから」
アリスは肉を切り分けながら続けた。
「魔獣に襲われたり、病気で家族を失ったりする人は珍しくないの。孤児院で育つ子供も、私だけではなかったわ」
「そうか……」
「それに、孤児院の先生も優しかったし、友達もいたもの。私は不幸だったわけじゃないわ」
アリスは顔を上げ、いつものように笑った。
「だから、コージが気にする必要はないのよ」
「……分かった」
俺はそれ以上、両親のことを聞かなかった。
余計なことを聞いてしまったと思ったが、アリスが自分の境遇を受け入れているのなら、俺が勝手に悲しむのも違う気がした。
「それより、肉が冷めるわよ」
「ああ」
俺は再びフォークを手に取った。
アリスが話題を変えようとしてくれたことが、ありがたかった。
「コージの家族は?」
「俺? 妻と2人で暮らしているよ」
「妻って、恋人とは違うの?」
「結婚した相手のことだよ」
「コージも結婚しているのね」
「も、ってことは、アリスは結婚しているの?」
「していないわよ。15歳だもの」
「この世界では成人なんじゃなかった?」
「成人でも、すぐ結婚するとは限らないでしょう」
「まあ、それはそうだね」
アリスは少し考え、首を傾げた。
「でも、精霊も結婚するの?」
「俺は人間だから、普通に結婚するよ」
「人間の姿をした精霊で、妻がいるのね」
「そこはもう、訂正するのも疲れたよ」
アリスは楽しそうに笑った。
そのとき、俺の右手に淡い光が浮かんだ。
「あれ?」
光は指先から腕へ広がり、体全体を包み始める。
「え、もう帰る時間?」
「召喚を維持する魔力が少なくなってきたのね」
「ちょっと待って。まだ食べ終わってないんだけど」
皿には、まだ半分ほど肉が残っている。
今回は、ようやくごちそうにありつけたと思ったのに。
「残りは私が食べておくわ」
「それは違うだろ!」
「じゃあ、また今度ね」
「また呼ぶなら、せめて料理が全部出てきてからにしてくれ……」
「分かったわ、精霊さん」
アリスの声を最後に、視界が白く染まった。
◇
気づくと、俺は会社の駐車場に停めたトラックの運転席へ戻っていた。
時計を見ると、異世界へ召喚されてから、ほとんど時間は経っていない。
周囲には、さっきまでと同じ駐車場の風景がある。
だが、腹は減ったままだった。
「異世界へ行っても、満腹にはなれないのか……」
俺はハンドルに額をつけた。
ワイルドボアの肉料理は確かにおいしかった。
それだけに、食べ終わる前に帰されたことが悔しい。
「次に呼ばれたら、まず食事を最後まで食べさせてもらおう」
俺はそう決意してから、ゆっくりと顔を上げた。
その決意が、次の召喚で守られることはなかった。




