第4話 オッサン精霊、病院のスリッパで魔獣を担ぐ
◇◇◇◇
その日の仕事を終え、会社の事務所へ戻ると、社長から呼び止められた。
「高野さん、少しいいか?」
「はい。何でしょうか」
何か仕事で問題でもあったのかと思ったが、社長の表情は険しくなかった。
「退職日のことなんだが」
「はい」
「後任の候補が見つかりそうだ。まだ正式には決まっていないが、来月末を退職日にするのはどうだろう」
「来月末ですか」
「ああ。今日からだと、1か月半くらいある。その間に引き継ぎをしてもらいたい」
俺は頭の中で日付を数えた。
1か月半。
昨日までは、辞めたいと思いながらも、まだ先の話のように感じていた。
だが、退職日が具体的に決まると、急に現実味が増してくる。
「分かりました。来月末でお願いします。そこまではきちんと働きます」
「後任が正式に決まったら、すぐに伝える。決まるまでは、今までどおりの仕事を頼むことになるが……」
「もちろんです。最後までやることはやりますよ」
「すまないな」
「いえ、気にしないでください。最後までやることはやりますから」
社長は小さくうなずいた。
「高野さんが長く働いてくれたことには、本当に感謝している」
「こちらこそ、お世話になりました」
退職の話なのに、まだ退職していないせいか、別れの挨拶をしているような妙な気分だった。
会社を辞める日は、来月末。
それまでは、まだ俺は現役のトラックドライバーだ。
事務所を出た俺は、駐車場へ向かいながら腰を押さえた。
「あと1か月半か……」
長いような、短いような期間だった。
その日の仕事帰り、俺は整形外科へ向かった。
腰の治療と、いつもの薬をもらうためである。
病院の受付を済ませ、受付番号の書かれた紙を受け取る。待合室を見回すと、今日は患者が少なかった。
いつもなら、椅子がほとんど埋まっていることもある。しかし今日は空席が目立つ。
「これなら、早く呼ばれそうだな」
俺は受付番号の紙を膝の上に置き、壁に掛かったテレビを眺めた。
腰はいつもどおり痛い。座っているだけでも、背中から腰にかけて重い鈍痛がある。
昨日までは、異世界に召喚されると腰の痛みがかなり軽くなることを不思議に思っていた。今日も召喚されるのだろうか。
いや、召喚されないほうがいいに決まっている。
ここは病院だ。今日は診察を受け、薬をもらって帰る。それだけでいい。
しかし、数日連続でアリスに呼ばれている。
風呂に入ろうと脱衣所にいたところを召喚され、いきなり異世界でゴブリンと戦わされた。
昨日は昼食中に召喚された。
「今日は大丈夫だよな……。さすがに病院まで来て召喚はないだろ」
自分に言い聞かせた直後、嫌な予感がした。
こういうときの予感は、だいたい当たる。
トラックを運転していた頃もそうだった。出発前に妙な違和感があった日は、積み荷の確認をやり直すようにしていた。
確認を怠って事故を起こしてからでは遅い。
もっとも、今は何を確認すればいいのか分からない。
俺は自分の足元を見た。
病院から借りたスリッパを履いている。異世界へ召喚されるなら、せめて靴を履いているときにしてほしい。
「いや、召喚されること自体を断りたいんだけどな」
そのとき、待合室に受付番号を呼ぶ声が響いた。
「受付番号56番の方。診察室前へお入りください」
俺の番号だった。
「はい、今行きます」
返事をして、立ち上がろうとした瞬間だった。
足元に白い光が広がった。
「えっ?」
病院の待合室が遠ざかり、壁も、椅子も、受付番号の紙も、すべてが光に包まれていく。
「ちょっと待て! 今、診察に呼ばれたところなんだが!」
俺の叫び声は、誰にも届かなかった。
次の瞬間、俺は草の上に立っていた。
森の中だった。
目の前には、杖を持ったアリスがいる。
「精霊さん、来てくれたのね!」
「来たくて来たんじゃない! 今、病院で診察に呼ばれたところなんだぞ!」
「病院?」
アリスは首を傾げた。
俺は自分の足元を見た。
履いているのは、病院の白いスリッパだった。
「うわぁ……スリッパか。ないよりはましだが、歩きづらいな……」
「変わった精霊の靴ね」
「病院で借りた履き物だよ。精霊の靴じゃないからな」
「病院?」
「えっと……異世界だと、治療院って言うのかな?」
「治療院? 精霊さん、ケガしているの?」
「ケガというより、腰が痛くてね」
「腰が痛いのもケガなの?」
「長年の仕事で痛めているんだ。現場仕事は体にくるからな」
「精霊なのに故障するのね」
「だから俺は人間だって」
「人間の姿をした、腰痛持ちの精霊さんね」
「そこだけは合ってるけど、結論が違うんだよな」
「コージが調子が悪いのなら、今日は軽い仕事にしましょう」
「軽い仕事?」
「そう。無理をさせるのはよくないもの」
俺は腰に手を当てた。
すると、妙なことに気づいた。
痛みがほとんどない。
いつもなら、立ち上がった直後には腰が重く、歩き始めるまでに少し時間がかかる。しかし今は、腰の奥に残っていた鈍い痛みが、ほとんど消えている。
体全体が軽い。
昨日も感じたことだ。異世界へ召喚されると、腰痛がかなり緩和される。
「でも、こっちに来ると体が楽だな」
「当然よ。精霊として召喚されているんだもの」
「そこは関係ないと思うけどな」
「でも、アリスにしては、珍しく気を遣ってくれるんだな」
「それで、何の討伐に行く?」
「え?」
「腰が楽なら、討伐に行けるでしょう?」
「いや、俺は診察に戻りたいんだが」
「でも、コージは大丈夫なのよね?」
「大丈夫とは言ったが、討伐に行くとは言ってないぞ」
アリスは少し考えるように黙った。
そして、何かを思いついた顔で笑った。
「だったら、ワイルドボアを討伐しましょう」
「それ、軽作業じゃないよな?」
「ワイルドボアは、ゴブリンより強いけれど、コージなら大丈夫よ」
「その判断基準、俺がゴブリンを吹き飛ばしたことだけだろ」
「それに、ワイルドボアはお金になるの」
「お金になる?」
「肉も毛皮も牙も売れるわ。1体を丸ごと持って帰れば、かなりの収入になるわよ」
「なるほど……金になるなら、まあ、話は分かるが」
金になると聞くと、少しだけ興味が湧いた。
退職後の生活には、何かと金が必要だ。もちろん、異世界の金を日本で使えるわけではないが、アリスの生活が楽になるなら悪い話ではない。
「よし。ワイルドボアを探すか。どうせ帰れないんだろ」
「いいの?」
「ただし、無理はしないことだ。危険を感じたら、すぐ逃げるからな」
「分かったわ」
アリスは嬉しそうに笑った。
俺はその笑顔を見て、少し嫌な予感がした。
たぶん、アリスは「逃げる」という部分をあまり重要視していない。
◇
森の中をしばらく歩くと、木々の向こうから大きな音が聞こえてきた。
何かが地面を掘り返しているような音だ。
「いたわ」
アリスが声をひそめた。
木の間から、巨大な猪のような魔獣が姿を現した。
体長は俺の身長を軽く超えている。太い牙が口元から突き出し、背中には硬そうな毛が生えていた。ワイルドボアという名前のとおり、普通の猪とは比べものにならない大きさだ。
「これがワイルドボア?」
「そうよ。あれを倒せば、町で高く買い取ってもらえるわ」
「ずいぶん大きいけど、本当に軽作業なのか?」
「コージなら大丈夫よ」
「その言葉、便利に使いすぎじゃないか?」
ワイルドボアがこちらに気づいた。
鼻を鳴らし、前足で地面を掻いている。
「来るわよ!」
「コージ、やっちゃってください」
「はあ……。まったく」
ワイルドボアが突進してきた。
巨体が地面を揺らしながら迫ってくる。
俺は、とっさにトラックの運転中に見た事故映像を思い出した。
あの勢いで正面から受けたら危険だ。車と同じだ。突っ込んでくるものは、止めるより進路を外したほうがいい。
「正面から受けるな! ……って、言っても分かるわけないか!」
「誰に言ってるのよ!」
「ワイルドボアにだよ!」
俺は直前で横へ跳んだ。
ワイルドボアは俺の横を通り過ぎ、そのまま太い木へ突っ込んだ。
ドンッ、と地面を揺らす音が響く。
「今よ!」
「まだ倒れてないだろ! 勝手に終わらせるな!」
ワイルドボアは頭を振り、再びこちらを向いた。
俺は足元に落ちていた太い枝を拾い上げる。
「その枝で殴るの?」
「いや。殴るより、こっちのほうがいい」
俺は枝をワイルドボアの進路へ横向きに置き、土へ深く差し込んだ。
荷物を運ぶ仕事では、トラックが動かないように車輪へ車止めを置くことがある。まったく同じようにはいかないだろうが、試してみる価値はあった。
「何をしているの?」
「車止めみたいなものだよ。トラックが動かないように使うやつだ」
「車止め?」
「突っ込んできたときに、足を取らせる」
ワイルドボアが再び突進してくる。
俺はアリスの腕を引き、横へ下がった。
ワイルドボアの前足が枝に引っかかる。
巨体が大きく傾き、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「今だよ!」
アリスが杖を掲げる。
「風よ、吹き飛ばして!」
風の刃がワイルドボアの巨体を打ちつけた。
ワイルドボアは数度身を震わせ、それきり動かなくなった。
「倒したわ!」
「俺は転ばせただけだよ。あとはアリスの魔法だろ」
「それがすごいのよ。正面から殴らずに倒すなんて」
「殴ったら、こっちも危ないからな」
「精霊さんなのに、慎重なのね」
「俺は人間ね。しかも、今から病院で診てもらう予定だった人間」
ワイルドボアはかなりの大きさだった。
アリスが素材を確認している間、俺はどうやって町まで運ぶのかを考えていた。
「これ、町まで持って帰るのか?」
「もちろんよ。ワイルドボアはお金になるもの。素材処理場へ持っていけば、肉も毛皮も牙も買い取ってくれるわ」
「解体してから運ぶのは?」
「解体の仕方が分からないもの」
「えーそれじゃ、丸ごと運ぶしかないパターン?」
「でも、コージなら大丈夫よね」
「またそれかよ。俺を何だと思ってるんだ」
幸治はワイルドボアの脚をつかんだ。
召喚されてから、体はずいぶん軽く感じる。腰も痛くない。これなら、担げないことはなさそうだった。
「まあ、重いけど、それほどでもないな」
俺はワイルドボアを肩へ担ぎ上げた。
ずしりと重い。だが、仕事で大きな袋や荷物を担ぐことはあった。重心を見て、体に負担がかからない位置へ持ち上げれば、歩けない重さではない。
アリスは口を開けたまま、俺を見上げていた。
「……何?」
「ワイルドボアを丸ごと担いでいるなんて、初めて見たわ」
「そうなの?」
「普通は解体して運ぶか、荷馬車を用意するものよ」
「だったら、荷馬車を呼べばいいのに」
「呼ぶより、コージが運んだほうが早いわ」
「俺を荷馬車扱いするのはやめてくれないかな」
「だって、荷物を運ぶ精霊でしょう?」
「トラックドライバーだよ」
「違いがよく分からないわ」
俺はワイルドボアを担いだまま、町へ向かって歩き始めた。
病院のスリッパが、ぺたぺたと音を立てる。
ワイルドボアを担いでいるのに、足元だけは入院患者のようだった。
「せめて靴があればなあ。病院のスリッパで森を歩くとは思わなかったよ」
「その靴、そんなに歩きにくいの?」
「歩きにくいし、見た目も恥ずかしい。51歳の男がスリッパで魔獣を担いでるんだぞ」
「ワイルドボアを担いでいる時点で、靴を気にする人は少ないと思うわ」
「そこは気にするんだよ」
しばらく歩いたところで、森の奥から小さな影が飛び出してきた。
ゴブリンが3体、棍棒を手にしている。
「またゴブリンかよ」
「精霊さん、お願い!」
「今、両手がふさがっているんだが。見て分からないか?」
俺はワイルドボアを肩に担いだまま、空いている右手を少し上げた。
「邪魔だ! そこをどけ、どけ!」
1体のゴブリンが棍棒を振り上げて向かってくる。
俺は、その頭を右手で軽くたたいた。
ゴブリンの体が、道の脇へ吹き飛んだ。
残った2体が立ち止まる。
「どうした? 来ないのか?」
ゴブリンたちは顔を見合わせたあと、逃げようとした。
「逃がさないわ!」
アリスが杖を振ると、足元から伸びた蔓がゴブリンたちの足に絡みついた。
2体が転倒する。
俺はワイルドボアを担いだまま、1体ずつ頭を軽くたたいた。
「これでいいか」
ゴブリンたちは動かなくなった。
「すごいわ、精霊さん! 片手でゴブリンを倒すなんて!」
「ワイルドボアを持ってなかったら、両手を使っていたよ。持ったまま戦わせるな」
アリスは倒れたゴブリンのそばへしゃがみ込んだ。
「じゃあ、討伐証明の耳を回収するわね」
「ああ……」
俺は視線をそらした。
何度見ても、ゴブリンの耳を切り取る作業には慣れない。
「やっぱり、それは苦手だな。何度見ても気持ち悪い」
「ゴブリンを軽くたたいて倒すほうが、よほど怖いと思うけど」
「倒すのと、耳をそぐのは別だろ。そこを一緒にするなよ」
「そぐって言い方のほうが怖いわよ」
「そうなのか?」
「切り取る、でいいでしょう」
「じゃあ、耳を切り取るのも苦手だな。言い方を変えても駄目なものは駄目だ」
アリスは3体分の耳を革袋へ入れた。
「これで少し報酬が増えるわね」
「ゴブリンの耳より、ワイルドボアのほうが高く売れるんだろ?」
「もちろんよ。今日はかなりいい収入になりそうだわ」
◇
町の入口へ着くと、門番がこちらを見て目を見開いた。
「止まれ!」
槍を持った門番が声を上げる。
「そのワイルドボアは、どうしたんだ?」
「倒したので、町へ運んできました」
「あんたが?」
「はい」
門番は俺の足元を見た。
病院のスリッパ。
次に、俺の肩に担がれた巨大なワイルドボアを見る。
「その格好で、ワイルドボアを丸ごと担いできたのか?」
「格好は関係ないと思いますけど」
「いや、関係あるだろう。あんた、すごい力だな」
「仕事で大きな荷物を持つことがあるので、慣れているだけです」
「ワイルドボアを荷物と同じ扱いにする冒険者は初めて見たぞ」
「俺は冒険者じゃなくて、ドライバーです」
「ドライバー?」
「荷物を運ぶ仕事です」
「なるほど。だからか」
門番は何か納得したようにうなずいた。
納得するところではないと思う。
町へ入ると、道行く人たちの視線が集まった。
巨大なワイルドボアを担いで歩いているから当然だろう。だが、俺としては、病院のスリッパのほうが気になっていた。
「コージ、みんな見ているわ」
「ワイルドボアを担いでいるからね」
「精霊さんが注目されているのよ」
「スリッパを見られている可能性もあるよ」
「スリッパって、そんなに珍しいの?」
「この世界では知らないけど、俺の世界では病院で履いたりすんだよ」
「病院の精霊の靴……」
「その呼び方はやめてくれる?」
アリスに案内され、俺たちは冒険者ギルドの建物の裏手へ回った。
表側には冒険者や依頼人が出入りしているが、裏手には大きな扉と木製の台が並んでいる。
「ここは?」
「素材処理場よ。魔獣を解体して、肉や毛皮、牙を分けてくれるの」
「なるほど。運送会社の荷受け場みたいなものか」
「また仕事の話?」
「長年やってきたからね」
裏手にいた職員が、俺の担いでいるワイルドボアを見て、こちらへ駆け寄ってきた。
「そ、それを丸ごと持ってきたのか?」
「はい。買い取ってもらえますか?」
「もちろん買い取るが……どうやって運んできた?」
「担いで」
「見れば分かる。誰が担いだんだ?」
アリスが俺を指さした。
「この精霊さんよ」
「精霊?」
「人間です」
「人間がこれを?」
職員は俺とワイルドボアを何度も見比べた。
その視線は、門番や町の人たちと同じだった。
「召喚精霊だから力が強いのよ」
「俺は人間だ」
「はいはい。こちらで計量するから、台の上へ置いてくれ」
「話を聞いてないな」
俺はワイルドボアを台の上へ下ろした。
ずしん、と大きな音が響く。
職員は慣れた手つきで素材を確認し、買い取り額を計算した。
しばらくして、1枚の紙をアリスへ渡す。
「これが引換券だ。冒険者ギルドの受付で報酬と交換してくれ」
「ありがとう!」
アリスは引換券を受け取ると、嬉しそうに眺めた。
「今日はいい収入になったわ」
「それはよかったな。せめて苦労が報われてくれ」
「精霊さんに何かごちそうするわ」
「えっ、本当に?」
「ええ。いつも助けてもらっているもの」
俺は少し期待した。
病院の診察に呼ばれていたとはいえ、異世界へ来てワイルドボアを担ぎ、ゴブリンの耳を見ないようにしながら町まで運んだのだ。
食事くらいごちそうしてもらっても、罰は当たらないだろう。
「何を食べようかな。肉料理がいいな。今日は肉を担いできたから、肉で締めたい」
「任せて。評判のいい店を知っているわ」
アリスに案内され、俺たちは表通りへ向かった。
その途中で、俺の右手が淡い光を帯びた。
「あれ? また体が光ってるぞ」
足元にも光が広がっている。
「え、帰るのか? ごちそうはどうするんだよ!」
「召喚の時間が終わるのね」
「ちょっと待て。ごちそうは? 約束しただろ!」
「また今度ね、精霊さん!」
「そんな約束、次に会えるか分からないのに……。せめて一口くらい食わせてくれよ」
俺の言葉が終わる前に、町の景色が白く染まった。
◇
「受付番号番56番の方~。受付番号番56番の方~。高野さん~」
再び、受付の女性の声が聞こえた。
最初に呼ばれてから、数秒しか経っていないらしい。
「はい!」
俺は慌てて立ち上がった。
病院のスリッパを履き、ズボンの裾には異世界の泥がついている。シャツにはワイルドボアの毛まで付着していた。
待合室の患者たちが、こちらを見ている。
「高野さん?」
受付の女性が、不思議そうに俺を見た。
「どこへ行かれていたんですか?」
「泥と毛がついていますが……」
「……ちょっと、遠くまで」
「え?病院の中ですが……」
「あ、はい。異世界まで」
「……はい?」
「いえ、異世界じゃなくて、トイレです」
「そんなに遠くないと思いますけど……」
「それは、その……説明すると長くなりまして」
俺は診察室の扉を見た。
異世界では、ワイルドボアを丸ごと担いで歩いても腰は痛くなかった。
しかし、日本へ戻った途端、腰にいつもの重さが戻り始めている。
でもそれほどが痛くはない。
「先生、今は腰の調子がいいんですが……」
「それは結構なことですね。では、こちらへ」
俺は診察室へ入りながら、ふと思った。
異世界へ行けば腰痛は治る。
なら、病院へ行く必要はないのではないか。
いや、それはそれで違う気がする。
長年の経験から、痛みがなくなったからといって治ったとは限らないことくらい、俺にも分かっていた。
検査と治療は、きちんと受けるべきだ。
ただ、次にアリスへ呼ばれたときは、せめて病院のスリッパではなく、普通の靴を履いていたい。




