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『会社を辞めると伝えた51歳トラックドライバー、異世界少女の召喚精霊になる』  作者: うさぎとカニ


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第3話 オッサン精霊、昼飯中に再召喚される


 ◇◇◇◇


 翌朝、俺はいつもどおり会社へ向かった。


 昨夜の出来事は、夢だったのかもしれない。


 そう思いたかったが、脱衣所で脱いだ靴下には、異世界の森でついた泥と枯れ葉が残っていた。洗濯機に入れる前に何度も確認したが、どう考えても日本の家の中でつくような汚れではない。


 アリスという15歳の召喚師。


 ゴブリン。


 精霊だと勘違いされている俺。


 どれも夢の中で見たものにしては、妙に現実感があった。


「まあ、考えても仕方ないか。なるようにしかならん」


 俺はトラックに乗り込んだ。


 会社を辞めると社長に伝えたからといって、今日から仕事がなくなるわけではない。退職日が決まるまでは、当然ながら今までどおり働く必要がある。


 それに、引き継ぎの人が来るまでは、俺が仕事を教えなければならない。


 異世界へ召喚されたからといって、現実の仕事を放り出すわけにもいかなかった。


 会社へ着くと、トラックを停める前から何人かの同僚がこちらを見ていた。


 嫌な予感がする。


 俺がエンジンを切って運転席から降りると、さっそく声をかけられた。


「高野さん、辞めるんだって?」


「社長から聞いたのか?」


「うん。昨日、そんな話をしているのが聞こえてね」


「いつ辞めるんですか?」


「次の仕事は決まっているんですか?」


 次々に質問が飛んでくる。


 俺は荷台の扉を開けながら答えた。


「まだ退職日も決まってないよ。次の仕事も、これから探すところだな」


「そうなんですか。てっきり、すぐ辞めるのかと思いました」


「体がきついって言ってましたもんね」


「腰、大丈夫ですか?」


「まあ、だましだましだよ。長年使ってきた体だからな」


 腰が痛いのは本当だ。


 朝、布団から起き上がるときにも痛かったし、トラックへ乗り込むときにも少し痛んだ。


 だが、仕事中に痛みを気にしてばかりもいられない。


「高野さんが辞めると、寂しくなりますね」


 若い同僚が、ぽつりと言った。


「そうですよ。分からないことがあると、いつも高野さんに聞けば何とかなるって思ってましたから」


「新人のころ、荷物の積み方を教えてもらったのを覚えてます」


「俺はそんな大したことはしてないよ。現場じゃ、困ってる人間を放っておけないだけだ」


「いやいや。高野さん、ほかの人の分までよく見てくれていたじゃないですか」


「この前も、急に休んだ人の配送を代わってくれましたし」


「高野さんがいなくなったら、困る人は多いと思いますよ」


 俺は返事をしようとして、少しだけ言葉に詰まった。


 自分では、長く続けてきた仕事を普通にこなしていただけだと思っていた。誰かの役に立とうとして、特別なことをしていたつもりはない。


 それでも、いなくなると寂しいと言ってもらえる。


「……そう言ってもらえると、ありがたいな。長く働いてきた甲斐があったよ」


 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


 会社を辞めようと思った理由は、体の痛みや待遇だけではない。毎日同じ仕事を続けることに疲れたし、この先もずっと同じ生活なのかと思うと、気が重くなった。


 だが、ここで過ごした時間まで嫌いだったわけではない。


 同僚たちと雑談をし、忙しいときには助け合い、事故がないように声をかけ合う。そういう人間関係は、悪くなかった。


「じゃあ、高野さん。今日もよろしくお願いします」


「ああ、今日もよろしく頼むよ」


 俺は荷物の確認を始めた。


 退職を伝えた翌日だからといって、仕事を適当にする気はない。辞める日まで、やることはきちんとやるつもりだった。


     ◇


 午前中の配送は、思ったよりも順調だった。


 最後の荷物を届け終え、会社へ戻ってきたときには、昼を少し過ぎていた。


 俺はトラックを日陰へ移動させ、運転席で昼食を取ることにした。


 妻が作ってくれた弁当を助手席の上へ置く。


 弁当箱を開けると、白いご飯の横に、卵焼き、焼き鮭、きんぴらごぼう、煮物が詰められていた。


 卵焼きが、いつもより1個多い気がする。


「今日は多いな」


 妻は何も言っていなかったが、昨日の退職の話を気にしてくれているのかもしれない。


 次の仕事は決まっているのかと聞かれたとき、妻の反応はあっさりしているように見えた。しかし、弁当のおかずが増えているのを見ると、まったく気にしていないわけではなさそうだった。


 俺は箸箱から箸を取り、卵焼きをつまんだ。


 その瞬間だった。


「えっ?」


 卵焼きが、箸ごと光り始めた。


「ちょっと待て。今、昼飯の真っ最中なんだけどな」


 光は箸から俺の腕へ広がり、弁当箱全体を包み込んだ。


 運転席も、トラックも、会社の駐車場も消える。


 次の瞬間、俺は草の生えた地面に立っていた。


 右手には箸。左手には弁当箱。


 箸の先には、卵焼きが挟まったままだった。


「またかよ……。せめて飯くらい、最後まで食わせてくれ」


 目の前に、アリスが立っていた。


 前回と同じ杖を握り、こちらを見ている。ただし、今回は俺の顔よりも、俺が持っている弁当箱のほうを気にしていた。


「精霊さん、今日は何を召喚したの?」


「召喚されたのは俺だよ。これは昼飯」


「ヒルメシ?」


「昼に食べる飯だよ。そこまで説明させるのか」


「精霊の食事なのね!」


「人間の食事だよ! 精霊の食事なんか知らん!」


 アリスは弁当箱を覗き込んだ。


「その黄色いものは何?」


「卵焼きだ。卵を焼いたものだよ」


「卵を焼いただけ?」


「砂糖やだしも入っているけどな。うちの嫁さんの味だ」


 アリスの視線が卵焼きに吸い寄せられている。


「食べたいのか?」


「別に。精霊の食事に興味があるだけよ」


「それを食べたいって言うんだよ。変な意地を張るな」


「一口だけなら、確認してあげてもいいわ」


「なんでそんなに上からなんだよ」


 俺はため息をつき、弁当箱から卵焼きを1個取り出した。


「ほら。ただし、これは嫁さんが作ってくれた弁当だからな。味わって食べてくれよ」


「嫁さん?」


「俺の家族だ。日本で一緒に暮らしている人だ」


「コージにも家族がいるのね」


「いるよ。だから、できれば昼飯くらいは、落ち着いて食べさせてほしいんだがな」


 アリスは卵焼きを受け取ると、恐る恐る口へ運んだ。


 しばらく咀嚼し、目を見開く。


「おいしい……」


「とても、おいしいわ!」


「そうかい。そりゃよかった」


「もう1個」


「1個だけって言ったよな?」


「精霊さんなのに、食事を独占するの?」


「俺は人間だ。それに俺の弁当だろ」


 アリスは残念そうに弁当箱を見ていた。


「今回は、何の用で呼んだ?」


 俺は弁当箱を閉じた。


「実は、困っている人がいるの」


「ゴブリン?」


「今回は違うわ。町の近くで、商人の荷馬車が動かなくなっているの」


「荷馬車が?」


「車輪がぬかるみに沈んで、馬も荷物も動かせないみたい。冒険者に助けを求めているのよ」


「それで俺を呼んだのか?」


「コージは荷物を運ぶ仕事をしていたのでしょう?」


「まあ、そうだけどな……」


「なら、荷馬車を動かせるわよね」


「ドライバーだからって、どんな車でも動かせるわけじゃないぞ」


「でも、前回ゴブリンをたくさん倒したわ」


「それは召喚の力だろ。俺が自分で強いわけじゃないからな」


「難しいことはいいから、早く来て」


「昼飯の途中なんだがな……。仕事をするなら、せめて食い終わってからにしてくれ」


 アリスは俺の腕をつかんだ。


「精霊さん、仕事よ」


「俺の昼休みを勝手に仕事にするなよ。こっちは休憩中なんだ」


     ◇


 町の近くの街道へ出ると、荷馬車が道の端で大きく傾いていた。


 馬は落ち着きを失い、荷台には木箱や布袋が山のように積まれている。車輪の片方がぬかるみに沈み、商人らしい男と護衛の冒険者が、必死に馬車を引っ張っていた。


「押せ! もっと力を入れろ!」


「無理だ! 車輪が完全に沈んでいる!」


 俺は馬車を見て、すぐに問題が分かった。


 荷物を積みすぎている。しかも、ぬかるみに沈んでいる側へ、重たい木箱が偏っていた。


「ちょっと待て。力任せに引っ張るのはやめたほうがいい」


 男たちがこちらを見る。


「誰だ、あんたは?」


「私が召喚した精霊さんよ」


「人間です。何度も言いますけどね」


「荷馬車を助けてくれるそうよ」


「まだ助けるとは言ってないんだけどな」


 俺は荷台の積み荷を確認した。


「まず、ぬかるみに沈んでいる側の荷物を降ろす。全部じゃなくていい。重いものから順番にな」


「しかし、荷物を降ろしたら時間がかかる」


「このまま無理に引けば、車軸が折れるよ」


 商人は不安そうに馬車を見た。


「車軸が折れたら、もっと時間がかかる……」


「日本ではね、『急いては事を仕損じる』って言うんだよ。急いで無理をすると、かえって時間がかかるって意味だ」


「なるほど。急いでいるときほど、焦らず順番を守れってことね」


「そういうことだ」


「でも、順番を守っている間に日が暮れたりしない?」


「だから、必要なところでは急ぐ。でも、無理をして壊したら、もっと時間がかかるんだよ」


 俺は荷物を降ろす場所を指示し、冒険者たちに手伝ってもらった。


 木箱をいくつか道の乾いた場所へ移し、車輪の前後へ石を敷く。さらに、近くに落ちていた太い枝を車輪の下へ差し込んだ。


「これで、もう一度ゆっくり引いてみて」


「ゆっくりでいいのか?」


「急がば回れって言葉があるんだよ。急いで力任せにやるより、順番を守ったほうが結果的に早い」


「急いでいるのに、遠回りするの?」


 アリスが横から口を挟んだ。


「遠回りじゃなくて、無駄な失敗をしないってこと」


「精霊の教えは難しいわね」


「日本のことわざだ。現場じゃ、こういうのがけっこう大事なんだ」


 馬が落ち着いたところで、商人が手綱を引いた。


 冒険者たちが掛け声を合わせ、馬車をゆっくり引く。


 車輪が泥の中で空回りしたあと、敷いていた枝に乗り上げた。


 少しずつ、車輪が地面の上へ戻ってくる。


「今だ。もう少しだけ!」


 商人が声を張り上げ、馬が力を込める。


 荷馬車は大きく揺れながらも、ぬかるみから抜け出した。


「助かった!」


 商人が頭を下げる。


「ありがとう、精霊さん!」


「俺は人間ですって。精霊扱いはもう勘弁してください」


「すごいわ、コージ! ゴブリンを倒すだけでなく、荷馬車まで助けられるなんて!」


「これは戦闘じゃないからな。荷物の積み方と車輪の扱いが分かれば、誰でもできるよ」


「誰でもできることを、すぐに思いつく人は少ないのよ」


 アリスにそう言われ、俺は少し照れくさくなった。


 長年やってきた仕事の経験が、こんな場所で役に立つとは思わなかった。


「ところで、もう少し卵焼きをもらえない?」


「まだ食べるのか?」


「荷馬車を助けたご褒美よ」


「それは俺の弁当なんだがな」


「精霊さんは、また元の世界に帰れば食べられるでしょう?」


「戻っても、昼休みが終わっていたら食べられないんだよ。仕事中に弁当は食えんだろ」


 その瞬間、アリスの杖が弱く光った。


「あれ?」


 前回と同じように、俺の足元にも光が広がり始める。


「もう帰る時間みたいね」


「えっ、もう?」


「召喚を維持する魔力がなくなってきたわ」


「今回は短かったな。まあ、昼飯を取られた時間としては長いが」


「荷馬車を助けるために、けっこう魔力を使ったもの」


「俺はほとんど何もしてないけどな。荷物を降ろして、順番を指示しただけだ」


「何を言っているの。コージがいなかったら、荷馬車は動かなかったわ」


 アリスは、弁当箱に残った卵焼きをじっと見た。


「じゃあ、最後にもう1個だけ」


「まだ言ってるのか?」


 俺は仕方なく卵焼きを1個つまみ、アリスへ渡した。


「ほら。ただし、これで本当に最後だからね」


「ありがとう、コージ」


 アリスは卵焼きを受け取り、嬉しそうに笑った。


「また呼んでもいい?」


「昼飯の時間は避けてくれ。人間、飯を食わんと働けないんだよ」


「分かったわ。次は朝に呼ぶ」


「朝も駄目だ。仕事に出る時間だからな」


「じゃあ、いつならいいの?」


「俺にも休みはあるんだよ。毎日働きづめじゃ、体がもたん」


「休みって何?」


「仕事をしない日」


「精霊なのに、仕事を休むの?」


「だから人間だって言ってるでだろ!」


 言い終わる前に、視界が白く染まった。


     ◇


 気づくと、俺はトラックの運転席に戻っていた。


 時計を見ると、昼休みの残り時間はまだ十分にあった。


「……時間の進み方が違うのか?」


 弁当の中身を確認する。


 卵焼きが、減っていた。


「本当に食べたんだな」


 夢なら、弁当の中身まで減るはずがない。


 俺は残った卵焼きを口へ運んだ。


 うまい。


 妻が作った、いつもの味だった。


 ただ、異世界の少女に食べられたせいか、いつもより少しだけ特別な味に感じた。


 昼休みが終わるころ、同僚がトラックの窓を軽く叩いた。


「高野さん、昼飯もう食べました?」


「ああ。食べたよ」


「弁当、まだ開いていないように見えますけど?」


 俺は、卵焼きが減った弁当箱を見た。


「……異世界で食べたんだよ。細かいことは気にするな」


「はは、何言ってるんですか、高野さん」


 どうやら俺は、会社を辞めると伝えた翌日から、昼飯の途中でも異世界へ配送されるようになったらしい。



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