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『会社を辞めると伝えた51歳トラックドライバー、異世界少女の召喚精霊になる』  作者: うさぎとカニ


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第2話 オッサン精霊、少女を背負って緊急配送

 

 ◇◇◇◇


 俺は、湿って気持ちの悪い靴下のまま、アリスのあとを歩いていた。


 森の中は薄暗く、足元には木の根や石がいくつも出ている。靴を履いていない俺にとっては、歩くだけでもちょっとした苦行だった。


「アリス」


「何よ、精霊さん」


「せめて靴くらい貸してくれないか?」


「精霊に靴は必要なの?」


「必要だよ。見れば分かるだろ。俺、靴下なんだから」


 俺が足を上げると、白かった靴下に泥と枯れ葉が張りついていた。


「変わった足をした精霊ね」


「足じゃない。靴下だよ」


「靴下って何?」


「そこから説明しないといけないのか……」


 どうやら、ここでは靴下というものが一般的ではないらしい。


 いや、靴下どころか、ここが日本でないことすら、まだ完全には受け入れられていなかった。


 俺は風呂に入ろうとしていた。仕事を辞めると社長に伝え、家に帰り、妻に退職の話をした。そのあと、風呂に入るために脱衣所へ行った。


 そこまでは、はっきり覚えている。


 それなのに、今はゴブリンが出る森を、15歳の少女について歩いている。


 人生というのは、何が起きるか分からない。


「そういえば、まだあなたの名前を聞いていなかったわね」


 前を歩いていたアリスが振り返った。


「名前?」


「精霊さんの名前よ。私はアリス。あなたは?」


 俺は少し迷った。


 異世界で名乗るような名前など考えたことはない。そもそも、俺は精霊ではなく日本人だ。


「俺は高野幸治だ。高野が名字で、幸治が名前だよ」


「タカノ・コージ?」


「まあ、そういうことだな」


「じゃあ、コージと呼ぶわ」


「呼びやすいほうでいいよ。もう好きに呼んでくれ」


「分かったわ、コージ精霊さん」


「そこは普通にコージでいいんじゃないか?」


「だって、あなたは私が召喚した精霊だもの」


「だから、俺は精霊じゃないって言ってるだろ」


 このやり取りは、さっきから何度も繰り返している。


 しかし、アリスは一向に考えを変える気がないようだった。


「それで、コージは何歳なの?」


「51歳だ」


「51歳? ずいぶん若いのね」


「若い? 俺が?」


 俺は思わず聞き返した。


 普通なら、51歳と聞けば、若いとは言わないだろう。少なくとも、俺のいた世界ではそうだ。俺自身、先月の誕生日を迎えたとき、鏡に映った自分を見て、歳を取ったなと思ったばかりだった。


「若いって、どういう意味?」


「普通の精霊は数百年くらい生きるのよ。長く生きている精霊なら、1000歳を超えていることもあるわ」


「1000歳……」


「だから、51歳なら精霊としては、まだ子供みたいなものね」


「いやいや。俺のいた世界じゃ、51歳はどう考えても立派なオッサンだよ」


「でも、精霊としては若いわ」


「そこはもう、種族というか、世界が違うってことでいいのかな」


「見た目はオッサンなのに、中身は若い精霊なのね」


「見た目は余計だ。中身も普通にオッサンだからな」


「オッサン精霊さん」


「その呼び方、ずいぶん気に入ったみたいだな?」


「ええ。分かりやすいもの」


 アリスは納得したようにうなずいた。


 どうやら俺は、精霊としては51歳の若者で、見た目だけがオッサンだと思われているらしい。訂正したい気持ちはあるが、訂正するためには精霊とは何なのかから説明しなければならない。


 正直、もう面倒だった。


「それで、コージは元の世界で何をしていたの?」


「ドライバーだよ」


「ドライバー?」


「車に乗って、荷物を運ぶ仕事」


「御者なのね」


「馬車じゃない。馬がいなくても走る、大きな荷車みたいなものに乗るんだ」


「馬がいないのに走る荷車……」


 アリスは目を輝かせた。


「そんな乗り物を操れるなんて、やっぱり高位精霊なのね!」


「人の話を聞いてたか?」


「その車という乗り物で、何を運ぶの?」


「いろいろだよ。食品、家具、機械、それから日用品なんかだな」


「人ではなく、物を運ぶ精霊なのね」


「俺は運送会社で働いていただけだよ。特別な精霊じゃない」


「運送会社って?」


「荷物を預かって、決められた場所まで届ける会社」


「……ふ~ん。」


「あまり興味がないみたいだね」


 アリスは森の奥へ進みながら、時々しゃがみ込んで地面を見ていた。逃げたゴブリンの足跡を探しているらしい。


「まだ追いかけるの?」


「もちろんよ。さっき逃げた2体は、きっと仲間のところへ戻ったわ」


「仲間を呼んでいるなら、もっと危険じゃない?」


「だから討伐するのよ」


「危険だから逃げる、という発想はないんだな」


「冒険者が逃げてばかりでは、依頼を達成できないでしょう」


「依頼を達成するために死んだら、元も子もないだろ」


 アリスは足跡を見つけると、嬉しそうに指をさした。


「こっちよ、コージ!」


「はいはい、分かったよ」


 俺はアリスのあとを追った。


 しばらく歩くと、木々の向こうからゴブリンの声が聞こえてきた。どうやら、逃げた2体が別の2体と合流したらしい。


 合計4体のゴブリンが、倒れた木の周囲に集まっていた。


「4体いるわね」


「4体もいるのか?」


「最初に倒した1体と合わせて、これで依頼の討伐数になるわ」


「それなら、もう帰ろう」


「まだ戦っていないでしょう」


「できれば戦わずに終わらせたいんだがな」


 俺がそう言った直後、1体のゴブリンがこちらに気づいた。


 醜い顔がこちらを向き、黄色い歯が剥き出しになる。


「ギャギャッ!」


 4体のゴブリンが一斉に棍棒を手に取った。


「コージ、お願い!」


「何をだ?」


「倒して!」


「はいはい、やればいいんだろ……」


 俺は足元に落ちていた太い枝を拾った。


 武器として使うつもりはなかった。ただ、何も持っていないよりはましだと思っただけだ。


 ゴブリンの1体が、こちらへ走ってくる。


 俺は枝を横に振った。


 枝がゴブリンの腹に当たった瞬間、その体が弾き飛ばされた。


「えっ?」


 ゴブリンは後ろの仲間を巻き込み、地面を転がっていった。


「コージ、すごいわ!」


「今のは、枝が当たっただけだろ」


「その枝で、あと3体もお願い!」


「そんな簡単に言うなよ。こっちは何が起きてるのか分かってないんだから」


 残ったゴブリンたちが同時に襲ってくる。


 1体目の棍棒を避け、2体目の腕をつかむ。そのまま勢いを利用して投げると、ゴブリンは木の幹にぶつかった。


 3体目はアリスへ向かっていた。


「アリス、下がれ!」


 俺は地面を蹴った。


 自分でも驚くほど速く動けた。ゴブリンとの距離が一瞬で縮まり、俺の肩がその体にぶつかる。


 ゴブリンは悲鳴を上げながら、地面を何度も転がった。


 最後の1体が棍棒を振り上げた。


「ああ、もう面倒だな……」


 俺は右手を軽く前へ突き出した。


 拳がゴブリンの胸に触れる。


 それだけで、ゴブリンは数メートル先まで吹き飛んだ。


「……」


 俺は自分の手を見た。


「俺、こんなに強かったっけ?」


「さすがオッサン精霊さん!」


「51歳の人間としては、こんなに強くないよ。そこは勘違いするな」


 ゴブリンたちは、しばらく地面に転がっていたが、やがて動かなくなった。


 アリスは腰の革袋を取り出し、倒れたゴブリンの耳を切り取っていく。


「何してるんだ?」


「討伐証明よ。ゴブリンの右耳を持って帰るの」


「えっ、耳を?」


「そうよ」


 アリスは慣れた手つきで耳を切り取った。


 俺は思わず顔を背けた。


「うわ……そういうのは、俺には無理だな」


「ゴブリンを一撃で倒したくせに?」


「倒すのと、耳を切り取るのは別だろ。そこを一緒にするなよ」


「変な精霊ね」


「だから人間だって」


 最初に倒したゴブリンの分と合わせ、アリスの革袋には5体分の耳が入った。


「これで依頼は達成ね」


「それなら、もう町へ帰ろう。今日は十分だ」


「え?」


 アリスは不思議そうな顔をした。


「何よ。まだ魔力には余裕があるわ」


「でも、もう依頼は終わったんだよね?」


「依頼分はね。でも、追加で倒せば、その分の報酬がもらえるわ。魔石も売れるし、冒険者としての評価も上がるの」


「今日はもう十分じゃないか?」


「まだ森の奥へ行けるわ。もっと倒しましょう」


 アリスは、さらに奥へ進もうとした。


 俺は空を見上げた。


 木々の隙間から見える空は、いつの間にか赤く染まっている。夕方だった。


「ちょっと待った、アリス」


「何よ?」


「アリスの魔力が切れたら、俺は元の世界に帰れるんだよね?」


「そうよ」


「そのあと、君はどうする?」


「どうするって?」


「俺が帰ったら、君はこの森にひとりで残されるんでしょ。魔力が切れていたら、精霊も召喚できないよな?」


「ええ」


「異世界漫画の定番だと、魔力を使い切ったら意識を失ったり、急に眠くなったりするんじゃないのか?」


「あっ!」


「いやいやいや。それ、まずいだろ」


 アリスは自分の杖を見た。


「魔力が切れたら、私は眠くなることがあるわ」


「あることがあるわ、じゃないだろ! もう夕方なんだぞ。すぐ暗くなって夜になるし、ひとりで、しかも魔力なしで、この森から出られるのか?」


「ヤバいわね……」


「自分のことなのに、他人事みたいに言うなよ」


 アリスはしばらく黙り込んだ。


 さっきまで追加報酬のことを考えていたのに、今度は自分の帰り道を考え始めたようだった。


「でも、今ならまだ魔力は残っているわ」


「残っているうちに帰るんだ。討伐はもう切り上げ。町へ戻るぞ」


「でも、もっと奥へ行けば……」


「アリス。日本にはな、『命あっての物種』ってことわざがあるんだよ」


「イノチアッテノモノダネ?」


「生きていれば、また次があるってことだ。ここで無理して死んだら、稼いだ報酬だって使えないだろ」


「それは……そうだけど」


「命より大事な報酬はないだろ」


 アリスは不満そうに唇を尖らせた。


「精霊さんなのに、ずいぶん人間くさいことを言うのね」


「だから最初から人間だって言ってるよね」


「分かったわ。今日は町へ戻りましょう」


「それがいい。話が早くて助かるよ」


 歩き出してすぐ、俺はアリスに町までの距離を聞いた。


「普通に歩いたら、どれくらいかかるの?」


「1時間半くらいかしら」


「1時間半? その頃には完全に夜だよ」


「急いで歩けば、もう少し早く着くわ」


「それでも間に合わないな」


 俺はアリスの前で背中を向け、腰を落とした。


「俺が背負ってやる。お前は道案内してくれ」


「えっ、いいの? 精霊さん」


「はぁ……精霊さんじゃないけど、もういい。早く俺の背中に乗れ」


「ありがとう、精霊さん」


 アリスは俺の背中へ乗った。


 15歳の少女を背負うのは、思ったほど重くなかった。いや、正確に言えば、俺の体が妙に軽く感じていた。


 あれだけ腰が痛かったのに、今はアリスを背負っても問題ない。


「しっかりつかまっていろ」


「分かったわ」


 俺は走り出した。


 足が地面を蹴った瞬間、森の景色が一気に後ろへ流れていった。


「えっ?」


 自分でも驚いた。


 速い。


 トラックで高速道路を走っていたときとは違う。自分の足で走っているのに、車に乗っているような速度が出ていた。


「せ、精霊さん、速すぎる!」


「俺だって驚いてるよ! こんな速度で走った覚えはないんだ!」


「もう少しゆっくり走って!」


「そんなこと言われても、こっちは力の加減が分からないんだよ!」


 アリスの腕が、俺の首に強く回される。


 背中に当たる体温と、耳元で聞こえる息遣いに、俺は少しだけ戸惑った。


 女性を背負って走るなど、これまでの人生で一度もなかった。


 しかも相手は異世界の15歳の少女である。


「コージ、前!」


 アリスの声で、俺は前を見た。


 森の道の先に、ゴブリンが3体立っていた。


 先ほど倒した4体とは別の群れらしい。こちらに気づくと、棍棒を構えた。


「止まって!」


「止まれない!」


「ええっ!?」


 俺は足を止めようとしたが、勢いがつきすぎていた。


「邪魔だ! そこをどけ、どけ!」


 俺はそのままゴブリンたちへ突っ込んだ。


 ドン、ドン、ドンッ、と立て続けに体へ衝撃が伝わる。


 ゴブリンたちは、俺の体にぶつかった勢いで左右へ跳ね飛ばされた。1体は草むらへ、1体は木の根元へ、もう1体は道の脇へ転がっていった。


 俺は数メートル走ってから、ようやく足を止めた。


「……大丈夫?」


 背中のアリスに聞く。


「大丈夫。だけど……」


 アリスは興奮した声を上げた。


「精霊さん、すごい! 体当たりでゴブリンを蹴散らすなんて!」


「褒めるところ、そこなのか?」


「だって、こんな戦い方をする精霊は初めて見たわ!」


「俺だって、こんな戦い方をするのは初めてだよ。褒められても困るんだがな」


「やっぱり高位精霊なのね」


「その結論になる理由が分からない」


 俺はアリスに道を確認した。


「このまま、まっすぐ進めばいいんだな?」


「うん。森の道をまっすぐ行けば町へ出るわ」


「分かった。しっかりつかまっていろよ」


「うん……」


 再び走り出してしばらくすると、アリスの返事が小さくなった。


「どうした?」


「なんか、眠くなってきた……」


「それはまずいな。魔力が減っているんじゃないのか?」


「たぶん。コージを速く動かすと、思ったより魔力を使うみたい」


「それを先に言えよ!」


「だって、こんなに速く走れると思わなかったもの」


「俺だって思ってなかったよ!」


 アリスの腕から、少しずつ力が抜けていく。


「急ぐぞ。町まであとどれくらい?」


「このままなら……もう少し」


「寝るのは町に着いてからにしろ。しっかりつかまっていろ」


「分かった……」


 アリスは俺の背中に頬をつけた。


 しばらくして、耳元で小さな声がした。


「なんか精霊さん、お父さんの匂いがする……」


「え、何だって?」


「ううん。なんでもない」


 それきり、アリスは黙った。


 眠ってしまったのかと思ったが、腕はしっかりと俺の首に回っている。


 俺には子供がいない。


 だから、「お父さんの匂い」という言葉を聞いても、どう返せばいいのか分からなかった。


 ただ、アリスが背中から落ちないように、俺は速度を落とさず走り続けた。


 やがて、木々の向こうに小さな明かりが見えた。


「あれが町?」


「うん……リーベルの町よ」


「もう少しだな。何とか間に合いそうだ」


 町の入口へ近づく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 門の左右に設置された松明が、赤い光を放っている。門の前には、槍を持った男が2人立っていた。


「止まれ!」


 門番のひとりが声を上げた。


「そのままでは町へ入れないぞ。何者だ!」


「怪しい者じゃありません! この子を町へ運んできただけです!」


 俺は立ち止まり、背中のアリスを落とさないように体を支えた。


「この子が魔力を使いすぎたみたいでして。急いで連れてきました」


 門番たちは目を凝らし、俺の背中にいるアリスを見た。


「アリスじゃないか!」


「知り合いですか?」


「町の冒険者だ。おい、アリス。大丈夫か?」


「眠いだけ……」


 アリスが、かすかな声で答えた。


「魔力切れか。中へ入れ。宿へ運ぶぞ」


 門番のひとりが近づいてきた。


「その娘をこちらへ」


「お願いします。助かります」


 俺はアリスを背中から降ろそうとした。


 そのとき、俺の手のひらが淡い光を帯びた。


「あれ?」


 手だけではない。足元から体全体へ、白い光が広がっている。


「コージ……?」


 アリスが俺の服をつかんだ。


「どうやら、そろそろ帰る時間みたいだ」


「帰るって、元の世界に?」


「そうだ。君を町まで送り届けたから、俺の仕事はここまでだよ」


「待って。まだお礼をしていないわ」


「お礼はいい。まずは寝て、ちゃんと休め」


「でも、また呼んでもいい?」


「え〜……できれば、もう少し安全なときにしてくれないか」


「分かったわ。危なくなったら呼ぶ」


「それ、順番が逆だろ。危なくなる前に呼んでくれ」


「うん。分かった、精霊さん」


「最後まで精霊さんなんだな」


 アリスは眠そうな目を細めた。


「また来てね、コージ」


 その声を聞いた直後、視界が白く染まった。


     ◇


 次に目を開けたとき、俺は家の脱衣所に立っていた。


 目の前には洗面台があり、鏡には見慣れたオッサンの顔が映っている。


「……戻ってきた?」


 風呂場の向こうから、妻の声が聞こえた。


「いつまで脱衣所にいるの? 早くお風呂に入ったら?」


「ああ。今、入るよ」


 俺は返事をしながら、壁に掛かった時計を見た。


 針は、俺が脱衣所へ入ったときからほとんど進んでいなかった。


 異世界で、あれだけ長い時間を過ごしたというのに、日本では数分しか経っていないらしい。


 夢だったのかもしれない。


 そう思いながら足元を見る。


 白かった靴下は泥だらけで、枯れ葉まで張りついていた。


 背中には、アリスを背負って走った感触が残っている。


「夢じゃないよな……。まったく、退職を伝えた日に何をしてるんだ、俺は」


 俺は泥だらけの靴下を脱いだ。


 どうやら、会社を辞めると伝えたその日の最後の配送は、異世界の少女を町まで送り届けることだったらしい。


 しかも、車両は俺で、運賃は無料だった。




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