第41話 オッサン精霊、討伐隊を率いる
◇◇◇◇
体を包んでいた光が薄れていく。
足の裏に硬い感触が戻り、目の前に石造りの建物が現れた。
見慣れた冒険者ギルドだ。
「コージ!」
呼び声のほうを向くと、アリスが駆け寄ってきた。
「ああ、無事に着いたみたいだな」
俺は周囲を見回した。
石畳の道を人や荷馬車が行き交い、ギルドの扉からは装備を身につけた冒険者が出入りしている。
「今回は崖の前じゃなくて助かったよ」
「もう、あんな場所では呼ばないわよ」
「そうしてくれ。異世界へ来るたびに命懸けじゃ、体がいくつあっても足りないからな」
アリスは俺の姿を上から下まで眺めた。
背中には日本から持ってきた荷物を背負っている。
出かける前に、嫁さんが用意してくれたものだ。
「ずいぶん荷物が増えたわね」
「ああ。嫁さんが持たせてくれた」
「奥さんが?」
アリスが目を丸くする。
「日本へ戻ってから、全部話したんだよ。君のことも、この世界のことも、俺が何度も呼ばれていたこともな」
「怒ってなかった?」
「怒ってたよ」
「やっぱり……」
アリスの表情が曇る。
「君に怒ったんじゃない。今まで黙ってた俺に怒ったんだ」
「でも、私が何度もコージを呼んだから……」
「呼ばれるたびに応じると決めたのは俺だ。それに、嫁さんには、本契約は会社でいう雇い主と契約社員みたいなものだって説明しておいた」
「私はコージを雇った覚えはないわよ?」
「俺も給料をもらった覚えはないねえ」
「報酬はちゃんと分けてるでしょう!」
「そうだったな。金の管理まで君に任せてるんだから、経理担当でもあるわけだ」
「難しいことは分からないけど、奥さんが納得してくれたならよかったわ」
「納得したかどうかは怪しいけどな。それでも最後には、ここへ来る俺を見送ってくれたよ」
そう答えてから、俺はアリスの顔を見た。
川へ落ちたあとより顔色はいい。濡れていた服も替えてあり、髪もきれいに整えられている。
「村から、いつ戻ったんだ?」
「昨日よ。村には護衛の冒険者を何人か残してきたの。フォレストオーガが、また現れるかもしれないから」
「村を空にはできないもんな」
「ええ。怪我が軽かった人たちと一緒に町へ戻って、私は治療院で診てもらったあと、宿で休んでいたの」
「ちゃんと眠れたか?」
「ぐっすり眠ったわ。コージは?」
「俺のほうは、送別会から帰って、嫁さんに事情を説明して、荷物を用意してもらったところだよ」
「こっちでは一晩たっているのに?」
「やっぱり、時間の流れがずいぶん違うみたいだな」
俺はアリスの状態を確かめるため、意識を集中させた。
目の前に、淡い光の文字が浮かぶ。
【契約相手】アリス
【種族】人間
【職業】召喚士
【冒険者ランクD】
【召喚士位階】中位
【体調】良好
【魔力】ほぼ回復
【得意属性】風
【使用可能属性】風・火
状態は良好。魔力も、ほとんど戻っている。
「本当に、しっかり休んだみたいだな」
「どうして分かるの?」
「君の状態が見えるからだよ。魔力も、ほぼ回復してる」
「何だか、隠し事ができなくなったみたい」
「見えるのは体調や魔力だけだよ。朝飯を二人前食べたかどうかまでは分からん」
「一人前よ!」
「そうか。宿の人に確認しないとな」
「私を信用してないの」
「食事が絡んだ君については、慎重に判断することにしてるんだ」
頬を膨らませたアリスの前で、俺は背負っていた荷物を下ろした。
中から布に包まれた箱を取り出す。
「ほら。これは君の分だ」
「私の?」
「嫁さんが用意してくれた弁当だよ。アリスも食べるんでしょうってな」
アリスは、すぐには受け取らなかった。
驚いたように箱を見つめ、それから両手を伸ばす。
「コージの奥さんが、私のために?」
「ああ。君はよく食べるから、少し多めに入れてくれって頼んでおいた」
「どうして余計なことまで話すのよ!」
「大事な情報だろ。量が足りなかったら困るじゃないか」
アリスは布包みを胸元へ抱えた。
「……ありがとうって、伝えてくれる?」
「自分で会ったときに言えばいい」
「会えるの?」
「今のところ方法は分からん。でも、俺が行き来できるんだ。いつか君が日本へ来る方法だって見つかるかもしれないだろ」
「そうね。いつか会えたら、ちゃんとお礼を言うわ」
「そのときは、食べすぎないようにな。嫁さんが驚くから」
「だから、そんなに食べないってば!」
◇
ギルドの中へ入ると、いつもより多くの冒険者が集まっていた。
受付の前や壁際で、武器を手入れしている者。地図を広げて話し合っている者。包帯を巻いたまま椅子に座っている者もいる。
フォレストオーガの件で、皆が落ち着かないのだろう。
「あっ、そうだ」
アリスが何かを思い出したように足を止めた。
「防具屋の店主が、コージの靴を準備できたって言ってたわ。急ぎだからって、ギルドに預けてくれたの」
「もうできたのか。ずいぶん早いな」
「グレイファングと戦ったときの試作品をもとに、改良してくれたんですって」
受付へ行くと、女性職員が俺たちに気づいた。
「アリスさん、コージさん。お待ちしていました。お二人とも、ご無事で何よりです」
「ああ。心配をかけたね」
「こちらをお預かりしています」
受付の奥から、大きな布袋が運ばれてきた。
中には、焦げ茶色の革で作られた一足の靴が入っていた。
以前の試作品よりも丈が長く、足首までしっかり覆う形になっている。つま先と靴底は厚く補強されているが、見た目ほど重くはない。
靴と一緒に、小さな紙が入っていた。
「何て書いてあるんだ?」
アリスが横からのぞき込む。
「ええと……『蹴って確かめろ。ただし、店の壁は蹴るな』だって」
「先に言われたか」
「お店で試すつもりだったの?」
「そんなわけないだろ。五十一歳にもなって、出入り禁止にはなりたくないよ」
壁際の長椅子を借り、靴を履き替える。
足を入れると、中は思ったより柔らかい。紐を締めて立ち上がり、軽く足踏みをしてみる。
足首はきちんと固定されているが、動きを妨げるほどではなかった。
「どう?」
「悪くない。前のより足に馴染むな」
つま先を床につけ、ゆっくり体重をかける。
靴底が石の床をしっかり捉えた。
「滑りにくくなってる。これなら森の中でも動きやすそうだ」
「フォレストオーガにも飛び蹴りするの?」
「あれだけ大きい相手に飛び蹴りをしたら、俺のほうが跳ね返されるよ。靴が丈夫になっても、中身は五十一歳のオッサンだからな」
「でも、本契約で前より強くなったでしょう?」
「強くなったからって、壊れなくなったわけじゃないんだ。そこを間違えると、また治療院の世話になる」
新しい靴を確かめていると、受付の女性が一本の杖を持ってきた。
「こちらも、お返しします」
「あっ、私の杖!」
アリスが声を上げる。
それは、崖の上へ置いてきた杖だった。
「フォレストオーガが森の奥へ戻ったあと、捜索に出た冒険者が見つけました。崖の近くに残されていたそうです」
「よかった……。もう戻ってこないと思ってた」
アリスは杖を受け取り、両手で確かめた。
柄には新しい傷がついているものの、折れたり、ひびが入ったりはしていない。
「これなら使えるわ」
「今度は置き忘れないようにな」
「あのときは置き忘れたんじゃないわ。コージを召喚するために置いたのよ」
「分かってるよ」
装備を整え、嫁さんが用意してくれた荷物を背負い直す。
中には、タオルと着替え、救急用品、飲み水、携帯できる食べ物、それに懐中電灯や予備の電池まで入っていた。
少し重いが、不思議と体への負担は小さい。本契約で筋力や持久力が上がった影響だろう。
準備が終わったところで、受付の女性が姿勢を正した。
「お二人に、ギルドマスターがお会いしたいそうです」
「ギルドマスターが?」
「はい。フォレストオーガの件で、大切なお話があります。二階の執務室へお願いします」
アリスと顔を見合わせる。
「何だろう?」
「褒められる話じゃなさそうだな」
「どうして?」
「大切な話ってのは、大抵こちらの仕事が増えるんだよ」
◇
二階の廊下の突き当たりに、ギルドマスターの執務室があった。
受付の女性が扉を叩く。
「ギルドマスター、アリスさんとコージさんをお連れしました」
「入ってくれ」
低く、よく通る声が返ってきた。
部屋へ入ると、大きな机の向こうに一人の男が座っていた。
年齢は俺より少し上だろう。短く刈った髪には白いものが交じっている。座っていても分かるほど体が大きく、机の横には使い込まれた盾が立てかけられていた。
男が立ち上がる。
「この町の冒険者ギルドを預かる、グレゴールだ」
「高野幸治です。こっちではコージと呼ばれてます」
「アリスです」
「まずは座ってくれ」
俺たちは机の前に並んで腰を下ろした。
グレゴールも椅子へ戻り、机の上に一枚の地図を広げる。
町と村、その間に広がる森が描かれている。
「村から届いた報告と、討伐に参加した冒険者たちの証言は確認した。フォレストオーガは、現在この辺りにいると思われる」
太い指が、村から離れた森の一角を示す。
「森の奥へ戻ったんじゃないのか?」
「その可能性が高い。しかし、巣の場所までは確認できていない。村から奪った家畜を食べ終えれば、再び人里へ現れるだろう」
「だから、村に護衛を残したのね」
「そうだ。だが、いつまでも冒険者を村へ置いておくわけにはいかない。村人も、畑や放牧地へ出られない状態が続いている」
グレゴールの指が、村の周辺をゆっくりなぞる。
「このままでは、怪我人が増えなくても村の暮らしが立ち行かなくなる。フォレストオーガを放置することはできない」
「Cランクの冒険者は、まだ戻っていないの?」
アリスの問いに、グレゴールがうなずく。
「別の依頼へ出た二組には、早馬で知らせを送った。しかし、戻るまで早くても数日はかかる」
「その間に村が襲われるかもしれない、か」
「そのとおりだ」
グレゴールは一枚の紙を俺たちの前へ差し出した。
「召喚士アリス。そして、契約精霊であるコージ。ギルドから、フォレストオーガの討伐を正式に依頼したい」
契約精霊というところで、俺は片手を上げた。
「ちょっと待ってくれ。俺は人間ですよ」
「え?」
グレゴールがアリスを見る。
「君からは、高位精霊だと聞いていたが」
「最初はそう思ってたの。でも、コージは別の世界の人間なのよ」
「最初は、どころか、今でも精霊さんって呼ぶことがあるけどな」
「もう、ほとんど呼んでないでしょう?」
「ほとんどってことは、まだ呼んでるんだよ」
グレゴールは机の上にあった書類へ目を落とした。
「記録には、異世界の人間でありながら、召喚契約上は高位精霊に相当する存在、とある」
「ややこしいでしょう?」
「ああ。説明されるほど分からなくなるねえ」
グレゴールが低く笑った。
「分類については、今は置いておこう。あなたが何者であろうと、フォレストオーガの一撃を正面から受け止めた事実は変わらない」
「できれば、もう受け止めたくないけどな。まだ腕が痛いんだ」
「その判断ができることも重要だ」
グレゴールの表情から笑みが消えた。
「前回と同様に、DランクとEランクの冒険者を中心に、緊急討伐隊を結成する」
「前と同じ顔ぶれになるのか?」
「村に残した者や怪我の重い者を除き、前回参加した者の多くが加わる。それに、町で別の依頼を受けていた者たちも数名参加する予定だ」
「今度は人数を増やして挑むのね」
「人数だけ増やしても、前回と同じ戦い方では勝てない」
グレゴールは地図から俺へ視線を移した。
「前回の討伐隊には、全体を指揮する者がいなかった。それぞれのパーティーが自分たちの判断で動き、連携が崩れたと聞いている」
複数のパーティーを急いで集めたのだから、無理もない。
自分たちの仲間を守ろうとすれば、どうしても普段の組み合わせで動く。だが、それでは人数が増えただけで、一つの集団にはならない。
「日本にはね、『船頭多くして船山に上る』って言葉があるんだ」
「船が山に上るの?」
アリスが首を傾げる。
「指図する人間が多すぎると、まとまるものもまとまらず、船が山へ登るようなおかしな結果になるって意味だよ」
「まさに、前回の我々だな」
グレゴールが言った。
「そこで、コージ。あなたに討伐隊の指揮を任せたい」
「……誰に?」
「あなたにだ」
思わず後ろを振り返った。
もちろん、俺たちのほかには誰もいない。
「俺は冒険者ですらないぞ」
「承知している」
「魔物についても、森についても、ここにいる冒険者のほうが詳しい」
「それも承知している」
「だったら、どうして俺なんだ?」
グレゴールは両手を机の上で組んだ。
「参加者から話を聞いた。あなたはグレイファングの群れと戦った際、仲間の危機にすぐ対応したそうだな」
「あれは、近くにいたから動いただけだよ」
「フォレストオーガに追われたときも、無理に勝とうとはせず、アリスを連れて逃げる方法を選んだ」
「崖から川へ飛び込んだけどな。褒められた逃げ方じゃない」
「それでも、二人とも生きて戻った」
グレゴールはまっすぐ俺を見る。
「ギルドが必要としているのは、最も強い者ではない。戦場全体を見て、仲間を生きて帰そうとする者だ」
返す言葉が見つからなかった。
俺は三十年近くトラックを運転してきた。
荷物を積み、決められた場所まで運び、無事に帰ってくる。それが仕事だった。
大勢の冒険者を率いたこともなければ、魔物を討伐する作戦を考えたこともない。
「俺には、指揮官の経験なんてないよ」
「魔物や森については、経験のあるDランク冒険者を補佐につける。各パーティーからも意見を出させる。それを聞いたうえで、最終的な判断をあなたに任せたい」
「ずいぶん重い荷物を載せてくれるねえ」
「引き受けてもらえるだろうか」
隣を見ると、アリスが俺を見つめていた。
何も言わない。
だが、その目には不安だけでなく、期待も浮かんでいる。
俺はもう一度、机の上の地図を見た。
村には、今もフォレストオーガに怯えている人たちがいる。討伐隊に参加する冒険者たちにも、帰りを待っている者がいるだろう。
力だけで勝てないことは、すでに分かっている。
だったら、誰かが全員をまとめなければならない。
「三つ、条件がある」
「聞こう」
「一つ。勝手な単独行動はさせない。二つ。撤退を命じたら、全員に従ってもらう」
グレゴールがうなずく。
「三つ目は?」
「フォレストオーガを倒すことより、人を生きて帰すことを優先する。それで討伐に失敗しても、俺一人の責任にはしないでもらいたい」
「当然だ。討伐を命じる責任は、ギルドにある」
「なら、引き受けよう」
俺は椅子から立ち上がった。
「ただし、魔物のことは皆に教えてもらう。俺一人の考えで戦うつもりはない」
「それでいい」
グレゴールも立ち上がり、右手を差し出す。
「フォレストオーガ緊急討伐隊の指揮を、あなたに任せる」
俺は、その手を握った。
「分かった。全員で村へ行って、全員で帰ってこよう」
「コージなら、きっとできるわ!」
アリスがうれしそうに言う。
「ずいぶん簡単に言ってくれるな」
「だって、コージはいつも、周りの人を助けてるもの」
「先に言っておくが、指揮官になっても荷物持ちは交代だからな」
「今、それを気にするところ?」
「大事なことだよ。役職が増えたからって、腰まで強くなったわけじゃないからな」
退職を前にして、もう大きな責任を背負うことはないと思っていた。
どうやら俺の人生は、荷物を一つ下ろすたびに、別の荷物を載せてくるらしい。




