第38話 オッサン精霊、捜索隊と合流する
◇◇◇◇
川沿いの地面は、道と呼べるようなものではなかった。
大きな岩が転がり、木の根が地面から突き出している。
右手には、昨夜俺たちが流された川。
左手には、木々の密集した森が続いていた。
「足元、気をつけろよ」
「ええ」
俺は先に岩を越え、振り返った。
アリスが差し出した手を取り、こちら側へ引き上げる。
「ありがとう」
「ああ」
本契約を結んだあとから、体が軽い。
一晩眠っていないはずなのに、脚はしっかり動いている。足場の悪い場所でも、踏み込んだ力が逃げにくい。
筋力だけではない。
体を支える力や、長く動き続ける力まで上がっているようだった。
「本当に、前より疲れにくくなってるみたいだな」
「私が中位になったから?」
「その影響もあるんだろうな。君の能力に比例するって出てたから」
俺は腹へ手を当てた。
「ただ、腹が減るのは変わらないらしい」
「体力でここにいるから、前よりお腹がすくのかしら」
「その可能性はあるな」
送別会では、かなり食べたはずだ。
だが、オーガの棍棒を受け止め、崖から川へ飛び込み、一晩中火の番をした。
そのうえ、今は自分の体力で異世界への滞在を維持している。
腹が減るのも当然かもしれない。
「町へ戻ったら、何か食べましょう」
「ああ。それまでに、食われる側と出会わなきゃいいんだけどな」
俺の言葉に、アリスが森へ目を向けた。
「そういうことを言うと、本当に出てきそうよ」
「言ったから出てくるわけじゃないよ」
そう答えながら、俺も木々の間へ視線を向けた。
動くものは見えない。
聞こえるのは川の音と、鳥の鳴き声だけだった。
◇
しばらく進むと、倒れた木が川岸を塞いでいた。
川へ入って回ることもできそうだが、流れは速い。
昨夜、十分に味わった。
今日は泳ぎの追加注文をする気はない。
「上から越えられそうか?」
「枝が多いわね」
「少し動かしてみよう」
俺は太い枝へ手をかけた。
持ち上げると、思っていたよりも簡単に動いた。
「……軽いな」
「それ、軽そうには見えないけど」
「前なら、もう少し力を入れてたと思うよ」
枝を横へずらし、アリスが通れる隙間を作る。
彼女を先に通し、俺も倒木を越えた。
「眷属強化って、かなり力が上がるのね」
「そうみたいだな。ただ、加減を覚えないと、物を壊しそうだ」
「荷物を持つときも?」
「ああ。箱を持ち上げられても、中身を潰したら意味がないからな」
運ぶ仕事では、力が強ければそれでいいわけではない。
新しい力にも、慣れる必要がありそうだった。
◇
倒木を越えて少し進んだところで、俺は足を止めた。
「……待ってくれ」
アリスも止まる。
「何か聞こえた?」
「ああ。森のほうだ」
川の音に混じって、甲高い声が聞こえた。
俺たちは近くの岩へ身を寄せ、木々の間を確かめる。
現れたのは、ゴブリンだった。
1体。
その後ろに、さらに2体。
「3体ね」
「ああ」
棍棒を持ったものが2体。
もう1体は、短い刃物を握っている。
向こうも俺たちに気づいた。
「ギャッ!」
先頭の1体が声を上げる。
3体が散らばり、こちらを囲むように近づいてきた。
「回り込むつもりね」
「川へ追い込まれないようにしよう」
俺は周囲を見た。
武器になりそうな枝はない。
あったとしても、拾っている時間はなさそうだった。
「コージ、武器がないわ」
「今日は、素手でやるしかないな」
「腕は大丈夫?」
「殴るのは、できるだけ控えるよ」
「本当に無理しないでね」
「ああ。駄目そうなら、すぐ知らせる」
俺はアリスの前へ出た。
両腕は、まだ痛む。
それでも、3体のゴブリンを見ても、以前のような不安はなかった。
本契約で強くなったせいなのか。
何度も戦って、慣れてきたせいなのか。
たぶん、両方だ。
◇
最初の1体が棍棒を振り上げた。
俺は正面から受けず、半歩横へずれた。
棍棒が、肩の横を通り過ぎる。
伸びきった腕をつかみ、体をひねった。
「よっと!」
驚くほど軽い。
ゴブリンの足が地面から離れ、その体が横へ投げ出された。
「ギャッ!」
地面を転がり、岩へぶつかる。
自分でやったことなのに、俺のほうが少し驚いた。
「……前より力が出てるな」
「コージ、右!」
アリスの声に顔を向ける。
刃物を持ったゴブリンが、低い姿勢で近づいていた。
俺は後ろへ下がらず、逆に一歩踏み込んだ。
刃物を持つ手の外側へ回り、足を払う。
ゴブリンの体勢が崩れた。
その胸元へ、靴の裏を押し当てるように蹴る。
「ギィッ!」
小さな体が地面を滑った。
送別会へ履いていった靴で、異世界のゴブリンを蹴る。
帰ったら、こっちの靴まで手入れが必要になりそうだった。
「後ろ!」
3体目が、アリスの横へ回ろうとしている。
俺は地面を蹴った。
以前よりも、踏み込みが速い。
ゴブリンが振り向く前に追いつき、背後から腰へ腕を回した。
痛む腕へ力を入れる。
鈍い痛みが走った。
だが、持ち上げることはできた。
「そっちへは行かせんよ!」
そのまま横へ投げる。
ゴブリンの体が、棍棒を持った最初の1体へぶつかった。
2体がまとめて倒れる。
「アリス!」
「任せて!」
アリスが手を向けた。
小さな風が地面を走り、起き上がろうとしたゴブリンの顔へ土と枯れ葉を吹きつける。
杖がなくても、これくらいの風なら使えるらしい。
俺はその隙に近づいた。
腕ではなく、脚を使う。
立ち上がった1体の脇腹へ蹴りを入れた。
予想以上の勢いで、ゴブリンが木の幹へ叩きつけられる。
もう1体にも、立ち上がる暇を与えなかった。
最後に、刃物を持っていたゴブリンが向かってくる。
振られた腕を避け、手首をつかんだ。
ひねる。
刃物が地面へ落ちた。
体勢を崩した相手の腰へ手を回し、地面へ強く投げる。
鈍い音がした。
ゴブリンは動かなくなった。
◇
「……これで、3体か」
周囲を見ながら、息を整える。
森の奥から、別の声は聞こえない。
アリスも警戒を続けていた。
「ほかには、いないみたいね」
「ああ」
俺は両腕を動かした。
ゴブリンを投げたときに痛みはあったが、急に悪化した感じはない。
「やっぱり、前より強くなってるわ」
「そうだな。投げた俺まで驚いたよ」
「ゴブリンが飛んでいったもの」
「加減には慣れたほうがよさそうだ」
倒れたゴブリンを見る。
討伐証明を持ち帰りたいところだが、ゆっくりしていられない。
今は、町か村へ戻ることを優先した。
「行こう。長くここにいたら、別のやつが寄ってくるかもしれん」
「ええ」
俺たちは川沿いへ戻った。
◇
その先は、岩がさらに増えていた。
大きな岩が川岸へせり出し、そのままでは通れない。
「上へ回れそうだな」
俺は森側の斜面を見上げた。
「俺が先に見てくるよ。アリスは、ここで待っててくれ」
「分かったわ」
岩へ手をかけ、斜面を登る。
木の根をつかみ、上へ出た。
そこから先に、細い獣道のような場所が見える。
だが、川の音が大きく、下にいるアリスへ声が届きそうにない。
俺は契約のつながりへ意識を向けた。
『アリス。聞こえるか?』
すぐに返事が届く。
『聞こえるわ』
『こっちへ登れそうだ。右側の木の根を使ってくれ』
『分かった』
少しして、アリスの手が岩の下から見えた。
俺は手を伸ばし、彼女を引き上げる。
「ちゃんと聞こえたな」
「川の音がしても、はっきり聞こえたわ」
「便利だねえ」
俺たちは顔を見合わせた。
「でも、使えるからって離れて歩くのはなしだぞ」
「分かってるわよ」
2人で獣道を進み、再び川岸へ下りられる場所を探した。
◇
人の声が聞こえたのは、それから間もなくだった。
「アリスー!」
俺たちは同時に足を止めた。
「今の……」
「人の声だな」
もう一度、聞こえる。
「アリス! いたら返事をしてくれ!」
「ガレスだわ!」
アリスが川のほうへ駆け出した。
「おい、足元!」
「分かってる!」
川岸へ出ると、対岸の少し下流に人影が見えた。
ガレス、ロッド、ニール。
その後ろには、討伐隊を率いていたDランクの剣士たちもいる。
「ガレス!」
アリスが両手を振った。
「ここよ!」
川の音に負けないよう、大きな声を出す。
対岸にいたガレスが、こちらを見た。
「アリス!」
「コージさんも一緒だ!」
ロッドの声が続く。
捜索隊は、川幅が狭くなっている場所まで移動した。
浅いところを選んで川を渡り、こちら側へ駆け寄ってくる。
「アリス、無事だったのか!」
「ええ。心配かけたわね」
「本当に心配したんだぞ。崖から落ちるところが見えて……」
ガレスは途中で言葉を止め、大きく息を吐いた。
「でも、無事でよかった」
「ありがとう」
ニールも、安心したように弓を下ろした。
「川沿いを捜しても見つからなかったから、もっと下流まで流されたのかと思いました」
「実際、かなり流されたよ」
俺が答えると、ロッドが俺の両腕を見た。
「コージさん、その腕……」
「オーガの棍棒を受けたところだよ」
「やっぱり、腕で受けたんですよね?」
「ああ。避けたら、後ろのアリスに当たりそうだったからな」
ロッドが目を見開いた。
「俺たち、離れたところから見てました。あのフォレストオーガの棍棒を受け止めて、押し返しましたよね」
「見えてたのか」
「はい。盾でも受けきれなかったのに……」
ガレスも、俺の腕を見る。
「本当にすごかったです」
「痛かったよ。今も痛い」
「でも、押し返してましたよね?」
「痛くても、押し返さないと次が来るからな」
俺は肩をすくめた。
大したことではない、と言うつもりはない。
あれは、本当に危なかった。
もう一度やれと言われても、できれば断りたい。
◇
討伐隊を率いていた剣士が、俺たちの前へ出た。
「2人とも、無事でよかった」
「ほかのみんなは?」
アリスが尋ねた。
「村へ戻っている。怪我人は出たが、命に関わる者はいない」
アリスが胸へ手を当て、息を吐いた。
「よかった……」
「フォレストオーガの討伐は、いったん断念した」
剣士は、森の奥へ目を向けた。
「お前たちが川へ落ちたあと、俺たちも追跡しようとした。だが、負傷者を抱えたまま戦いを続けるのは危険だと判断した」
「それでいいと思うよ」
俺が言うと、剣士は悔しそうに拳を握った。
「朝になってから周囲を調べた。フォレストオーガは、森の奥へ戻ったらしい」
「また村へ来るかもしれないのね」
「ああ。家畜を奪える場所だと覚えた可能性がある。村には警戒を続けてもらっている」
Cランクの魔物。
Dランク以下の冒険者だけでは、正面から倒せなかった相手だ。
今は森へ戻っていても、空腹になれば再び現れるかもしれない。
「アリスの杖は?」
俺が尋ねると、ガレスが首を横に振った。
「回収できなかった。崖へ戻ろうとしたんだけど、オーガが近くにいて……」
「朝に捜したときも、見つからなかった」
指揮役の剣士が続けた。
「戦いの最中に、別の場所へ飛ばされたのかもしれない。崖の下へ落ちた可能性もある」
「そう……」
アリスが、少し残念そうな顔をした。
長く使っていた杖なのだろう。
「今は、杖よりアリスが戻れたことのほうが大事だよ」
「ええ。分かってるわ」
「安全を確保してから、もう一度捜そう」
剣士の言葉に、アリスはうなずいた。
◇
「それにしても、コージさんはどうして、まだこちらに?」
ニールが尋ねた。
「アリスさんの魔力は、大丈夫なんですか?」
「それなんだけどな」
俺はアリスを見る。
彼女がうなずいた。
「私たち、本契約を結んだの」
「本契約?」
ガレスが聞き返した。
「ええ。コージは、正式に私の眷属になったわ」
三人が、そろって俺を見る。
「俺の同意もあるから、そんなに驚いた顔をしなくていいよ」
「コージ、言い方が変よ」
「大事なことだろ。無理やり契約されたと思われたら困る」
指揮役の剣士が尋ねる。
「それで、滞在の仕組みが変わったのか?」
「ああ。今は、俺自身の体力でここにいるらしい。呼び出すときはアリスの魔力が必要だけど、来たあとは俺の体力で維持する」
「だから、一晩たっても帰還しなかったのね」
「そういうことだと思う」
アリスが続ける。
「私の召喚士位階も、初位から中位へ上がったの」
「中位に?」
ガレスが驚く。
「ええ。コージには、私の簡単なステータスも見えるようになったわ」
「体調や魔力もな」
俺が言うと、ロッドが感心した顔をした。
「じゃあ、アリスが無理をしても分かるんですか?」
「ああ。本人が平気だと言っても、疲労って出る」
「コージだって、体力が減ったら分かるでしょう?」
アリスが俺を見る。
「そうだな。今の俺は、休息推奨だよ」
「それなら、話は歩きながらにしよう」
指揮役の剣士が言った。
「村へ戻れば、治療も食事もできる」
「ありがたい。特に、食事のほうが聞いただけで効きそうだ」
捜索隊と合流できたことで、ようやく帰る方向が分かった。
俺とアリスは仲間たちに守られながら、ミルナ村へ向かって歩き始めた。




