↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『会社を辞めると伝えた51歳トラックドライバー、異世界少女の召喚精霊になる』  作者: うさぎとカニ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/44

第35話 オッサン精霊、呼んでくれてよかった


 ◇◇◇◇


 白い光が消えた。


 最初に見えたのは、アリスの顔だった。


 息を切らし、目を見開いている。


「コージ!」


「……どうした?」


「ごめんなさい! 今日は呼ばないって言ったのに。でも、助けて!」


 最後の声が、震えていた。


 俺は彼女の肩へ手を伸ばしかけ、正面にあるものを見た。


 でかい。


 人間の倍ほどもある体。


 太い腕。分厚い胸。口元からのぞく牙。


 そいつは、片手に大きな棍棒を持っていた。


「……何だ、こいつ」


「フォレストオーガよ!」


 アリスが俺の後ろへ下がる。


 足元で、小石が転がった。


 音が、すぐには止まらない。


 俺は肩越しに後ろを見た。


 地面が、ない。


 崖だ。


 下のほうから、水の音が聞こえる。


 俺は正面へ顔を戻した。


 巨大な魔物。


 後ろは崖。


 メイスも胸当ても、ギルドに置いてきた。


 しかも、酔っている。


「……ずいぶん、条件の悪い呼び出しだねえ」


 オーガは、突然現れた俺を見て足を止めていた。


 目が、頭から足元まで動く。


 送別会へ出かけた服。


 手には、何も持っていない。


 オーガの口元が、ゆっくりと歪んだ。


 笑ったように見えた。


「グオオッ!」


 棍棒が、持ち上がった。


     ◇


「コージ、避けて!」


 アリスが叫んだ。


 俺も、そうしようと思った。


 だが、足がすぐには動かない。


 頭で考えたことと、体の動きにずれがある。


 さらに、後ろにはアリスがいた。


 俺が横へ逃げたら、あの棍棒は彼女へ落ちる。


 そう気づいたときには、腕を上げていた。


 両腕を交差させる。


 頭を下げ、足を踏ん張った。


 棍棒が、落ちてきた。


「ぐっ……!」


 とんでもない衝撃だった。


 腕から肩へ、重さが突き抜ける。


 膝が曲がり、靴の下で土がずれた。


 痛い。


 両腕が、熱を持ったように痛む。


 それでも、棍棒は止まった。


 目の前で、オーガの笑いが消えた。


 持ち上がった眉。


 交差した俺の腕を、信じられないものでも見るように見下ろしている。


 こっちだって、驚いている。


 ただ、それを考える余裕はなかった。


「……痛えな、この野郎!」


 歯を食いしばり、腕へ力を込める。


 オーガも棍棒を押しつけてきた。


 足を踏み直す。


 腰を落とし、体ごと押し上げた。


「どけっ!」


 棍棒が、持ち上がる。


 オーガの上体が後ろへ反り、大きな足が地面を踏み直した。


 もう一歩。


 そいつがたたらを踏んだ隙に、俺は腕を下ろした。


 指は動く。


 だが、両腕がずきずきする。


 もう1度、あれを受けたいとは思わなかった。


     ◇


「コージ、腕が……!」


「今は、いい!」


 オーガが体勢を戻そうとしている。


 このまま殴り合っても、勝てるか分からない。


 避け続けるには足場が狭いし、俺の頭も体も、普段どおりではない。


 アリスを守りながら戦うには、あまりにも条件が悪かった。


 俺は、もう1度後ろを見た。


 崖下には、川がある。


 岩の間を、水が流れていた。


 浅いか、深いか。


 ここからでは、はっきり分からない。


 ただ、正面の棍棒に比べれば、まだ逃げられる可能性があった。


「アリス」


「何?」


 俺は彼女の背中と膝の下へ腕を入れ、抱き上げた。


 痛む。


 それでも、離さなかった。


「しっかりつかまっていろ!」


「コージ、まさか――」


 オーガが、棍棒を握り直した。


 俺は背を向ける。


 崖の縁を、蹴った。


「ひゃああっ!」


 アリスの声が、耳元で響いた。


 足の下から、地面が消える。


 腹が浮いた。


 俺は彼女を抱き寄せ、衝撃に備えた。


 川が、急に大きくなった。


     ◇

 

 ドッパァァン!


 水面が大きく弾け、白い水しぶきが上がった。

 

 冷たさと衝撃が、全身を包んだ。


 口から、息が漏れる。


 水の中。


 上も下も、一瞬分からなくなった。


 俺はアリスを離さず、脚を動かした。


 明るいほうへ向かう。


 腕が痛む。


 服が重い。


 それでも、顔を水面へ出した。


「ぶはっ!」


 息を吸う。


 アリスの顔を引き上げると、彼女も激しく咳き込んだ。


「アリス、息できるか!」


「けほっ……できる!」


「離れるなよ!」


 彼女が、俺の肩へしがみついた。


 川は深かった。


 足が届かない。


 流れも速く、体が勝手に運ばれていく。


 岸へ向かおうと脚を動かしたが、まっすぐ近づくことはできなかった。


 俺は無理に流れへ逆らうのをやめた。


 アリスの顔が沈まないように支え、流されながら周りを見る。


 大きな岩。


 白く泡立つ場所。


 できるだけ、そこへ寄らないようにした。


「コージ……!」


「大丈夫だ。岸へ寄れるところを探してる!」


 大丈夫かどうか、本当は分からない。


 だが、今はそう言うしかなかった。


 川が曲がる。


 先のほうに、低い岸が見えた。


 水際へ木の根が伸びている。


 俺は脚を動かし、少しずつそちらへ体を向けた。


 足先が、何かに触れた。


 石だ。


 もう1度伸ばすと、川底へ届いた。


「……よし!」


 だが、立とうとすると流れに押される。


 俺は片腕でアリスを支え、もう片方を岸へ伸ばした。


 木の根をつかむ。


 痛みが、腕へ走った。


「っ……!」


 握った指に、力を込める。


 脚を踏ん張り、体を岸へ引き寄せた。


「アリス、こっちだ。根につかまって!」


 彼女の手が、木の根を握る。


 俺は後ろから支え、先に岸へ上げた。


 それから、自分も腹ばいで土の上へ這い出した。


     ◇


 しばらく、言葉が出なかった。


 息を吸う。


 吐く。


 また吸う。


 川の音が、すぐ横で続いている。


 アリスも膝をつき、咳をしていた。


「……怪我は?」


 ようやく尋ねると、彼女は首を振った。


「分からない。でも、動けるわ」


「頭、打ってないか?」


「大丈夫……コージは?」


「俺も、動けるよ」


 腕は痛い。


 全身が冷たい。


 酔いが完全に抜けたとは言えないが、さっきまでの気分は、川へ置いてきてしまった。


 俺は上体を起こし、辺りを見た。


 流されている間に、ずいぶん暗くなっていた。


 崖の場所も、もう分からない。


 川を挟んだ向こうには木々が並び、こちらには岩場が続いている。


「ここに座ってても冷えるな。雨風を避けられる場所を探そう」


「ええ」


 立ち上がると、濡れた服が体へ張りついた。


 靴の中でも、水が動く。


 アリスの歩き方を確かめながら、岩場に沿って進んだ。


 時々立ち止まり、周囲の音を聞く。


 オーガの足音はしない。


 ただ、ほかに何がいるかも分からなかった。


「あそこ……」


 アリスが指をさした。


 岩の下に、暗い隙間がある。


 近づくと、人が入れそうな洞窟だった。


 俺は入口で足を止めた。


 獣の臭いは、しない。


 骨や食べ残しも、見当たらない。


 奥から聞こえる物音もなかった。


「小さな明かり、出せるか?」


「ええ。杖は崖に置いてきちゃったけど、それくらいなら」


 アリスが手を差し出した。


 手のひらの上に淡い光が生まれ、洞窟の入口を照らした。


 淡い光が、入口の内側を照らした。


 それほど深くはない。


 奥に魔物の姿がないと確かめてから、俺たちは中へ入った。


     ◇


 アリスを岩のそばへ座らせ、俺も隣へ腰を下ろした。


 息は、少し落ち着いている。


 顔も見られる。


 ようやく、話を聞けそうだった。


「……何があったんだ?」


 アリスが、膝の上で手を握った。


「あのオーガが村へ出たの。それで、ギルドのみんなと助けに行ったんだけど……」


 彼女は一度、唇を噛んだ。


 それから、朝の出来事を話し始めた。


     ◇


 コージが日本へ帰ったあと、アリスの世界では夜が過ぎ、翌朝を迎えていた。


 ギルドへ来たアリスは、掲示板の前にいた。


 そのとき、入口の扉が勢いよく開いた。


「誰か、助けてくれ!」


 駆け込んできたのは、泥のついた服を着た男だった。


 肩で息をしながら、受付へ向かう。


「ミルナ村に、オーガが出た! 怪我人もいる!」


 アリスは振り返った。


 昨日、荷物を届けた村だ。


 受付の女性が、すぐに椅子を引いた。


「落ち着いてください。魔物は、今も村にいるんですか?」


「家畜を持って、森へ戻った。でも、また来るかもしれない!」


 男は椅子へ座り、息を整えながら話した。


 朝早く、家畜小屋のほうから大きな音がした。


 外へ出ると、巨大な魔物が柵を壊していた。


 追い払おうとした村人が、振り回された木に当たって怪我をしたという。


「人の倍くらい、でかかった。腕も太くて……羊を抱えて、森へ入っていったんだ」


 ギルドの職員たちが顔を見合わせた。


「フォレストオーガだな」


 奥から出てきた職員が言った。


「証言の特徴と一致する。Cランクの魔物として対処する」


 アリスの手が、杖を握った。


 職員は続ける。


「森林に住む巨人型だ。怪力で木や棍棒を振り回す。グレイファングを捕まえて食べることもある」


「狼を……?」


「ああ。巣を荒らすこともある。群れで囲んでも、あの腕の一撃が重いからな」


 アリスは、オルドから聞いた話を思い出した。


 森の奥から走ってきたグレイファング。


 街道や村へ出てくるようになった群れ。


 あのオーガから逃げていたのだろうか。


「Cランク冒険者の人たちは?」


 誰かが尋ねた。


「別の依頼で出ている。しばらくは戻らない」


 ギルドの中が、静かになった。


 村から来た男が、顔を上げる。


「じゃあ、村は……」


「救援は出す」


 Dランクの4人組を率いる剣士が、一歩前へ出た。


「まず怪我人を助ける。討伐は、現地の状況を見てからだ」


     ◇


 集まったのは、アリスを含むDランクの3組と、Eランクの2組だった。


 全部で14人。


 ガレス、ロッド、ニールもいた。


「俺たちも行きます」


 ガレスが言った。


 指揮を引き受けた剣士が、三人を見る。


「オーガと正面から戦うつもりなら、連れていけないぞ」


「怪我人を運ぶことや、避難を手伝うことならできます」


 ガレスは、はっきり答えた。


 ロッドもうなずく。


「荷物も運びます」


「俺は、周りを見ます」


 ニールが続けた。


 指揮役の剣士は少し考え、うなずいた。


「なら、救援を頼む。もう1組と一緒に動いてくれ」


 アリスへも指示が出た。


「風で援護できるな?」


「ええ。前に出る人の動きに合わせるわ」


「頼む。見つけても、1人で仕掛けるなよ」


 アリスはうなずいた。


 コージを呼ぶことは、しなかった。


 今夜は、仲間との送別会。


 そう約束した。


 自分の世界では朝になっても、日本でどれくらい時間が過ぎたかは分からない。


 今日は、ここにいる冒険者たちと協力しよう。


 アリスはそう決め、準備に加わった。


     ◇


 村へ着くと、壊れた柵の周りに人が集まっていた。


 家畜小屋の壁も、一部が崩れている。


 倒れた木材の下にいた負傷者を助け、治癒役が処置を始めた。


「この人を、集会所へ運ぶぞ」


 ガレスの声で、ロッドが担架を持ち上げる。


 ニールは道を確かめ、村人を誘導していた。


 ほかのEランク冒険者たちも、水や布を運び、家々へ声をかけて回る。


 アリスも、治癒に必要なものを渡した。


 足りない物資を集め、村の端にいた人を移し、再び襲われた場合の避難場所を確認する。


 救援には、時間がかかった。


 午後になり、Dランクの斥候が村の外を調べた。


 家畜を引きずった跡と、大きな足跡が残っていた。


 森へ深入りはせず、村へ続く道の周辺を確かめる。


 そこで、オーガと遭遇した。


「グオオオッ!」


 木々の間から現れた巨体が、棍棒を振り上げた。


「盾、前へ!」


 盾役が構える。


 棍棒がぶつかった瞬間、男の体が後ろへ押された。


「ぐっ……!」


「下がれ!」


 剣士が横から斬りつけ、槍使いが腕を狙う。


 オーガは唸ったが、止まらなかった。


 大きく腕を振り、槍を弾く。


 アリスが杖を向けた。


「風よ!」


 枯れ葉と土が巻き上がり、オーガの顔を覆った。


 その隙に女性剣士が踏み込む。


 刃が脚を捉えた。


 オーガが怒声を上げる。


 しかし、膝は落ちない。


 棍棒が横へ振られ、女性剣士は地面を転がって避けた。


「アリス、もう1度!」


「ええ!」


 風を重ねる。


 前衛たちが攻める。


 それでも、倒せなかった。


 盾役の腕が震え始め、槍使いも肩を痛めている。


 オーガは傷を負いながら、ますます激しく棍棒を振り回した。


 木の幹へ当たった一撃で、太い枝が折れて落ちる。


 指揮役の剣士が叫んだ。


「討伐は中止だ! いったん退くぞ!」


     ◇


 負傷した仲間を支え、冒険者たちが後退する。


 オーガは追ってきた。


 アリスが風を放ち、目の前へ落ち葉を巻き上げる。


「今のうちに!」


 剣士たちが道を戻る。


 アリスも、後ろへ下がった。


 だが、オーガが葉の向こうから顔を向けた。


 彼女を見ている。


「グオッ!」


 巨体が、走った。


「アリス、こっちだ!」


 仲間の声。


 そちらへ向かおうとした瞬間、棍棒が目の前の地面へ落ちた。


 土が跳ねる。


 道が塞がれた。


 アリスは身をひるがえし、木々の間へ逃げ込んだ。


 後ろで、重い足音がする。


 風を放ち、細い木の間を抜ける。


 杖を握った手が汗で滑った。


 仲間の声が、遠くなる。


 戻りたい。


 けれど、後ろにはオーガがいる。


 立ち止まれば、追いつかれる。


 アリスは走り続けた。


 木々が途切れたとき、ようやく前が開けたと思った。


 だが、その先には地面がなかった。


 崖だった。


 アリスは足を止め、振り返った。


 木々の間から、オーガが現れる。


 夕暮れの光の中で、その巨体が迫ってきた。


 もう、逃げる道がない。


 アリスは杖を抱きしめた。


 今日は呼ばない。


 そう約束した。


 それでも――。


「……コージ」


 声が震えた。


「お願い。助けて……!」


     ◇


 アリスの話が、そこで止まった。


 洞窟の外では、川の音が続いている。


 俺は何も言わず、彼女を見た。


「今日は呼ばないって、約束したのに……ごめんなさい」


 膝の上で握っていた手に、涙が落ちた。


「呼ばないつもりだったの。でも、もう逃げるところがなくて……」


「そんな状態なら、呼んでいいんだよ。間に合ってよかった」


 俺は隣へ寄り、アリスの肩をそっと抱いた。


 腕が痛んだが、顔には出さなかった。


 アリスは俺の服をつかみ、泣き出した。


 追われている間も、崖へ追い詰められたときも、怖かっただろう。


 仲間と離れ、1人になってしまったのだ。


 俺は何も言わず、彼女が落ち着くのを待った。


     ◇


 やがて、肩が細かく震えていることに気づいた。


 泣いているからだけではない。


「寒いか?」


「……少し」


 俺の服も濡れている。


 抱き寄せたところで、これでは十分に暖めてやれない。


「火を起こそう。アリス、魔力はまだあるか?」


「ええ。少し休んだから、まだ使えるわ」


「風以外に、火の精霊も呼べるか?」


 アリスが顔を上げた。


「風ほど、うまく扱えないけど……小さな火なら出せるわ」


「それなら助かる。燃やすものを拾ってくるよ。君はここにいてくれ」


 洞窟の外へ出て、周囲の音を聞いた。


 川の音と、葉の擦れる音。


 重い足音はしない。


 入口から離れすぎない範囲で、枯れ枝と落ち葉を拾う。


 岩陰にあった乾いたものを選び、両腕に抱えて戻った。


 入口寄りの、煙が外へ抜けそうな場所へ枝を置く。


「ここへ、小さく頼む」


 アリスが杖を向けた。


 小さな炎が生まれ、乾いた葉へ移る。


 細い枝を足すと、ぱちぱちと音がした。


「できたな」


「これくらいなら、大丈夫よ」


「ああ。十分だよ。ありがとう」


 少しずつ枝を増やし、火を育てた。


 煙が奥へたまらないことを確かめてから、そのそばへ座る。


 手をかざすと、暖かかった。


     ◇


 だが、濡れた服が張りついた背中は、まだ冷たい。


「濡れた服は脱いで、乾かそう」


 俺が言うと、アリスは胸元を押さえた。


「ここで?」


「ああ。濡れたままじゃ、体が冷えるからな」


「でも……」


 少し顔を伏せる。


 俺は火へ枝を足した。


「恥ずかしいのは分かるよ。ただ、このままだと低体温症になるかもしれん」


「テイタイオンショウ?」


「体が冷えすぎて、うまく働かなくなることだよ。ぼんやりしたり、動けなくなったりする。だから、今のうちに暖まろう」


 アリスが、自分の濡れた袖を見た。


「……分かったわ」


「俺は向こうを向いてるから。脱いだ服は、火へ近づけすぎないように置いてくれ」


 腰を浮かせると、アリスが俺を見た。


「コージは、気にしないの?」


「君をそういう目では見ないよ。俺からすると、娘みたいな存在だからな」


 言ってから、少し照れくさくなった。


「まあ、俺には子供がいないんだけどね」


「……娘」


 アリスが、小さく繰り返した。


 しばらく俺を見て、それから口元を緩める。


「私、もう大人の女よ?」


「それは、この世界ではそうなんだろうけどな」


「魅力がないってこと?」


「いや、そういう話をしてるんじゃなくてだな……」


 言葉に詰まると、アリスが笑った。


「冗談よ」


「……オッサンを困らせる元気が出たなら、少し安心だよ」


 俺は背を向け、入口のほうへ目をやった。


     ◇


 互いに背を向けて濡れた上着などを脱ぎ、枝や岩を使って、火の周りへ広げた。


 俺も服の水を絞ったが、腕へ力を入れると痛む。


「コージ、腕……」


「痛むけど、動くよ。今は、体を暖めよう」


 アリスは何か言いかけ、口を閉じた。


 乾き始めた上着を肩へ掛けても、まだ震えは残っている。


 俺は彼女の隣へ座った。


「寒いか?」


「うん……」


「こっちへおいで」


 腕を広げると、アリスが近づいた。


 俺は彼女を抱き寄せ、肩から上着を掛け直す。


「こうすると、少しは暖かいだろ」


「……暖かいわ」


 アリスが、そっと体を預けてきた。


 さっきまで何度も周囲を見ていた目が、ようやく落ち着いている。


 俺は火を見ながら、次に足す枝を手元へ寄せた。


「今夜は、ここで休もう。暗い中で道を探すのは、やめといたほうがいい」


「ええ」


「明るくなったら、帰る方法を考えるよ」


 アリスはうなずき、俺の肩へ頭を寄せた。


 仲間も、彼女を探しているだろう。


 嫁さんも、迎えの場所へ向かっている。


 気になることは、いくつもあった。


 それでも今、冷えたアリスを残して帰るわけにはいかない。


 まずは、この夜を無事に越えなければならなかった。


     ◇


 娘みたいな存在。


 コージの言葉が、アリスの胸に残っていた。


 父の顔は、覚えている。


 けれど、声や、抱かれたときの暖かさは、思い出そうとしても曖昧だった。


 コージは父とは違う。


 口にする言葉も、歩き方も、困ったときの顔も違う。


 それなのに、そばにいると安心する。


 無理をしそうになると止めてくれる。


 危なくなれば、助けに来てくれる。


 自分でも気づかないうちに、その姿へ父の面影を重ねていたのかもしれない。


「……コージ」


「ん?」


「来てくれて、ありがとう」


「ああ」


 大きな手が、肩の上の服を直してくれた。


「今は、暖まっておけ」


 アリスは小さくうなずいた。


 できることなら、もっと長く、このままでいたかった。


 焚火の枝が、ぱちりと鳴った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。