第34話 オッサン精霊、今夜は休みのはずだった
◇◇◇◇
「そういえば高野さん、あの配送先、覚えてます?」
向かいの同僚が、笑いながら聞いた。
「どこだよ」
「初めて行ったとき、隣の会社で受付したところです」
「ああ……あそこか」
嫌な記憶を掘り出してくれる。
俺はグラスを置いた。
「看板が似てたんだよ。入口も隣同士だったしな」
「それで、何て言ったんですか?」
森本さんが身を乗り出した。
「荷物を持ってきました、って。受付の人も、納品ですねって通してくれたんだ」
「通れちゃったんですね」
「ああ。荷下ろし場所まで案内されて、伝票を見せたら、うちじゃありませんってな」
席から笑い声が上がった。
「そこまで行ってからですか!」
「俺もびっくりしたよ。受付の人も、もっとびっくりしてたけどな」
「荷物は下ろさなかったんですか?」
「さすがに、その前に気づいたよ。で、隣へ行ったら、担当の人が門のところで待ってたんだ」
「何て言われました?」
「さっき、うちの前を通りましたよね、って」
また笑いが起きた。
俺も笑う。
あのときは、全然笑えなかった。
約束の時刻は迫るし、先方には待たせるし、会社へ説明もしなければならない。
冷や汗をかきながら、何度も頭を下げた記憶がある。
それが今では、酒の席で話せる失敗になっていた。
「まあ、そのあとからだな。住所と会社名を、門に入る前にもう一度見るようになったのは」
「高野さんでも、そういうことあったんですね」
「そりゃあるよ。長くやってりゃ、失敗の数も増えるからな」
「俺も、この前やりましたよ」
隣の同僚が手を上げた。
「到着したと思ったら、裏口だったんです。荷下ろし場所、反対側で」
「それは俺もある」
「そこ、ぐるっと回ると結構遠いんですよね」
誰かが言うと、別の誰かがうなずく。
入口を間違えた話。
伝票を探していたら、自分の脇に挟んでいた話。
雨の日に荷物を守ろうとして、自分だけずぶ濡れになった話。
思い出が次々と出てきた。
「失敗したときは、早めに連絡したほうがいいですよね」
森本さんが言った。
「ああ。何とかしてから言おうと思うと、だいたい余計に時間がかかるんだよ」
「高野さんに、それ言われました」
「言った俺も、昔やったからな」
グラスへ口をつける。
ビールを飲み込んでから、俺は笑った。
「人に注意してることって、自分が一度痛い目を見たことだったりするんだよ」
◇
料理の皿が空き、次の皿が運ばれてきた。
誰かが追加の飲み物を頼む。
俺も、つられてグラスを空けた。
「高野さんも、もう一杯でいいですよね?」
「ああ。頼むよ」
まだ、それほど酔ってはいない。
そう思いながら、箸を動かした。
少し席の話が落ち着いたところで、隣の森本さんへ顔を向ける。
「そうだ。例のゲーム、どうなった?」
森本さんの表情が、ぱっと明るくなった。
「聞いてくれます?」
「その顔を見ると、順調そうだな」
「かなり進みましたよ。前に話してたクエスト、達成したんです」
「ああ。なかなか難しいって言ってたやつか」
「そうです。それで、新しく仲間が増えたんですよ」
「ほう」
森本さんは、グラスを置いた。
こちらへ少し体を向ける。
「女性剣士です。名前はクラウディア」
「強そうな名前だな」
「強いですよ。前に出て戦えるし、剣の技も使いやすいんです。しかも、見た目がいい!」
急に、声へ力が入った。
「金髪で、スタイル抜群。凛々しくて、性格も実直なんです」
「ずいぶん気に入ってるねえ」
「そりゃ、気に入りますよ。こういう仲間を待ってたんですから」
森本さんは、嬉しそうに続けた。
「自分が引き受けたことは最後までやるんです。仲間が危なくなると、前に出て守ってくれるし」
「それは頼もしいな」
「でしょう? 剣の腕もいいんですよ。敵の攻撃を受け流して、すぐ反撃するんです」
俺は、昨日のガレスの盾を思い出した。
前から来る魔物を受けているとき、横からもう1体が迫ってきた。
実際には、技が使いやすいだけで済む話ではない。
足場も見るし、仲間の位置も気にする。
それでも、そんな場面を落ち着いて切り抜ける剣士がいるなら、確かに心強いだろう。
「前にも言いましたけど、俺、異世界に行きたいんですよ」
森本さんが言った。
「まだ思ってるのか」
「もちろんです。クラウディアと一緒に冒険できたら、最高じゃないですか!」
握った箸が、少し持ち上がる。
「町で依頼を受けて、森とか遺跡へ行くんです。途中で魔物が出ても、2人で協力して倒して」
「うん」
「帰ってきたら、報酬で飯を食う。次はどこへ行こうか、って話すんですよ」
俺は、グラスを口へ運びかけて止めた。
森本さんの話が、妙に具体的だった。
町で依頼を受ける。
魔物を倒す。
帰ってきて、飯を食う。
それは、俺がアリスとやっていることではないか。
◇
頭に、金髪の少女が浮かんだ。
ギルド前で、嬉しそうに手を振る顔。
魔物を見つけると、真剣に杖を構える姿。
肉料理が運ばれてきたときの、分かりやすい笑顔。
アリスは、森本さんが話す女性剣士とは違う。
だが、金髪で、見た目は可愛い。
その子に呼ばれて、俺は異世界へ行っている。
これを森本さんが知ったら、何と言うだろう。
たぶん、ずるいとでも言われる。
どうやって行くのか、俺も連れていけないかと、質問が止まらなくなりそうだ。
俺自身、どうして呼ばれたのか分かっていないのだが。
「どうしました、高野さん?」
「ああ、いや。楽しそうに話すなと思って」
「楽しいですよ。高野さんも、やってみません?」
「そうだなあ……」
俺はグラスを置いた。
「でも、一緒に冒険するとなると、狼に追われる日もあるんだろうな」
「そこを剣で切り抜けるんですよ!」
「なるほどねえ。俺なら、まず帰り道を確かめるかな」
「高野さんらしいですね」
森本さんが笑った。
俺も笑いながら、ふと考えた。
アリスの世界の冒険者も、同じように思うのだろうか。
あの子と組んで依頼を受けている俺を、羨ましく思うやつがいるのかもしれない。
今までは、そんなことを考えたこともなかった。
呼ばれたら魔物がいた。
帰り方も分からなかった。
少女を背負って町まで歩いた。
そのあとも、荷物を動かしたり、猪を担いだり、狼に飛び蹴りをしたりしている。
自分のことで精いっぱいだったが、外から見れば、可愛い召喚士と冒険している男なのか。
俺は、自分の腹へ目を落とした。
51歳のオッサンなのにねえ。
「クラウディアに、腰を心配されるかもしれませんよ」
森本さんが言った。
「それは、ちょっと困るな」
「軽い荷物だけ持ってくれ、って」
「……そういうこと、言いそうだな」
似たようなことは、アリスにも言われた。
俺は思わず笑ってしまった。
◇
「何の話してるんですか?」
向かいの同僚が、こちらを見た。
「ゲームです。高野さんを冒険に誘ってるんですよ」
森本さんが答える。
「辞めたら、今度は冒険者ですか」
「腰に優しい依頼があればな」
「そんなの、あるんですか?」
「荷物運びとか?」
「それ、今までと変わってないだろ」
俺が返すと、席から笑い声が上がった。
「じゃあ、魔物退治ですね」
「腰を休ませる話は、どこへ行ったんだよ」
笑って、また飲む。
誰かが俺の空いたグラスに気づいた。
「次、どうします?」
「じゃあ、同じので」
返事をしてから、嫁さんの言葉を思い出した。
飲みすぎないでよ。
分かっている。
分かっているのだが、今日は話が尽きない。
昔の失敗を笑い、森本さんの熱弁を聞き、また同僚の話に戻る。
普段は休憩時間や、荷物を待つ間にしか話せないことを、今夜はゆっくり話せた。
気づけば、頬が熱くなっていた。
立ち上がって手洗いへ行ったとき、足が少しふわつく。
「……結構、飲んだな」
鏡の中の俺は、赤い顔をしていた。
水を飲んでから、席へ戻る。
すると、同僚の1人が俺を見た。
「高野さん、最後に一言もらっていいですか?」
「一言でいいんだな?」
「長くてもいいですよ」
「俺が長く話すと、途中から仕事の注意になるぞ」
「じゃあ、短めでお願いします」
笑いが起きた。
俺は椅子の背へ手を添え、立った。
◇
全員の顔を見る。
いつもの顔だ。
それなのに、こうして送り出してもらう席だと思うと、言葉が少し出にくくなった。
「今日は、集まってくれてありがとう」
俺は、ゆっくり話した。
「長いこと働いてきたけど、腰や膝が、だいぶ文句を言うようになったからな。そろそろ、休ませてやろうと思ってる」
同僚たちがうなずく。
「仕事は大変だったよ。時間もあるし、荷物も重いし、道も混む」
「本当ですよ」
誰かが返し、小さく笑いが起きた。
「でも、一緒に働く人には恵まれた。困ったときに相談できるやつがいたし、俺が動けないときは、手も貸してもらった」
俺は一度、息を吐いた。
「そういうのは、ありがたかったよ。本当に」
森本さんが、黙ってこちらを見ていた。
「だから、みんなも無理を抱え込まないでくれ。体が痛いなら言う。仕事で困ったら相談する。俺みたいに、長く我慢してから考えることもないからな」
「はい」
「まあ、辞めるオッサンの話だから、覚えてるところだけでいいよ」
俺は少し笑った。
「長い間、世話になった。ありがとう」
拍手が起きた。
俺は頭を下げ、椅子へ座る。
向かいの同僚が、グラスを持ち上げた。
「高野さん、また顔出してくださいよ」
「ああ。都合が合えばな」
「積み方の点検は、なしでお願いします」
「その話、まだ続いてるのか」
また、みんなが笑った。
◇
店を出ると、夜風が顔に当たった。
熱くなった頬には、気持ちがいい。
「じゃあ、高野さん。また」
「おう。みんな、気をつけて帰れよ」
「高野さんもですよ」
「ああ。俺は嫁さんに迎えを頼んでるから」
「それなら安心ですね」
森本さんが言った。
「ゲームの話も、またしましょう」
「次に会うまでに、クラウディアと喧嘩するなよ」
「ゲームの仲間と、喧嘩しませんって!」
最後まで笑いながら、みんなと別れた。
俺は店の脇へ寄り、携帯を取り出す。
嫁さんへ電話をかけた。
「終わったよ。今から、いつもの場所へ歩いていく」
『分かった。こっちも出るわね』
「ああ。頼むよ」
『結構飲んだ?』
声で分かったらしい。
俺は一度、息を整えた。
「……まあ、少しな」
『少し、ね』
「話が盛り上がったもんで」
『気をつけて歩いてよ』
「ああ」
電話を切り、携帯をしまった。
飲みすぎないと言われていたのに、結構飲んでしまった。
怒られるほどではないと思いたいが、車へ乗った瞬間に分かるだろう。
俺は道の端を歩き始めた。
迎えの場所までは、そう遠くない。
足は動く。
ただ、頭の中は少しふわふわしていた。
◇
その感覚が、胸の奥に生まれたのは、店から少し離れたところだった。
「……え?」
俺は足を止めた。
覚えのある感覚。
アリスからの呼びかけだ。
「今日は、呼ばないでくれって言ったよな……?」
彼女は、分かったと答えた。
仲間とゆっくり話してきてと、送り出してくれた。
それなのに、なぜ。
俺は胸へ意識を向けた。
いつもの呼びかけより、落ち着かない。
何度も強く引かれるような感覚がある。
具体的な言葉が聞こえるわけではない。
どこにいるのか。
何が起きたのか。
そこまでは分からない。
だが、急いで来てほしいという感じが、伝わってきた。
俺は、近くの壁へ手をついた。
酔っているせいかと思った。
それでも、胸の感覚は消えない。
アリスが、困っている。
ただ事ではない。
そんな思いが、頭の中のふわつきを押しのけた。
「……どうしたんだよ」
答えは、聞こえなかった。
呼びかけだけが続いている。
俺は周りを見た。
通りには人がいる。
ここで光って消えるわけにはいかない。
今から応じる。
少しだけ待ってくれ。
そう意識を向けながら、建物の脇の、人目につきにくい場所へ移った。
◇
携帯を取り出し、嫁さんへ短く送った。
『ちょっと用事ができた。少し遅れる。先に着いたら待っててくれ』
何の用事だと聞かれたら、困る。
だが、今はそれを考える余裕がなかった。
日本では、向こうにいる間も数分しかたたない。
待たせるにしても、長くならずに戻れるかもしれない。
そう思い、携帯をポケットへしまった。
壁から手を離す。
足元が、少し頼りない。
装備は、ギルドに置いてある。
メイスもない。
胸当てもない。
そのうえ、酒まで入っている。
「……こんな状態で、何ができるんだか」
小さく息を吐いた。
それでも、アリスは約束を破ってまで呼んでいる。
あの子が、いつもの調子で飯に誘っているわけではないことだけは分かった。
俺は胸の奥へ、意識を向けた。
「分かった。今、行くよ」
呼びかけが、強くなる。
足元に白い光が広がった。
俺は両足で立ち、目を閉じた。
さっきまで、森本さんの話を聞いていた。
異世界へ行きたい。
可愛い仲間と、一緒に冒険したい。
そんな話に、笑っていた。
その異世界へ、今から俺は向かう。
酔いは、まだ抜けていない。
「……アリス。無事でいてくれよ」
体が浮く感覚がして、日本の夜が遠ざかった。




