第33話 オッサン精霊、今夜はお休み
◇◇◇◇
帰りの荷馬車は、行きよりも軽快に進んでいた。
荷台に積んでいた生活用品や農具は、ミルナ村で全部下ろしている。
俺とアリスは、その両脇を歩いていた。
「帰りも歩かせて、悪いな」
御者台から、ベルンが声をかけてきた。
「荷台は空いてる。交代で乗ってもらってもいいんだが」
「今は大丈夫だよ。乗るにしても、林を抜けてからにしよう」
俺は道の先へ目を向けた。
行きにグレイファングを見た場所が近い。
崩れた石垣。
街道の右側まで迫った木々。
覚えておいた目印が、前方に見えていた。
「ダンさん。この先で、行きに2体見たんだよな」
「ああ。馬の様子も見ながら進む」
ダンが手綱を持ち直した。
アリスも杖を握り、茂みへ目を向ける。
風で葉が揺れた。
灰色の毛並みは、見えない。
だが、昨日も最初から5体全部が見えていたわけではない。
俺は馬車の左側を見ながら、少し後ろへ下がった。
「コージ。右は、今のところ見えないわ」
「こっちもだ。林を抜けるまで、そのまま見てよう」
「ええ」
馬車の車輪が、小さな石を踏んだ。
荷台が揺れ、木のきしむ音がする。
それ以外に、近づいてくる足音はなかった。
◇
林から離れたところで、ベルンが肩の力を抜いた。
「今日は、あれだけで済んだみたいだな」
「町までは、まだあるよ」
「ああ。そうだった」
ベルンが苦笑する。
アリスは、通り過ぎた林を振り返った。
「気になるわね」
村で聞いた話のことだろう。
森の奥から、何頭ものグレイファングが走ってきた。
薪を拾っていた村人には目もくれず、その横を抜けていったという。
「ああ。でも、寄り道して依頼主を待たせるわけにはいかんからな」
「分かってるわ。帰って、ギルドに話しましょう」
「そうだな。俺たちだけで調べるには、分からんことが多すぎるよ」
どこから来たのか。
何頭いたのか。
何かを追っていたのか、それとも逃げていたのか。
村人の話を聞いても、そこまでは分からなかった。
分からないことを確かめるのは大事だ。
ただ、思いつきで森へ入ることとは違う。
今の仕事は、ベルンとダンを町へ送り届けることだった。
「村の話も、伝えてくれるんだな」
ベルンが言った。
「ああ。俺たちが聞いた分はね」
「頼むよ。道が危なくなると、次に行くときも困る」
俺はうなずいた。
荷物は下ろしたが、仕事はまだ終わっていない。
まずは、帰りの分を済ませよう。
◇
町の門をくぐったとき、ダンが馬の首へ軽く手をやった。
「よし。戻ったぞ」
馬が鼻を鳴らす。
ベルンも、ようやく笑顔になった。
「助かったよ。行きも帰りも、落ち着いて進めた」
「それならよかった」
「それに、積み直しまでしてもらったからな」
「次も、重い箱は下へ置いてくれよ。紐も、途中で一度見てな」
「ああ。覚えておく」
ベルンはうなずき、俺たちと一緒にギルドへ向かった。
ダンは荷馬車と馬を休ませるため、そこで別れる。
「また頼むことがあったら、よろしくな」
「こちらこそ。馬にも、休んでもらってくれ」
俺が言うと、ダンは笑った。
ギルドでは、ベルンから護衛の完了を確認してもらった。
受付の女性が依頼書へ記入し、アリスへ報酬を渡す。
「お疲れさまでした。往復とも、怪我はなかったんですね?」
「ええ。途中でグレイファングを見たけれど、襲われずに済んだわ」
アリスが答えた。
受付の女性の視線が上がる。
「遭遇した場所を、教えていただけますか?」
「それと、村で聞いた話もあるんだ」
俺が言うと、彼女は地図を取り出した。
◇
先に、街道で見た2体について説明した。
崩れた石垣の先。
右側の茂み。
こちらをうかがいながら、しばらく馬車についてきたこと。
最後は林の奥へ消えたこと。
受付の女性が、地図へ印をつける。
「ほかの個体は、確認できなかったんですね?」
「ああ。見えたのは2体だけだ。ただ、木の奥までは見通せなかった」
「帰りは、同じ場所で見かけませんでした」
アリスが付け加えた。
ベルンもうなずく。
「馬を驚かせないように、そのまま進んでもらったんだ。護衛の2人は、馬車のそばにいてくれたよ」
「分かりました」
受付の女性が記録する。
それから、俺は村で聞いた話を切り出した。
「ここから先は、俺たちが直接見た話じゃないんだ。ミルナ村のオルドさんから聞いた」
彼女のペンが、一度止まる。
「家畜小屋を持っている方ですか?」
「そう。その人だよ。柵も直してあった」
「家畜の被害については、報告をいただいています」
「ああ。その話も聞いた。それとは別に、森で妙なものを見たらしい」
3日前の昼前。
隣の家の男と2人で、薪を拾いに行った。
少し奥へ入ったところで、グレイファングが何頭も走ってきたという。
俺は、聞いた順に説明した。
「5頭はいたと思うそうだ。ただ、慌ててたから正確な数は分からないって言ってたよ」
「その方たちは、襲われなかったんですか?」
「木の陰へ逃げたら、その横を通り過ぎたらしい。こっちには目もくれなかったと」
受付の女性が眉を寄せた。
「獲物を追っていたんでしょうか……」
「前に獲物は見えなかったそうだ。後ろに何かいたかは、確かめてない」
俺は地図へ目を落とした。
オルドが教えてくれた場所を、指でたどる。
村の外へ続く道と、大きな岩。
グレイファングが来た方向と、走っていった方向。
アリスも、覚えていたことを補った。
「オルドさんは、何かから逃げてきたんじゃないかって話していたわ」
「ただ、そこは本人も分からないと言ってた。あんな様子を見るのは初めてだったそうだよ」
受付の女性はうなずいた。
「ありがとうございます。街道の目撃情報と、村で聞いたお話は、分けて記録しておきます」
「それで頼むよ。俺たちが見てきたことには、しないでくれ」
「はい。ほかの報告とも照合します。必要なら、村の方へ詳しく確認することになると思います」
アリスが尋ねた。
「私たちは、何かしたほうがいい?」
「今のところ、調べに行くのは控えてください。森の中の状況が分かっていませんから。新しい情報が入りましたら、お知らせします」
「分かったわ」
俺もうなずく。
話は、届けた。
あとは、必要な人たちに確かめてもらおう。
◇
ベルンと別れ、貸しスペースで装備を外した。
胸当てを置き、頭の防具もしまう。
メイスを戻したところで、アリスへ顔を向けた。
「そうだ。今日は、先に言っておきたいことがあるんだ」
「何?」
「夜に、会社の連中が送別会を開いてくれるんだよ。今夜は、呼ばないでくれると助かる」
「送別会って、コージが仕事を辞めるから?」
「ああ。長いこと一緒に働いたから、最後に飯でも食おうってな」
アリスが、少し目を細めた。
「仲のいい人たちなのね」
「そうだな。仕事は大変だったけど、人には恵まれたよ」
辞めると伝えたときも、体のことを心配してくれた。
もう少し続けてほしいと言われる一方で、無理をするなとも言われた。
今夜は、その連中と顔を合わせる。
「分かったわ。今日は、ゆっくりお話ししてきて」
「ありがとう。君も、森の奥へ確かめに行くなよ」
「行かないわよ。さっき、受付の人にも言われたでしょう?」
「そうだな。分かってるなら安心だよ」
アリスは腕を組んだ。
「私だって、何も考えずに飛び込んだりしないわ」
「ああ。今日はちゃんと、馬車のそばにいてくれたしな」
そう言うと、彼女は少し嬉しそうな顔になった。
「また次に、呼ぶわね」
「頼むよ。今夜は、こっちの仲間との時間にさせてもらう」
「ええ。楽しんできて!」
俺は日本の靴へ履き替え、アリスへ手を振った。
足元に、白い光が広がる。
荷馬車の護衛も、ギルドへの報告も終わった。
次は、送別会へ向かう準備だった。
◇
日本へ戻り、玄関で靴を脱いだ。
時計を見る。
着替えて出かけるには、まだ余裕がある。
俺は服を脱ぎ、風呂場へ向かった。
今日は魔物を担いでいないが、荷物を運んで街道も歩いた。
土埃くらいは、落としておきたい。
シャワーを浴び、着替えを済ませて居間へ戻ると、嫁さんが俺を見た。
「もう出るの?」
「そろそろな。少し早めに着いておこうと思って」
「帰りは、終わったら連絡してね」
「ああ。迎えは、この前言った場所で頼むよ」
「分かってるわ。店を出る前に連絡してくれれば、ちょうどいいと思う」
「了解。助かるよ」
財布と携帯を確かめ、ポケットへ入れる。
向こうへ行くときとは、持ち物が違う。
メイスも胸当てもいらない。
代わりに、帰りの連絡を忘れないことが大事だ。
「飲みすぎないでよ」
嫁さんが言った。
「ああ。帰るとき、連絡する」
「それ、昨日も聞いたわ」
「大事なことだから、復唱したんだよ」
「飲みすぎないって返事は?」
俺は玄関で振り返った。
「……そっちも、気をつけるよ」
嫁さんが、少し笑った。
「楽しんできて」
「ああ。行ってくる」
◇
駅の近くの店へ着いたのは、19:00の少し前だった。
予約の名前を伝えると、奥の席へ案内される。
すでに、見慣れた顔がいくつか並んでいた。
「高野さん!」
森本さんが手を上げた。
「おう。早いな」
「今日くらいは、遅れられませんからね」
「普段も、そのつもりで頼むよ」
「始まる前から、それですか」
席から笑い声が上がった。
集まっているのは、仲のいい同僚数名と森本さん。
いつも仕事の合間に話している連中だ。
こうして店の席にそろっていると、少しだけ不思議な感じがした。
「こっち、空けてありますよ」
「ありがとう」
俺が座ると、向かいの同僚が笑った。
「今日は高野さん、説教なしですよ」
「俺を送り出す前から、注文が多いな」
「せっかくの送別会ですから」
「分かったよ。荷台の写真でも見せられない限り、言わんようにする」
「それは絶対、見せないほうがいいですね」
森本さんが言い、また笑いが起きた。
飲み物を注文する。
俺は、いつものようにビールを頼んだ。
店員がグラスを運んできたところで、同僚が席を見回した。
「じゃあ、全員そろいましたね」
「ああ」
「高野さん、長い間お疲れさまでした。今日は、ゆっくり飲んでください!」
「ありがとう。こうして集まってもらえて、嬉しいよ」
俺はグラスを持ち上げた。
周りにも、グラスが上がる。
「乾杯!」
触れ合う音がして、俺もビールを一口飲んだ。
冷たい。
思わず、息が出る。
「……ああ、うまいねえ」
「まだ一口ですよ、高野さん」
「一口目が大事なんだよ」
誰かが笑い、料理の皿がこちらへ回ってきた。
今日は、荷物の積み方を確かめなくていい。
茂みの向こうの魔物を数える必要もない。
アリスにも、今夜は呼ばないでほしいと伝えてある。
俺はグラスを置き、目の前の連中を見た。
長く一緒に働いた顔。
世話になったし、世話もした。
今夜くらいは仕事の心配を横へ置いて、ゆっくり話をしていこうと思った。




