第32話 オッサン精霊、荷物と一緒に村へ行く
◇◇◇◇
アリスと別れて日本へ戻った俺は、夕食の準備をして帰ってきた嫁さんと、夕飯の食卓を囲んでいた。
「今日は、あまり食べないのね」
嫁さんの言葉に、俺は箸を止めた。
「ちょっと、昼が遅くなってな」
「それなら先に言ってよ。少なめによそったのに」
「ああ。悪い」
「そういえば、明日、送別会だったわよね?」
「ああ。みんなが開いてくれるってさ」
「ありがたいわね。長く勤めたものね」
「そうだな」
箸を置き、湯飲みを手に取った。
約30年。
辞めると決めたときは、腰や膝を休ませたい気持ちが大きかった。
だが、こうして送別会まで開いてもらえるとなると、少し寂しくもなる。
「明日は、何時から?」
「19:00から。駅の近くの店だよ」
「じゃあ、夕飯はいらないわね」
「ああ。頼む」
「飲みすぎないでよ」
「分かってるって。翌朝まで残るほど飲む年じゃないよ」
「年の問題じゃなくて、勧められると断れないでしょう」
俺は湯飲みを口へ運びかけ、止めた。
よく分かっていらっしゃる。
「……まあ、そこは気をつけるよ」
「帰るとき、連絡してね」
「ああ」
嫁さんはうなずき、また箸を動かした。
明日の夜は、会社の連中との時間だ。
もしアリスから呼ばれても、そのときは待ってもらおう。
せっかく開いてくれる送別会で、送られる本人が途中で消えたら困る。
俺は送別会を迎える前から、別の世界へ送られすぎているのだから。
◇
翌日。
家の用事を済ませたところで、胸の奥に召喚の予感が生まれた。
俺は手に持っていたコップを流しへ置き、足元を見た。
まだ光ってはいない。
アリス、少し待ってくれ。
靴を履いてから行く。
胸の感覚が弱まる。
「よし」
玄関へ行き、靴を履いた。
鍵も財布も、置いていく。
向こうで必要なものは、ギルドにある。
準備を済ませ、もう一度意識を向けた。
大丈夫だぞ。
少しして、白い光が足元へ広がった。
◇
「おはよう、コージ!」
いつものギルド前で、アリスが手を振った。
「おはよう。今日は、何か決まってるのか?」
「見てほしい依頼があるの。村へ行く荷馬車の護衛よ」
「荷馬車か」
「生活用品と農具を届けるんですって。荷物を届ける仕事なら、コージは詳しいでしょう?」
「荷物のことはな。途中で狼が出る仕事は、会社じゃ担当してなかったよ」
アリスが笑った。
「まだ、出ると決まったわけじゃないわ」
「それはそうだけど、護衛を頼む理由はあるんだろ?」
「ええ。最近、道でグレイファングを見かけるから、念のため護衛をつけたいんですって」
昨日の受付の話を思い出す。
家畜が襲われ、荷運びの途中で群れに追われた人もいる。
商人が用心するのも、もっともだ。
「じゃあ、まず話を聞こうか。どの道を通るかも確かめたい」
「ええ!」
◇
受付で依頼書を見せてもらった。
届け先は、町の西にあるミルナ村。
荷馬車1台の護衛で、村で荷下ろしを済ませたあと、町へ戻るところまでが仕事だった。
「帰りも一緒なんだな」
「はい。荷物を届けたあと、商人さんも町へ戻ります。皆さんも、途中で別行動はしないでくださいね」
「了解。帰りだけ護衛がいなくなったら、頼んだ意味がないからな」
受付の女性が地図を広げた。
昨日、俺たちがゴブリン討伐へ向かった街道を、その先まで進むらしい。
「この辺りで、グレイファングの目撃報告があります。昨日の皆さんの報告も、記録に加えてあります」
「ほかに、何か増えた情報は?」
「今のところ、新しい被害の報告は入っていません。ただ、村の周辺でも目撃されているので、到着するまで警戒をお願いします」
アリスが地図へ目を落とす。
「林の横を通るところが、いくつかあるのね」
「はい。馬車を離れず、周囲を確認しながら進んでください」
俺たちは依頼内容と報酬を確認し、受注した。
ギルドの貸しスペースで、胸当てと頭の防具を着ける。
靴は、いつもの革靴だ。
試作品はまだ、防具屋に預けてある。
メイスを持って立ち上がると、アリスが足元を見た。
「今日は、その靴ね」
「ああ。新しいほうは、店主が見てくれてるからな」
「今日は蹴らずに済むといいわね」
「俺としては、昨日も蹴らずに済ませたかったんだよ」
◇
西の門の内側で、依頼主の商人と合流した。
商人の名はベルン。
日に焼けた顔の、俺より少し若そうな男だった。
馬のそばには、もう1人、男が立っていた。
「こっちは御者のダンだ。今日は、こいつが馬車を操る」
「ダンだ。道中、よろしく頼む」
ダンは馬の首を撫でながら、こちらへ会釈した。
「あなたたちが、護衛の冒険者か?」
ベルンが、俺とアリスを見た。
「ええ。召喚士のアリスです。こちらはコージ」
「よろしく。村まで同行させてもらうよ」
「こちらこそ。今日は頼む」
挨拶を済ませ、俺は荷台へ目を向けた。
袋と木箱が積まれている。
油や塩、布、それに農具だという。
ただ、少し気になる。
「その上の箱、中身は何だい?」
「鍬の刃と、鎌だよ」
「下の袋は?」
「布だ。濡れないよう、包んである」
俺は箱の位置を見た。
重そうな箱が、柔らかい袋の上に載っている。
紐を指で押すと、少し余裕があった。
「出発前に、積み方を直してもいいか?」
ベルンが荷台を見た。
「何か問題があるか?」
「この箱、重いだろ。上にあると揺れたときに動きやすいし、下の布も潰れる。できれば下へ置きたい」
ダンも近づいてきた。
「村の手前は、道が少し荒れてるな」
「なら、なおさらだね。途中で止まって積み直すより、今やったほうがいい」
「護衛なのに、そこまで見てくれるのか?」
ベルンが聞く。
「目の前で荷崩れされたら、結局俺たちも止まることになるだろ」
俺は箱へ手をかけた。
「ただ、届け先ごとに分けてあるなら教えてくれ。勝手に混ぜると、下ろすとき困るからな」
「ああ。この3箱は同じ家だ。袋のほうは、村の店へ届ける」
「分かった。じゃあ、分かるように並べ直そう」
アリスが荷台を覗いた。
「私、そっちの袋を持つわ」
「頼むよ。地面へ直接置かずに、その板の上へ置いてくれ」
荷物をいったん動かし、重い箱を下へ入れた。
袋を積み直し、箱が横へ滑る隙間も減らす。
最後に紐を締めた。
「これでいいかな。しばらく走ったら、もう一度緩みを見よう」
ダンが紐を確かめ、うなずいた。
「慣れてるな。前にも荷運びをしてたのか?」
「ああ。長いこと、荷物を運ぶ仕事をしてたんだよ」
「なるほど。積み方に詳しいわけだ」
隣で、アリスが得意そうにうなずいた。
「コージは、運ぶのが上手なの!」
「今日は護衛で来たんだけどな」
俺はメイスを持ち直した。
◇
門を出て、街道を進んだ。
俺は荷馬車の左側、アリスは右側を歩く。
道が狭いところでは前後へ位置を変え、馬車から離れすぎないようにした。
荷台は、ときどき大きく揺れた。
だが、箱が動く音はしない。
「積み直してもらって、よかったな」
御者台から、ベルンが言った。
「村まで着いてから言ってくれ。まだ、途中だからな」
「ああ。そうだった」
ベルンは笑い、それから道の先へ目を向けた。
「前は、この道に護衛を頼むことなんて、ほとんどなかったんだがね」
「最近は、よく頼むのか?」
「今回は、村の人にもつけてきてくれと言われたんだ。家畜が襲われてるから、心配なんだろう」
アリスが御者台へ顔を向けた。
「村の中まで来るの?」
「家畜小屋は、村の端にあるからな。夜に柵を越えてきたらしい」
「それは困るわね……」
「それだけじゃない。町へ物を売りに来るのを、やめる人も出てきた。畑仕事で疲れたあと、道で魔物に追われたくはないだろう」
俺は街道の両脇を見た。
畑の先に、木々が続いている。
「売るものがあっても、運べなきゃ金にならないからな」
「そうなんだよ。こっちも村から買うものが減るし、困ってる」
「道を通れないと、村の人も、町の人も困るのね」
アリスが言った。
「ああ。塩や道具は村へ持っていく。村で作ったものは町へ運ぶ。その途中が止まれば、どっちも困るよ」
俺が答えると、アリスは荷台を見た。
そこには、食い物も道具も載っている。
どれも、待っている人がいる荷物だ。
「無事に届けましょう」
「ああ。まずは、それだな」
◇
林が街道の近くまで迫ったところで、アリスが声をかけた。
「コージ。右の茂み」
俺はすぐ、彼女の視線の先を見た。
灰色の毛。
木の間に、グレイファングがいた。
少し離れた場所に、もう1体。
「ダンさん、馬を急がせないでくれ。右に魔物がいる」
御者が手綱を持ち直した。
ベルンも顔を向けかける。
「こっちは見てるから、御者台にいてくれ」
俺はメイスを構え、馬車の左側を確認した。
今のところ、こちらには見えない。
だからといって、いないとは限らない。
「アリス、見えてるのは2体か?」
「ええ。奥は、よく見えないわ」
「了解。ほかから出てこないか、見といてくれ」
「分かった」
「グルルル……」
茂みの1体が、低く唸った。
ゆっくりと動き、荷馬車についてくる。
馬が耳を動かし、落ち着かない様子を見せた。
ダンが声をかけながら、歩く速さを保つ。
俺は馬車の後ろ寄りへ移り、左と後方を見た。
アリスは右側で杖を構えている。
2体のグレイファングは、すぐには近づいてこなかった。
こちらを見て、立ち止まる。
馬車が少し進むと、また動く。
「……嫌なついてき方だな」
「襲ってくる?」
ベルンが聞いた。
「まだ分からん。だから、今のまま進んでくれ」
追い払おうと近づけば、俺が馬車から離れる。
奥に別のやつがいて、反対側から来たら困る。
アリスも、前へ出なかった。
杖を向けたまま、馬車に合わせて歩いている。
やがて、先頭の1体が林の奥へ顔を向けた。
しばらく、動かない。
それから身をひるがえし、木々の間へ消えた。
もう1体も、そのあとを追った。
「……いなくなったわ」
「奥へ行ったな。まだ見とこう」
俺たちは、林を離れるまで武器を下ろさなかった。
◇
道の両側が開けたところで、ベルンが息を吐いた。
「助かった。見てるだけでも、落ち着かなかったよ」
「馬が暴れなくてよかったな」
俺はダンへ目を向けた。
ダンが、馬の背へ声をかける。
「こいつも、よく我慢したよ」
アリスが林のほうを振り返った。
「追わなくて、よかったのよね?」
「ああ。今の仕事は、この馬車を村へ届けることだろ。俺たちが離れたところで襲われたら困るよ」
「そうね」
「それに、奥に何体いたかも分からんからな。出た場所は、帰ってから伝えよう」
俺は、林へ入る手前にあった崩れた石垣を覚えておいた。
地図を見ながら説明できる目印が、1つあるだけでも違う。
荷馬車を止められる広い場所で、紐も確認した。
少し緩んだところを締め直す。
箱は、ずれていなかった。
「魔物を見たあとでも、そこを確かめるんだな」
ベルンが言った。
「魔物がいなくなっても、荷物は揺れるからね」
◇
ミルナ村が見えたのは、それからしばらくしてだった。
畑の間に家が並び、その外側を木の柵が囲っている。
入口には、槍を持った男が2人立っていた。
「ベルンさん!」
1人が手を上げる。
「無事だったか?」
「ああ。途中で2体見たが、襲われずに来られたよ。今日は護衛も一緒だ」
男たちが、俺とアリスを見た。
挨拶をして、村へ入る。
道を進むと、荷物を待っていた人たちが集まってきた。
「塩は来たか?」
「頼んだ鎌も?」
「あるよ。順番に下ろすから、少し待ってくれ」
ベルンが荷台へ向かう。
俺も紐をほどき、箱を手に取った。
「これは、どこへ?」
「その店の前へ頼む」
「了解」
荷物を下ろし、受け取る人に数を確かめてもらう。
アリスも袋を運び、ベルンの指示で並べていた。
鎌の入った箱を受け取った男が、蓋を開けて中を見た。
「これで、刃が欠けたやつを使わずに済む」
「待ってたのかい?」
「ああ。自分で直してみたが、うまくいかなくてな」
男は新しい鎌を手に取り、満足そうにうなずいた。
こういう顔を見ると、届けてよかったと思う。
俺は次の箱を持ち上げた。
◇
荷下ろしが終わり、井戸の近くで水をもらった。
その向こうに、家畜小屋があった。
柵の一部だけ、木の色が新しい。
太い杭も、何本か追加されている。
「そこ、直したばかりなのか?」
俺が尋ねると、水を持ってきてくれた男が顔を向けた。
「ああ。グレイファングにやられたんだ」
男の名はオルドといった。
この家畜小屋の持ち主らしい。
「夜に来てな。犬が吠えたから外へ出たが、羊を1頭持っていかれた」
アリスの顔が曇った。
「今も、来るんですか?」
「近くまでは来る。だから、交代で見張ってるんだ。火も絶やさないようにしてる」
「昼は畑で、夜は見張りか」
俺が言うと、オルドは苦笑した。
「眠いよ。だが、また持っていかれたら困るからな」
家畜小屋の脇には、椅子と火を焚いた跡があった。
昨日も、誰かがそこで夜を過ごしたのだろう。
アリスが柵を見た。
「前から、こんなに出ていたんですか?」
「いや。森の奥では見かけたが、村の近くへ来ることは少なかった。ここ最近だよ」
ギルドで聞いた話と、同じだ。
俺は水を飲み、コップを膝へ置いた。
「数も、増えたように見えるか?」
「そうだな。ただ、同じ群れが何度も来てるのか、別の群れなのかまでは分からん」
「そこは、見分けにくいな」
俺だって、昨日の5体と今日の2体の違いを説明しろと言われたら困る。
分からないところまで、無理に決めつける必要はない。
オルドは少し考え、それから森のほうを指した。
「そういえば、変なこともあったな」
◇
「3日前、森へ薪を拾いに行ったんだ」
オルドが話し始めた。
「村の近くじゃ、使えそうな枝も少なくなってきてな。少し奥へ行った」
「1人で?」
「いや、隣の家の男と2人だ。昼前だったな」
俺はうなずいた。
アリスも、黙って聞いている。
「そこで、急に茂みからグレイファングが走ってきたんだ」
「襲われたの?」
「それが、こっちには目もくれなかった」
オルドは眉を寄せた。
「俺たちは木の陰へ逃げたんだが、そのまま横を抜けていった。何頭も続けてな」
「何頭くらいだい?」
「慌ててたから、正確には分からん。5頭はいたと思う。もっといたかもしれない」
俺は、さっき街道で見た2体を思い出した。
あいつらも、最後には林の奥へ顔を向けていた。
ただ、それだけで同じ事情だとは言えない。
「何かを追ってたのか?」
「前に獲物は見えなかったな」
「じゃあ、後ろには?」
「分からん。俺たちも、すぐ村へ戻ったからな。確かめに行く気にはならなかったよ」
「それでよかったと思うぞ」
俺が言うと、オルドは肩の力を抜いた。
「あとで、逃げてきたんじゃないかって話になったんだ。あんな走り方は、初めて見たからな」
アリスが森を見た。
「何から……?」
「さあな。それが分からんから、余計に気味が悪いんだよ」
風が吹き、村の外の木々が揺れた。
俺はコップを持ち直した。
グレイファングが増えた。
街道にも、村の近くにも出るようになった。
それに加えて、森の奥から走ってきた群れがいる。
全部がつながっているのか。
それとも、別々の出来事なのか。
今の俺たちには、まだ分からない。
「その話、ギルドには伝えたか?」
「家畜の被害は伝えたが、そっちはまだだ。自分でも、何が起きたか分からなかったからな」
「分からないままでいいよ。見たことを、そのまま伝えよう」
オルドが俺を見る。
「俺たちも帰るから、一緒に報告しておく。もう一度、場所を教えてくれるか?」
「ああ」
彼は村の外を指し、森へ入った道を説明してくれた。
薪を拾っていた場所。
近くにある大きな岩。
グレイファングが来た方向と、走っていった方向。
俺は聞き違いがないよう、順に確かめた。
◇
ベルンが受け取りの確認を終え、こちらへ来た。
「少し馬を休ませたら、町へ戻ろうと思う。いいか?」
「ああ。こっちも、そのつもりだよ」
アリスが俺の隣へ立った。
「帰ったら、受付の人に話しましょう」
「そうだな。途中で見た2体のこともな」
彼女はもう一度、森へ目を向けた。
俺もそちらを見る。
調べるにしても、何がいるか分からない場所だ。
護衛の途中で入っていくわけにはいかない。
「今日は、ベルンさんたちを町まで送ろう」
「ええ」
アリスはすぐにうなずいた。
俺は空になった荷台を見た。
荷物は、無事に届けた。
受け取りの確認も済んだ。
帰りは軽くなった馬車についていくだけ――そう思っていたが、持ち帰るものができてしまった。
「……帰りの荷物は、森の話か」
「忘れずに届けないとね」
「ああ。こいつは、置き忘れたら困りそうだ」
俺はオルドの話した場所を頭の中で確かめながら、馬車のそばへ戻った。




