第30話 オッサン精霊、新しい靴で飛ぶ
◇◇◇◇
「グルルル……」
正面のグレイファングが、牙をむいた。
右の2体は、少しずつ間を空けている。
左の2体も、こちらが木の近くへ寄るのに合わせて位置を変えていた。
俺たちが動けば、向こうも動く。
道を譲ってくれる気は、ないらしい。
「アリス。こいつら、走って逃げたら追ってくるか?」
「ええ。足も速いわ。背中を向けると、一斉に襲ってくると思う」
「だろうなあ……」
どう見ても、51歳のオッサンと駆けっこをしてくれる相手ではない。
異世界では体が軽いとはいえ、俺だけ速く走れたところで意味がない。
全員で帰れなければ、合同で来た意味がなくなる。
ガレスが盾を持ち直した。
「戦うしか、ないですか?」
「ああ。このまま周りをうろつかれても困る。みんなで倒そう」
俺は5体の位置を見ながら、メイスを構えた。
「ただし、追いかけて1人になるなよ。寄ってきたやつを、こっちも協力して倒すんだ」
「はい!」
「アリス、魔力は大丈夫か?」
「大丈夫。風で援護するわ」
「頼むよ。ロッド、その槍は横から来るやつに向けといてくれ」
「分かりました」
「ニールは、動いたやつを知らせてくれ。弓は味方に当てずに射てるときでいい」
「はい」
ガレスが俺を見た。
「俺は、前を押さえます」
「ああ。盾で受けたら、無理に押し返さなくていい。横からロッドが突けるようにしてやってくれ」
ガレスはうなずき、アリスの少し前へ立った。
俺も、その横へ出る。
正面の1体が、低く身を沈めた。
「……来るぞ」
◇
「ガウッ!」
灰色の体が、地面を蹴った。
速い。
だが、こちらへ飛びかかってくるなら、届く場所は分かる。
俺は半歩ずれ、開いた口を避けながらメイスを振った。
「ギャン!」
重い手応え。
グレイファングは横へ弾かれ、地面を転がった。起き上がろうと前脚を動かしたところへ踏み込み、もう1度メイスを振り下ろす。
「まず1体!」
声をかけ、すぐに顔を上げた。
「右、来ます!」
ニールの声。
ガレスへ向かって、別の1体が走っていた。
ガレスは盾を構え、腰を落とした。
グレイファングが跳ぶ。
盾にぶつかった音と、ガレスが息を詰める声が重なった。
「ロッド!」
「おう!」
盾の横から、槍が伸びた。
グレイファングは地面へ降りたばかりで、避けきれない。槍を受けて体勢を崩したところへ、ガレスが剣を振るう。
灰色の体が倒れた。
「2体目!」
「いいぞ。そのまま周りを見てろ!」
俺の声に、ロッドがすぐ槍を引き戻した。
倒した相手を見ている暇はない。
残りは3体。
さっきより、唸り声が強くなった。
「グルルル……!」
「怒ってるな」
「仲間を倒されたもの」
「こっちも、噛まれる予定で出てきたわけじゃないんだけどね」
アリスは杖を構えたまま、小さく息を吐いた。
左の1体が、木の外側へ回ろうとしている。
ニールが弓をそちらへ向けると、足を止めた。
残る2体は、ガレスの正面と俺の前だ。
どちらも、すぐには飛び込んでこない。
俺たちの武器を見ている。
「……ちゃんと嫌なところを狙ってくるな」
俺がメイスを動かすと、正面のやつが少し下がった。
それに合わせて、ガレスの前にいるやつが近づく。
こっちの注意を分けるつもりか。
「ガレス、俺が前へ出ても、ついてくるなよ」
「はい」
「ロッドも、今の位置を頼む」
返事を聞き、俺はメイスを短く構え直した。
先に動いたのは、ガレスの前にいたやつだった。
低い姿勢のまま駆け寄り、盾の手前で急に横へ跳ぶ。
ガレスがそちらへ体を向けた。
その瞬間、俺の前にいた1体も走り出した。
「ガレス、もう1体!」
ニールが叫ぶ。
俺を避け、ガレスの盾がない側へ回り込んでくる。
ガレスは気づいていた。
だが、正面のやつが再び飛びかかり、盾を押さえられた。
「くっ……!」
ガレスの足が、土の上を滑る。
右手の剣を向けようとしても、もう1体のほうが速かった。
牙が、ガレスの脚へ迫る。
「そっちは駄目だ!」
俺は地面を蹴った。
ガレスの横へ入り、メイスの柄を両手で握る。
振り回す余裕はない。
突き出した柄で、飛び込んできたグレイファングの顔を横へ押しやった。
「ギャンッ!」
牙が、空を噛む。
俺はそのまま肩で押し込み、ガレスから引き離した。
驚くほど、足が動く。
日本でこれをやったら、肩をぶつける前に腰が止めに入っていただろう。
「ガレス、盾はそのまま!」
「はいっ!」
「ロッド、そっちを頼む!」
ロッドの槍が、盾へ食らいつこうとしていた魔物を追い払う。
その間に、俺は引き離した1体へ向き直った。
グレイファングが地面を踏み直し、口を開く。
俺はメイスを振り下ろした。
今度は、立ち上がってこなかった。
「3体!」
数を伝えてから、ガレスを見る。
「噛まれてないか?」
「だ、大丈夫です!」
「よし。足は動くな?」
「はい。ありがとうございます」
「礼はあとでいいよ。まだ2体いるからな」
ガレスは息を吸い、盾を構え直した。
顔は少し青い。
それでも、逃げ出したりはしなかった。
「ロッド、俺の右を頼む」
「分かった!」
「ニール、奥のやつは?」
「まだ木の向こう。回ろうとしてる!」
ちゃんと声が出ている。
怖いだろうが、仲間の声も聞けている。
それなら、まだ一緒にやれる。
ロッドに追い払われた1体が、再びガレスへ近づいた。
盾の外側をうかがい、左右へ動く。
ガレスは今度、体ごと追いかけなかった。
盾の向きだけを変え、ロッドとの間を空けない。
「……来い」
小さな声が聞こえた。
グレイファングが、走る。
「アリス、あいつの足元!」
「任せて!」
杖の先から、風が吹いた。
土と枯れ葉が巻き上がり、グレイファングの前脚が乱れる。
それでも止まらず、ガレスへ飛びつこうとした。
ガレスが盾で受ける。
「今だ!」
ロッドの槍が伸びた。
魔物が体をひねり、槍の先を避ける。
「射ちます!」
ニールの声がした。
ガレスとロッドの間を外れた灰色の体へ、矢が刺さる。
着地が崩れた。
そこへ、ガレスが踏み込んだ。
剣を振り、すぐに盾を前へ戻す。
グレイファングは倒れたまま、動かなくなった。
「倒した!」
「よし、戻れ!」
俺が言う前に、ガレスはロッドの横まで下がっていた。
今のは、俺が殴らなくても倒せた。
思わず、うなずく。
「うまく合わせたな」
「はい!」
「あと1体よ!」
アリスの声で、俺は木のほうへ顔を向けた。
最後のグレイファングが、幹の向こうにいる。
ニールが弓を向けていたが、枝と幹が邪魔で狙えないらしい。
「見えますか?」
「頭だけな。近づくなよ」
俺はメイスを握り直した。
4体を倒しても、逃げない。
低く唸りながら、木の陰を動いている。
「グルルル……」
俺たちの周りを回るのをやめ、今度は茂みへ半分ほど身を隠した。
姿が、見えにくい。
「ニール、そっちを見といてくれ」
「はい」
「アリス、風で――」
言いかけたときだった。
◇
茂みが、大きく揺れた。
グレイファングは木の正面へ出ず、低い枝の下をくぐってきた。
「後ろ!」
ニールが叫ぶ。
俺たちが背中を守るために寄った木。
その幹の脇にある、狭い隙間。
人間なら通りにくいそこを、魔物は身を低くして抜けてきた。
狙っていたのは、アリスだった。
「ガアッ!」
アリスが振り向き、杖を向ける。
風が吹き、グレイファングの体が横へ流れた。
だが、近すぎた。
魔物は爪で土を掻き、踏みとどまる。
アリスが距離を取ろうと下がった。
その足が、地面から出た木の根に引っかかった。
「あっ……!」
体が後ろへ傾く。
ガレスが振り向いた。
ロッドも槍を引こうとしたが、木の幹に阻まれ、穂先を回せない。
グレイファングが、もう1度地面を蹴った。
開いた口。
白い牙。
アリスはまだ、足を立て直せていなかった。
俺は走った。
「アリス、しゃがめ!」
彼女が、膝を折る。
その上へ飛び込もうとする灰色の体へ向かって、俺も地面を蹴った。
両手で握ったメイスを体へ引き寄せ、右膝を上げる。
間に合う。
そう思うより先に、脚が伸びた。
「人の連れに、噛みつくんじゃない!」
新しい靴のつま先が、グレイファングの横顔を捉えた。
硬い手応えが、脚へ伝わる。
「ギャウンッ!」
灰色の体が横へ吹き飛んだ。
アリスの肩をかすめることもなく、離れた地面へ叩きつけられる。
俺は左足から着地し、右足を下ろした。
少し体が前へ流れたが、踏みとどまれた。
膝も、腰も、痛くない。
ただ、今は確かめている場合ではない。
俺は倒れたグレイファングへ駆け寄った。
起き上がろうとしている。
メイスを振り下ろす。
もう、動かなかった。
◇
「……ほかに、いるか?」
息を吐きながら尋ねる。
ニールが、弓を構えたまま周囲を見た。
「見えません。音も……今は、しないです」
ロッドも、茂みへ槍を向けていた。
ガレスはアリスの前へ戻り、盾を構えている。
俺たちはしばらく、そのまま待った。
枝が揺れる音。
街道を抜ける風。
新しい唸り声は、聞こえてこなかった。
「5体、全部倒したわ」
アリスが言った。
俺はようやく、メイスを下ろした。
「アリス、怪我は?」
「大丈夫。転びかけただけよ」
「足、ひねってないか?」
アリスが立ち上がり、両足を地面につけた。
ゆっくり足首を動かしてから、うなずく。
「平気。……ありがとう、コージ」
「ああ。噛まれなくてよかったよ」
彼女は俺の顔を見て、それから足元へ視線を落とした。
「今、飛んだわよね」
「……飛んだな」
「すごかったわ!」
「俺も、ちょっと驚いてるよ」
51歳。
日本では、階段を下りるときに手すりを探す男だ。
その俺が、狼みたいな魔物へ飛び蹴りをした。
若いころだって、そんな用事はなかった。
「コージさん!」
ガレスが近づいてきた。
「さっきは、ありがとうございました。俺、横から来たやつに対応できなくて……」
「気づいてはいたろ。ニールの声も聞こえてた」
「でも、動けませんでした」
「盾を押さえられてたからな。そういうときに助けるために、人数がいるんだよ」
ガレスは俺を見た。
俺はロッドとニールにも顔を向けた。
「ロッドがもう1体を止めてくれたし、ニールが知らせてくれた。俺も、そのおかげで動けたんだ」
「……はい」
「次に似たことがあったら、今日のことを思い出せばいい。俺に礼を言うだけで終わらせるなよ」
ガレスが、しっかりとうなずいた。
ロッドは肩の力を抜き、槍を持ち直す。
「でも、最後の蹴りは……俺たちじゃ、真似できないです」
「そこは真似しなくていいよ。俺も、もう1回やれって言われたら困る」
「できそうだけど」
アリスが言った。
「君まで、追加で頼もうとするな」
◇
全員に怪我がないと確認してから、討伐証明を集めることになった。
グレイファングは、牙を持ち帰るらしい。
「毛皮も買い取ってもらえるわ」
アリスが言った。
俺は倒れている5体を見た。
「持っていくのか?」
「できれば。牙だけより、お金になるもの」
「なるほどね。命を狙われたあとで、運搬の仕事までついてくるのか」
ロッドが手を上げた。
「俺も運びます」
「俺もです」
ガレスが続く。
ニールは周囲を見ながら言った。
「俺は見張ります。交代で運べばいいですよね」
「そうだな。全員の手がふさがるのは、やめとこう」
俺は近くの1体を持ち上げ、重さを確かめた。
運べそうだ。
ただ、5体をまとめて抱えるのは面倒だし、前も見えなくなる。
「枝を使って、担いで運べるようにするか。紐はある?」
「あります!」
ロッドが荷物を下ろした。
三人で相談しながら、運ぶ準備を始める。
俺はその間に、右の靴を見下ろした。
つま先の革が、少し擦れている。
押してみたが、へこんではいなかった。
中の指も動く。
「靴、大丈夫?」
アリスが覗き込んだ。
「ああ。足も痛くないし、つま先も潰れてない」
「丈夫なのね」
「そうだな。店主には、ちゃんと伝えとかんとな」
そう言ったところで、ロッドが顔を上げた。
「やっぱり、蹴るのにも使えるんですね!」
「……使えたけどな」
出発前、俺はこいつに何と言ったか。
足を守るためだ。
靴を見るなり攻撃方法を考えるな。
そう言った気がする。
ガレスとニールも、俺の靴を見ていた。
アリスは、にこにこしている。
「歩きやすくて、足も守れて、私も助けてくれたわね」
「最後のは、靴だけで働いたわけじゃないんだがね」
俺は右足を持ち上げ、つま先についた土を払った。
防具屋の店主から頼まれたのは、履き心地の確認だった。
帰ったら、何から話せばいいんだろうか。
軽い。
歩きやすい。
指も痛くならない。
それから――。
「……飛び蹴りにも使えます、って報告したら、次から何を作られるか分からんな」
今度は、跳ぶための靴を渡されそうで困る。
俺はまだ、足を守る靴だけで十分だった。




