第29話 オッサン精霊、また研修担当になる
◇◇◇◇
買い物袋を車へ積み込んだところで、胸の奥に覚えのある感覚が生まれた。
「……今か」
スーパーの駐車場で、俺は開けたままの荷室を見た。
袋の中には、今夜の夕飯に使う肉と野菜が入っている。
これを置いたまま異世界へ行くわけにはいかない。
日本では数分しかたたないとはいえ、帰ってくるまで車をここに置き、荷室まで開けっ放しにするのは困る。
俺は胸の感覚へ意識を向けた。
アリス、今は外にいるんだ。
家に帰って、買ったものをしまうまで待ってくれ。
引っ張られるような感覚が、少し弱まった。
「よし。通じたか」
荷室を閉め、運転席へ乗り込む。
発進する前に、もう一度、自分の足元を見た。
光ってはいない。
「運転中は、そのまま待っててくれよ」
召喚への返事ができるようになって、本当によかった。
俺の生活には、突然消えたら困る場面がいくらでもある。
その筆頭が、運転だ。
長年無事故を心がけてきたドライバーとして、最後の事故原因が「異世界少女による呼び出し」では、保険会社にも説明がつかない。
◇
帰宅し、肉と野菜を冷蔵庫へ入れた。
買い物袋を畳み、車の鍵をいつもの場所へ置く。
「さて。お待たせしたな」
胸の奥へ意識を向けた。
もう大丈夫だぞ。
少しして、呼び出しの感覚が強くなった。
そして足元に白い光がる。
俺は壁から手を離し、体が浮く感覚に身を任せた。
◇
「おはよう、コージ!」
いつものギルド前。
アリスは俺を見るなり、嬉しそうに笑った。
「今日も、少し待ってって感じがわかったわ」
「ああ。買い物から帰るところだったんだよ。家で荷物を片づけてきた」
「ちゃんと準備できたのね」
「おかげさまでな。これで、肉を置き去りにせずに済んだ」
「お肉を買ったの?」
「嫁さんと俺の夕飯用だよ」
アリスの視線が、俺の両手へ動いた。
何も持っていないと分かり、俺へ目を戻す。
「……お弁当は?」
「今、家に置いてきた荷物の説明をしただろ。来るたびに仕出し屋を開業するなよ」
「聞いただけよ」
「その期待した顔も、聞いただけのうちに入るのかね」
アリスは笑って、話を変えた。
「そうだ。防具屋さんがコージを探していたわ」
「防具屋の店主が?」
「ええ。前に頼んでいたものが、できたんですって」
「お。あの靴か」
ストーンシェル・アルマの素材を使い、つま先を守る靴を作ってみてはどうかと話していた。
そのための素材も、三体分ギルドへ納めた。
ようやく形になったらしい。
「じゃあ、先に見に行こうか」
「ええ!」
◇
防具屋へ入ると、店主が顔を上げた。
「おう。来たか」
「ああ。できたって聞いたよ」
「これだ」
店主は作業台の下から、革靴を一足取り出した。
見た目は、普通の丈夫な革靴だ。
ただ、つま先の部分が少し丸く、しっかりした形になっている。
「アルマの素材を削って、革の内側へ入れてある。足に当たる面は丸めて、間に柔らかい革も挟んだ」
「なるほどな」
俺は手に取り、つま先を押した。
硬い。
横からも確かめ、靴底を曲げてみる。
「歩くときに曲がるところまで、固めてないんだな」
「ああ。そこまで硬くしたら歩きにくいからな。試してみろ」
靴下のまま履き、紐を締める。
立ち上がって、店内を少し歩いた。
つま先の中に、指を動かす余裕がある。
かかとが浮きすぎることもない。
「どうだ?」
「悪くないね。思ったより軽いな」
「素材を薄くできたからな。厚けりゃ丈夫でも、重くなる」
「ああ。そこは大事だよ。一日歩くとなると、小さな重さでも気になるからな」
アリスが俺の足元を覗いた。
「痛くない?」
「今のところはな。指も当たらない」
店主が満足そうにうなずく。
「じゃあ、重いものを落としてみるか」
「履いてる本人に落とすな! まず中身が空の靴で試せ!」
「もう試したよ」
「じゃあ、今の提案は何なんだよ!」
店主とアリスが笑った。
俺はつま先を見下ろし、息を吐く。
せっかく足を守る靴ができたのに、足を使って完成を確認されたらたまらない。
「これは試作品だ。何度か履いて、気になるところを教えてくれ。貸すから、戻すときに話を聞かせてくれればいい」
「いいのか?」
「あんたの案で作ったんだからな。実際に使う意見が欲しい」
「分かった。ありがたく試させてもらうよ」
店主は、膝や腕を守る防具も作っていると教えてくれた。
そちらは、まだ調整中らしい。
「楽しみにしてるよ。ただし、そっちも中に人を入れる前に試してくれ」
「分かってるって」
俺は履いてきた日本の靴を袋へ入れた。
帰るときに間違えないよう、これはギルドへ預けておこう。
◇
ギルドへ戻り、貸しスペースから装備を出した。
胸当てと頭の防具を着け、メイスを持つ。
いつもの革靴は今日はそのまま残し、日本の靴も袋ごと置いた。
アリスと掲示板へ向かおうとしたところで、声をかけられた。
「コージさん。アリス」
振り返る。
三人の若い冒険者が、こちらへ近づいてきた。
以前、アリスをからかい、俺へ殴りかかってきた連中だ。
そのあと、ゴブリンに追われて俺たちへ押しつけていったこともある。
ただ、先日は謝りに来て、仕事の進め方を聞いていた。
今日も、以前のようなにやけた顔ではなかった。
「何かあったのか?」
「お願いがあって……少し、いいですか?」
真ん中の男が言った。
俺は三人の後ろを見た。
「今日は、何も連れてきてないな?」
「連れてきてません!」
「念のためだよ。実績があるからな」
三人がそろって気まずそうに目をそらした。
アリスは腕を組み、用件を待っている。
真ん中の男が、姿勢を正した。
「改めて、俺はガレスです。この三人のリーダーで、剣を使います。こっちがロッド。槍を使う戦士です」
「ロッドです。よろしくお願いします」
「こっちが、弓使いのニールです」
「ニールです」
「そういえば、名前を聞いてなかったな」
ガレスが小さくうなずく。
「最初に会ったときは、その……」
「三人とも、名乗るより先に地面と挨拶してたからな」
ロッドが顔をしかめ、ニールが自分の頬を触った。
「それで、お願いって?」
アリスが尋ねた。
ガレスは一枚の依頼書を差し出した。
「街道脇の古い小屋に居ついたゴブリンの討伐です。俺たちと、一緒に受けてもらえませんか?」
◇
依頼書を確認する。
町の西側。使われなくなった作業小屋の周辺で、ゴブリンが目撃されている。
近くを通る村人が襲われかけ、討伐依頼が出たらしい。
「下見はしたのか?」
「はい。昨日、離れたところから確かめました」
ガレスが答えた。
「外に出ていたのは四体です。ただ、小屋の中に何体いるのかは分からなくて」
「裏へ回れるか?」
「回れると思います。でも、三人で分かれるのは危ないと思って、そこまでは調べてません」
俺はガレスの顔を見た。
分からないところがあって、無理に進まず戻った。
以前より、ずっとまともな判断だ。
「それで、人数が欲しいってことか」
「はい。前みたいに、勢いだけでやりたくないので」
アリスが俺を見た。
「コージ、どうする?」
「俺はいいよ。君は?」
「私も。ちゃんと相談に来たんだもの」
三人の表情が、少し明るくなった。
俺は手を上げた。
「ただ、俺も魔物退治に関しちゃ新米だぞ。何でも知ってると思うなよ」
「でも、仕事の進め方は教えてもらえます」
ガレスが言った。
「……引き継ぎは終わったはずなんだけどな」
「コージ、また教える側ね」
「異世界まで来て、研修担当へ復帰するとは思わなかったよ」
受付へ行き、合同で依頼を受けられるか確認した。
三人は全員Eランク。
今回の依頼はEランク向けだが、Ⅾランクのアリスが加わる形でも問題ないらしい。
受付の女性を交え、報酬と討伐証明の扱いを先に決める。
基本の報酬は、二組で半分ずつ。
アリスも三人も、それでうなずいた。
追加の魔物が見つかった場合は、種類と数を報告し、必要なら撤退して依頼内容を見直す。
「現地で、ここに書いていない強い魔物が見つかったら、無理に続けないでくださいね」
「はい」
ガレスが返事をした。
俺もうなずく。
「了解。知らない追加作業を、その場で勝手に引き受けないってことだな」
◇
西の門を出て、五人で街道を進んだ。
ガレスは片手剣と小さな盾を持ち、ロッドは槍を肩へ担いでいる。
ニールは弓を持ち、歩きながら道の両脇へ目を配っていた。
アリスは俺の横だ。
「その靴、新しいんですか?」
ロッドが足元を見て聞いた。
「ああ。試作品を借りてる。つま先が丈夫になってるんだよ」
「蹴るためですか?」
「足を守るためだよ。靴を見るなり攻撃方法を考えるな」
「すみません」
「いや、冒険者ならそう思うのかもしれんけどな」
ガレスが下見の内容を説明してくれた。
小屋は街道から少し離れた林の縁にある。
正面に広い出入り口があり、裏には小さな戸が見えた。
外にいたゴブリンは、棍棒や短い刃物を持っていたという。
「刃物か。そこは気をつけよう」
俺が言うと、アリスもうなずいた。
「小屋の中へ追いかけないほうがいいわね。暗いし、囲まれるかもしれないもの」
「はい。外へ出てきたところを相手にするのがいいと思います」
ガレスが答えた。
俺は道の先にある曲がり角を見た。
「何かあったら、あそこまで戻るか。道が広いし、周りも見える」
「分かりました」
「途中でばらばらにならないこと。戻るときは声をかける。誰かが遅れてたら、ちゃんと知らせてくれ」
「はい」
「それから、知らない人を見つけても押しつけて逃げるなよ」
「……はい」
三人の返事が、急に小さくなった。
アリスが横で笑いをこらえている。
俺は肩をすくめた。
「言っといたほうが、お互い安心だろ」
◇
小屋が見えるところで、俺たちは足を止めた。
屋根の一部が崩れ、壁の板もところどころ外れている。
正面には、ゴブリンが二体いた。
一体が棍棒を持ち、もう一体は地面に座って何かを食べている。
ガレスは剣へ手をかけたが、抜かずに待った。
「昨日より、外にいる数が少ないです」
「中にいるかもしれないな」
俺が言うと、ニールが周囲へ目を向ける。
「左の草むらにも一体います」
「見えたわ」
アリスが小さく答えた。
声をかけ合い、同じものを確認する。
誰も、先に飛び出さない。
それだけで、ずいぶん違うものだ。
「裏を確かめましょうか?」
ガレスが聞いた。
「私とコージで少し回るわ。三人はここで、正面から出てくる数を見ていて」
アリスの提案に、ガレスがうなずく。
俺たちは小屋へ近づきすぎないよう、木々の間を回った。
裏の戸は半分外れ、斜めにぶら下がっていた。
そこから、ゴブリンが一体出てくる。
大柄な魔物の姿はない。
俺とアリスは三人のところへ戻り、見たことを伝えた。
「少なくとも、今は四体ね」
「裏のやつも正面側へ歩いてきてる。まとまって出てきてくれれば助かるな」
ガレスが息を吸った。
「俺が前で引きつけます」
「俺は横から近づくやつを止めます」
ロッドが槍を持ち直す。
「俺は弓で援護します。みんなの前には射ません」
ニールが続けた。
「私は風で動きを崩すわ。コージは、抜けてきたゴブリンをお願い」
「分かった。慌てずいこう」
◇
ガレスが木陰から出て、剣を抜いた。
ゴブリンが顔を上げる。
「キギャー」
甲高い声を上げ、棍棒を振りかざして走ってきた。
ガレスは盾を構え、足場を確かめながら待つ。
棍棒が振られたところで、盾で受け流した。
横からロッドの槍が伸びる。
ゴブリンが動きを止めた隙に、ガレスの剣が当たった。
「ギャギャー!」
倒れる。
「一体!」
ガレスが声をかけた。
草むらから出てきた二体目には、ニールの矢が刺さった。
脚をもつれさせたところへ、アリスの風が吹く。
ゴブリンが転び、ロッドが槍を構えて近づいた。
俺は、別の一体へ向き直った。
短い刃物を持ったゴブリンが、低い姿勢で走ってくる。
「そいつはしまっとけ。危ないからな」
当然、しまわない。
俺は刃物の届かない位置から、メイスを短く振った。
ゴブリンの体が横へ飛び、地面へ落ちる。
最後の一体は、小屋へ逃げ戻ろうとしていた。
「追うな!」
俺が声を上げると、走り出しかけたガレスが止まった。
アリスが杖を向ける。
風が戸口の前を横切り、ゴブリンが足を取られた。
小屋の外で転んだところへ、ガレスとロッドが近づく。
二人で距離を取り、反撃させずに倒した。
周囲が静かになった。
俺たちはすぐには武器を下ろさず、小屋の中から別の足音がしないか確かめた。
「……これで、見えていた四体は倒したな」
「はい」
ガレスの額には汗が浮いていた。
しかし、呼吸を整えながら周囲を見ている。
ニールは矢をつがえたまま、裏側へ目を向けていた。
アリスが三人を見た。
「ちゃんと声をかけ合えたわね」
「はい。前なら、追いかけてたと思います」
ガレスが小屋の入口を見て言った。
「止まれたなら、よかったよ」
俺はメイスを持ち直した。
「中は、慌てず確認しよう。まだいるかもしれんからな」
◇
壁の隙間や窓から中を確かめ、逃げ道を押さえながら確認した。
残っていたのは、もう一体のゴブリンだった。
物音に反応して裏口から飛び出してきたところを、三人が協力して倒す。
小屋の周囲にも、ほかの魔物はいなかった。
「これで五体ね」
アリスが言った。
討伐証明を集め始めたので、俺は少し離れて周囲を見張った。
耳を切るところは、相変わらず見たくない。
ガレスが小刀を取り出す。
「俺たちも集めます」
「ええ。お願い」
俺は木々のほうを見たまま、うなずいた。
「そういう分担は、本当に助かるよ」
「コージさん、苦手なんですか?」
ロッドが聞いた。
「苦手だよ」
「でも、あんなに簡単に倒して――」
「倒すのと、そのあとの作業は別なんだよ。そこは全員に説明せにゃならんのか」
アリスが笑った。
俺は振り返らず、足元へ目を落とす。
新しい靴は、今のところ具合がいい。
歩いても指が当たらないし、かかとも擦れていない。
今日は試作品の確認としても、いい一日になりそうだった。
◇
小屋を離れ、街道へ戻る。
ガレスが討伐証明の袋を持ち、ロッドが先ほどの戦いを思い返していた。
「二体目のとき、少し前へ出すぎました」
「俺も、矢を射つ前に声をかけたほうがよかったです」
ニールが言った。
「言ってくれれば、俺が止まれたな」
ガレスもうなずく。
三人で、次にどうするか話している。
俺はアリスと顔を見合わせた。
悪くない。
一度言われて、全部できるようになるわけではない。
やってみて、うまくいかなかったところを直す。
会社でも、そうだった。
「コージさん、ほかに気になったところはありますか?」
ガレスが尋ねた。
「俺より、アリスにも聞いてみな。君たちの動きが見えるところから支援してたからな」
「アリス、どうだった?」
「ロッドが槍を構えてくれていたから、風を使う場所を決めやすかったわ。ただ、ガレスとの間が開いたときがあったでしょう? あそこへ入られると危なかったと思う」
「そうか。次は距離を見るよ」
ロッドが答えた。
俺はそのやり取りを聞きながら、街道の先を見る。
今日の依頼は、無事に終わった。
あとは帰って報告するだけだ。
そう思ったとき、ニールが足を止めた。
「……待ってください」
全員が止まる。
ニールは弓を持ち直し、道の右側へ顔を向けていた。
「何かいます」
茂みが、かすかに揺れた。
灰色の毛並みが見える。
「グルルル……」
牙をむき出しにした魔物が、喉の奥から低い唸り声を漏らした。
一体。
その後ろに、もう一体。
「グレイファングよ」
アリスが杖を握った。
大型犬より一回り大きい、狼に似た魔物だった。
灰色の毛の間から、細い脚が伸びている。
口元には白い牙。
こいつらは、ゴブリンのように騒ぎながら飛び出してこなかった。
こちらを見て、ゆっくりと歩いている。
「左にもいます!」
ニールの声に、俺は視線を動かした。
道の反対側にも二体。
さらに、前方の木陰から一体が現れた。
「……五体か」
ガレスが剣を抜いた。
ロッドは槍を下ろし、ニールが後ろを確かめる。
誰も、俺たちを置いて逃げなかった。
「群れで動くの。囲まれないようにしないと」
アリスが言った。
俺はメイスを握り直した。
「追いかけるなよ。こっちがばらばらになったら、向こうの思うつぼだ」
「俺たちはどうすれば?」
ガレスが聞いた。
「アリス、どっちへ寄ればいい?」
「左の木の近くへ。少し後ろをふさげるわ」
「よし。ガレスはアリスの前。ロッドは横を頼む。ニールは後ろも見ててくれ。固まって動くぞ」
「はい!」
三人の返事がそろった。
俺たちは互いの位置を確かめながら、ゆっくり左へ寄る。
グレイファングの一体が、俺の正面で足を止めた。
別の一体は、横へ回ろうとしている。
なかなか、仕事の分担が上手な連中らしい。
「コージさん、右のやつが動いてます!」
「見えてる。知らせてくれて助かるよ」
「コージ、三人とも落ち着いているわね」
「ああ。そこはありがたい」
俺は新しい靴で地面を踏み、滑らないことを確かめた。
履き心地は、いい。
つま先も守られている。
だが、店主に報告する内容が、歩き心地だけでは済まなくなりそうだった。
「……狼の牙に耐えられるかまで、試す約束はしてないぞ」




