第27話 オッサン精霊、本契約は条件次第
◇◇◇◇
家事を済ませ、俺は自室のパソコンを開いた。
画面に並んでいるのは、求人情報だ。
まだ正式に退職したわけではない。今は有給休暇を消化しているところで、来月末までは会社に籍がある。
妻には、しばらく休めばいいと言われている。
俺も、そうするつもりだ。
ただ、次にどんな仕事があるのか、見ておくくらいはいいだろう。
「腰に負担が少なくて、あまり時間に追われない仕事か……」
条件を入れて検索する。
いくつか求人が出てきたが、仕事内容を読んでいると、結局は重いものを持ちそうな仕事もあった。
「軽作業って、どのくらい軽いんだろうな」
若い人には軽くても、俺の腰には重い場合がある。
そのへんは、実際に聞かなければ分からない。
募集内容を読み進めていたとき、胸の奥に、かすかな感覚が生まれた。
「……来たか」
アリスだ。
昨日と同じ、軽く引っ張られるような感じ。
俺は求人のページを閉じ、パソコンをスリープ状態にした。
「次の仕事を探してる最中に、異世界勤務が割り込んでくるとはな」
椅子から立ち上がったところで、足元が白く光った。
◇
「おはよう、コージ!」
いつものギルド前。
アリスが笑顔で迎えてくれた。
「ああ、おはよう。今日は何を運ぶんだ?」
「今日は運ばないわよ」
「倒すほうか?」
「それもしないわ」
「……本当にアリスか?」
「どういう意味よ!」
「いや、仕事の内容を聞いたら、運搬と討伐が両方ないって言うからな。珍しいこともあるもんだと思って」
アリスは頬を膨らませた。
「今日は、本契約の相談よ。詳しい職員さんが話を聞いてくれるんですって」
「ああ、昨日頼んだ件か」
「ええ。だから、依頼は受けていないの」
俺はギルドの建物を見上げた。
今日は装備を着けなくていいらしい。
「お。面談だけの出勤か。腰にも優しいな」
「コージに、ちゃんと聞いてほしいもの」
アリスは少し真面目な顔になった。
「私も、分からないことがあるから」
「そうだな。一緒に聞こう」
アリスがうなずき、扉を開けた。
◇
受付で声をかけると、俺たちは奥の小部屋へ案内された。
机と椅子、壁際には書類の詰まった棚がある。
待っていたのは、落ち着いた様子の年配の男性だった。
「召喚契約についてのご相談ですね。どうぞ、お座りください」
俺とアリスは並んで腰を下ろした。
「高野幸治です。こっちではコージって呼ばれてます」
「アリスです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。これまでの鑑定記録は確認しました。別の世界から召喚された人間の方なのですね」
「ああ。ようやく、最初から人間として話を聞いてもらえるな」
「私も、もう分かってるでしょう?」
「呼び名は精霊さんのままだけどな」
男性は小さく笑った。
「召喚の仕組みには精霊契約に近いものが見られますが、非常に珍しい例です。分かっていることと、まだ分からないことを分けてお話しします」
「助かるよ。俺も、何がどうなってるのか分からんまま来てるからな」
男性は机の上へ紙を置いた。
「まず、現在は召喚仮契約です。アリスさんが魔力を使って呼び出し、その後も魔力を供給して、コージさんの滞在を維持しています」
「だから、アリスの魔力が少なくなると帰るわけだな」
「はい」
アリスが身を乗り出した。
「最近、その負担が軽くなったんです。前より長く召喚していられるようになって」
「召喚への習熟に加えて、契約同調が深まった影響も考えられます」
「ステータスには『強い同調』って出てるよ」
「現在も、そう表示されていますか?」
「ちょっと待ってくれ。ステータスオープン」
目の前に、薄い光の板が現れた。
【名前】高野幸治
【種族】人間
【状態】召喚中
【契約】召喚仮契約
【召喚主】アリス
【契約同調】強い同調
「変わってないな。強い同調のままだ」
男性は俺の視線の先を見たが、やはり画面は見えないらしい。
「最初から、その表示だったのですか?」
「いや。最初は微弱。そのあと安定になって、高まっているに変わって、今はこれだよ」
「段階的に深まっているのですね」
「呼ばれる前に、アリスが呼ぼうとしているのも分かるようになった」
アリスも、隣でうなずく。
「戦うときも、私が言う前に動いてくれたことがありました」
「なるほど。相手の呼びかけや意図を感じ取りやすくなっているのかもしれません」
俺は画面を閉じた。
「それで、本契約になると、何が変わるんだ?」
◇
「双方が同意し、眷属契約が成立すれば、滞在を維持する方法が変わる可能性があります」
「方法?」
「今は、アリスさんの魔力がコージさんをこの世界につなぎ留めています。本契約後は、コージさん自身の体力で、そのつながりを維持できると考えられます」
「……俺の体力?」
思わず聞き返した。
アリスも目を丸くしている。
「魔力ではないんですか?」
「コージさんの場合、こちらで活動するための力が、身体能力として強く現れています。鑑定記録からは、その力を使って滞在を支えられる可能性が見られます」
男性は、そこで一度言葉を切った。
「ただし、通常の精霊と同じようには扱えません。実際の消耗の程度は、契約後に確認する必要があります」
「なるほどな。確定じゃないが、そういう見込みがあると」
「はい」
俺は腕を組んだ。
「つまり、今まではアリスが魔力を出してたのが、今度は俺の体力持ちになるわけか」
「滞在の維持については、そうなります。呼び出す際には、引き続きアリスさんの魔力が必要です」
「呼ぶときはアリス。来てからは俺か」
「ええ」
「ずいぶん分担がはっきりするな」
アリスが心配そうに俺を見る。
「コージが、すごく疲れてしまうの?」
「何もしていなくても、少しずつ消耗はするでしょう。ただ、戦闘や力仕事に比べれば、穏やかなものになると考えられます」
「休めば戻るのか?」
「食事や休息によって回復できるはずです。消耗より回復が上回れば、長く滞在できる可能性があります」
「燃料が飯になるなら、そこは分かりやすいな」
アリスの表情が少し明るくなった。
「コージ、お弁当がますます大事になるわね!」
「俺の弁当まで君が食べたら、稼働時間が縮むだろ!」
「ちゃんと残すわよ!」
「全部食べる前提で、残す量を考えるな。最初から二人分用意するよ」
男性が口元を緩めた。
俺は咳払いをして、話を戻した。
「ただ、体力が尽きるまで働くのは困るぞ。俺は五十一歳だからな。腰を休めたくて、会社を辞めるところなんだ」
「無理を続けないことが大切です。滞在を支える力が弱まれば、帰還の兆候が現れると考えられます」
「光り始めるような?」
「はい。ただ、その前に、ご自身で帰還を選べるようになる可能性もあります」
俺は顔を上げた。
「自分で帰れるのか?」
「本契約では、召喚主とのつながりが定まります。その経路を使って帰還する方法があります。コージさんに適用できるかは確認が必要ですが、調べる価値はあるでしょう」
「それは、ぜひ調べてほしいねえ」
飯より何より、その話が気になった。
呼ばれる時間は選べなくても、帰る時間を選べるなら、ずいぶん違う。
「燃料切れになるまで帰れないんじゃ、運転する側としては落ち着かんからな」
「それと、眷属ってのは、命令を聞かなきゃならなくなるのか?」
俺が尋ねると、男性は首を横に振った。
「相手の意思を奪う契約ではありません。双方の同意によって結ぶものです」
「嫌なことは、嫌だと言える?」
「もちろんです」
「そこは大事だな」
俺は隣のアリスを見る。
「聞いたか。仮契約でも本契約でも、寝てるときは寝てるんだぞ」
「分かってるわよ」
「病院にいるときは病院だ」
「それも分かってるってば」
「風呂上がりは――」
「全部並べなくていいでしょう!」
男性が、笑いをこらえるように口へ手を当てた。
俺は机へ向き直る。
「呼ばれたときに、『今は待ってくれ』って返事はできないのか?」
「同調がさらに深まれば、短い意思を返せるようになる例はあります。今は呼びかけを感じる段階なのかもしれません」
「一方的な呼び出しから、ようやく会話になるわけか」
「コージ、今度感じたら、返事をしてみて」
「試してみるよ。無理なら、来てから文句を言う」
「そこは変わらないのね」
「言う機会がなくなったら困るからな」
話を聞くうちに、アリスの表情が少し真剣になっていった。
「でも、私はまだ、高位精霊と本契約できるほど経験がありません」
「一般的には、そうですね。ただし、特定の相手との深い同調によって、それを補える場合があります」
「私とコージも?」
「可能性はあります」
男性は俺たちを順番に見た。
「今は『強い同調』なのですね。さらに深まり、『完全同調』と表示される段階になれば、契約成立の見込みは高まるでしょう」
「数字を上げればいいって話でもないんだな」
「ええ。互いの意思を確かめ、無理なく関係を築くことが大切です」
「無理なく、か」
俺はアリスを見る。
彼女も俺を見ていた。
「今日、急いで契約する必要はありません。日本での生活にどう関わるかも含め、疑問点を整理してから進めましょう」
「そうしてもらえると助かるよ」
聞きたいことは、まだある。
体力で滞在するようになったら、どのくらい疲れるのか。
帰ったあとにまで消耗が残るのか。
帰還したいと思えば、ちゃんと帰れるのか。
別世界の人間だからこそ、確認しなければならないことが多かった。
「日本では『念には念を入れよ』って言うんだよ」
アリスが首を傾げる。
「どういう意味?」
「一度確かめたから大丈夫と思わず、さらに確かめておけってことさ。荷物を積んだら、出発前にもう一度固定を見る。契約も、それくらい慎重でいいだろ」
「ええ。一緒に確かめましょう」
アリスが、しっかりとうなずいた。
◇
相談を終え、俺たちは食堂へ移った。
果実水を頼み、向かい合って座る。
「思ったより、いろいろあるな」
「そうね」
アリスは杯を両手で包んでいた。
いつものように、次の仕事をすぐ言い出す様子はない。
少し考えてから、口を開く。
「私の負担が減る代わりに、コージが疲れるのね」
「そういう仕組みになるかもしれないって話だったな」
「それなら、私ばかり楽になるみたいで……」
「君だって、魔法を使って戦ったり、薬草の見分け方を教えたりするだろ」
アリスが顔を上げた。
「昨日なんか、君がいなけりゃ、俺は違う草を二十束そろえてたかもしれんぞ」
「それは困るわね」
「だろ。俺が力仕事をして、君が分かることを教える。そういう分担でいいんじゃないか」
アリスは少し笑った。
それから、杯へ目を落とす。
「本契約になれば、もっと長く一緒にいられると思ったの」
「ああ」
「討伐だけじゃなくて、ご飯を食べたり、昨日みたいに川へ行ったり……」
声が少し小さくなった。
「帰る時間ばかり気にしなくても、よくなるかなって」
俺は果実水をひと口飲んだ。
甘い。
こういう話をするときは、何か口に入れられるものがあると助かる。
まっすぐ言われると、どう返せばいいか迷うのだ。
「……俺も、こっちへ来るのが嫌なわけじゃないよ」
アリスが顔を上げる。
「知らないところを歩くのは面白いし、君と飯を食うのも楽しいからな」
「本当?」
「本当だよ。面倒なことも多いけどな」
「そこは言わなくてもいいでしょう?」
「まとめて言っとかないと、冒険が全部楽しいって話になるだろ」
アリスが小さく笑った。
俺は杯を置き、続けた。
「ただ、日本にも暮らしがある。嫁さんを置いて、ずっとこっちにいるわけにはいかん」
「……うん」
「だから、両方を大事にできる契約なら、ちゃんと考えたいんだ」
アリスは俺を見つめ、それからうなずいた。
「分かったわ。コージの奥さんを困らせたいわけじゃないもの」
「ああ。そうしてもらえると助かる」
「呼ぶ前に、待ってって返事ができるようになったら、ちゃんと待つわ」
「それはありがたいね。揚げ物の途中なんか、特に頼むぞ」
「お料理中?」
「油の鍋を置いて消えたら、帰ってから俺が嫁さんに揚げられる」
「コージは揚げられないでしょう?」
「言い方の問題だよ。料理以上に熱い話し合いになるってことだ」
アリスは肩を揺らして笑った。
その笑顔を見て、俺も少し気が楽になった。
契約の名前だけ聞けば、どうにも身構えてしまう。
ただ、目の前にいるのは、俺の卵焼きを喜んで食べた少女だ。
これからも一緒に過ごしたいと思うこと自体に、難しい理屈はいらなかった。
◇
「ねえ、コージ」
「今度は何だ?」
「次のお弁当、何を入れるの?」
俺は杯を持ち上げかけた手を止めた。
「本契約の条件を考えるんじゃなかったのか?」
「お弁当も、一緒に過ごすための大事な準備よ」
「急に話を生活へ戻してきたな」
「卵焼きは、また入れてほしいわ」
「気に入ったんだな」
「ええ。それと、お肉をもう少し」
「具体的な要望まで出てきたよ」
アリスは楽しそうに笑っている。
俺はため息をつき、果実水を飲んだ。
「考えておくよ」
「ありがとう!」
「ただし、弁当を作るために朝早く呼ぶなよ。持ってくる本人が台所から消えたら、完成しないからな」
「できるまで待つわ」
「そう。そこは待ってくれ」
アリスは素直にうなずいた。
今日聞いた話を、俺はもう一度、頭の中で整理した。
本契約になれば、俺の体力が滞在を支えるかもしれない。
食事と休息が、今より大事になる。
だったら、弁当を二人分用意するのも、ちゃんと意味があるだろう。
まあ、今の段階では、アリスが喜ぶだけでも十分だけどな。
眷属契約については、もう少し時間をかけて考えることになった。
ただし、次の弁当には肉を増やしてほしいという要望だけは、その場で決まった。
どうやら俺の本契約より、弁当の追加発注のほうが、話は早いらしい。




