第26話 オッサン精霊、弁当持参で出勤する
◇◇◇◇
有給休暇に入って二日目。
俺は今日も、いつもの時間に目を覚ました。
「……律儀だねえ、俺の体は」
休めと言われても、目だけはきっちり営業を始める。
隣で眠っている妻を起こさないように寝床を抜け出し、台所へ向かった。
冷蔵庫から卵を取り出す。
昨日より、少し多めだ。
妻の弁当を作り、それとは別に、もう一つ用意することにした。
アリスの分である。
卵焼きを食べたいと言われ、機会があれば作ってやると答えた。
今日は仕事もない。材料もある。
だったら、作っておいてもいいだろう。
「これで呼ばれなかったら、俺の昼飯だな」
卵を溶き、フライパンへ流し込む。
薄く焼けたところを端から巻き、空いた部分へまた卵を流した。
少し甘めの卵焼き。
アリスは以前、妻が作ったものをうまそうに食べていた。
これも口に合えばいいんだが。
鶏肉を焼き、ほうれん草を和える。ご飯と一緒に弁当箱へ詰めていく。
自分でも少し食べられるよう、アリスの分は大きめの箱にした。
もし向こうで朝だったら、昼まで待てばいい。
どれくらい待つか分からないので、冷ましてから保冷剤と一緒に袋へ入れておく。
前はケーキを持っていった。今度は弁当だ。
召喚されるたびに、持参品が生活に密着してきている。
「そのうち買い物袋ごと呼ばれそうだな……」
「誰に?」
背後から妻の声がした。
俺は卵焼きを切る手を止めた。
「いや。独り言だよ」
「朝からずいぶん具体的な独り言ね」
「歳を取ると、頭の中の確認が口から出るんだ」
「じゃあ、私のお弁当を忘れないように確認しておいて」
「それはもう詰めてあるよ」
妻は調理台を見て、弁当箱が二つあることに気づいた。
「今日はあなたの分もあるの?」
「ああ。ちょっと外で食おうと思ってな」
「散歩?」
「まあ、そんなところだ」
「いいんじゃない。家に閉じこもっているより」
妻は弁当を覗き込み、小さく笑った。
「ずいぶん大きいお弁当ね」
「……外で食うと、腹も減るだろ」
「昨日は、お昼をあまり食べなかったのに?」
「昨日と今日では、腹の事情も違うんだよ」
昨日は異世界で夕食まで食べて帰ったせいで、日本の昼になっても、あまり腹が減らなかった。
その事情までは説明できない。
「食べすぎないでね」
「ああ」
「それから、道に迷わないでよ」
「そこまで年は食ってないぞ!」
ただし、召喚された先から自力で日本へ帰る道は、今も分からない。
道に迷うどころか、行き先そのものを他人に握られている。
妻の心配は、ある意味では当たっていた。
◇
妻を送り出し、食器を洗う。
洗濯を済ませ、昨日途中になった場所も含めて掃除機をかけた。
今日は、まだ呼ばれない。
弁当袋は、保冷剤を入れて居間のテーブルへ置いてある。
「……まあ、毎回呼ばれるとは限らんからな」
ソファへ座り、ゲームを始めた。
見慣れた画面がテレビに映る。
剣を持った主人公を動かし、街道を歩かせた。
画面の向こうでは、鎧を着た戦士が荷車の横に立っている。
以前なら何も思わなかった光景だが、今は荷物の積み方が気になった。
「その高さまで積んで、よく倒れんな……」
ゲームなのだから、心配する必要はない。
分かっていても、つい見てしまう。
俺は町へ入ろうとしていた主人公を止めた。
胸の奥に、かすかな感覚が生まれていた。
「……お」
昨日と同じだ。
軽く引っ張られるような、ふわりとした感覚。
アリスが呼ぼうとしている。
俺はゲームを止め、コントローラーを置いた。
弁当袋を手に取り、立ち上がる。
「よし。今日は持参品の準備も間に合ったな」
足元に白い光が広がった。
せっかく予告が分かるようになったのだ。
使えるものは、使わせてもらおう。
◇
「おはよう、コージ!」
見慣れたギルドの前で、アリスが笑顔を向けてきた。
「ああ、おはよう」
こちらは朝らしい。
俺が弁当袋を持ち上げると、アリスの視線が吸い寄せられた。
「それ、何?」
「弁当。君が注文した卵焼き入りだよ」
「本当に作ってくれたのね!」
アリスの顔が、ぱっと明るくなった。
袋を見てから、俺を見上げる。
「見てもいい?」
「いいけど、食べるのは昼だぞ。朝飯は食ったんだろ?」
「食べたわ。でも、ちょっとだけ……」
「弁当を見る段階から、つまみ食いの相談をするなよ」
俺は袋の口を開け、弁当箱の蓋を少しだけ持ち上げた。
卵焼きが見えた途端、アリスの目が輝く。
「いっぱい入ってる!」
「ほかのおかずも食べてくれよ。卵焼きだけなくなったら、俺が寂しいからな」
「ちゃんと食べるわ!」
作ってよかった。
まだ食べてもいないのに、そんな気がしてしまった。
「それと、箱と袋は返してくれよ」
「もちろんよ」
「保冷剤もな。中に入ってる、冷たいものだ」
アリスが袋の中へ手を入れ、保冷剤に触れた。
「冷たい! これ、魔法?」
「日本で冷やしてきたんだよ。食べ終わっても捨てないでくれ」
「分かったわ。全部返す」
「頼むぞ。弁当箱まで異世界へ置いてきたら、嫁さんに何を説明すりゃいいのか分からん」
アリスは笑い、俺の袖を軽く引いた。
「今日は、ゆっくり食べられる仕事を選ぶわね」
「お。それはありがたい」
「町の近くの川沿いで、薬草を採る依頼があるの」
「薬草採取か。そういうのもやるんだな」
「ええ。討伐ばかりじゃないもの」
アリスは少し照れたように、弁当袋へ目を向けた。
「せっかく作ってくれたんだし、落ち着いて食べたいでしょう?」
「ああ。飯の最中に角が降ってこなければ、大歓迎だよ」
◇
掲示板から依頼書を取り、受付へ向かった。
採取するのは、リルナ草という薬草らしい。
治療院へ納める分で、葉の傷みが少ないものを二十束。
受付の女性が、見本を載せた小皿を出してくれた。
「葉の縁に細かい切れ込みがあります。それと、裏側が薄い銀色になっているのが特徴ですね」
俺は葉を裏返して見た。
確かに、表より白っぽい。
「似た草もあるのか?」
「はい。裏側まで緑のものは違いますので、混ぜないようお願いします」
「根ごと抜くのか?」
「いいえ。外側の葉を採って、中心と根は残してください」
「了解。次も採れるようにってことだな」
アリスがうなずいた。
「全部抜いたら、なくなってしまうでしょう?」
「そうだな。今日の仕事を終わらせるために、次の仕事まで消すわけにはいかんね」
場所は町の南側を流れる川の上流だ。
比較的魔物の出没が少ない場所だが、絶対にいないとは限らない。
受付で最近の目撃情報を聞いてから、装備を取りに行った。
胸当てと革靴、頭の防具を着け、メイスを持つ。
弁当袋も忘れない。
「薬草を採りに行く格好には見えんな」
「魔物が出るかもしれないもの」
「そうだな。備えはしとくよ。ただ、できれば今日は、このメイスには休んでいてもらいたいね」
◇
町を出ると、風に水の匂いが混じった。
街道から細い道へ入り、草の生えた土手を進む。
川はそれほど深くないらしく、澄んだ水の底に石が見えていた。
日差しが水面に反射し、きらきらと揺れている。
「いいところだな」
「でしょう? この先に、リルナ草が生えている場所があるの」
アリスは道を確かめながら歩いていた。
こういう場所では、俺よりずっと詳しい。
土手から少し下りたところで、アリスが足を止める。
「ここよ」
足元には、いろいろな草が生えていた。
俺には、だいたい全部同じように見える。
「……さて。どれだ」
「これ」
アリスがしゃがみ、一株を指さした。
俺も隣へしゃがみ、葉の形を見る。
「切れ込みがあって、裏が銀色だったな」
「そうよ」
試しに、隣の草へ手を伸ばした。
「こっちもか?」
「それは違うわ」
「よく似てるけどな」
「裏側を見て」
ひっくり返すと、緑だった。
「ああ。違うな」
「ちゃんと確かめないと駄目よ」
「はい。ご指導ありがとうございます」
アリスはくすっと笑った。
別の株を見つけ、もう一度聞く。
「これは?」
「合ってるわ。外側の葉だけね」
俺は慎重に葉を採った。
ゴブリンをはたくときより、よほど指先に気を使う。
力を入れすぎれば、葉が潰れそうだ。
「……強いからって、何でも楽になるわけじゃないな」
「優しく持てばいいのよ」
「分かってる。今、その優しさの調整をしてるんだよ」
アリスは手際よく採り、状態のいい葉をそろえていく。
俺の束を確認し、傷んだ一枚を抜いた。
「これは混ぜないほうがいいわね」
「助かるよ。今日は君が検品担当だな」
「コージも、慣れれば分かるわ」
「そうかね」
「ええ。ほら、次は自分で見てみて」
森本さんへ仕事を教えていたときのことを思い出した。
今度は俺が、教えてもらう側である。
知らないことは、知っている人に聞けばいい。
年上だからと、分かったふりをする必要もない。
俺は一枚ずつ確かめ、採った葉をアリスへ見せた。
「これはどうだ?」
「いいわ!」
「よし。ようやく戦力になったか」
「最初から、一緒に探してくれていたでしょう?」
「見つけるより、確認を頼む回数のほうが多かったけどな」
アリスは笑いながら、俺の採った葉を束に加えた。
◇
必要な数がそろうころには、日が高くなっていた。
薬草を潰さないよう籠へ入れ、周囲を確認する。
少し離れたところに、見通しのいい草地があった。
「あそこで休むか」
「ええ!」
アリスの返事が、朝より元気になった。
お目当ては分かっている。
川で手を洗い、持ってきた布で水気を拭いた。
乾いた草地へ座り、俺は頭の防具を外す。メイスはすぐ手の届くところへ置いた。
弁当袋を開けると、アリスが身を乗り出してきた。
「待たせたな」
「ずっと楽しみにしてたわ」
「薬草を採ってるときもか?」
「少しだけ」
「正直でよろしい」
弁当箱を渡す。
アリスは両手で受け取り、そっと蓋を開けた。
黄色い卵焼き、焼いた鶏肉、ほうれん草。
白いご飯には、少しごまを振ってある。
「きれい……」
「食べるためのものだから、遠慮なく崩していいぞ」
持参したフォークを渡すと、アリスは卵焼きを一つ刺した。
俺は小さなおにぎりを取り出しながら、横目で様子を見る。
アリスが口へ入れた。
噛む。
表情が、ふわりと緩んだ。
「おいしい!」
「そうか。そりゃよかった」
「甘くて、柔らかいわ」
「焼きすぎないようにはしたからな」
俺はおにぎりをひと口食べた。
ほっとしたせいか、自分の飯もうまく感じる。
「コージの奥さんが作ったのもおいしかったけど、これも好き」
「嫁さんと順位はつけるなよ。俺が家で気まずくなる」
「どっちもおいしいわよ」
「それなら安心だ」
アリスは鶏肉も食べ、嬉しそうにうなずいた。
それから、弁当箱を俺へ少し寄せる。
「コージも食べて」
「じゃあ、一つもらうか」
卵焼きを一切れ取る。
ちゃんと焼けている。味も悪くない。
「よし。合格だな」
「自分で決めるの?」
「作った本人の確認も必要なんだよ」
川の音を聞きながら、二人で弁当を食べた。
木々の葉が揺れ、草の上を小さな虫が飛んでいく。
角も、棍棒も、今のところ降ってこない。
こういう時間なら、悪くない。
いや、かなりいい。
アリスが最後の卵焼きを口へ運び、空になった箱を見た。
「ごちそうさま」
「おう。きれいに食べてくれたな」
「また、こうして一緒に食べられるといいわね」
俺は川へ目を向け、それからアリスを見た。
「そうだな」
自然と、そう答えていた。
最初は、呼ばれるたびに面倒だと思っていた。
今も、寝ているところを連れてこられるのは困る。危ない仕事を増やされるのも困る。
ただ、この弁当を作るのは、別に嫌ではなかった。
「次は何を入れるの?」
「もう次回の献立かよ。今の弁当箱、まだ片づけてないぞ」
アリスが楽しそうに笑った。
◇
帰り道、アリスは薬草の籠を抱えて歩いた。
俺は弁当袋とメイスを持つ。
結局、今日はメイスを一度も振らずに済んだ。
持ち歩いただけで終わるなら、それが一番だ。
「コージ」
「ん?」
「今度、本契約のことをちゃんと調べてみてもいい?」
俺はアリスへ目を向けた。
彼女は前を見たまま、少し慎重に言葉を続けた。
「契約同調が強くなったでしょう? 普通は経験が足りないと、高位の精霊とは本契約できないんだけど……私たちの場合は、どうなのかなって」
「俺は人間だしな」
「ええ。だから、詳しい人に聞いてみたいの」
アリスが俺を見上げた。
「一緒に聞いてくれる?」
「ああ。調べるのはいいよ」
俺はうなずいた。
「ただ、契約するかどうかは、条件を聞いてからだぞ。眷属になるって話だったからな。何が変わるのか、ちゃんと知っときたい」
「分かってるわ。勝手に決めたりしない」
「それなら付き合うよ。俺にも関わる話だしな」
アリスは、安心したように笑った。
「ありがとう」
「礼はまだ早いよ。話を聞いたら、俺が質問ばかりするかもしれん」
「聞きたいことは聞けばいいでしょう?」
「そうだな。まずは休みの扱いからだ」
「そこからなの?」
「重要だろ。弁当を持ってきたら出勤扱い、なんて条件がついてたら困る」
アリスは声を上げて笑った。
◇
ギルドへ戻り、薬草を受付へ納めた。
女性は束の数と葉の状態を確認し、うなずいた。
「二十束、確かに。きれいに採ってありますね」
「アリスの検品が厳しかったからな」
「違う草を混ぜたら困るでしょう?」
「おかげで勉強になったよ」
報酬を受け取ったあと、アリスが本契約について相談できる人がいるか尋ねた。
受付の女性は少し考え、答える。
「召喚契約について詳しい職員に確認しておきます。次に来たとき、声をかけてもらえますか?」
「お願いします」
アリスが頭を下げ、俺もうなずいた。
今日はそこまでだ。
貸しスペースへ装備を戻し、食堂で果実水を頼む。
弁当袋の中を確かめると、箱もフォークも保冷剤もそろっていた。
「よし。忘れ物なし」
「全部返したでしょう?」
「ああ。助かるよ」
アリスは果実水を飲みながら、空の弁当箱へ目を向けた。
「今日は、いい日だったわ」
「そうか?」
「薬草も集まったし、お弁当もおいしかったし」
「俺も、魔物を担がなくて済んだしな」
「また採取にする?」
「たまにはいいね。俺が草の見分け方を忘れないうちに頼むよ」
日が傾くまで、ギルドの掲示板を眺めたり、町の話を聞いたりして過ごした。
アリスが少し疲れてきたと言ったところで、席へ戻る。
しばらくすると、俺の指先に淡い光が浮かんだ。
「そろそろか」
「今日はありがとう、コージ」
「ああ。君も、ゆっくり休めよ」
「ええ。またね」
俺は弁当袋を握り直した。
今日は、その中身がきれいに空になっている。
◇
居間へ戻ると、テレビには止めたままのゲーム画面が映っていた。
主人公は、町の入り口で立ち尽くしている。
「待たせたな。こっちは一仕事して、弁当まで食ってきたよ」
もちろん、返事はない。
俺は袋を台所へ運び、弁当箱を洗った。
家事は召喚前に済ませてある。
今度こそ、ゆっくりゲームをすることにした。
◇
夕方、妻が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり。飯、もう少しでできるぞ」
「ありがとう。今日は外で食べたの?」
「ああ」
「お弁当、どうだった?」
「好評だったよ」
妻が上着を脱ぐ手を止めた。
「……好評?」
しまった。
「誰かに食べてもらったの?」
「いや、俺の腹に」
「あなたのお腹が感想を言ったの?」
「満足そうだったってことだよ」
「自分で作って、自分で褒めてるのね」
「作った本人だって、褒められたいんだよ」
妻は少し笑い、手を洗いに行った。
俺は鍋の中をかき混ぜながら、息を吐く。
今日は魔物に襲われなかった。
川辺で弁当を食べ、穏やかに帰ってこられた。
それなのに、最後の最後で、自分の口が余計な仕事を増やしかけた。
薬草には、似ているものを混ぜるなと教わった。
俺の会話にも、日本の話と異世界の話を混ぜないための検品が必要らしい。
できれば、口から出荷する前に。




