第25話 オッサン精霊、夕飯まで勤務する
◇◇◇◇
「果物は落ちてきてもいいが、お前は落ちてくるな!」
俺は頭上のスプリングバックを見ながら、横へ踏み出した。
灰褐色の体が空中で傾く。
二本の角が、俺のいた場所へ向いた。
「うおっ!」
もう一歩、大きく避ける。
角が地面をえぐり、土が飛び散った。遅れて蹄が着地し、ずしんと足元に振動が伝わってくる。
「……果物が落ちる音じゃないな」
「コージ、大丈夫?」
「ああ。今のところ、頭の防具に仕事はさせてない」
スプリングバックが頭を上げた。
俺はメイスを構えかけたが、すぐ横に果樹の枝が張り出している。
勢いよく振れば、魔物より先に枝を折りそうだった。
「こっちだ。広いところでやろうじゃないか」
俺は後退した。
スプリングバックは鼻を鳴らし、蹄で地面をかく。
「そうそう。君の立派な跳躍を見せてくれ。できれば俺のいない場所へな」
「コージ、挑発しているの?」
「話が通じるなら、果物代を請求して終わりにしたいんだけどな」
当然、相手から返事はない。
代わりに、角を低くして走ってきた。
「跳ぶだけじゃないのかよ!」
俺は果樹の列から抜け出し、収穫用の籠が置かれていた広場へ移動した。
アリスも距離を取りながらついてくる。
ここなら枝に邪魔されない。空も見えるし、足元には根も少ない。
俺が立ち止まると、スプリングバックも少し手前で止まった。
後ろ脚が折れ曲がる。
来る。
「アリス、そっちは頼むぞ!」
「任せて!」
地面を蹴った体が、再び高く跳び上がった。
俺は足元の影を一瞬確認し、すぐ本体へ目を戻した。
影だけを見ていてはいけない。
受付の女性が言っていた。
跳んだあとに体をひねることがある、と。
スプリングバックの腰が動く。
角の向きが、わずかに変わった。
「そっちへ来るのか!」
俺は斜め前へ踏み込み、落下してくる体の横へ抜けた。
背後で、土をえぐる音がする。
振り返ると、スプリングバックは前脚を踏ん張り、頭を持ち上げようとしていた。
森本さんの話では、着地したあとが狙い目だった。
「ここだな!」
両手で握ったメイスを、横から振った。
重い鉄のメイスが首の付け根に当たり、スプリングバックの体が横へ崩れた。
土の上を滑り、そのまま動かなくなる。
俺はメイスを下ろし、息を吐いた。
「……一体」
「やったわ、コージ!」
「まだもう一体いる。そっちを見ててくれ」
「ええ!」
俺は倒れた魔物から少し離れ、周囲へ目を配った。
頭の防具がずれていないか、左手で軽く確かめる。
役に立ってはいる。
かぶっているだけで、多少は気持ちが違う。
ただ、角が刺さらないか試してみたいとは、これっぽっちも思わなかった。
◇
木々の向こうで、葉が揺れた。
一体目より少し小さいスプリングバックが、果樹の間から現れる。
俺ではなく、倒れた仲間を見ていた。
それから顔を上げ、アリスへ目を向けた。
「そっちは駄目だぞ」
俺は二体目とアリスの間へ動いた。
スプリングバックは横へ回り込む。俺も同じ方向へ足を運び、進路をふさいだ。
「回り込んでくるわ!」
「見えてる。なかなか落ち着きのないやつだな」
相手は果樹の陰へ入りかけた。
追いかければ、また枝の下で戦うことになる。
俺が足を止めたとき、アリスが杖を向けた。
「風よ!」
木々の間を風が抜けた。
落ち葉が舞い上がり、スプリングバックの前を横切る。
驚いた魔物が足を止め、広場側へ顔を向けた。
その瞬間、俺は右へ動いていた。
なぜか、そちらへ回ればいい気がしたのだ。
「コージ、そっちへ……」
アリスの声が途中で止まる。
俺はメイスを構え、広場へ出てくる魔物を待ち受けた。
スプリングバックが俺を見る。
後ろ脚が沈んだ。
「また上か。地面を走るだけじゃ、不満なのかね」
灰褐色の体が跳び上がる。
俺は動きを見ながら、横へ避ける準備をした。
しかし、二体目は一体目ほど高く跳ばなかった。
前方へ大きく飛び、角を俺の胸元へ向けてくる。
「今度は横からかよ!」
俺は体をひねった。
角が胸当ての前を通り過ぎる。
蹄が地面に触れたところで、俺はメイスを振り下ろした。
肩のあたりに重い一撃が入り、スプリングバックの脚が崩れる。
倒れたあとも起き上がろうとしたため、俺は素早く近づき、もう一撃を加えた。
動きが止まる。
俺は少し待ち、ほかに物音がしないことを確かめた。
「……これで二体だな」
「ええ。二体とも倒したわ」
アリスが駆け寄ってきた。
「怪我はない?」
「ああ。胸当てにも当たらなかったと思うよ」
「よかった」
ほっとした顔を見て、俺も肩の力を抜いた。
「森本さんの話、役に立ったな」
「帰ったらお礼を言うの?」
「何のお礼か説明するところで、俺が困るんだよ」
「ゲームの話で助かったって言えばいいじゃない」
「『おかげで本物の角を避けられました』ってか? そこから先の言い訳まで攻略してもらわにゃならん」
アリスが笑った。
それから、不思議そうに俺を見る。
「ねえ、さっき、私が言おうとしたこと、分かったの?」
「何のことだ?」
「風を使ったあとよ。右へ回ってほしかったんだけど、言う前にコージが動いたでしょう?」
「ああ……」
確かに、そうだった。
風が吹いたあと、自然と足が動いた。
「君が風を送ったから、そっちへ回ればいい気がしてな」
「そうなの?」
「声が聞こえたわけじゃないぞ。ただ、そうしたほうがいいと思ったんだ」
アリスは俺の顔を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
「息が合ってきたのね」
「一緒に働いてりゃ、相手のやりたいことも多少は分かるからな」
そう答えたが、今朝の召喚前の感覚も頭をよぎった。
強い同調。
あの表示が、こういうところにも関係しているのだろうか。
まだ決めつけるには早い。
ただ、声をかけられる前に動けたことは確かだった。
「でも、言わなくても全部分かると思うなよ。大事なことは、ちゃんと声に出してくれ」
「分かったわ」
「特に、追加の仕事はな」
「そこも大事なの?」
「俺にとっては重要事項だよ」
◇
果樹園の北側をもう一度見回り、ほかに魔物がいないことを確かめてから、入り口へ戻った。
待っていた男が、俺たちを見るなり立ち上がる。
「どうだった?」
「二体とも倒したよ。確認してもらえるか?」
「本当か! 助かった!」
男を案内すると、倒れたスプリングバックを見て、大きく息を吐いた。
「これで収穫に入れる。何日も作業を止めるわけにはいかなかったからな」
「まだ、ほかから来る可能性はあるんだろ。しばらくは気をつけてくれよ」
「ああ。作業員にも伝えておく」
アリスが魔物へ目を向けた。
「コージ、これもギルドへ持って帰るわよ」
「角や毛皮が売れるんだよな」
「ええ。二体とも持ち帰りたいわ」
俺は二体の体を見比べた。
片方を担ぎ、もう片方を引きずるのは避けたい。
せっかくの毛皮が傷つくだろうし、何より俺が嫌だ。
「この二体をギルドまで運びたいんだが、荷車を貸してもらえないか?」
男へ聞くと、すぐにうなずいた。
「収穫に使うものがある。貸そうか?」
「助かるよ。荷下ろししたら、ちゃんと返しに来る」
「急がなくていい。今日中に戻してもらえれば十分だ」
俺はほっとした。
「よかった。今日は担がなくて済むな」
「でも、荷車に載せるのはコージよ」
「分かってるよ。俺が喜んでる時間くらい、最後までくれ!」
アリスは悪びれずに笑った。
借りた荷車は、丈夫そうな木製だった。
車輪と荷台を確かめ、魔物を一体ずつ持ち上げる。
角が外へ突き出さない向きで置き、二体の重さが片側へ偏らないように並べた。
見ていた男が、目を丸くする。
「……あんた、ずいぶん力があるな」
「持てるのと、持って歩きたいのは別だからな。荷車を借りられてよかったよ」
「その力なら、収穫の荷運びも頼みたくなるな」
「まずは今の荷物を届けさせてくれ。行く先々で仕事を増やすと、帰り道が終わらん」
◇
出発前に、男が果物を持ってきてくれた。
黄色い皮の丸い実が、籠にいくつも入っている。
「よければ食べていってくれ。ミエルの実だ。洗ってある」
「ありがとう。ちょうど食べ頃なのか?」
「ああ。今年は甘くできたよ」
アリスが嬉しそうに籠を覗き込んだ。
「私、これ好きなの!」
「じゃあ、魔物に食われる前に守れてよかったな」
俺たちは木陰のベンチへ座り、一つずつ受け取った。
アリスがさっそくかじる。
「甘い!」
俺もひと口食べた。
黄色の薄い皮の下には、桃のように柔らかい果肉が詰まっていた。
甘い汁が口の中に広がり、あとから少し酸味が残る。
「うまいな。こういうのなら、毎日でも歓迎なんだけどね」
「果樹園の仕事、気に入った?」
「果物はな。頭上から角が降ってくる作業は、もう少し減らしてほしいよ」
アリスが笑い、もうひと口かじった。
口の横に果汁がついている。
「おい、口の横」
「え?」
アリスが手の甲で反対側を拭いた。
「そっちじゃない。反対だ」
「こっち?」
「……ほら、これを使いな」
ポケットのハンカチを渡す。
アリスは受け取り、口元を拭いた。
「取れた?」
「ああ。取れたよ」
「ありがとう」
そう言って、また果物をかじる。
よほど気に入ったらしい。
俺は自分の果物を食べながら、その横顔を眺めた。
魔物と戦っているときは、頼りになる冒険者だ。
こうして嬉しそうに食べていると、やっぱり十五歳の女の子なんだと思う。
「コージのお弁当も、こういうところで食べたいわ」
「魔物がいなければな」
「討伐が終わってから食べればいいでしょう?」
「弁当を食うために、毎回一仕事入れるなよ。普通に座って食べる選択肢も残しといてくれ」
「じゃあ、魔物のいないところを探しておくわ」
「それなら考えておくよ」
アリスは嬉しそうにうなずいた。
そんな顔をされると、弁当くらい作ってやってもいいかと思ってしまう。
日本で妻の分を作り、異世界でアリスの分を作る。
どうやら今後は、卵の減りが早くなりそうだった。
◇
町へ戻る道では、俺が荷車を引いた。
車輪が土を踏み、ことことと音を立てる。
アリスは横を歩き、ときどき荷台を確かめていた。
「重くない?」
「重いけど、担ぐよりずっと楽だよ」
「コージがいると、丸ごと持って帰れるから助かるわ」
「俺も荷車があると助かる。今後の依頼書には、荷車の有無も書いといてほしいね」
門番には、いつものように驚かれた。
ただ、今日は俺が魔物を担いでいない。
「今回は荷車か」
「ああ。文明の力を借りてるんだよ」
「そのほうが普通だな」
「俺だって、好きで毎回担いでるわけじゃないからな」
ギルドの裏手へ回ると、解体場の職員も荷車を見た。
「今日は、ちゃんと車で運んできたんだな」
「ようやく普通に運んだみたいに言うな。使えるものがあれば、俺だって使うよ」
二体を下ろし、アリスが引換券を受け取る。
借りた荷車は、荷台についた汚れを落としてから果樹園へ返しに行った。
依頼主から改めて礼を言われ、ギルドへ戻るころには、日差しが傾き始めていた。
受付で討伐の報告を済ませ、貸しスペースへ向かう。
頭の防具を外すと、額に風が触れた。
「ふう。今日はこれに角が刺さらなくてよかったな」
「避けられたものね」
「ああ。今後も、その使い方で頼むよ」
メイスの汚れを拭き、胸当てと革靴も片づける。
日本から履いてきた室内用のスリッパへ足を戻した。
アリスを見ると、まだ元気そうだった。
「魔力は大丈夫か? 今日は結構長くいるぞ」
「ええ。それが、まだ余裕があるの」
「疲れてないか?」
「少しは疲れたけど、前みたいな感じじゃないわ。コージを召喚しておくのが、前ほど大変じゃないのよ」
アリスは胸元へ手を当て、考えるように続けた。
「同じくらいの時間がたっても、魔力の減りが少ない気がするの」
「使える魔力が増えたってだけじゃないのか?」
「それもあるかもしれないけど……召喚を維持する負担が、軽くなった感じね」
「契約同調が変わったせいかね」
「きっとそうよ!」
アリスの笑顔が明るくなる。
「ねえ、コージ。今日は一緒に夕食を食べない?」
「夕食?」
「もうすぐ食堂で出してくれるわ。今日は最後まで食べられそうだもの」
俺は食堂のほうを見た。
鍋から湯気が上がり、肉の焼ける匂いが漂っている。
「そうだな。魔力に無理がないなら、食べていくか」
「ええ!」
アリスは嬉しそうに、空いている席を探し始めた。
◇
注文したのは、肉と野菜の煮込みに、焼いたパンだった。
深い皿の中で、柔らかそうな肉が湯気を上げている。
アリスは皿が運ばれてくると、俺の体をちらりと見た。
「まだ光ってないわね」
「飯が来るたびに、俺の送還確認をするなよ」
「前は途中で帰ってしまったでしょう?」
「ワイルドボアの肉のときだな。少し食べたところで終わっちまった」
「今日は、ゆっくり食べていいわよ」
「それはありがたいね。飯を食ってる最中に退勤させられると、どうにも落ち着かん」
俺は煮込みをひと口食べた。
肉は柔らかく、よく味が染みている。
パンを汁につけると、これまたうまかった。
「どう?」
「ああ、うまいよ」
「よかった」
アリスも食べ始めた。
食堂には、依頼を終えた冒険者が集まっている。
隣の卓では今日の戦いを話し、別の卓では報酬の使い道でもめていた。
俺たちは果樹園の話をした。
一体目が思ったより高く跳んだこと。
二体目は低く飛んできたこと。
荷車を借りられて助かったこと。
「でも、コージが右へ動いてくれたときは、嬉しかったわ」
「そうか?」
「私がやりたいこと、分かってくれたんだなって」
「毎回うまくいくとは限らんけどな。今日みたいに、互いに見て動ければいいんじゃないか」
「ええ。もっと上手に合わせられるようになりたいわ」
アリスはパンをちぎり、皿の汁につけた。
俺も同じように食べながら、ふと気づいた。
帰還する前に食べなければ、と急いでいない。
皿の肉が残っているかどうかより、アリスの話を聞いている。
こんなふうに夕飯を食べられるだけで、ずいぶん違うものだ。
「コージは帰ったら、何をするの?」
「掃除の続きだよ。それから洗濯物を干す」
「働いてばかりね」
「そのうちの一仕事は、君が追加したんだけどな」
「でも、おいしい夕食もついていたでしょう?」
「そうだな。そこは、待遇改善として認めておこう」
アリスが笑う。
俺も笑いながら、残りのパンを口へ運んだ。
皿を空にして、果実水をひと口飲む。
「ごちそうさん。今日は、ちゃんと最後まで食べられたな」
「ええ!」
アリスは嬉しそうに、空になった俺の皿を見た。
その少しあとだった。
指先に、淡い光が浮かぶ。
「お。今度は帰る時間か」
「ちょうどよかったわね」
「ああ。腹もいっぱいだし、いい頃合いだよ」
「また一緒に食べましょうね」
「そうだな。君も、帰ったらちゃんと休むんだぞ」
「分かってるわ」
アリスが小さく手を振る。
俺も手を上げたところで、食堂の景色が白い光に包まれた。
◇
目の前に、家の廊下が戻ってきた。
端に寄せた掃除機が、そのまま置いてある。
洗濯機は、まだ動いていた。
時計を見る。
ほんの数分しか進んでいない。
「……まだ朝かよ」
さっきまで、アリスと夕飯を食べていたのだ。
果樹園へ行き、魔物を倒し、荷車を引いて町へ戻った。借りた荷車を返しに行き、ギルドで報告まで済ませた。
それなのに、日本では洗濯すら終わっていない。
俺は腹をさすった。
しっかり満腹だ。
こちらでは朝食を済ませたばかりなのに、異世界の夕食まで入っている。
「……今日、あと何食あるんだ?」
昔から、腹八分目がいいという。
だが、二つの世界で律儀に八分目ずつ食べていたら、合計で十六分目だ。
どうやら今後は、荷物より先に、自分の積載量を管理する必要がありそうだった。




