第23話 オッサン精霊、最後の横乗りを終える
◇◇◇◇
いつもと同じ時間に会社へ着いた。
駐車場には見慣れたトラックが並び、倉庫からは台車の車輪が転がる音が聞こえてくる。
今日で、最後の出勤だ。
そう思っても、足はいつもと同じように倉庫へ向かった。
「高野さん、おはようございます」
「おはよう。今日も頼むよ」
森本さんは、すでに伝票を手にしていた。
「午前の荷物、確認してあります。奥の配達先から先に積んでいいですよね?」
「ああ。それでいいよ」
荷物の数と配達先を確かめ、積み込みを始める。
森本さんは迷わず荷物を選び、荷台の空いている場所を見ていた。
重いものを下に置き、箱の隙間を詰め、荷崩れしないように整えていく。
俺が口を出すことは、ほとんどない。
「……もう、俺が横にいなくても大丈夫そうだな」
「いや、まだ不安ですよ」
「まあ、最初はそんなもんだよ。一人で回るようになって、一週間もすりゃ慣れてくるさ」
「そうですかね」
「ああ。俺が横にいないほうが、気楽かもしれんぞ。小言を言うオッサンが一人減るんだからな」
「いや、高野さんがいてくれると安心するんですよ」
「嬉しいこと言ってくれるねえ。でも、分からないことは遠慮なく会社に聞くんだぞ。一人で走るからって、何でも一人で抱え込む必要はないからな」
「はい。ありがとうございます」
森本さんはうなずき、最後の荷物を積んだ。
出発前の点検と点呼を済ませ、俺は助手席へ乗る。
運転席に座った森本さんが、ミラーを確認した。
「出発します」
「よろしく」
トラックがゆっくり走り出した。
会社の門を抜ける。
何度も見てきた景色なのに、今日は少し違って見えた。
◇
配達は順調だった。
森本さんは道を間違えず、納品先の指定された場所へトラックを止めた。伝票を渡す相手も、荷物を置く場所も覚えている。
納品を終えたあとには、残った荷物の位置も確認していた。
「よし。次もその調子で」
「ありがとうございます」
「俺がいなくなっても、確認だけは省かないでくれよ。慣れたころが危ないんだからな」
「はい。気をつけます」
返事を聞き、俺は助手席へ戻った。
教えることは伝えた。
あとは森本さんが、自分のやり方を作っていくのだろう。
◇
昼休憩になり、トラックを止めた。
森本さんは買ってきた弁当を広げ、俺も妻の弁当を膝に置く。
「高野さんとここで食べるのも、今日で最後ですね」
「そうだな」
「ゲームの攻略を話す相手がいなくなるのは寂しいです」
「そっちの引き継ぎ相手まで、俺が探すのかよ」
森本さんが笑った。
俺は弁当の蓋を開け、箸を取る。
「そういえば、この前のオーク、倒したよ」
「棍棒を持ったやつですか?」
「ああ。教えてもらったとおり、振り下ろすのを横へ避けてな」
「うまくいきました?」
「棍棒は地面に刺さった。そこまではよかったんだが、攻撃しようとしたら、こっちの武器をつかんできたんだよ」
「ああ。近づきすぎると、そういう行動もしますね」
俺は箸を止めた。
「先に言ってくれ! 危うく買ったばかりのメイスを持っていかれるところだったぞ!」
「すみません。そこまで接近すると思わなくて」
「ゲームの攻略説明って、肝心なところを省くんだよなあ……」
「それで、どうしたんですか?」
「引っ張り返した」
「武器をですか?」
「ああ。向こうも踏ん張ってたが、ずるずる動いてな。最後は放してくれたよ」
森本さんが感心したようにうなずいた。
「高野さん、筋力にかなり振ってるんですね」
「いや、見た目は細いオッサンのままだよ」
「見た目と能力は別ですからね」
「そうなんだよな。あいつにも見くびられて、最初は笑われたからな」
「ずいぶん感情移入してますね」
危ない。
オークが俺の頭を見て笑ったところまで、説明するつもりになっていた。
「そりゃ、一人称視点だからな。目の前で笑われりゃ、こっちも気分が悪いよ」
「分かります。で、倒したらいい素材が出ました?」
「討伐証明は取った。それより、商人の荷物を回収して、馬車に積み直したんだ」
「荷物回収のクエストだったんですか」
「ああ。穀物袋と布地と、陶器の箱があってな。重いものを下に積んで、箱が揺れないように隙間を埋めて――」
森本さんが、俺を見た。
「高野さん、ゲームの中でも積み込みしてるんですか?」
「成り行きだよ。俺だって、帰ってまで荷物を積む予定はなかったんだ」
「帰ってからも仕事じゃないですか」
「風呂まで入ったのに、また積み込みだからな」
「ゲームなんですから、やめればいいでしょう」
「……それができれば苦労せんのだよ」
俺はご飯を口へ運んだ。
森本さんは笑いながら、お茶を飲んでいる。
「でも、積み方を見た商人が、報酬を増やしてくれたよ」
「そんな判定まであるんですね。細かいなあ」
「丁寧な仕事を見てくれる相手だと、やりがいはあるね」
「僕もそのクエストを見つけたら、今日教わった積み方を試してみます」
「おう。ただ、オークと綱引きするところまでは真似せんでいいぞ」
「そこは高野さんの筋力がないと無理そうですから」
俺は笑って、残りの卵焼きを食べた。
森本さんには配達を教えた。
その森本さんから聞いた話に、俺は異世界で助けられた。
本人には言えないが、ずいぶん世話になったものだ。
◇
弁当を片づけていると、森本さんが窓の外を見た。
「もう、秋らしくなってきましたね」
「そうだな」
街路樹の葉は、ところどころ色が変わり始めていた。
少し開けた窓から入る風も、夏のころより涼しい。
ついこの前まで、荷物を一つ運ぶだけで汗だくになっていたのに。
「夏が終わったと思ったら、すぐ冬になりそうだよ」
「高野さん、まだ秋が始まったところですよ」
「歳を取ると早いんだよ。一日なんか、朝飯を食って仕事したら、もう夕飯だからな」
「間に昼飯も食べてますけどね」
「飯の回数を数えても、一日は伸びんよ」
森本さんが笑った。
俺は窓の外へ目を戻した。
この道を走り、この場所で昼を食べ、また会社へ戻る。
そんな日を、何年も繰り返してきた。
明日からは、違う朝になる。
少し楽しみで、少し落ち着かなかった。
◇
午後の配達を終え、会社へ戻った。
荷台を片づけ、忘れ物がないか確認する。
「森本さん、引き継ぎはこれで終わりだな」
「はい。ありがとうございました」
「もう一通りできてるよ。焦らず、安全にやってくれ」
「高野さんも、ゆっくり休んでください」
「ああ。その予定だよ」
「また、ゲームの話も聞かせてください」
「そっちは電話でもできるな」
森本さんは嬉しそうに笑った。
「攻略で困ったら、いつでも聞いてください」
「じゃあ次から、武器を奪われる注意事項も忘れずに頼む」
「分かりました」
俺は荷台の扉を閉めた。
金具の音が、いつもより大きく聞こえた。
◇
挨拶をして回ると、同僚たちが手を止めて声をかけてくれた。
「高野さん、お疲れさまでした」
「送別会の日、決まったら連絡しますね」
「腰、大事にしてくださいよ」
「ああ。みんなも無理しすぎるなよ」
用意してきた菓子箱は、特に親しくしていた3人へ渡した。
配達が遅れた日に荷物を引き受けてもらったこともある。
逆に俺が手伝ったこともある。
仕事の愚痴を言い合い、休憩中にくだらない話で笑った相手だ。
「これ、よかったら食べてくれ」
「えっ、わざわざいいのに」
「大したものじゃないよ。今まで世話になったからさ」
「世話になったのは、こっちですよ」
そのうちの1人が、菓子箱を持ったまま黙った。
顔を上げると、目元が赤くなっている。
「……やっぱり、寂しくなりますね」
その顔を見たら、俺まで喉の奥が詰まった。
「おいおい。会社を辞めるだけで、遠くへ引っ越すわけじゃないぞ」
「分かってるんですけどね」
「いつでも会えるよ。世の中、案外狭いんだから。またどこかで顔を合わせるだろ」
同僚は目元を拭き、笑った。
「困ったら電話してもいいですか?」
「話は聞くよ。ただ、トラックと荷物を用意して待つなよ」
「手伝いには来てくれないんですか?」
「腰を休めるために辞めるんだぞ。そこは覚えといてくれ」
3人が笑った。
俺も笑ったが、すぐには次の言葉が出てこなかった。
「……本当に、ありがとな」
今度は、俺から頭を下げた。
◇
事務所へ入り、部長へ声をかけた。
「森本さんへの引き継ぎ、終わりました。一通り任せられると思います」
「そうか。短い間に、よく教えてくれたね」
「経験者ですし、覚えも早かったですから」
「高野さんが横についてくれたおかげだよ」
そう言われ、俺は小さく頭を下げた。
「明日からは、予定どおり有給を使わせていただきます」
「ああ。ゆっくり休んでくれ」
そのあと、社長の机へ向かった。
「社長。今日で最後の出勤になります。長い間、お世話になりました」
社長が立ち上がった。
「こちらこそ。長年、本当にありがとう」
「会社から借りている物は、来月末の退職日に持ってきます。有給の最後の日に、まとめて返却させてください」
「分かった。そのときに手続きも確認しよう」
「はい」
「まずは体を休めて。腰も、ちゃんと治療だね」
「ありがとうございます」
もう少し何か言うつもりだった。
だが、長年のことをまとめようとすると、何から話せばいいのか分からなくなる。
俺はもう一度、深く頭を下げた。
「お世話になりました」
◇
駐車場へ出ると、夕方の風が頬に当たった。
自分の車の前で、事務所と倉庫を振り返る。
何度も「もう辞めたい」と思った場所だ。
腰を押さえながら帰った日も、時間に追われて腹が立った日もあった。
それなのに、明日から来なくていいとなると、妙な気持ちになる。
返却と手続きのため、もう一度来る予定はある。
だが、朝から荷物を積み、配達へ出る日々は、今日で終わった。
「……長かったな」
口にしてから、少し笑った。
長かったはずなのに、振り返るとずいぶん早い。
俺は車へ乗り込み、シートベルトを締めた。
最後に倉庫のほうを見てから、ゆっくり会社を出た。
◇
「ただいま」
「おかえり」
妻が台所から顔を出した。
「今日で出勤は最後でしょう? お疲れさま」
「ああ。終わったよ」
その一言を聞いて、肩の力が抜けた。
会社では何度も挨拶をしたが、家へ帰ってきて、ようやく終わった実感が湧いてきた。
「お風呂、入ってくる?」
「ああ。そうする」
「夕飯、カキフライにしたから」
「お、いいね」
「好きでしょう。今日は少し多めに揚げるわ」
「ありがとな」
◇
風呂から上がると、食卓にカキフライが並んでいた。
衣がきつね色に揚がり、横には千切りキャベツ。ソースとタルタルも用意されている。
「うまそうだな」
「揚げたてよ」
席に座り、ひとつ口へ運んだ。
サクッと衣が砕け、中から牡蠣のうまみが広がる。
「うまいなあ……」
「今日はどうだった?」
「森本さんは、もう大丈夫そうだよ。配達も順調だった」
「そう。安心して休めるわね」
「ああ。同僚にも挨拶してきた。泣きそうな顔をされて、こっちまで困ったよ」
「あなたも泣いたの?」
「……そこまではいってない」
「その間は何?」
「長年いたんだから、多少はくるんだよ」
妻は軽く笑い、俺の皿へカキフライを足した。
「まだあるから、おかわりしていいわよ」
「じゃあ、もう少しもらうか」
荷物はもう積まなくていい。
今夜は腹に、カキフライだけ積んでおこう。
「食べすぎないでね」
「積載量は分かってるよ」
「あなた、好物のときは分かってないでしょう」
「今日くらい、多少の過積載は見逃してくれ」
妻が呆れたように笑った。
俺も笑って、もうひとつ箸でつまんだ。
今日、ようやく会社での仕事に区切りがついた。
これからの仕事は、まだ決まっていない。
考えることはあるが、今夜くらいは後回しにしてもいいだろう。
「明日は、ゆっくり寝ていていいわよ」
「ああ。そうさせてもらう」
「起こさないから」
ありがたい。
長年連れ添った妻は、俺の休みを分かってくれている。
あとは、異世界の雇い主にも同じことを分かってもらえれば、完璧だな。




