第20話 オッサン精霊、風呂上がりに荷物回収
◇◇◇◇
仕事を終えて帰宅すると、妻が台所から顔を出した。
「おかえり。先にお風呂に入ったら? もう沸いてるわよ」
「ああ、そうする。今日は腰が重くてな」
森本さんに運転を任せても、荷物の積み下ろしがなくなるわけではない。助手席に座ったからといって、腰まで休暇に入るわけでもなかった。
着替えを持ち、風呂場へ向かう。
◇
「はぁ……生き返るな」
湯船につかり、ゆっくりと足を伸ばした。
ようやく今日の仕事が終わった気がする。
浴槽の縁に頭を預けたところで、ふと気づいた。
今日もアリスに呼ばれていない。
昨日も呼ばれなかった。初めて召喚されてから、2日続けて何もなかったことはない。
「ちゃんと休んでるなら、いいんだけどな……」
ストーンシェル・アルマを討伐したあと、ゆっくり休めとは言っておいた。
呼ばれなければ仕事に集中できる。弁当も最後まで食べられるし、森本さんの前で妙な言い訳をせずに済む。
それなのに、今度は呼ばれないことが気になる。
体調を崩していないだろうか。俺を呼ばずに、ひとりで危ない依頼を受けていないだろうか。
あいつの「大丈夫」は、ときどき信用できない。
「呼ばれても困るし、呼ばれなくても気になるし……面倒なオッサンになったな、俺も」
湯を両手ですくい、顔を洗った。
こちらから会いに行けるわけではない。考えても仕方がないのだが、気になるものは気になる。
◇
風呂から上がり、部屋着に着替えた。
タオルを首に掛け、洗面台の前でドライヤーを使う。
鏡の中には、いつもの細いオッサンがいる。身長173センチ、体重56キロ。長年荷物を運んできたわりに、見た目は頼りない。
頭頂部など、最近は風通しまでよくなってきた。
「乾かすのは早くなったな……」
便利になったと喜んでいいのか、判断に困る。
ひと通り乾いたところで、スイッチを切った。
その瞬間、足元の感触が消える。
「……え、今から?」
鏡も洗面台も白い光に包まれた。
呼ばれなくて心配だとは思った。
思ったが、風呂上がりに出勤したいとまでは言っていない。
次の瞬間、俺は町の石畳に立っていた。
「コージ精霊さん!」
目の前で、アリスが嬉しそうに笑っている。
背後には冒険者ギルド。通りには人や荷馬車が行き交い、朝の日差しが建物の屋根を照らしていた。
こちらは仕事終わり。向こうは仕事始め。
相変わらず、都合のいい時間に呼ばれるものだ。
「おう。元気そうだな」
「ええ!」
顔色は悪くない。その返事を聞いて、ひとまず胸をなで下ろした。
すると、アリスの視線が俺の右手に止まった。
「何の道具?」
「これか? ドライヤーだよ」
「ドライヤー?」
「風を出して、濡れた髪を乾かす道具だ」
アリスは興味深そうに覗き込んだ。
「風が出るの? コージも風の精霊の力を使うのね!」
「使わんよ。日本の電気で動くんだ」
「デンキ?」
「……説明することがまた増えたな」
試しにスイッチを入れる。
当然、動かない。コードの先のプラグが、足元で虚しく揺れた。
「風、出ないわよ?」
「ここじゃ使えないんだよ」
「じゃあ、どうして持ってきたの?」
「君が持ってこさせたんだろ! 俺は家で髪を乾かしてただけだよ!」
アリスは俺の頭へ目を向ける。
「もう乾いているみたいだけど?」
「乾いた直後に呼ばれたんだ。せめて、これを置くまで待ってくれよ」
「ごめんなさい。そこまでは分からないもの」
「まあ、そうだろうけどな……」
首にはタオル。足元は家のスリッパ。手には使えないドライヤー。
通り過ぎる男が俺を見て、もう一度振り返った。
「見世物じゃないぞ。こっちも好きでこの格好をしてるんじゃないんだからな」
「装備に着替えれば大丈夫よ」
「着替える場所があるだけ、以前より待遇はよくなったな」
◇
ギルドに入り、貸しスペースへ向かった。
胸当てと革靴、メイスはここに置いてある。ドライヤーとタオル、スリッパをしまい、冒険に出る支度を整えた。
「昨日はちゃんと休んでたのか?」
「ええ。宿でゆっくりしていたわ。おかげで、もう大丈夫」
「そうか。2日も呼ばれなかったから、何かあったのかと思ったよ」
胸当ての留め具を締めながら言うと、アリスが俺を見た。
「心配してくれたの?」
「そりゃな。ひとりで無茶してないだろうなって」
「してないわ。コージが休めって言ったでしょう?」
「なら、いいんだよ」
アリスは少し照れたように笑った。
「ありがとう」
「礼はいいから、今後も疲れたときは休んでくれ」
「分かってるわ。今日は、まだ行ったことのない場所へ行こうと思っているの」
「話の切り替えが早いな。どこへ行くんだ?」
「東の街道よ。草原と丘が続いていて、西の森とは違う景色なの」
「ほう。それで、何の仕事?」
「商人の荷物を回収する依頼よ」
俺は革靴を履く手を止めた。
「……荷物?」
「ええ。オークに襲われて、荷物を降ろして逃げたんですって」
「会社から帰って風呂まで入ったのに、また荷物の回収か。俺の仕事、世界をまたいで追いかけてくるな」
「コージ、得意でしょう?」
「得意な仕事なら何回やっても嬉しい、とは限らんのだよ」
アリスはすでに見ておいた依頼書を持ち、受付へ向かった。
俺もメイスを手にして、そのあとを追う。
◇
受付で依頼を正式に受け、詳しい話を聞いた。
襲われたのは、町へ向かっていた商人の馬車。御者も商人も無事だったが、馬車を軽くするため、積んでいた荷物の一部を街道脇へ降ろしたらしい。
荷物の回収と、現場の安全確保。それが今回の依頼だった。
「目撃されたのは、オーク・クラブマンです」
受付の女性が説明する。
「大きな棍棒を使います。荷物が残っているため、まだ周辺にいる可能性がありますので、注意してください」
「棍棒……」
森本さんから聞いたゲームの話が、頭をよぎった。
名前は違うが、よく似た相手だ。
「コージ、どうしたの?」
「いや。似たような奴の話を、最近聞いたんだよ」
「日本にもオークがいるの?」
「いるわけじゃない。遊びの中の話だ」
「それ、役に立つの?」
「そこは現物を見てからだな」
ゲームの攻略を、そのまま信じて飛び込むつもりはない。
もっとも、何も知らずに行くよりはましだろう。
頭を守る防具も欲しいと思ったが、今回は手持ちの装備で行くことにした。買うにしても、形や値段を見てからだ。
せめて、棍棒を頭に食らわないようにしよう。
◇
東門の近くでは、商人が馬車の横に立って待っていた。
「依頼を受けたアリスです」
「ああ、ありがとうございます!」
商人はほっとした顔をしたあと、アリスを見て少し表情を曇らせた。
そして隣にいる俺へ目を向ける。
「こちらの方が護衛ですか?」
「私の召喚精霊よ」
「精霊……?」
「コージだ。荷物の話を聞かせてもらっていいか」
精霊か人間かを説明していたら、出発前に昼になりそうだった。
「荷物は全部でいくつだ? 重いものと、割れ物はあるか?」
「穀物の袋が4つ、布地の包みが3つ。それと、陶器を入れた木箱が2つです」
「陶器の箱には、詰め物をしてある?」
「はい。藁を詰めてあります」
「箱の目印は?」
「側面に青い線が引いてあります。布地の包みにも、私の商会の印が」
商人が荷物の特徴を説明する。俺は個数を繰り返し、降ろした場所も確認した。
「穀物が4、布地が3、陶器が2。全部で9つだな」
「はい。ずいぶんお詳しいんですね」
「魔物より、荷物のほうが付き合いは長いからな」
商人は不思議そうな顔をしたが、追及はしなかった。
「回収したあと、馬車に積む順番も考えておこう。重い袋を下にして、陶器は揺れにくい場所だな」
「そこまで確認してくださるとは」
「日本にはね、『段取り八分』って言葉があるんだよ」
「ダンドリハチブ?」
アリスが首を傾げた。
「仕事は、前もって準備を整えることが大事だって意味さ。何をどう運ぶか決めておけば、現場で慌てずに済むだろ」
「なるほど。コージが運びやすいようにするのね!」
「俺に全部担がせる段取りじゃないぞ。馬車に積む段取りだ!」
「でも、コージなら運べるでしょう?」
「運べるのと、運ぶ必要があるのは別だ。馬車があるなら使おうよ!」
商人が遠慮がちに手を上げた。
「馬車は使えます。荷物を戻していただければ、私が運びますので」
「ほら。話の分かる人だ」
「私だって分かっているわよ」
「今、俺を馬車にするつもりだったろ」
アリスは返事をせず、東門の外へ顔を向けた。
商人には、現場から離れた分かれ道まで来てもらい、そこで待っていてもらうことにした。安全を確かめたら、俺たちが迎えに戻る。
荷物が残っているかも分からないのに、馬車ごと危険な場所へ進ませるわけにはいかなかった。
◇
東門を出ると、景色が開けた。
なだらかな丘に草が広がり、街道がその間を縫うように伸びている。道沿いには畑があり、遠くで家畜らしい生き物が草を食べていた。
西の森とは違って、空が広い。
「いい眺めだな」
「でしょう?」
「仕事じゃなけりゃ、もっと楽しめるんだけどね」
「仕事でも楽しめばいいのよ」
「雇う側は、簡単に言うんだよなあ」
アリスは笑いながら歩いていく。
途中の分かれ道で商人の馬車と別れ、俺たちは現場へ向かった。
街道の脇に木が増え始めたころ、アリスが足を止める。
「コージ、あれ」
指さした先に、破れた袋が落ちていた。
周囲には穀物の粒が散らばっている。
俺はしゃがみ、袋の口と裂けた部分を見た。
「引きずったみたいだな」
「足跡もあるわ」
土には大きな足跡が残っていた。こぼれた穀物は、街道から外れた木立のほうへ続いている。
「オークが持っていったのね」
「荷物の置き場所が変わってるぞ。そんな連絡、受けてないんだけどな」
「オークは連絡しないでしょう」
「だろうね。伝票も書かんだろうしな」
袋に残っていた印は、商人が説明したものと同じだった。
間違いなく、回収する荷物の一部だ。
俺は周囲を見回した。まだ、魔物の姿はない。
「アリス、ここからは静かに行こう。荷物だけ見て、周りがおろそかになるなよ」
「分かってるわ」
俺はメイスを持ち直し、足跡をたどった。
◇
木立の間から、低い唸り声が聞こえた。
アリスが俺の袖を軽く引く。
二人で足を止め、木の陰から先を覗いた。
いた。
少し開けた場所に、大柄な魔物が座り込んでいる。
灰色がかった褐色の肌。
突き出た鼻と、口元から覗く太い牙。
汚れた革のようなものを腰に巻き、足元には穀物袋が転がっていた。
そいつは袋を裂き、中身を大きな手ですくって口へ運んでいる。
横には布地の包みと、青い線の入った木箱。
さらに、そのすぐ脇に棍棒があった。
俺の腕より太い。先端には黒ずんだ金属が巻かれている。
「……あれがオーク・クラブマンか?」
声を落として聞くと、アリスがうなずいた。
「ええ」
座っていても大きい。立ち上がれば、どう見ても2メートルは超えるだろう。
あれに棍棒を振り下ろされるのか。
森本さんは、横へ避ければいいと言っていた。
ゲームの画面で見るのと、実物を前にするのでは、ずいぶん話が違う。
「荷物は残っているわね」
「ああ。ただ、穀物はすでに一部納品済みらしい」
「納品?」
「あいつの腹の中だよ」
アリスが眉を寄せた。
俺はオークの周囲を確かめる。ほかの魔物はいないようだが、木立の奥までは見えない。
「君はここから援護してくれ。荷物に風を当てないようにな。陶器まで吹っ飛ばしたら、回収するものが破片になる」
「分かったわ。コージはどうするの?」
「棍棒を大振りしたあとに、隙があるか確かめる。あるなら、そこを狙う」
「戦い方を知っているのね!」
「似た奴の話を聞いただけだよ。実物も同じとは限らん」
メイスの柄を握り直した。
首のタオルもドライヤーも置いてきた。胸当てと靴も着けている。
あとは、教わった攻略が通じるかどうかだ。
俺は木陰から、もう一度あの太い棍棒を見た。
教えてくれた森本さんは、今ごろ家でゲームでもしているのだろう。
こっちは風呂上がりに、命がけで攻略法を試すことになった。
森本さん。次からは、失敗しても生きて帰れる方法を先に教えてくれ。




