第19話 オッサン精霊、送別会を知らされる
◇◇◇◇
「森本さん、今日から運転をお願いできるかな」
朝、トラックの前でそう伝えると、森本さんは少し驚いた顔をした。
「もう僕が運転していいんですか?」
「部長からも言われてるよ。道も配達先も、だいぶ覚えたろ。今日は俺が助手席で見てるから」
「分かりました。よろしくお願いします」
出発前の点検と点呼を済ませ、森本さんが運転席に座る。
俺が助手席に乗るのは、森本さんの横乗りを始めてから初めてだ。
「なんか落ち着かないな」
「高野さんでも緊張するんですか?」
「そりゃするよ。人の運転に口を出さずに座ってるの、案外難しいんだ」
森本さんは笑って、トラックを発進させた。
最初の配達先までの道は間違えなかった。納品先では指定された場所にきちんとトラックを止め、周囲を確認してから荷台へ回る。
俺が横から言うことは、ほとんどなかった。
次の配達先へ向かう途中も、森本さんは交差点を曲がる前にミラーを確認している。狭い道では無理に進まず、対向車が抜けるのを待った。
「どうですか?」
「うん。いいよ。俺より丁寧に走ってるんじゃないか」
「そんなことないですよ」
「いや、俺はその道を最初に通ったとき、曲がる場所を間違えたからな」
「えっ、高野さんが?」
「ドライバーを何年やってても、知らない道は知らないんだよ」
森本さんが安心したように笑う。
教え始めたころは、配達先の入り口を見落としそうになったこともあった。それが今では、俺より先に伝票を見て荷物を探している。
もうすぐ、この助手席に座ることもなくなるのか。
そう思うと少し寂しかったが、森本さんが仕事を覚えてくれたことは素直に嬉しかった。
◇
午前の配達を終え、昼休憩に入った。
森本さんは近くの弁当屋で買った弁当を広げる。俺は妻が作ってくれた弁当だ。
「今日はコンビニ弁当じゃないんだね」
「はい。毎日食べてると、さすがに飽きてきまして」
「分かるよ。同じゲームばかりやってても、たまには別のを遊びたくなるからな」
「高野さん、食べ物もゲームにたとえるんですね」
「ゲームなら詳しいんだよ」
卵焼きを口に運ぶと、森本さんが思い出したように言った。
「そういえば、昨日話してたゲーム、また進めたんですよ」
「お、どうだった?」
「オークウォリアーって魔物を倒しました。でかい棍棒を持ったオークなんですけど、一発食らうとかなり体力を削られるんですよ」
「棍棒か。あんなもので殴られたら、有給が全部、療養休暇になっちまうな」
「高野さん、ゲームのダメージを会社に持ち込まないでください」
「こっちは治療費まで自腹なんだぞ」
「だから、殴られるのは高野さんじゃなくてキャラクターですって!」
「……そうだったな。で、どうやって倒したんだ?」
「ああ…えっと、振り下ろすのを横に避けて、空振りしたところを攻撃しました。棍棒が地面にめり込むと、引き抜くまで動きが止まるんです」
「なるほどな。力任せに振り回して、自分で仕事を増やすわけだ」
「ただ、欲張って何度も攻撃すると、棍棒を引き抜いて横に振ってくるんですよ。それで一回やられました」
「引き際が大事ってことか。俺も気をつけんとな」
「高野さんも、これから戦うんですか?」
「……ゲームを進めたらな。先に攻略を聞いとくのは悪くないだろ」
「そうですね。でも、そのあとに出てきた魔物のほうが厄介でした」
「まだ何か出たのか?」
「リープホーンです。鹿みたいな体で、ものすごく高く跳ぶんですよ」
俺は箸を止めた。
「リープホーン……」
聞いたことのない名前だった。だが、アリスの世界にも似た魔物がいそうだ。
「上から角を向けて突っ込んでくるので、最初は何度もやられました」
「そりゃ厄介だな。どこに降りてくるか分からないのか?」
「それが、跳んだリープホーンの影を見ると、着地する場所がだいたい分かるんです。影が近づいてきたら横に避けて、着地した直後に攻撃するんですよ」
「影か。なるほどな」
「ただ、空中で少しだけ向きを変えるので、影の真上に絶対落ちるわけじゃないです」
「そこまで教えてくれると助かるよ」
「助かる?」
「あ、いや、俺がそのゲームをやるときにさ」
危ない。ゲームの攻略を聞いているはずが、明日の討伐に向けて打ち合わせをしている気分になっていた。
森本さんは気にせず、箸を動かしながら続ける。
「着地してすぐは動きが止まるので、そこが攻撃のチャンスです。高野さんなら、きっとすぐ倒せますよ」
「どうかな。俺、反射神経は若いころより落ちてるから」
「でも、ゲームは慣れてるじゃないですか」
「まあな。まずは影を見て、着地を待つわけだ」
頭の中で、角の生えた魔物が跳ぶ姿を想像した。
もし本当に出くわしたら、アリスにも影を見てもらおう。あいつの風があれば、空中で向きを変えられても対応できるかもしれない。
「高野さん、ずいぶん真剣ですね」
「そりゃ、角が上から降ってくるんだろ。ヘルメットの支給はあるのか?」
「高野さん、ゲームに労働環境の改善を求めないでください」
「安全装備くらい、用意してくれたっていいだろ」
「防具屋で買えますよ」
「自腹かよ。そこまで現実に似せなくてもいいだろ!」
森本さんが弁当を持ったまま笑った。
俺も笑いながら、残りのご飯を口に運ぶ。
ゲームの攻略を聞くつもりが、ずいぶん実用的な話になってしまった。
今度ギルドへ行ったら、頭を守る防具も見ておこう。
若いころは、攻略を聞けばすぐに試したくなった。
今は、先に防具の値段を確かめたくなる。
歳を取るとは、こういうことらしい。
◇
午後の配達も順調だった。
会社へ戻り、森本さんと荷台を片づけていると、同僚が近づいてきた。
「高野さん、お疲れさまです」
「ああ、お疲れ」
「高野さん、仕事はあと何日まででしたっけ?」
「今週の土曜日までだよ。あとは有給を使って、来月末で退職する」
「そうですか。実は、みんなで高野さんの送別会をやろうって話してるんです。日が決まったら伝えますね」
「送別会か。ありがとう」
「高野さんには、忙しいとき何度も手伝ってもらいましたから」
「そんなの、お互いさまだろ」
そう答えたが、嬉しかった。
腰が痛いだの給料が安いだの、辞めたい理由はいくらでもある。それでも、ここで一緒に働いた人たちとの時間まで嫌だったわけじゃない。
森本さんも隣で笑っている。
「僕も参加します。高野さんにはまだ教わりたいことがありますけど」
「送別会で仕事の質問は勘弁してくれよ」
「じゃあ、ゲームの話にします」
「それならいくらでも付き合うよ」
笑いながら同僚と別れ、駐車場へ向かった。
自分の車の前で、ふと足を止める。
そういえば今日は、一度もアリスに呼ばれなかった。
「昨日はストーンシェル・アルマを三体も倒したんだ。アリスも疲れてるよな」
ゆっくり休め、と言っておいた。ちゃんと休んでいるなら、それでいい。
とはいえ、気は抜けない。
あいつのことだ。ひと眠りして元気になったら、夜中に呼んでくる可能性もある。
「頼むから、寝てるところだけは勘弁してくれよ」
そう呟いて、車に乗り込んだ。
◇
夕飯のとき、妻に送別会の話をした。
「同僚が送別会を開いてくれるんだってさ」
「よかったじゃない。いつなの?」
「まだ決まってない。決まったら言うよ。その日は帰りの迎えを頼んでもいいか?」
「ええ、いいわよ」
「助かる」
妻が味噌汁のお椀を置いた。
「有給は使うんでしょう?」
「ああ。ひと月近く残ってるからな。今週の土曜日まで働いて、退職日は来月末だ」
「次の仕事は、まだ決まってないのよね?」
「うん。休みに入ってから探すよ」
「それなら、しばらくゆっくりしたら? 腰も痛いんだし」
妻は少し言いにくそうに、俺の顔を見た。
「最近のあなた、少し変だから……」
「変って、何が?」
「中古の皮製の胸当てを買ってきたり、見慣れない皮靴を買ってきたり。夕飯のときに武器の話までしてたでしょう」
「……並べると、かなり変だな」
「あなた、次は冒険者にでもなるつもり?」
「なんでそうなるんだよ」
「あなたの好きなファンタジー漫画の主人公みたいに、胸当てを着けて、武器を持って、魔物を倒すの」
「腰痛持ちの51歳が主人公じゃ、出発前に治療院へ寄ることになるぞ」
「それなら、冒険に出る前にちゃんと治してね」
冗談のつもりで返したのに、最後は本気で心配されてしまった。
しかも、冒険者になるつもりはないと言い切れないあたりが、我ながら困ったところだった。
「そうするよ。休みに入ったら、まずはゆっくり寝るさ」
「ええ。冒険に出るのは、そのあとにしてね」
妻は冗談めかして言い、軽く笑った。
俺も笑ってうなずいたが、朝寝坊できるかどうかはアリス次第だ。
以前は寝ているところを呼び出され、パジャマに裸足で町を歩かされた。あれを休日のたびにやられては、たまったものじゃない。
朝寝坊をするには、アリスに召喚を控えてもらう必要がある。
今度会ったら、休日の朝だけは呼ばないように頼んでおこう。
「……呼び出しは、せめて昼からにしてもらうか」
「誰から?」
「えっ?」
妻の声で、俺は箸を止めた。
しまった。今のは、心の中で言うつもりだった。
「休みに入ってから、誰に呼び出されるの?」
「あ、いや、その……」
妻はじっと俺を見ている。
仕事の呼び出しという言い訳は、今週の土曜日で使えなくなる。
「……宅配便とか」
「受け取る側なら、家にいればいいでしょう」
「そうだよな」
「あなた、やっぱり変だわ…」
心配そうな妻の前で、俺は味噌汁をすすった。
有給に入るまで、あと少し。
だが、俺の言い訳は、もう有給を使い切っていた。




