第16話 オッサン精霊、ケーキのあとにメイスを振るう
◇◇◇◇
仕事を終えて事務所に戻ると、部長に呼び止められた。
「高野さん、森本さんの様子はどうだ?」
「順調ですよ。配達先も荷物の積み方も、だいぶ覚えてきました」
「そうか。じゃあ明日から、運転を森本さんに任せてくれ。高野さんは助手席で見てやってほしい」
「分かりました」
これまでは俺が運転し、森本さんが助手席に座っていた。引き継ぎも、次の段階に進むらしい。
部長は机の上の予定表を見た。
「高野さんも、退職まであと1か月か」
「そうですね。早いもんですね」
「有給が残ってるだろ。全部消化するなら、引き継ぎはあと1週間で終えてほしい。できそうか?」
「大丈夫だと思います。森本さんは経験者ですし、まだ若くて覚えも早い。最近は俺が何も言わなくても、次の荷物を確認して動いてくれてますから」
「なら、そのように頼むよ」
「はい」
事務所を出てから、指を折って数えた。
今週は土曜日も出勤だ。
会社に出るのは、あと6日。そのあとは有給を消化して、来月末に退職する。
「あと6日か……」
30年近く続けた仕事だ。終わりが見えてくると、さすがに少し寂しい。
もっとも、俺にはもう一つ、退職日の決まっていない仕事がある。
「アリスのほうにも、有給ってあるのかね」
聞いたら「ユウキューって何?」から説明することになりそうだ。
◇
帰り道、ケーキ屋に寄った。
俺は甘いものが好きだ。酒はあまり飲まないが、ケーキなら二つくらい食べられる。
自分用にチョコレートケーキとチーズケーキ。嫁さん用に苺のショートケーキと、果物のタルトを買った。
箱を受け取って車へ戻り、助手席に置こうとしたときだった。
足元がふわりと浮く。
「……おい。ちょっと待て」
白い光が視界を覆った。
「ケーキだけは置いて――!」
言い終わる前に、駐車場が消えた。
次に立っていたのは、冒険者ギルドの前だ。
俺は両手を見た。ケーキの箱は、まっすぐ持てている。どうやら中身も無事らしい。
「コージ精霊さん、おはよう!」
アリスが駆け寄ってきた。今日も元気そうだ。
「おはよう。俺は仕事が終わったところだけどな」
アリスの目が、俺の持つ白い箱へ向いた。
「コージ、また箱を持っているわね。今度は小さいのね? 何が入っているの?」
「ケーキだよ。甘い菓子」
「甘いお菓子?」
「ああ。俺と嫁さんの分を買ってきたんだけど……」
そこで気づいた。
ケーキは生菓子だ。冷やしておかなければ傷む。日本に戻るまで向こうでは数分でも、こちらでは半日以上過ごすかもしれない。
「まずいな。アリス、この町に冷蔵庫はあるか?」
「レイゾーコ?」
「食べ物を冷やしておく箱だ。その顔なら、ないな」
岩場までケーキを持って歩くわけにはいかない。嫁さんへの土産も、帰ったら買い直すしかなさそうだ。
「仕方ない。今、食べよう」
「食べるの?」
「四つある。俺が二つ、アリスが二つだ」
「えっ、私もいいの?」
「ああ。嫁さんの分は帰ってから買い直すよ」
アリスの顔がぱっと明るくなった。
討伐依頼の話をしているときより、ずっといい顔である。
◇
ギルドの食堂で果実水を二つ頼み、空いた席に座った。
テーブルに箱を置くと、アリスが身を乗り出す。
「まだ開けないの?」
「開けるよ。そんなに急かすなって」
蓋を上げた途端、アリスの目が大きくなった。
「わあ……」
白いクリームに苺がのったショートケーキ。色とりどりの果物が並んだタルト。チーズケーキと、チョコレートケーキ。
「これ、全部食べられるの?」
「もちろん。飾るために買ったんじゃないぞ」
アリスはショートケーキに顔を近づけ、そっと匂いを嗅いだ。
「あまい匂いがする! おいしそう!」
「鼻にクリームをつけるなよ」
「つけないわよ!」
そう言って顔を離したものの、まだケーキから目を離さない。
「好きなのを二つ選びな」
「私が先に選んでいいの?」
「君が食べたいものを選べばいい。俺はどれも好きだから」
アリスはしばらく迷い、ショートケーキと果物のタルトを指さした。
「これと、これ」
「分かった。俺はチョコとチーズだな」
食堂で借りた小さなフォークを渡す。アリスはショートケーキを前にして、今度はどこから食べるか迷い始めた。
「苺は最後に取っておくのか?」
「うん。コージは?」
「俺も好きなものは最後に食べるほうだよ」
「一緒ね」
アリスは嬉しそうに笑い、クリームとスポンジを少しすくった。
一口食べたところで、動きが止まる。
「……どうした。口に合わなかったか?」
アリスは首を横に振った。もう一口食べて、やっと俺を見た。
「すごく、おいしい」
「そりゃよかった」
「ふわふわしてる。クリームは甘くて、苺は少し酸っぱくて……一緒に食べると、もっとおいしい」
「ずいぶん丁寧に味わうな。ケーキ屋のお姉さんに聞かせたいよ」
俺もチョコレートケーキを食べる。濃い甘さが口に広がった。
仕事帰りの楽しみに買ったものを、異世界のギルドで食べるとは思わなかった。
だが、こうしてアリスが喜んでいるのを見ると、悪い気はしない。
「コージは甘いものが好きなのね」
「大好きだよ。酒はあんまり飲まないからな。仕事が終わった日の楽しみだ」
「奥さんも好き?」
「ああ。今日は一緒に食べようと思って買った」
アリスのフォークが止まった。
「……私が食べて、よかったの?」
「いいんだよ。生菓子をここで半日持ち歩くわけにはいかない。帰ったら同じ店で買い直すさ」
「でも、またお金がかかるわ」
「そこは大人に任せときなさい」
「私も大人よ」
「ああ、そうだったな。じゃあ、こっちは日本で働いてる大人の判断だ」
アリスは少し口を尖らせ、それから取っておいた苺を食べた。
「最後に残しておいて正解だったか?」
「うん!」
満面の笑みだ。
子供がいたら、ケーキを買って帰った日はこんな顔を見られたのだろうか。ふとそう思い、俺は果実水を一口飲んだ。
「タルトもあるだろ。ゆっくり食べな。まだ時間はある」
「分かってるわ」
アリスはタルトを自分の前へ寄せ、果物を落とさないよう慎重にフォークを入れた。
しばらくして、少し照れたように俺を見る。
「ねえ、コージ。またこのケーキ、食べられる?」
「ずいぶん気に入ったな」
「うん。とっても」
「また持ってこられるときがあったらな。ただし、生菓子だから、呼んだらすぐ食べるぞ」
「約束ね!」
「分かった、約束だ」
俺は残りのチーズケーキを口に運んだ。
嫁さんへの土産を買い直す手間は増えたが、今日は二度ケーキ屋に寄るのも悪くない。
◇
食べ終えてから、ギルドの貸しスペースへ向かった。
鍵を開け、預けていた段ボール箱とメイスを取り出す。俺は仕事着の上から革の胸当てをつけ、安全靴を脱いで革靴に履き替えた。
「装備を預けられるのは便利だな」
「でしょう?」
「ああ。ただ、召喚されて最初の仕事が毎回着替えになるとは思わなかった」
安全靴を箱に入れ、鍵をかける。
そのあと受付へ行くと、防具屋の店主が出した指名依頼が届いていた。
「ストーンシェル・アルマの腹側の甲羅、一体分ですね」と受付の女性が説明する。「できるだけ傷の少ない状態でお願いします」
「ちょっと確認したいんですが、甲羅を傷つけたら依頼は失敗ですか?」
「小さな傷なら問題ありません。ただ、大きく割れて加工に使えない場合は、依頼品として受け取れません」
「なるほど。倒すだけじゃ駄目で、使える状態で持ち帰らなきゃならないわけだ」
アリスが俺を見た。
「コージ、細かいところまで聞くのね」
「納品する品の条件を聞かずに出発できるか。帰ってから『それは使えません』って言われたら、半日の仕事が丸ごと無駄になるんだぞ」
「確かにそうね」
「討伐数は一体でいい。無理はしないぞ」
「分かったわ」
アリスの返事を聞いて、俺は受付で依頼を受けた。
◇
岩場に着くと、昨日と同じように大きな石が斜面に散らばっていた。
まず確かめたのは帰り道だ。
「前はあそこをふさがれた。今日は、こっちの岩の間も通れるな」
「ええ。でも、狭いわよ」
「俺たちは通れる。アルマは体がつかえそうだ」
もう一つ、斜面を下る道も確かめる。小石は多いが、ゆっくり進めば足を滑らせずに済みそうだ。
「よし。少なくとも、逃げ道は二本ある」
「準備がいいわね。日本の……『備えあれば憂いなし』だったかしら?」
「おっ、覚えてたか」
「昨日コージが教えてくれたもの」
「だったら今日は、その教えをちゃんと実行しないとな。昨日みたいに帰り道をふさがれるのは御免だ」
アリスは杖を構えた。
岩陰の向こうに、ストーンシェル・アルマが一体いる。長い鼻先を地面に近づけ、草を食べていた。
「コージ。あの一体を、こっちへ誘えばいいのね?」
「ああ。ほかのやつから離れたところへ頼む」
アリスが杖を振ると、離れた場所の草が風に揺れた。
アルマが顔を上げる。鼻をひくひく動かし、揺れた草のほうへ歩き始めた。
「来たわ」
「よし。アリスは後ろへ」
俺はメイスを握った。
武器屋で持ったときより、ずっしりと重い。これを振り回せることと、魔物相手にうまく使えることは別だ。
「最初から力いっぱいやって、腹の甲羅まで割ったら困るからな……」
アルマが俺に気づいた。
草を食べていた顔つきが変わり、短い脚で地面をかく。
「来るぞ!」
灰色の甲羅が、斜面を駆け下りてきた。
俺は横へ避ける。アルマは勢いを落とさず、俺の脇を通り過ぎた。
「コージ、向きを変えるわ!」
「分かってる!」
アルマが振り向く前に近づき、メイスを背中の甲羅へ振り下ろした。
ガンッ!
硬い手応えが腕まで伝わる。
「……硬っ! 岩を殴ったみたいだぞ!」
甲羅にはわずかな傷がついただけだ。アルマは体を丸めかけ、すぐにまた頭を突き出した。
「背中は駄目よ!」
「やってみて分かった! 次はもう少し考える!」
今度はメイスを低く構える。突進を横へかわし、横腹ではなく、脚の前の地面を打った。
ドンッ、と鈍い音が響く。
アルマは驚いて足を止めた。その隙に、俺は甲羅の縁からのぞく肩口を狙う。
「そこならどうだ!」
メイスが当たり、アルマの体が横へ傾いた。
もう一押しすれば、ひっくり返せるかもしれない。
「アリス、風で少し押せるか?」
「やってみる!」
アリスが杖を上げた、そのときだった。
背後で、石が転がる音がした。
「コージ、後ろ! もう一体来るわ!」
振り向いた俺の目に、岩陰から飛び出してくる二つ目の灰色の甲羅が映った。
一体目も、まだ倒れていない。
「……おいおい。こっちは、仕事を一件ずつ片づけたいんだよ。二件同時は聞いてないぞ!」




