第14話 オッサン精霊、岩場で店じまいを宣言する
◇◇◇◇
翌朝、俺はいつもどおり自家用車で会社へ向かった。
違うのは、助手席に革の胸当てと、新品の革靴が載っていることだ。
妻には「模型の資料を整理するため、車に積んでおく」と説明してきた。
妻は「そう」と言っただけだったが、あの顔は半分も信じていない。
「まあ、家に置いとくよりはいいか……」
会社に着くと、俺は倉庫の隅にある廃棄予定の段ボールを物色した。
俺はその中から、革の胸当てと革靴が入りそうな箱を選んだ。
「これなら、入りそうだな」
「高野さん、おはようございます」
振り向くと、森本さんが立っていた。
「ああ、森本さん。おはようございます」
「高野さん、何してるんですか?」
「ちょっと、荷物を入れる箱を探しててな」
「私物ですか?」
「ああ。仕事中に必要になるかもしれないから」
「何を入れるんですか?」
「……着替えみたいなもんだよ」
胸当てと革靴を着替えと呼んでいいのかは、俺にも分からない。
中に装備を収め、ふたを閉めた。
これを配送トラックの荷台に積んでおけば、仕事中に呼ばれても持っていける。
少なくとも、病院のスリッパやパジャマで魔物の前に立つよりはましだ。
もっとも、召喚の瞬間に箱を持っていなければ意味がない。
「俺は配達の前に、異世界行きの荷造りをしてるのか……」
箱を荷台の奥に置き、今日の荷物を積み込んだ。
◇
午前の配達は順調に進んだ。
森本さんは納品先への道も少しずつ覚え、伝票の確認も一人でこなせるようになってきた。
次の配達先に着くと、俺はトラックを所定の場所に止めた。
「森本さん、先にこの伝票を持って受付へ行ってくれますか。俺は配達する荷物を確認しているので」
「はい、行ってきます」
森本さんが建物の中へ入る。俺は荷台に上がり、次に降ろす荷物の伝票を確認した。
そのとき、奥に置いた段ボールが目に入った。
「今のところ、出番なしか」
ふたを開け、胸当てと靴が入っていることを確かめる。
「今日は持ってきたんだからな。呼ぶなら今だぞ……いや、仕事中は困るか」
自分でも何を望んでいるのか分からなくなってきた。
箱を脇へ寄せようと抱えた瞬間、足元がふわりと浮いた。
「あ、やっぱり今なのか!」
荷台が消え、白い光が視界を埋める。
次に目を開けると、俺は段ボールを抱えたまま、冒険者ギルドの前に立っていた。
日本では午前の配達中だが、こちらはまだ朝早いらしい。通りには店の戸を開ける人や、出発の準備をする冒険者がいた。
「コージ、おはよう!」
アリスが手を振る。顔色はよく、杖に寄りかかってもいない。
「おはよう、アリス。ちゃんと休んだみたいだな」
「ええ。今日は魔力も戻ってるわよ」
「そりゃよかった。……ところで、森本さんが戻る前には帰してくれよ」
「モリモトさん?」
「今、俺と一緒に配達してる人だよ。伝票を持って納品先に入ったところでな」
「なら、すぐ戻ってきちゃうんじゃない?」
「日本では、こっちで朝から夕方まで過ごしても、2、3分しか進まないみたいだからな。それでも気は抜けん」
アリスはうなずき、それから俺の抱えた箱を指さした。
「その箱は何?」
「胸当てと靴を入れてきた。仕事中に呼ばれても持ってこられるよう、トラックに積んでおいたんだよ」
「準備してくれたの? うれしい!」
「荷台で箱を抱えたところを呼ばれたんだ。準備が役立ったというより、今回は運がよかったな」
「でも、これで装備できるでしょう?」
「ああ。今日は裸足じゃないけど、魔物のいるところを仕事用の安全靴で歩き回るわけにもいかんしな」
俺は箱を抱え直した。
「それで、今日は何をする予定なんだ?」
「じゃあ、今日は岩場を見に行きましょう。ストーンシェル・アルマがいる場所よ」
「見に行く、だな。まだ防具屋のおやじさんから正式に依頼を受けたわけじゃないんだから」
「分かってるわ。まずは、どんな場所か確かめるだけ」
「それならいい。それで今日の計画を考えているのか」
「ちゃんと考えてきたわ」
「ほう。聞かせてくれ」
アリスは得意そうに胸を張った。
「狙うのは一体だけ。複数いたら無理に戦わず、引き返す。突進されたら正面に立たない。魔力が少なくなったら、素材が取れていなくても町へ戻る」
「いいじゃないか。帰るところまで考えてある」
「コージに言われたこと、覚えてるもの」
そう言われると、少し照れくさい。
「で、運ぶのは腹側の甲殻だけだな?」
「ええ。店主も、必要なのはそこだって言ってたわ」
「よし。ワイルドボアみたいに、丸ごと担いで帰る仕事は勘弁してくれよ」
「今回は小さい魔物よ?」
「大きさの問題じゃない。俺を運搬担当にする前提で話を進めるな」
アリスは笑いながら、ギルドの扉を開けた。
俺たちはギルドで装備を整えた。仕事用の安全靴を脱ぎ、アリスに買ってもらった革靴に履き替える。胸当てをつけると、少しだけ冒険者らしくなった気がした。
「武器はどうするの?」
「今日は偵察だろ。道に落ちてる石か木の枝で十分だよ」
「また素手で戦うつもり?」
「戦わずに済むなら、それが一番だ。安い棍棒を買っても、俺が使ったらすぐ折れそうだしな」
アリスは俺の手を見て、否定しなかった。
◇
町を出てから、岩場までは半日ほど歩いた。
途中で何度か足を止め、水を飲む。アリスは「もっと速く歩けるわよ」と言ったが、帰りも同じ距離を歩くのだ。
「行きに張り切りすぎると、帰りに足が動かなくなるぞ」
「コージは走れば速いのに」
「走れることと、半日歩いて疲れないことは別なんだよ」
「51歳って、大変ね」
「分かってくれたなら、少しゆっくり歩いてくれ」
昼を過ぎたころ、草の多い道が途切れ、大小の岩が転がる丘に出た。
斜面には穴がいくつも開いている。近くの地面には、爪でひっかいたような跡もあった。
「ここが生息地か。石が転がるだけでも厄介な道だな」
「ええ。あの穴が巣だと思う」
「まず数を確かめよう。一体だけ見つけても、ほかがいないとは限らん」
俺は辺りを見回した。大きな岩の陰がいくつもあり、奥まで見通せない。
そのうちの一つから、ガリ、ガリ、と石をこするような音がした。
「コージ、あそこ」
アリスが指した先に、何かがいた。
大きさは大型犬くらい。胴は丸く、四本の脚は短い。細長い鼻先を地面に近づけ、岩の隙間に生えた草をかじっている。
背中を覆うのは、何枚も重なった灰色の甲羅だ。表面はざらつき、ぱっと見ただけでは周りの岩と区別がつかない。
「あれがストーンシェル・アルマか。でっかいアルマジロみたいだな」
「アルマジロ?」
「俺の世界にいる動物。もう少し小さいけどね」
魔物は鼻をひくひく動かしながら、のんびり草を食べている。腹側には、背中より色の薄い板状の甲羅が見えた。
「あの腹の甲羅が、店主さんの欲しい素材よ」
「なるほど。背中の岩みたいなのより、ずいぶん薄そうだ」
「だから加工しやすいんだって。でも、薄いといっても私たちの靴よりは硬いわよ」
「皮靴のつま先に入れるには、ちょうどいいのかもな」
俺たちは岩陰にしゃがんだまま、しばらく様子を見た。
ストーンシェル・アルマは草を食べ終えると、短い脚でゆっくり歩き始めた。あの歩き方なら、そう速くはなさそうだ。
「これなら、襲ってくる前に離れれば――」
言いかけたところで、背後から別の音がした。
振り向く。
帰り道に使うつもりだった岩の隙間から、二体目のストーンシェル・アルマが顔を出していた。
「……一体だけじゃないのかよ」
「複数いることもあるって、ギルドで聞いたでしょう?」
「聞いたよ。こんなきれいに帰り道へ出てくるとは聞いてない!」
二体目が鼻を鳴らした。
のんびりしていた一体目も顔を上げる。短い脚が地面をかき、丸い体がこちらを向いた。
俺は近くの岩を見た。横へ避ける場所はある。だが、斜面で足を滑らせれば面倒だ。
「アリス、今日は引き上げるぞ」
「うん。まだ依頼も受けてないし、魔力も無駄にしたくないわ」
「話が早くて助かる。あとは、あいつが道を空けてくれればな」
帰り道にいる二体目が、頭を低くした。
次の瞬間、短い脚とは思えない勢いで走り出す。石を蹴散らし、灰色の甲羅がまっすぐ俺たちへ迫ってきた。
「コージ、来るわ!」
「見えてる! 帰りのルートをふさぐな! こっちはもう店じまいなんだよ!」




