第11話 オッサン精霊、後任に異世界を語りかける
◇◇◇◇
朝、会社の事務所に入ると、部長に呼び止められた。
「高野さん。今日から引き継ぎに入ってもらう人が来ているよ」
「もう決まったんですか」
「ああ。配送の経験もある人だ。紹介するよ」
部長の隣に、見慣れない男が立っていた。
三十代くらいだろうか。作業着に身を包み、少し緊張した顔をしている。
「森本さん。32歳で、前の職場でも配送をやっていたそうだ」
「森本です。よろしくお願いします」
「高野です。よろしくお願いします」
互いに頭を下げた。
部長が俺を見た。
「今日から横乗りで、仕事を教えてあげてほしい」
「はい。分かりました」
あと一か月半ほどで、俺はこの会社を辞める。
引き継ぎの相手を前にすると、その話が急に現実味を帯びてきた。
まあ、感傷に浸るのは仕事が終わってからだ。
「森本さん、まず今日の荷物を一緒に確認しましょう」
「はい」
◇
倉庫には、今日配達する荷物がまとめて置かれていた。
「ここにあるのが、これからトラックに積み込む荷物です。最初に伝票と個数、配達先を確認します」
俺は伝票を森本さんに渡した。
「積む前に確認するんですね」
「ええ。足りないものがあれば、出発前ならすぐ分かりますから」
森本さんは伝票と荷物を見比べながら、手際よく数を確かめた。前にも配送をしていただけあって、説明したことをすぐに飲み込んでくれる。
「積み込む順番は、配達する順番と逆ですか?」
「基本はそうです。ただ、重い荷物をどこに置くかも大事でして。走っている間に崩れないようにします」
「ああ、分かります。前の職場でも、それはよく言われました」
「経験があるなら話が早い。じゃあ、やってみましょう」
二人で荷物を積み込んだ。
森本さんは俺が言う前に荷物の重さを確かめ、積み方を考えている。少し説明すれば、この人ならすぐ覚えそうだ。
積み込みを終え、出発前の点呼と車両の確認を済ませる。
俺が運転席に座り、森本さんは助手席に乗った。
「今日は俺が運転します。配達先までの道と、荷物を降ろす場所を見ておいてください」
「分かりました」
トラックを出した。
◇
午前の配達は順調だった。
森本さんは配達先ごとの決まりをメモしている。荷物の置き場所や、受付での声のかけ方まで、細かいところにも気づいてくれた。
次の配達先へ向かう途中、森本さんが助手席から話しかけてきた。
「高野さんは、休みの日は何をされてるんですか?」
「俺ですか。模型を作ったり、ゲームをしたりですね。自分の部屋でのんびりしてますよ」
「ゲーム、俺もやります」
「そうなんですか」
「特にRPGが好きなんです。高野さんは?」
「俺もやりますよ。昔から好きでね。最近のゲームは、行ける場所が広すぎて迷うこともありますけど」
「分かります。寄り道していたら、本来の目的を忘れたりしますよね」
「こっちは仕事じゃないから、それでもいいんですけどね」
森本さんが笑った。
ゲームの話なら、年が二十近く離れていても話題に困らない。引き継ぎ初日の緊張も、少しほぐれたようだった。
午前の配達を終え、昼はトラックを停めて休憩した。
森本さんはコンビニの弁当を広げ、俺は妻が作ってくれた弁当箱を開ける。
「高野さん、手作りですか?」
「ええ。嫁さんが作ってくれてます」
「いいですね。俺は独身なんで、だいたいコンビニです」
「コンビニも、うまいものが増えましたよ。俺も朝は世話になることがあります」
卵焼きを箸でつまんだところで、ふと手が止まった。
以前は弁当を食べようとした途端に召喚された。
今日も、いきなり森の中へ連れていかれたりしないだろうな。
「高野さん?」
「ああ、いや。何でもないです」
俺は卵焼きを食べた。
車内に白い光は現れない。ちゃんと味も分かる。
今日は大丈夫そうだ。
「さっきのゲームの話なんですけど」
森本さんが弁当を食べながら言った。
「最近話題の、広い世界を自由に歩けるRPG、やりました?」
「ああ、少しだけ。色々な魔物が出るやつでしょう」
「そうです。ゴブリンの集落を見つけるところがあるんですよ」
「ゴブリンか……」
緑色の小さな顔が頭に浮かんだ。
「緑色の体で、顔は醜いし、ギャーギャーとうるさいんですよね」
「高野さん、ずいぶん詳しいですね。実際に見たみたいな言い方ですけど」
「ああ、見たから……いや、ゲームでね。画面で見たんですよ」
「どのゲームですか?」
「名前は忘れました。ゴブリンの顔だけ覚えてます」
「そんなに印象に残ったんですか」
「あれは一度見たら忘れませんよ」
俺は弁当に目を落とした。
余計なことを口にする前に、しばらく食べることに集中しよう。
ところが、森本さんは楽しそうに身を乗り出した。
「俺、異世界に行ってみたいんですよ」
「……そうですか」
「魔法のある世界で、可愛い女の子と一緒に冒険してみたいです」
真っ先に浮かんだのは、アリスの顔だった。
確かに、あの子は可愛い。
だが、風呂に入る前だろうが、病院で診察を待っていようが、休日の夜中だろうが、お構いなしに呼び出してくる。
「女の子と冒険、ねえ。実際に行ったら、思っているのとは違うかもしれませんよ」
「そうですか? 楽しそうじゃないですか」
「まず、いつ呼ばれるか分からない。行き先も、そこで何をするかも、着いてから聞かされる」
「ずいぶん厳しい設定ですね」
「しかも、仮契約だ何だと言われて、気を抜くと眷属にされそうになる」
「眷属まで出てくるんですか。高野さん、設定が細かいなあ」
「給料の話をしたら、出ないと言われましたよ」
「ブラック企業みたいですね」
「みたい、じゃない。あれじゃブラック企業並みに人使いが荒いですよ!」
言ってから、俺は箸を止めた。
森本さんも俺を見ている。
「……というゲームだったら、困るでしょう?」
「ああ、ゲームの話ですか。びっくりしました。実際に働かされたみたいな言い方だったので」
「それだけ、設定がよくできてるってことです」
「でも俺なら、その子と仲良くなれる気がします」
「そうですか。なら、まず休日出勤手当の交渉から始めたほうがいい」
「冒険の前にですか?」
「大事なことですよ。そこを後回しにすると、いくら働いても一円ももらえませんから」
「高野さん?」
「……ゲームの中では、って話です」
森本さんが笑う。俺も笑って、弁当の続きを食べた。
危なかった。
今日は召喚されない代わりに、俺の口が勝手に異世界へ行きかけている。
◇
午後の配送では、森本さんに荷物の確認を任せてみた。
一軒目の配達先で、降ろす順番を一つだけ間違えたが、荷台で気づいてすぐに直した。
「すみません。先にこっちでしたね」
「大丈夫ですよ。届ける前に気づけたんだから」
「次は伝票をもう一度見てから降ろします」
「そうしてください。急いで確認を飛ばすと、かえって時間がかかりますから」
日本では『急いては事を仕損じる』と言う。
以前、異世界で荷馬車がぬかるみにはまったときにも、似たような話をした。
まさか同じ教えを、現代と異世界の両方で使うことになるとはな。
「高野さん、どうしました?」
「いや。昔、似たようなことがあったなと思いまして」
「前の配送先ですか?」
「……まあ、そういうところです」
嘘ではない。あの荷馬車にも、荷物は載っていた。
午後の配達を終え、会社へ戻る。
最後まで俺が運転し、森本さんには道や配達先の決まりを見てもらった。次からは、少しずつ任せていけそうだ。
「高野さん、今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」
森本さんと別れ、俺は帰宅した。
「ただいま」
「おかえり。引き継ぎの人、来たの?」
妻が台所から顔を出す。
「ああ。森本さんっていう人でね。経験もあるし、飲み込みが早いよ」
「それなら安心ね」
「そうだな」
手を洗いながら、今日一日を振り返る。
朝から仕事をして、昼は弁当を最後まで食べ、午後も予定どおり配達を終えた。
「……今日は呼ばれなかったな」
「誰に?」
「ああ、いや。仕事中に、急な頼まれごとがなかったって話」
「よかったじゃない」
「そうだな」
森本さんに仕事を教えている途中で消えたりしたら、どう説明すればいいか分からない。
だが、今日は呼ばれなかったからといって、明日も大丈夫とは限らない。アリスの召喚に、俺の勤務表は関係ないのだ。
まったく、気が抜けないな。
「あなた、手を洗い終わったなら、そこを空けてくれる?」
「ああ、すまん」
俺は洗面台の前を妻に譲った。
異世界からの呼び出しを警戒する前に、まず目の前のことをちゃんと見ておかないとな。
「そういえば、寝室の脇に汚い革製のものが置いてあったけど。あれ、何?」
俺は手を拭くのを忘れて、妻を見た。
しまった……。忘れていた。
胸当てだ。異世界から帰ったあと、眠くてベッドの脇に置いたままだった。
「ああ、あれか。模型の参考にと思ってな」
「模型の参考?」
「そう。革の質感とか、留め具の作りとか」
「模型を作るために、あんな大きなものを買ったの?」
「いや、買ったというか……もらった」
「誰に?」
「……知り合いに」
妻が黙って俺を見た。
仕事の伝票なら、数字を間違えても確認し直せる。だが、今の言い訳はどこから直せばいいのか分からない。
「その知り合い、どうして泥だらけの防具をあなたにくれたの?」
「防具だって分かったのか」
「胸に当てる形をしてるもの」
「そうか。さすがだな」
「褒めても、ごまかせないわよ」
俺は目をそらした。
「……ちょっと、使い込まれた品のほうが資料としていいかと思って」
「それなら、まず泥を落としてきて。寝室にあんなものを置かれたら困るわ」
「悪い。夜中に外して、そのまま忘れてた」
「夜中に?」
「あ……いや、寝ぼけてて」
「寝ぼけてあの防具を着けたの?」
「そこを詳しく聞くな」
「……寝室の床が汚れるから気を付けて」
「ああ、すぐ片づけるよ」
妻は台所へ戻りかけて、もう一度振り向いた。
「……次からは、脱ぐ前に泥を落としてね」
「何の『次』を想定してるんだよ!」
「知らないわよ。あなたが寝室で防具を着けて何をしてたかなんて」
「着けて寝たわけじゃないって!」
「……じゃあ、起きて着けたの?」
「墓穴掘ったな、俺」
妻は呆れた顔で台所へ戻っていった。
運送会社では荷物の積み方を教えている俺が、家では言い訳を積み損ねていた。




