第10話 オッサン精霊、集落ごと相手にする
◇◇◇◇
ゴブリンチーフが逃げた方へ、アリスと森を進む。
折れた枝や踏み荒らされた草が道しるべになった。アリスは先に立ち、俺は足元を確かめながら続く。
「足跡が続いてるわ。こっちよ」
「分かった。だが、あまり近づきすぎるなよ」
「分かってるわ」
「さっきもそう言ってたな」
「コージこそ、裸足で森の奥まで来てるじゃない」
「俺が好きで裸足になったと思うか?」
アリスは何も言わず、少しだけ笑った。
しばらくして、木々の向こうに粗末な柵が見えた。
枝を組んだ小屋が何軒か並び、その間をゴブリンたちが歩き回っている。
俺たちは茂みに身を隠した。
「あれが集落か」
「ええ。逃げたゴブリンチーフもいるわ」
アリスの指さす先に、さっきのチーフがいた。小屋の前で何かをわめき、ほかのゴブリンたちを集めている。
「……また仲間を連れて街道へ出るつもりか」
「その可能性はあるわ」
俺は集落の周りを見た。踏み固められた道が、俺たちの来た方向とは別に、街道へ続いている。
「あの道を先に塞ごう。町へ向かう連中が出たら厄介だ」
「どうやって?」
「あそこに倒れた木がある。道を塞ぐには、ちょうどいい」
俺たちが町へ戻る道は、反対側に残しておく。
退路まで塞いだら、何のための段取りか分からない。
俺は倒木へ近づき、太い幹に両手をかけた。持ち上げてみると、想像したよりずっと軽い。
「これ、本当に木か?」
「木よ」
「そうだよな。俺の腕力が変なんだよな」
道まで運び、横向きに置く。ゴブリンなら簡単には乗り越えられない高さになった。
「すごい……」
「感心するのはあとだ。次は中を確認しよう」
集落には普通のゴブリンが十数体。さっき逃げたチーフもいる。
その奥に、骨飾りをつけた一体がいた。杖を手に、赤い光をちらつかせている。
「あれはゴブリンシャーマン。魔法を使うわ」
「火か?」
「たぶん」
「森の中で火なんか使われたら、面倒どころじゃないぞ」
もう一体、ひときわ大きな影が小屋から現れた。
俺より背が高い。肩幅も広く、手には刃の欠けた古い剣を持っている。
「……あれもゴブリンか?」
「ゴブリンウォーロードよ。集落のボスだわ」
「チーフの上に、まだ上司がいたのかよ」
今日は三体の依頼を受けただけだ。
いつの間にか、ずいぶん大きな仕事になっている。
「アリス。後ろから支援してくれ。シャーマンが魔法を使ったら、火を集落の外へ出さないようにしてほしい」
「コージは?」
「先にあいつらの足を止める」
集落の脇には、朽ちた倒木が何本か転がっていた。
俺はそのうちの一本を持ち上げた。すでに枯れていて、枝葉はついていない。
「車止めの次は、通せんぼ用の木か。ドライバーの仕事から離れられんな」
集落の小屋を避け、ゴブリンが集まっている地面へ投げ込む。
ドンッ!
土が跳ね、ゴブリンたちが散った。
「ギャーギャギャ!」
「もう一本いくぞ!」
二本目を投げると、チーフの指示でこちらへ向かいかけていたゴブリンたちの前に落ちた。
集落が騒然となる。
「コージ、左から来るわ!」
「見えてる!」
倒木の脇を抜けてきた一体を、手のひらで軽くはたく。その後ろの二体も、近づいた順に叩いた。
叩くたびに相手が勢いよく飛ぶ。
「だから、加減してるんだって……!」
「独り言はあとにして!」
アリスの声と同時に、赤い光が視界の端で膨らんだ。
シャーマンが杖をこちらへ向けている。
「コージ、伏せて!」
俺は地面へ身を低くした。
火の玉が飛んでくる。アリスが杖を振ると、横から強い風がぶつかり、火の玉を押し上げた。
頭上で赤い光が散る。
「危なかったな!」
「木に燃え移らないようにしたわ。シャーマンは私が見てるから!」
「頼む。あいつに背中を向けるのは怖い」
俺は倒木を越えてきたゴブリンをはたき倒し、シャーマンへ向かう。
シャーマンが再び杖を振った。
火が生まれる前に、アリスの風がその腕を押し上げる。魔法は空へそれた。
「今よ!」
「分かった!」
俺はシャーマンの杖をつかんで取り上げ、額を軽くはたいた。
残ったゴブリンたちが後ずさる。チーフまで、また逃げようとしていた。
「お前はさっきも逃げただろ」
横を通り抜けようとしたところを、肩を軽く叩く。チーフはそのまま地面に倒れた。
静かになった、と思った。
奥の小屋の前から、ゴブリンウォーロードが歩いてきた。
古びた剣を片手で持ち上げ、俺を見下ろす。
「あの剣はまずいな……」
ゴブリンの棍棒なら、まだ殴られても耐えられた。だが、刃物は別だ。体が強くなっていても、試してみたいとは思わない。
周りを見渡すと、足元に太く長い枝が落ちていた。俺は両手で握り、先端をウォーロードへ向ける。
向こうは俺の体格と裸足を眺め、枝に目をやった。
大きな口がにやりと歪む。
「笑ったな」
枝を構え直す。
「日本には『人は見かけによらぬもの』ってことわざがあるんだよ。見た目だけで相手を決めつけるなって意味だ」
ウォーロードは剣を肩に載せたまま、俺を見ている。
「……まあ、お前に言っても分からんか」
「コージ、気をつけて!」
「分かってる。剣には近づかない」
ウォーロードが踏み込み、剣を振り下ろした。
俺は横へ飛びのく。
さっきまで俺が立っていた地面に刃が食い込み、土が跳ねた。
「うわっ! あれ、当たったら洒落にならんぞ!」
剣を抜こうとする腕へ、枝の先を突き出す。
ウォーロードが顔をしかめ、一歩下がった。
俺は距離を保つ。向こうが近づけば、枝で腕や肩を打つ。剣の届くところへは入らない。
「コージ、右!」
アリスの声に従い、体をずらした。
剣が脇を通る。胸当てを買ってもらっていても、あんなものを受ける気にはなれない。
怖くないわけがない。
だが、慌てて前へ出たら、向こうの間合いに入ってしまう。
「焦るな、幸治。こういうときに急ぐと、ろくなことにならん」
俺は自分に言い聞かせた。
ウォーロードが怒鳴り、力任せに剣を振るう。俺は後ろへ下がってかわした。
大振りのあと、剣を持つ腕が伸びきる。
今だ!
枝を横から振り、その手首を打った。
剣が地面に落ちる。
「よし!」
拾わせる前に踏み込み、ウォーロードの頭を枝で打った。
太い枝が折れた。
「……あ」
ウォーロードの巨体が揺れ、そのまま後ろへ倒れた。
俺は折れた枝を手にしたまま、しばらく動けなかった。
「終わった……のか?」
「コージ!」
アリスが駆け寄ってくる。
「ケガは?」
「ない、と思う。そっちは?」
「私も平気よ。でも、魔力をだいぶ使ったわ」
アリスの足取りが、さっきより少し重い。
「残りはどれくらいだ?」
「まだ少しは……。討伐証明を集めないと」
「いや、やめとこう」
「でも、これだけ倒したのよ? 証明がないと報酬が――」
「集落の場所も、ウォーロードも、ギルドに説明すればいい。確認する人を派遣してくれるだろ」
「でも……」
「命あっての物種、だよ。前にも言ったろ」
アリスは俺を見上げ、ようやくうなずいた。
「それに、耳を何十個も切るところを、俺が見たくない」
「最後はそれなのね」
「それも大事な理由だ」
俺はしゃがみ、背中を向けた。
「乗れ。歩いてたら、途中で眠くなるだろ」
「コージ、裸足でしょう?」
「走れる。自分の足元は自分で見るから、君はしっかりつかまってろ」
アリスが背中に乗る。
俺は立ち上がり、来た道を小走りで戻った。
しばらくすると、耳元でアリスが小さく呟いた。
「……やっぱり、お父さんの匂いがする」
「そりゃ、オッサンの加齢臭だよ。いいから、落ちないようにつかまってろ」
「うん」
返事が妙に素直で、俺はそれ以上何も言えなかった。
◇
町に着くと、俺たちはそのままギルドへ向かった。
パジャマに胸当て、裸足。そのうえ背中にはアリス。
また視線が集まったが、今は気にしていられない。
「すみません。西の森にゴブリンの集落がありました」
受付の女性が顔を上げた。
「集落ですか?」
「ええ。場所を説明します。ゴブリンチーフと、魔法を使うシャーマン、それからウォーロードもいました」
受付の女性の表情が変わる。
「ウォーロード……? お二人は、どうやって戻ってこられたんですか?」
「倒してきました」
ギルドの中が静かになった。
その静けさの中で、見覚えのある三人がこちらを振り向く。
今朝、ギルドの前で俺に絡み、森では「後は頼む」と言って逃げた若い冒険者たちだ。
「お、お前ら……生きて戻ったのか!?」
俺は背中のアリスを支え直し、三人を睨んだ。
「こっちの台詞だ! 『後は頼む』で十体押しつけて逃げたのは誰だ!」
受付の女性が、ゆっくりと三人の方を見た。
「……詳しく、お話を聞かせていただけますか?」
三人がそろって目をそらす。
俺は大きく息を吐いた。
「まずアリスを座らせてくれ。それから事情なら全部話すよ。こっちは休日に、裸足で集落まで行ってきたんだからな」
受付の女性は奥から椅子を持ってきて、アリスに座るよう勧めた。
「ありがとうございます」
アリスが腰を下ろす。俺もようやく背中を伸ばした。
「魔力切れが近いんです。先に、この子を休ませてもらえますか」
「もちろんです。お水をお持ちしますね」
受付の女性が奥へ声をかけると、別の職員が水の入った杯を運んできた。
アリスは両手で受け取り、少しずつ飲む。
それを見届けてから、俺は三人の冒険者へ向き直った。
「さて。お前らの話を聞こうか」
「な、何だよ。俺たちはゴブリンに追われて、助けを求めただけだ」
「助けを求めたあと、にやにやしながら俺たちを置いて逃げたな」
「見間違いだろ」
「三人そろって、あんな嫌な笑い方を見間違えるかよ」
三人は顔を見合わせた。
受付の女性が、台帳を手に戻ってくる。
「皆さんも西の森から戻ったと伺っています。ゴブリンの集落について、何をご覧になりましたか?」
「俺たちは……集落の近くまで行っただけだ」
「ゴブリンが多すぎたんだよ。それで町に知らせようと……」
「知らせる前に、俺たちへ『後は頼む』と言ったのか?」
「……」
「せめて、何体いるかくらい言ってから逃げろ。こっちはその後、大変だったんだぞ」
受付の女性が三人を見た。
「西の森で集落を発見した場合、ギルドへの報告が優先です。ほかの冒険者へ危険を押しつけていいわけではありません」
三人はそろって目をそらした。
俺はため息をつく。
「まあ、三人とも無事ならいい。次からは、逃げるなら逃げるで、ちゃんと数を伝えろよ」
「……分かったよ」
先頭の男が、小さな声で答えた。
受付の女性は台帳を開き、俺たちの方へ向き直った。
「集落の場所と、倒した魔物について詳しく教えていただけますか?」
俺は街道から入った位置、道を塞いだ倒木、小屋の並びを順に話した。
アリスも杯を置き、途中から説明に加わる。
「ゴブリンチーフとシャーマンがいたわ。奥にはウォーロードも」
「ウォーロードを確認したのですね」
「ええ。コージが倒したわ」
受付の女性は筆を止め、俺を見た。
「……その方が?」
「倒したのは事実ですけど、まず現場を見てきてください。討伐証明を全部持ってこられる状況じゃなかったので」
「承知しました。確認の人員を派遣します。報酬と討伐実績は、調査後に確定します」
「それで結構です。集落から生き残りが街道へ出るかもしれませんし、早めにお願いします」
「すぐ手配します」
受付の女性が奥の職員へ指示を出した。
アリスは椅子から俺を見上げる。
「耳を集めなくても、確認してもらえるのね」
「だから言っただろ。あの数を二人で処理してたら、君の魔力が先に尽きる」
「……そうね」
「耳を切るのが嫌だったのも、少しはあるけどな」
「少し?」
「そこは追及しないでくれ」
アリスが笑った。
だが、その目元は眠そうだ。本人も気づいたのか、杯を持つ手を見つめている。
「コージ、そろそろ魔力が……」
「分かった。ここなら俺が帰っても大丈夫だな」
「ええ。ありがとう」
俺の指先が、かすかに光り始めた。
受付の女性が驚いて身を乗り出す。
「えっ、精霊さんが消えるんですか?」
「召喚が終わると、日本に戻るんです。あと、俺は人間です」
「そうでしたね。失礼しました」
今度は受付の女性にも伝わった。
人間だと分かってもらえるまで、ずいぶん長くかかった気がする。
「アリス、今日はもう休めよ。調査にはギルドの人が行ってくれる」
「分かったわ。コージも、戻ったら休んでね」
「ああ。今日は休日だからな」
俺の足元まで白い光が広がる。
ふと、三人の冒険者がこちらを見ているのに気づいた。
先頭の男が、俺の裸足とパジャマを見比べて呟く。
「……本当に、その格好でウォーロードを倒したのか」
「そうだよ。だから次に俺を呼ぶときは、せめて着替える時間を――」
言い終わる前に、ギルドの景色が消えた。
◇
目を開けると、俺は寝室のベッドの上にいた。
時計を見る。
午前3時16分。
「……一分しか経ってないのか」
俺は布団をめくり、自分の足を見た。裸足のままで、土が少しついている。パジャマの上には、アリスに買ってもらった革の胸当てまで残っていた。
隣では妻が静かに眠っている。
寝る前にはなかった胸当てを見られたら、どう説明したものか。
「朝飯は向こうで食べたし、休日出勤もしてきた……」
俺はそっと胸当てを外し、ベッドの脇に置いた。
報酬が確定するのは、ギルドの調査が終わってからだ。日本へ戻った俺が受け取れるのかどうかも分からない。
「とりあえず、足を洗ってから寝直すか」
せっかくの休日だった。
まだ夜中の3時16分だというのに、俺はもう一日分働いた気がしていた。




