55 聖女マリアンヌの胸の内
キンドリー公爵家の令嬢が戻ってきた。
その知らせは瞬く間に貴族間に広まり、二日後には平民たちの間でも知らない者はいないほどになっているのだとか。
そのことで、聖女である私にも再び世間の注目が集まっているのだそうよ。
「マリー、大丈夫かい?」
「ライル様。何が、でございますか?」
「いや、複雑な心境になっていないかと思って。……ごめん、私ももっと早くに気付くべきだった。彼女のこと、どこかで見たことがあるような気はしていたんだ。まさかキンドリー公爵の亡くなった第一夫人の娘だなんてね」
キンドリー公爵令嬢は、私がこの世界に転移してきた身代わりに、私のいた異世界へと転移してしまった行方不明の赤ん坊。
産後の体調が悪かったことに加え、赤ん坊を抱くことも出来なかった夫人は、精神的にも病まれて若くして亡くなってしまった。
当然、キンドリー公爵も大層心を痛めた。
けれど彼は悲しみに暮れるのではなく、誰になんと言われようと赤ん坊を探し続けることを絶対に諦めない、不屈の精神をお持ちの方だった。
それが見つかったとなれば、愛のなせる業だと世間が盛り上がるのも当然のこと。
しばらくの間はキンドリー家と公爵令嬢の話で持ちきりとなりそうね。
私も、こちらの世界に来た当初は憐れな聖女様と噂されたそうだけれど、当時の私はまだ赤子。どれほど世間を騒がせたかはわからない。
今も、私の姿を見る度に人々からは憐れまれたり、恨まれたりしているわ。
……私は、存在するだけで人からそんな感情を向けられ続ける運命なの。
今では良い感情のほうが多いけれど、それでも反聖女派からはいまだに嫌がらせを受けることもある。
だから、公爵令嬢がこれから少し大変な思いをすることは容易に想像出来るわ。
お互い、大変ね。
当時の記憶なんてないし、実感だってなにもないのに、周囲に振り回されて。
でも貴女は、私の時と違って歓迎されるのでしょう。
戻ってくるはずのなかった令嬢が公爵の愛で戻った、と。あるいは、聖女がまだ存在するのに不吉だ、と騒ぐ人たちもいるかもしれないけれど。
騒ぎになるのは目に見えているし、あまり関わりたくはないというのが本音だけれど、私がいたはずの異世界がどんな世界なのかはいつか聞いてみたい気もするわ。
つまり、ライル様の言う通り、たしかに複雑な心境ではあるのだけれど。
「どうして複雑になるのです? 私の代わりにいなくなってしまったご令嬢のこと、ずっと心を痛めていましたもの。戻ってきてくれたのなら、とても良いことではありませんか」
「ああ、マリー……君ほど心の優しい女性を僕は知らないよ」
正直に複雑だと言ってしまえば、どこかでこの会話を聞いているかもしれない不届き者に曲解されて「聖女は令嬢を歓迎していない」などと噂されかねない。
迂闊なことなんて絶対に言えないわ。
そんな私の心境など露知らず、感極まった様子で私を抱きしめるライル様に身を預ける。
誰よりも私を優先し、どこまでも優しい私の婚約者。
この国の王太子で、数年後には結婚を控えているライル様。
私の居場所は、この世界に来たその瞬間から彼の腕の中なのでしょう。
それだけで幸せは保障されているのですもの、拒否するなんてことは出来ないわ。
それに、真っ直ぐ私を愛してくださるライル様のことは、私も好ましく思っているの。
かわいそうで優しい聖女様。それが私。
各地に赴いて悪い気を浄化をすることで、世界の平和を保つのが私の仕事。
放置すると魔物が溢れ、世界が悪しきオーラに支配されてしまう。それを阻止する聖女は世界の宝と呼ばれている。
だから私は物心つく前から大事にされ、優しくされ、憐れまれながら育ってきたし、それが当たり前だったわ。
『赤ん坊の頃からここで育ってんだから、かわいそうとか言われても困るよなぁ?』
そう言って困ったように笑ってくれたのは、トウル様だけだった。
衝撃だった。私はかわいそうな存在だと、そう思い続けていたから。
でもよく考えてみたらたしかに私は幸せに暮らしているし、悲しいなんて思ったことはなかったわ。
ただ、ずっと寂しい気持ちは拭えずにいて、その理由に答えが出た気がしたの。
『でも、兄上。マリーが本当の家族を知らないのは事実です。だから私がめいっぱい愛そうと思うんです』
『……ああ、いいんじゃないか。ライル、お前が幸せにしてやるといい』
『はいっ!』
ライル様はお優しい。本当の家族の愛を知らない私に、お言葉通りめいっぱいの愛情を注いでくださる。
でも、でも、何かが違う。
だってそれは……もし私が「かわいそう」ではなかったら?
ただの聖女であったなら……いえ、ただの女だったなら、貴方は今と同じように愛してくださったのかしら?
ライル様は、いつまでわたくしをかわいそうだと思い続けるおつもりなの……?
『マリアンヌ、あんま気にすんなよ。……なんて、俺みたいな粗暴な男に言われても嫌だろうが、周囲の言葉なんかに振り回されず、自分らしく生きればいい』
対してトウル様は、一度だって私を「かわいそう」だという目で見たことがなかったの。
わたくしを、ただのマリアンヌとして見てくださる。
それがどうしようもなく私の心を揺さぶり、今もこの胸の奥を熱くさせ続けている。
「キンドリー公爵家の消えた令嬢が帰ってきたんだってな」
「ああ、あれから十八年くらいか? まさか本当に帰ってくるなんて奇跡だよな」
「それにしても……十八年も異世界で暮らしてたんだろ? 今戻ってきても混乱するだろうに」
「かわいそうだよな……」
城の至るところで噂話が聞こえてくる。
ライル様はそれを聞かせないようにと、私を庇うように肩を抱き、早足で通り過ぎようとしてくださっていた。
守られている。
愛されている。
それなのに、私の心は満たされない。
……結ばれないことはわかっているわ。
でもせめて、トウル様に側にいてほしい。私が心から安らげるのは、あの方が近くにいる時だけ。
それなのに、どうして城に戻ってきてくださらないの……?
そんなにクランが大事なの?
……クランに居座る公爵令嬢が大事だというの?
彼女が襲われた時、烈火の如く怒ったと聞いたわ。
胸が締め付けられる。
キンドリー公爵家の消えた令嬢。
私がこの世界に来たのと引き換えに、私の本来の世界である異世界に飛ばされてしまった女。
「聖女様もかわいそうだが、公爵令嬢もかわいそうだよな……」
「ああ、聖女様と引き換えになったってことだろ?」
やめてくださいませ。そこは私の居場所。
わたくしから「かわいそう」がなくなってしまったら、どうなってしまうの?
「でも彼女、そんな身の上なんて気にしたふうもなく笑うんだって。すっげぇ可愛いらしいぞ」
「まじか。貴族籍に入るわけじゃないんだろ? お近づきになれないかな」
ずるい。ずるい、ずるい、ずるい!
どうして貴女だけ!
自由も、トウル様も、本当の家族からの愛情も、すべてを手に入れて!
取らないで。私からこれ以上なにも奪わないで。
——私から「かわいそう」を取らないで。
トウル様に近付く不審な女がいるというから秘密裏に処分する手配をしたけれど……まさか彼女が帰ってきた公爵令嬢だったなんて、ね。計画は失敗に終わったけれど。
「やっぱり彼女……邪魔だわ」
あの女を処分して、必ずトウル様には戻ってきていただくの。
私の心を癒してくれるのは彼だけだから。
結婚することは叶わないけれど、どうかずーっと私の側にいてくださいまし。トウル様。




