覆水盆に返らず
目を覚ますと私は無機質な天井を見上げていた。
「お、目を覚ましたか。丸一日は寝てたぞ」
体を起こし、声の主に視線を向けるとそこにいたのは回復支援班のトレイシーさんだった。
どこかの室内、フカフカとは言えないベッドの上、知らない衣服、薬品の匂いに顔をしかめながら私がここに寝ていた理由を記憶の奥から探る。
そして私は思い出した、モンスターによって私の左腕が失われたこと。
────私自身の手でホーロンさんを殺したことを。
「ホーロンさん……」
左腕が失われたことなんて本当に些細なことだと言えるくらい私は取り返しのつかないことをしてしまった。
引き金を引いた感触が、今も指に残っている。弦が弾ける音や矢が核を貫いた音、それらが耳の中で反響する。視覚が、聴覚が、触覚が、私がホーロンさんを殺したのだと問い詰めてくる。
そうだ、私が殺した。殺して欲しいと願われたから殺した。まだ助けることが出来たかもしれないのに、それでも殺した。
彼の優しさも、不器用な笑顔も、奥さんと暮らすはずだった人生も……全部、全部、私が全部奪ったのだ。
全部、全部────
「はいはいっと」
パチンという音が鳴り響いた。その音で我に返った私が辺りを見渡すと先ほどまでの無機質な室内から一変して色とりどりな花が咲いている草原が広がっていた。
いや、広がってるように見えるだけで実際には無機質な室内から何一つ変わっていない。いわゆる幻覚の一種だろうか。
「落ち着いたか?」
「……あ」
気がつくと目の前にはトレイシーさんがいた。指で私のおでこを小突いてきて頭が後ろに少し下がる。突かれたからか靄がかかっていた頭の中が少しすっきりした気がする。
トレイシーさんのお陰で私は自分が錯乱していたという自覚を持つことが出来た。ホーロンさんの死、そしてその引き金を引いた私を認めることが出来なかったから。
私は大きく深呼吸をした。吸って、吐いて、内に潜む邪念を外に押し出す。ホーロンさんは私が発狂した姿なんて見たくないだろう。元気でな、という言葉を残したのだから、きっとそうだろう。
「えっと……その……ありがとうございました」
「気にするな、これも仕事だ」
そういってトレイシーさんは椅子に座り、黒い飲み物を一口飲んだ。おそらくはコーヒーだろうか、暖かそうな湯気が立ち上っているのが少し見える。
「あろうことか英雄様の心を治せませんでした。じゃ何のために私がいるんだって話だからな。ほれ、白湯だ。熱かったら冷ませよ」
トレイシーさんが入れてくれたお湯を私は右手で受け取る。湯面に息を吹きかけて熱を飛ばし、少しずつ、ゆっくりとのどを通す。残った熱が冷えた体と心の傷を埋めてくれる気がする。
「……ん? 英雄? 私が?」
聞きなれぬ単語に思わず疑問を投げかけた。それを口にしたトレイシーさんはさも当然の事だというような表情をしていた。
「そりゃそうだろ。お前が大量のモンスターを引き連れて逃げ回ったお陰でこっちの被害は無く、軍の方も最小限だったんだ。この戦果を挙げたやつが英雄じゃなかったらなんだって話だ。アランから聞いたぞ」
「いえ、そんな大層な……私はただそうしたいからしただけで……」
私は英雄と呼ばれるような立場ではないと首と手を素早く振って否定する。目の前で誰かが襲われているのを見過ごせなかっただけ。そうして考えなしに行動した結果、結局として私はホーロンさんやミコトさんに助けられてしまった。
そして私はホーロンさんを救えなかった。そんな体たらくでは英雄とは到底言えないと思っていた。
「調子に乗るな」
「いたっ」
そう言ってトレイシーさんはまた私のおでこを小突いた。今度は強めに小突かれたせいか痛みで思わず声が漏れる。
私がなぜそんなことを言うのかという疑問を視線として投げかけると意図を察したのか私を諭すように話し始めた。
「アランを無理矢理捲いてまで私達を助けようとしたのはお前だろ? 助けられた私達からすればお前が誰かに助けられたことは関係ない。そのことを否定しないでくれ、誇ってくれ。私達の為にも、あのホーロンの為にも」
私がその功績を否定することは助けた彼らを、そしてホーロンさんを否定することになる。その言葉に私は何も返せなかった。
私は助けた者達の意志を尊重したい。でも、それは私の心を否定することになる。その矛盾を整理出来ないままトレイシーさんは言葉を続ける。
「そして助けてもらった者を代表して言わせてくれ、助けてくれてありがとう」
そう言ってトレイシーさんは深々と私に頭を下げた。その言葉はとても真摯に感じ、トレイシーさんの本音を感じ取れた。
「えっと……その……」
私はどう返せばいいかわからず困り果てるしかなかった。トレイシーさんの意志は理解した。それでも私は私を肯定することが出来なかった。
そうして困惑していると、突如として部屋の窓が開いた。
「ミカ姐! 起きた!?」
「うべぇあ!? み、ミコトさん!?」
窓を開け、外から飛び込んできたのはミコトさんだった。その表情は焦燥といった感じで、おそらくは私の容体が心配で仕方なかったのだろう。
慌てた様子で私に近づき、ゆっくりと私の容体を観察しているようだ。かなり混乱しているらしく、トレイシーさんが窓から入ってきた事に怒りを表していることにすら気づいていないようだ。
「大丈夫……だよね?」
「心配かけましたけど大丈夫です! ……左腕以外は、ですけど」
「……っ!」
私は失くした左腕を回す仕草をして状態を伝える。それを見たミコトさんはひどく狼狽え、その後に申し訳なさそうな顔をした。
「これは私の責任です。ミコトさんのせいではありません」
「でも……」
「実際にこの怪我はミコトさんのせいではありません。そもそも私はミコトさんに助けてもらった身です。感謝こそすれど謝られるいわれはありませんよ」
そう言ってミコトさんを落ち着かせようとしたものの表情はあまり変わらず、納得はしていない様子だ。
どうやって納得させようか悩んでいると今度は扉の方がノックもなしに開いた。
「やっと起きたか」
「あ、アルコンさん」
入ってきたのはアルコンさんだった。アルコンさんは普段通りの不機嫌そうな表情だった。アルコンさんは何事もなさそうである意味安心しました。
「やっと起きたかはこっちが言いたいんだが? 入口の前でずっと寝るくらい心配なら部屋に入っとけ」
「……ツンデレ?」
トレイシーさんからの告げ口とその内容に思わず失言をこぼしてしまった。そして当然のごとく私はアルコンさんに顔面を鷲掴みにされた。
「あいだだだだだだ!!!」
「丸一日寝てた割には元気そうだな、遠慮する必要はなさそうだ」
「いだだだだ!!! ほほ、頬骨に指があばばばばば!!!」
「あ、アル兄……それ以上は」
アルコンさんの大きな手が頬骨に深く食い込み、心配の裏返しが私を襲う。動物に変えられないだけマシとは思いつつもその痛みが少しシャレにならなくなったその時、また扉から入ってきた方がアルコンさんを止めてくれた。
「待て待て、それは怪我人相手にやることじゃないからな。そこらへんにしておいてやれ」
「……ちっ」
「いたた……あ、メルルさん」
助け舟を出してくれたのはメルルさんだった。割り込んで止めてくれたのでなんとか頬骨にヒビが入ることはなかった。
……ん? もしかして、私が怪我人じゃなかったら止めるつもりはなかった?
「うむ、オレ達もいるぞ」
「仕事全部放り投げてきたんだから感謝してよね!」
「ミカン、大丈夫?」
「皆さんも……」
扉の陰からアッシュさん、マリーさん、ユーナさんの三人が顔をのぞかせていた。戦後処理の仕事をしていたようだが私が目を覚ましたので中断して来てくれたらしい。なんだか申し訳ない。
「大丈夫です、ご心配をおかけしました」
「良かった……」
「うむ、腕を除けば無事そうで安心した」
ミコトさんと違い、腕を失った私を見ても特に狼狽する様子はない。なんと言うか……慣れてるって感じがしますね。良くも悪くも。
「私はまだまだ仕事があるからあとは任せるわ。腕以外は問題ないから散歩くらいはしてきても構わないから」
「ありがとうございました」
まだ見ないといけない患者がいるからと部屋を出ていったトレイシーさんを見送った。被害は少なかったとは言いつつもやはり怪我人は少なくないようだ。私は改めて戦争の過酷さを実感する。
トレイシーさんが退室し、一瞬の沈黙が室内を支配した。その沈黙が破られたのはアルコンさんが私の頭を掴み、小鳥に変化させた後だった。
「……ぴぃ(えっ)?」
「……え」
「おい、なにしてんだ?」
アルコンさんは誰の言葉にも反応せずに小鳥になった私を鳥かごの中に押し込んだ。当然一分もすると私は元に戻る、それを理解していないアルコンさんではない。行動の意図が読めず困惑する。
そうして体が元に戻る直前に私は気づいた。小鳥に変化した際、あるはずの左の翼の大部分が欠けていることに。
「……わっ、元に戻った」
私は鳥かごを壊しながら元の姿に戻り、ベッドの上に着地して座る。
アルコンさんの魔法でも欠けた腕は戻らないらしい。どちらにせよ一分で元に戻るとはいえこんな行動に出るのはアルコンさんらしからぬ気がする。
私は体勢を整え、アルコンさんの話を聞く準備をする。私を変化させている最中ですら一言もしゃべらなかったのだが、私の意図を察したのかアルコンさんはゆっくりと口を開いた。
「なんで命を張る真似をした」
その問いは心配というよりもどちらかと言えば失意の感情がこもっていた。
「誰も見捨てたくなかったから。それだけです」
私は本心を簡潔に述べた。助けることが出来るかもしれない命を見捨てる選択肢を私は取りたくなかった。
「……お前は俺をもとの世界に帰すと言った。それは嘘だったのか?」
私が死ねばアルコンさんは元の世界に帰れない。アルコンさんからすれば私が死と隣り合わせの状況に自ら飛び込むのは好ましくないだろう。実際何度も怒られたし……先ほどの鳥かごもそんな状況から遠ざけたいという意図があったのかもしれない。
「それは嘘ではありません。時間はかかるかもしれませんが必ずアルコンさんをもとの世界に帰します」
それがこの旅の根本の目標です。その責任から私は逃げるつもりはありませんよ?
その言葉を聞いたアルコンさんの表情は一変した。
「……お前、矛盾してるって気づいてないのか?」
アルコンさんは暗く、重い声で私に問いかける。今までのアルコンさんからは聞いたこともない声色、私はこれまでになく真剣に言葉を返す。
「わかりません。そもそも知りません。私は私の意志を捻じ曲げたくありません、誰かの意志を曲げるつもりもありません。どう言われようが私は誰かを見捨てたくありません。例え、それが自分の命を危険にさらすとしても」
それが私の意志。それを曲げるつもりもない、曲げられたくもない。それを誰かに曲げられようものなら私は……。
「……勝手にしろ」
私の言葉を聞いたアルコンさんは投げやりな雰囲気で椅子に座る。勢いよく座ったせいか椅子や部屋の軋みが直に私に伝わった気がする。
アルコンさんの表情はなぜか見えず、その真意を私は汲み取ることが出来なかった。
一瞬の静寂、メルルさんが雰囲気を変えようと口を開いたのを私はあえて遮った。
「ちょっと散歩してきます。大丈夫です、無茶はしませんから」
「あ、私もついていくわ」
私が部屋を飛び出すとユーナさんが後をついてきた。ミコトさんもついてきたそうにはしていたがどうやらアルコンさんに止められたようだ。
私はそのことを気にも留めずブランリーの街の中にあった建物を飛び出して歩き始めた────
「────もし腕が綺麗な状態で残っていたのなら引っ付けることが出来る人はいたのだけど……ごめんなさい」
「いえいえ、ユーナさんが謝ることじゃないですよ」
私達はブランリーを飛び出し、郊外の森の中を散歩している。私が逃げ回った森には戦闘の痕跡があちこちに残っており、その苛烈さを実感させられる。
「……それにしても本当にひどい有様ね、この森の木とは思えないコレはミカンの仕業? こんなこと出来るなんて知らなかったわ」
「私も初めて知りましたからね……よくよく考えればアルコンさんとの出会いからしてこういうことをしてたんですけどね」
そもそもはじめてこの力を使った時はアルコンさんを私の世界に拉致したことでした。思い返せばこれくらいは最初から出来て当然だったんです。それに気づくのが遅れました。
それさせもっと早くに気づいていればホーロンさんは……。
いや、ホーロンさんは私に元気でいて欲しいと言ってくれた。ならそうやって過去の後悔を嘆き続けるのはきっと悪いことだ。トレイシーさんにも怒られてしまいます。
私は改めて気持ちを切り替えるために歩みを進める。その最中、確信に触れるかのような顔つきでユーナさんは私に質問をする。
「……もしかしてだけど、ホーロンが亡くなった所に向かってる?」
「最初は無意識だったんですけどね。ここまで来たら弔いくらいはしたいと思いまして……」
嘘ではなく、本当に無意識のうちにあの場所に歩みを進めていた。それほどに私はホーロンさんを亡くした事が精神的にショックだったのだろう。初めて身近で親しい人が……私のせいで亡くなったのだから当然だろう。
「わかったわ、簡易的なお墓くらいは作りましょう。例えゴーストだとしても、それくらいは許されるべきです」
「ありがとうございます」
私はユーナさんに軽く頭を下げる。わがままに付き合ってくれることに感謝し、目的地に急ぐ。途中、見かけた綺麗な花を一輪だけ摘み取る。こちらの作法はわかりませんがお花を一輪供えるくらいはしてあげたいです。
そうして目的地にたどり着く直前、私達は違和感に気づく。
「……モンスターの死体って片づけられたんですか?」
「いえ、ここはまだ手付かずのはず。そもそも街の地上も全部は終わってないのにこんなところなんて……」
森のどこを見渡してもモンスターの死体が一つもないのだ。ホーロンさんが積み上げた死体の山も、私が気絶した後に兵士の皆さんが戦ったはずのモンスターも、一切の痕跡もなく消え去っている。これは異常事態だ。
「……これは帰った方がいいかもね」
「そうですね、帰りましょう」
そうして踵を返そうとしたその瞬間。少し遠くに人影が見えた。
「……誰かいる?」
「え?」
その場所はまさしく私がモンスターに腕を裂かれ、ホーロンさんが亡くなったあの場所だった。
その人影は私より大きい女性のように見えた。迷い込んだとは思えない、明らかに異常とも思える存在だった。
彼女はこちらに気づいたのか大きく手を振り、私達がその女性に近づいて欲しそうにしていた。
どうするべきか悩んでいると、突如としてユーナさんが走り出した。怪しいとは思いつつもおいていくわけにもいかず慌てて追いかけた。
追い付いたそこでは不思議な雰囲気を纏っていた金色の長髪が美しい長身の女性が、あろうことかお墓のようなものを作っていた。
この場所にお墓を建てる、それはつまりホーロンさんのお墓なのでしょう。私は彼女の意図が読めず困惑する。
「まさか二人とも来てくれるとは思いませんでしたわ」
その言葉は私達二人を待っていたかのような口ぶりだ。ユーナさんはともかく、私を知っている人物なんてこの世界では限られているはず、そう思って距離をとろうとした。
「セレスティア様……?」
「……え?」
ユーナさんの口からこぼれたその言葉に私は耳を疑った。
セレスティア、それはこの世界の女神の名前だ。五百年前に人類に失望した故か姿を隠した女神様その方だ。
そして私は知っている。彼女は────
「そうですわ、今代の聖女ちゃん。そして初めましてですわ、あの子……初代聖女ちゃんの大元の少女の生まれ変わり。私は女神セレスティア、あらゆる生命を生み出したとされる女神……そして魔王セレスティア、人類の敵であるモンスターを生み出した女神の名ですわ。よろしくね、二人共?」




