十一
「おはようございます、飛羽様」
翌日。飛びを開けて一礼したのはうちの執事。ちなみにあいつは父の犬で、父に反抗を始めた頃から、俺のことをゴミを見る目で蔑んでいる。
ベッドからのろのろと起きあがり執事に目をやると、彼はいつも以上の蔑視をこちらに向けてきた。
それに吊られて自分の姿を見ると、
「うわ」
俺の腰をしっかりと抱き、更には足まで絡ませて眠るナツがそこにいた。
これは執事にあんな顔をされても仕方がない。
言っておくが、どれだけ事後感があろうと、昨夜は至って健全な夜だった。下半身から生まれた男との異名がついている遊佐飛羽は、未だ童貞処女を守ったままである。
「朝食はどうなさいますか」
「あー……」
明るく染められた髪を搔き上げながらナツを見る。気持ち良さそうに寝入っていて起きる気配はない。
「部屋に持ってきて」
「畏まりました」
必要最低限の会話だけで済ませて、執事は出て行った。本当に俺のことが嫌いだな、あいつ。
嫌われることには慣れてるから別にいいけど、さ。
纏わりついてくるナツをひっぺ返して、シャワーでも浴びようと準備を始めると、もぞもぞと布団が動き出した。
「ナツー、起きたー?」
「ん…………寒い」
顔を顰めて温もりを探すナツ。俺は湯たんぽだったのか。
効きすぎている冷房を弱めてやり、ナツの頬をぺちぺちと叩くと、やっと目を覚ました。
「おはよ」
「……はよーございます、飛羽先輩」
「もうすぐご飯だってさ。ねえ、今日はどうしよっか」
「あー、昨日も一昨日もゲームしてばっかりだもんね……」
「ね。ナツってばゲーム揃ってるから俺の家来たがったの?」
「まさか。あわよくばペロッと食っちゃおうっていう魂胆だけど?」
「その割に昨日は何もしなかったじゃん?」
指摘されると、悪戯が見つかった子供のような顔をした。
「あーあ、童貞処女キラーの名が泣く……」
「泣かせとけ泣かせとけ。俺はシャワー浴びてくるから、朝食が運ばれたら先に食べてていーよ」
「はーい」
我が物顔でベッドを占領するナツを置いて、備え付けの浴室に入る。昨日は入浴する間もなく寝てしまったから、身体がべとついて気持ち悪いことこの上ない。
折角だからバスタブに湯を張って浸かりたいな、という衝動に駆られたが、流石に時間がかかり過ぎて文句を言われるのは目に見えているので、シャワーで我慢することにした。
「……………………なんか、すっきりしたな」
シャワーのことではない。昨夜のことだ。
ナツは俺の目を醒まして現実を叩きつけてきた。ふわふわとあやふやなまま行き場のない感情を引き摺り、幻想に縋ろうとする俺に、冷水を掛けてくれた。
『好きなのになんであんな顔をするの?』
ナツの言葉の全てが、鋭い刃となって俺の心臓を貫いた。それは俺を追い詰めもしたが、この停滞した関係性に終止符を打つ覚悟もくれた。
そう。そうだ、いい加減に認めよう。俺は迅が好きだった。でもこれは恋じゃない。
こんなに重くて苦しいものが恋だと言うのなら、世界中の誰も恋なんてしなくなる。
――ふと、ナツがしかいないはずのシャワールームの向こう側から、騒がしさが伝わってきた。
誰かと言い争う声。剣呑な雰囲気。俺は鏡に映る自分をぼんやりと眺めながら、それを遠い出来事のように感じつつ聞いていた。
親への反抗心から脱色した髪が、水に濡れて顔や首筋に張り付いている。その髪の間から覗く目は、今日はカラーコンタクトをつけていないため黒色だ。
鏡の向こうの黒々とした俺の双眸は、これから起きる出来事を予想していながらも、不安に揺れたりはしていなかった。
「ちょっと、勝手に入らないでよ!おいっ、聞いてんの!?」
普段はあまり声を荒あげたりしないナツの珍しい怒声が扉越しに聞こえた。直後、扉は音を立てて乱暴に開かれた。
「――よォ、久しぶりだな」
微かに曇った鏡を手で拭くと、俺の背中には予想通りの人物が立っていた。
「……そうだな。いきなり押しかけてくるとは思わなかったよ、迅」
振り返った先には、鏡を通して移さなくてもやはり、烏谷迅が立っていた。
――精悍な顔立ちに、冷たく静かな怒りを湛えながら。




