第90話 プレゼン準備
霞が関から戻った政雄は、鞄を机の脇へ置くと、そのまま安東の席へ向かった。
安東は書類から顔を上げた。
「どうだった?」
「黒沢さんは、BANCSだけでは話が進まないので、別の立場にいる実務者の意見も聞いてみようとしたようです。最初は、今後の相互協力について、経営判断を抜きにした意見を聞く程度の集まりだったと思います」
「BANCS会議の延長かと思っていたが、どうもそうではなさそうだね」
「はい。銀行同士の相互協力はある程度進んでいるので、その先をどうするかという話になりました。将来はカード会社や流通側など、銀行以外との連携も必要になるだろうと話したところ、黒沢さんがそこを拾いました」
「それで?」
「通信接続の大枠を大蔵省が決めるとしたら、何が必要になるか。次の集まりまでに、それぞれ考えて持ち寄ることになりました」
安東は少し考えた。
「その場で忌憚のない意見を、という程度のつもりだったんだろうが、山本君の話が拾われたなら、この先はそう簡単じゃないな」
政雄は苦笑した。
「少し話しすぎたかもしれません」
「黒沢さんからの要請なら、山本君に丸投げってわけにもいかないな。向こうから双葉銀行として出せと言われたわけではないにしても、山本君が資料を出せば、NOOPなり双葉銀行なりの考えとして受け取られるだろう」
安東は政雄の方へ体を向けた。
「だから、出す前に一度こちらでも目を通したい。若い人の発想は面白いが、現時点では突飛に聞こえるものや、後で問題になりそうなものもあるからね。早めに一回持ってきてくれ。必要なら、その段階で考え直せばいい」
「分かりました」
席へ戻った政雄は、机の前に座った。
勉強会では、普段から考えていたことを少し口にしただけだった。黒沢がそこまで話を進めるとは思っていなかったし、次回までに自分が資料を作ることになるとも考えていなかった。
政雄は白い用紙を一枚取り出した。
最初に思いついたのは、ATMと対外接続に使うOSや基本ソフトを統一することだった。銀行ごとに違うものを使っているから、相互接続のたびに変換が必要になる。ならば、最初から同じものを使えばよい。
しかし、それでは数年後に更新が必要になった時、全体が同じ問題を抱える。新しい機械を導入しても、古いソフトとの互換性を優先すれば、性能を十分に生かせない。安全性のための更新も、銀行全体を巻き込むことになる。
「どうした、難しい顔をして」
田口が向かいから声をかけた。
「少し考え込んでいまして」
「統一すれば簡単じゃないのか」
「最初はそう思ったんです。ただ、基本ソフトは何年かすれば更新するでしょう。そのたびに全体を変えることになったら、別の面倒が出る気がしまして」
政雄が考え込んでいると、後ろでお茶を配っていた相沢久美子が口を挟んだ。
「服と同じじゃないですか」
政雄と田口が振り返った。
「一つの着方しかできない服だと、最初は迷わなくていいですけど、合わせ方が限られますよね。別の服や小物と組み合わせを変えられるものなら、一着でもいろいろ使えます。長く使うなら、着方を決めてしまうより、組み合わせを変えられる方が便利じゃないですか」
田口が感心したように言った。
「相沢さんは面白いたとえをするね」
久美子はにこりと笑った。
「男性はスーツ一着で済むかもしれませんけど、女性はそうはいかないんですよ。結構大変なんです」
政雄は久美子の言葉を聞きながら、用紙へ目を戻した。
OSを一つに決めるのではなく、異なるOSや基本ソフトを使っても、外部との接続を保てる仕組みを作る。更新のたびに全体を入れ替えずに済むよう、共通の接続仕様と、それに対応する変換機能を整える。
統一すべきなのは、ソフトそのものではない。ソフトが変わっても、外部とのやり取りを続けられる条件の方だ。
政雄は用紙の上に、考えを整理するための最初の一文を書いた。
更新を前提にした接続仕様が必要である。
政雄はその一文の下へ、さらに三つの見出しを書きつけた。
1. 共通仕様の設定
各行で内部の仕組みが異なっていても、外部との接続に必要な条件だけは共通化しておく必要がある。
2. 変換機能の整備
内部方式の違いは接続のたびに個別対応するのではなく、中間の変換機能で吸収できる形にしておくべきである。
3. 更新を前提とした互換性の確保
将来の機器更改や基本ソフトの更新に備え、全体を一斉に改修しなくても接続を維持できる仕組みが必要である。
そこまで書いたところで、政雄は鉛筆を止めた。
話の筋は通っている。だが、これだけでは安東に見せられないし、次の会合へ持っていくには弱い。何を根拠にそう言うのかと問われた時、思いつきですでは済まなかった。
政雄は席を立ち、まず保管棚へ向かった。接続関係の過去資料が入っている棚から、他行接続の検討文書、共同センター対応時の記録、障害発生時の報告書を抜き出して自席へ持ち帰る。頁をめくり、該当箇所に紙片を挟んだあと、今度はシステム担当の席へ向かった。
以前に接続先を増やした時、修正箇所が思ったより多く出たことはありませんでしたかと尋ねると、担当者は少し考えてから机の引き出しを開けた。勘定系の受け渡しだけでは済まず、対外の制御側まで手を入れた案件があったという。古い作業記録を見せてもらい、政雄は接続先ごとの個別対応が複数箇所へ及んでいたことを確認した。礼を言って席へ戻る途中で、その記録に出ていた修正内容を手帳へ書きつける。
次は営業店事務の担当へ内線を入れた。他行カード絡みの障害が起きた時、現場でどんな問い合わせが出やすいかを聞くためだった。最初、相手は妙なことを聞くなという反応をしたが、今後の相互接続の検討材料にしたいと説明すると、ぽつぽつと話し始めた。引き出せなかった理由の説明が難しいこと、復旧見込みをその場で答えにくいこと、問い合わせ先が一つで済まないこと。政雄は受話器を肩で押さえながら、手帳へ短く書き込んでいった。
昼を過ぎると、今度は保守会社へ電話した。接続先が増えた場合、いちばん厄介になるのはどこかと尋ねると、返ってきたのは障害時の切り分けだった。回線か、端末か、共同センターか、相手行か。関係先が増えるほど、原因にたどり着くまでの確認箇所も増える。政雄はその説明を聞きながら、変換機能を持たせるなら、障害時の責任区分まで考えておかなければならないと気づいた。
午後には総務へ頼んで、業界団体の刊行物やオンライン化に関する冊子を持ってきてもらった。相互利用の拡大を扱った記事、共同利用の事例紹介、業務負担に触れた解説文。
必要なのは立派な理屈ではなかった。接続先が増えた時、どこで調整が増え、どこで保守が難しくなるか、それを裏づける記述が一つでもあればよかった。
それでも空いている箇所は残った。田口のところへ行き、過去に予定より長引いた接続案件がなかったかと聞き、営業企画にはカード会社との将来的な連携話が過去に出たことがないかと尋ねる。
課をまたぐたびに言葉を選び直さなければならず、そのたびに神経を使った。
自席へ戻る頃には、机の上が書類の山で埋まっていた。
社内文書、電話で聞いた内容、刊行物の該当箇所、走り書きのメモ。
どれも決め手と呼ぶには弱いが、どれか一つ欠けても説得力が落ちる気がした。
政雄は額を指で押した。
前世なら、こういう時はPCで検索すれば、必要な資料がすぐ幾つも出てきた。
検索結果から関係資料へ飛び、統計も解説もその場で確かめられ、その場でプリントアウトできた。
いまは違う。
誰に聞くか、どの棚を探すか、どの刊行物に当たるか、その順番から自分で決めなければならない。
面倒だな、と口の中だけでつぶやく。
だが、愚痴をこぼしても資料は増えない。政雄は社内文書と業界誌の記事を見比べ、まず書くべきことを決めた。接続先が増えるほど確認箇所と保守負担が膨らむこと。にもかかわらず、機器更改そのものは避けられないこと。ならば、内部まで一つにそろえるより、接続部分の共通化と更新時の互換維持へ力を注ぐべきだ。
政雄は新しい用紙を引き寄せ、安東に見せるための下書きへ取りかかった。
*
午後、政雄はひととおりの形になった資料を持って安東の席へ向かった。
「できたか」
「はい。まだ叩き台ですが」
政雄はそう言って資料を差し出した。三つの見出しの下には、それぞれ短い説明が添えてあり、後ろには接続先ごとの差異を整理した一覧や、過去の改修記録から必要箇所を抜いた付属資料が続いていた。
安東は受け取ると、表紙をめくって最初の頁へ目を通し、その後ろの付属資料までざっと見た。
「ずいぶん集めたね」
「思ったより手間がかかりました」
「だろうね」
安東は資料を机の脇へ置いた。
「今日はこれ、預かるよ。見ておく」
「お願いします」
政雄は頭を下げて自席へ戻った。安東が預かった以上、どこかしら手が入るのだろうとは思ったが、どの部分を直されるのかまでは分からなかった。
夕方、安東に呼ばれて席へ行くと、朝ではなく昼に渡した資料が机の上に戻っていた。
「大筋はこれでいい」
安東は表紙の上に置いた指を少し動かした。
「ただ、二か所だけ直そう。ひとつは、内部までそろえる話に読めかねないところだ。君の言いたいのはそこじゃないだろう」
「はい。外部との接続条件に限るつもりです」
「なら、そう読めるように書いておいた方がいい」
安東は一枚めくった。
「もうひとつは、更新時の互換性の話だね。発想としてはいいが、このままだと少し先走って見える。将来の話から入るより、まず今の負担を減らす話として出した方が通りやすい」
政雄はうなずいた。
「分かりました」
安東は資料を政雄へ返した。
「印をつけてある。そこだけ直して清書してくれ。出す前にもう一度見せなくていい。その代わり、言い回しだけは気をつけろ」
「はい」
資料を受け取ると、赤は本当に二か所だけだった。だが、どちらも政雄ひとりではそのまま出してしまいそうなところだった。
自席へ戻った政雄は、椅子に腰を下ろすなり修正箇所を開いた。
やるべきことがはっきりしただけ、朝から抱えていたもやもやは薄れていた。
黒沢との勉強会から二週間ほどが過ぎ、政雄はようやく清書を終えた。
安東の確認も済み、修正を入れる箇所ももうない、次の会合はもう目前だった。
資料は薄い封筒に収まる程度の分量になったが、そこへ至るまでに費やした手間は見た目の何倍もあった。三つの見出しの下には、それぞれ短い説明が添えてあり、後ろには接続先ごとの差異を整理した一覧や、過去の改修記録から必要箇所を抜いた付属資料が続いていた。
これ以上ふくらませれば話が散るし、削れば根拠が薄くなる。
そのぎりぎりのところで、どうにか形になったのだと思う。
政雄は机の上の資料を見直したあと、封筒へ戻した。
内容はもう変えないと決めたはずなのに、手が空くと、つい同じ頁を開いてしまう。
共通仕様、変換機能、互換性の確保。言いたいことは単純なのに、読む相手によって受け取り方が変わる。
その怖さは、安東に赤を入れられた時に嫌というほど分かった。
もっとも、あれでよかったのだとも思う。自分ひとりで作っていたら、前へ出しすぎていた。内部までそろえる話だと取られれば、本来の趣旨から外れる。将来を見すえたつもりの文も、言い方を間違えれば若手の思いつきに見える。
そうした危うさを削って残ったものが、今机の上にある。
田口が封筒を見た。
「それか」
「はい。いちおう終わりました」
「通ったのか」
「大筋はこれでいいと言われました」
田口はうなずいた。
「なら、あとは向こうがどう出るかだな」
その言葉に、政雄も小さくうなずいた。資料ができたからといって、それで話が決まるわけではない。
むしろここから先の方が面倒かもしれない。
誰がどこに乗ってきて、どこで慎重になり、どこで話を広げたがるか。
それは会合の場に出てみなければ分からなかった。
それでも、前回とは違う。
今度はただその場の勢いで話すのではなく、自分なりに考えたものを持って行ける。
そう思うと、腹の据わり方が少しだけ変わる。
政雄は封筒の口を閉じ、鞄へ入れた。
あとは、会合の場で何を問われるかだった。




