第75話 現地調査
十月に入って二週目の月曜、事務企画課では朝から安東が机の上の書類を脇へ寄せ、空いたところに一枚の一覧表を置いた。外部設置ATMの候補地を書き出したもので、駅構内、百貨店、病院、区役所とある。名前だけならどこも分かるが、実際に機械を置けるかどうかは、現地を見なければ判断がつかない。試験運用で入れる以上、余計な費用はかけたくないし、置き場所によっては安全面の考え方も変わってくる。
安東は眼鏡の位置を直し、政雄と田口を見た。
「山本君、田口君。先週の件だが、まずは二人で現地を見てきてくれ」
二人はそろって顔を上げた。
「候補に挙がっている場所を回って、設置が現実的かどうかを見てきてくれ。機械を置くだけの広さがあるか、電源が取れるか、人の流れに無理がないか、その場所の管理者に話を通せそうか、そのあたりを見てくればいい」
安東は一覧表を指で軽く叩いた。
「一日で全部は無理だろう。まず駅と百貨店、それから時間があれば病院か区役所だな」
政雄は一覧表を見ながら言った。
「駅なら、改札のすぐ脇だと人が詰まりやすいですし、単独で囲いを作る形は今回は向いてないと思います。既存の壁際か、売店の並びみたいに管理の目が届く場所の方が現実的でしょう」
安東は小さくうなずいた。
「そうだな。試しに置く段階で、そこまで大がかりにはしたくない」
田口が一覧表に目を落としたまま続けた。
「百貨店も、出入口の近くよりはサービスカウンターに近い階の方がいいかもしれませんね。買い物客の流れから外れすぎても駄目ですが、通路の芯に置くと邪魔になる」
「そのあたりも見てきてくれ」
安東はそう言ってから、今度は政雄の方に目を向けた。
「山本君はまだ来たばかりだが、こういう仕事は実際に足を運んだ方が早いからな。気づいたことがあれば遠慮なく出してくれ」
「はい。駅を見るなら、この時間のうちの方が流れはつかみやすいですね。昼に近くなるとまた変わるでしょうが、朝から昼前までなら通勤客の残りと日中の客の切り替わるところが見られます」
「うん、それでいい」
安東は書類の端をそろえた。
「見てきた内容は簡単でいいから報告書にまとめてくれ。置けそうかどうか、問題があるなら何か、その程度でいい。細かい詰めは、そのあとでシステム課とも相談するから」
田口が一覧表を取り上げた。
「分かりました。じゃあ午前のうちに駅を見て、その足で百貨店へ回ってみます」
「帰ったら一度聞かせてくれ」
話はそこで終わったらしく、安東はもう次の書類へ目を移していた。
田口は椅子を引いて立ち上がった。
「じゃあ行こうか。地図は持つから、君はカメラ持って」
政雄も立ち上がる。
「分かりました」
*
田口は地図を二つ折りにして上着の内ポケットへ入れ、政雄にカメラを渡した。
「まず近い方を見ようか。ここからなら地下鉄の駅が通り道だ」
「そうですね。基準にはなりそうです」
二人は本店を出て、駅の方へ歩いた。午前の街はもう通勤の混雑を過ぎていたが、人通りはまだ切れない。背広姿の男にまじって、買い物帰りらしい女や、書類を抱えた役所勤めらしい男の姿もあった。
地下鉄の出入口から下りると、改札はすぐ目の前だった。構内は広くない。売店も小さく、通路の流れも素直だった。
田口は立ち止まって、改札まわりを見渡した。
「思ったより詰まってないな」
「ええ。この時間なら見やすいですね」
政雄は改札脇の壁際に目をやった。正面は人が抜けていくが、端なら少し余裕がある。写真を撮ってから、視線を売店の並びへ移す。
「置くなら、あのあたりでしょうか」
「改札の正面よりはいいな」
「正面だと、人がぶつかりますね」
田口はうなずいた。
「まあ、こんなものか。ひとまず見ておけば基準にはなる」
「そうですね」
二人は改札の位置と通路の幅を確かめ、別の出入口につながる階段の位置も見てから、そのままホームへ向かった。
「次は大きいところへ行こうか」と田口が言った。「やっぱり本命はそのあたりだろうし」
「人が多い分、見込みは立てやすそうですからね」
「そうなんだよな。置く場所さえ取れれば、話は早いと思うんだが」
二人は列車に乗り、ターミナル駅へ向かった。
列車を降りると、空気がさっきの駅とはまるで違っていた。降りる者と乗る者の流れが絶えず交錯し、階段の上り下りも切れ目がない。
二人は端へ寄りながら改札の方へ上がった。改札前はさらに人が多く、通り抜ける者にまじって、待ち合わせらしい者や案内板の前で足を止める者もいる。売店の前にも人だまりができていた。
「だいぶ違いますね」
政雄が言うと、田口も小さくうなずいた。
「多いな」
改札脇の壁は一見使えそうに見えたが、人が少したまるだけで通路が狭くなりそうだった。柱のそばも、曲がってくる人間が多く、立ち止まる場所にはしにくい。
政雄は少し歩いてから写真を撮った。
「改札によっても、流れが違いそうですね」
「うん。こっちだけ見ても決めにくいな」
二人はそこでそれ以上は言わず、別の改札も見て回った。改札が変わると、人の流れも少し違う。急ぎ足の者が多い場所もあれば、少し滞る場所もある。ただ、人が多ければそれで話が済むわけでもなさそうだということだけは、何となく見えてきた。
田口は腕時計を見た。
「そろそろ昼にしようか」
政雄はうなずいた。
駅を出ながら、さっき見た小さな駅のことが、また頭に浮かんだ。
*
駅を出たところで、田口が通りの角にある蕎麦屋を見つけた。
「この辺でいいか。長居するわけでもないし」
「ええ」
昼どきには少し早かったが、店の中にはもう背広姿の客が何人か入っていた。二人は奥の小さな卓につき、かつ丼を頼んだ。
湯気の立つ茶をひと口飲んでから、田口が言った。
「やっぱり最初は、大きい駅の方がいいと思ったんだけどな」
政雄もうなずいた。
「人が多いですからね。利用する数だけ見れば、そちらに目が行きます」
「うん。けど、置けそうかって話になると、そう単純でもなかったな」
政雄は箸袋を指先で折りながら、少し考えた。
「小さい方は流れが素直でした。改札も一つで、どこを通るか見やすかったです」
「その分、置ける場所も見つけやすいな」
「ええ。ただ、数そのものは限られそうです」
そこへかつ丼が運ばれてきた。蓋を取ると湯気が立ちのぼり、甘辛い匂いが広がった。田口は箸を割ってから、もう一度口を開いた。
「大きい駅は、数は見込めそうなんだよな」
「でも、急いでる人が多いですね」
「そうなんだ。乗り換えの途中だと、立ち止まる余裕があるかどうか」
政雄はひと口食べてから言った。
「場所によっては、使う人より邪魔になる方が先に立ちそうです」
「改札ごとに流れも違ったしな。あれだと、一か所見ただけじゃ判断しにくい」
田口は少し笑った。
「見に行ってみるまでは、もっと話が早いと思ってた」
「私もです」
政雄は丼に目を落としたまま言った。
「ただ、小さい駅ならいいという話でもないですね。駅を出てすぐ支店があるような所ならともかく、離れていたら扱いにくいでしょうし」
「そこなんだよな」
田口はうなずいた。
「大きい駅は駅そのものが広いから、近くに支店があるように見えても案外遠い。逆に小さい駅だと、出てすぐ支店がある場所なら動かしやすいかもしれない」
「使う側だけじゃなくて、見る側の都合もありますからね」
「現金のこともあるし、何かあった時にすぐ動けるかは大きいな」
二人はしばらく黙って箸を進めた。
田口が茶を飲んでから言う。
「こうなると、駅だけで決めるのも危ないな」
「ええ。区役所は見ておいた方がいいと思います」
「昼の流れも見られるし、ちょうどいいか」
政雄はうなずいた。
「駅とは別の使われ方をしそうです」
「じゃあ、食べたらそっちへ回ろう」
二人はそれ以上話を広げず、まずは目の前のかつ丼を片づけた。午前中に見た二つの駅だけでも、置きやすさと使われやすさが同じではないことは、だいぶはっきりしてきていた。
*
午後に回った区役所は、駅とは空気がまるで違っていた。出入りする人の足取りは急いでおらず、窓口の表示を確かめながら歩く者も多い。行き先がはっきりしているぶん、流れは素直だったが、駅のように絶えず人が通り過ぎる感じではない。
田口と政雄は一階のロビーに立ち、しばらく人の動きを見た。住民票や戸籍の窓口へ向かう者、税の相談らしい部屋の前で順番を待つ者、書類を手に椅子へ座る者が、それぞれ決まった方向へ散っていく。
田口はロビーの端に目をやった。
「置く場所そのものは考えやすいな」
「ええ。導線は読みやすいです」
政雄はそう答えたが、そこで言葉を切った。人の動きは見やすい。ただ、それがそのまま利用の多さにつながるかどうかは、まだ別の話だった。
二人はロビーをひと回りし、壁際の空き方や、出入口から窓口への流れをざっと確かめた。写真を二、三枚撮ったところで、田口が案内窓口の方へ目を向けた。
「せっかくだから、窓口だけ聞いていくか」
「そうですね」
二人は案内のところへ歩いていった。田口が穏やかな調子で声をかける。
「すみません。庁舎の中に設備を置くような相談がある場合、どちらへ伺えばいいんでしょうか」
案内の職員は少し考えてから答えた。
「内容にもよりますが、庁舎の管理でしたら総務課になると思います」
「総務課ですか」
「はい。そちらでお話をうかがう形になると思います」
「ありがとうございます」
二人は軽く頭を下げて窓口を離れた。
歩きながら、田口が小声で言う。
「やっぱり、そういうところか」
「ええ。話を持っていく先が分かれば十分ですね」
「今日はそこまででいいだろうな」
田口はそう言って、もう一度ロビーを振り返った。
「人の流れは悪くない。ただ、ここで現金が要る場面がどのくらいあるかだな」
政雄はうなずいた。
「駅とは見方が変わりますね」
それ以上はそこで広げず、二人は区役所を出た。今日見た範囲だけでも、候補地ごとに考えるべきことが違うのは、だいぶはっきりしてきていた。
区役所を出るころには、日が少し傾きかけていた。田口は腕時計を見て、今日はここまでにしようと言った。まだ病院も百貨店も見ていない。中途半端に回るより、明日あらためて見た方がいいという判断だった。
二人は最寄りの駅へ向かい、改札を抜けて電車に乗った。夕方前の車内はまだ混みきっておらず、吊革にもいくらか余裕がある。
しばらくは互いに口を開かなかった。政雄は窓に映る車内をぼんやり見ながら、午前に見た小さな地下鉄駅とターミナル駅、それからさっきの区役所を順に思い返していた。同じ候補地でも、見ているものがまるで違う。
ふと、政雄が口を開いた。
「こうして見ると、ずいぶん違いますね」
田口は吊革につかまったまま、うなずいた。
「そうだな」
「駅と区役所でも、見るところが別ですね」
「うん」
そこで少し間を置いてから、政雄は続けた。
「こうなると、上は何を見たいんですかね」
田口は少し笑ったが、すぐに考えるような顔になった。
「安東さんも、そこまでははっきり言ってなかったな」
電車が揺れ、田口は握った吊革を持ち直した。
「これはちょっと手間だけど、一か所に絞らずそれぞれの利点と欠点をまとめて報告した方がよさそうだ。今日見た分だけでも、同じ並べ方じゃ比べにくいしな」
政雄はうなずいた。
「そうですね。こちらで決め打ちして外したら痛いですから」
「うん。駅なら駅で見やすいものがあるし、区役所ならまた別だ。そこを分けて出した方が、上も選びやすいだろうな」
「明日見る分も、その形で拾った方がよさそうですね」
「病院と百貨店もな。たぶん、その方が話は通りやすい」
政雄は窓の外へ目をやった。今日一日で結論が出たわけではない。ただ、何をどう整理して持ち帰るべきかは、少し見えてきた気がした。
二人を乗せた電車は、そのまま都心の駅へ滑り込んでいった。
*
本店へ戻ったころには、課内も夕方の空気に変わり始めていた。外回りから戻った行員が机に書類を置き、電話の声も朝ほどの張りがない。
田口は上着を椅子の背に掛ける前に、安東の机のところへ向かった。政雄もその少し後ろに立つ。
「安東さん、少しよろしいですか」
安東は書類から目を上げた。
「ああ、どうだった」
「今日は単線の駅とターミナル駅、それと区役所を見てきました。区役所は担当窓口も確認しています」
「うん」
田口は一覧表を手にしたまま続けた。
「現地を見ると、それぞれに特色があって一長一短なんです。駅は同じ駅でも規模で違いますし、区役所はまた別の見方になります。上層部が何を重視しているのかによって、候補は変わると思いました」
安東は椅子にもたれず、机に手を置いたまま小さくうなずいた。
「そうか。上も、いくつか見たい要点は出ているらしいんだが、まだはっきり固まっていないみたいなんだよ」
「でしたら」と田口が言った。「今回の報告は、明らかに不適切なところを除いて、すべての候補地の利点と欠点をまとめた形で出した方がよさそうだと、山本君とも話していたんです」
安東はそこで初めて政雄の方を見た。政雄は軽くうなずいた。
「こちらで一か所に決めるより、上層部で選んで頂いた方良いかと思います」
「そうだな」
安東は一覧表を机の上に置き直した。
「では、その方向で頼むよ。明日も見て、型ごとに整理してくれればいい」
「分かりました」
「病院と百貨店も、その見方で回ってみます」
「うん。それでいこう」
話はそこでひとまず終わり、田口は一礼して机へ戻った。政雄もそのあとに続きながら、今日見た場所を頭の中でもう一度並べ直していた。結論を急ぐより、違いが分かる形で持ち帰る方が、今の仕事には向いている気がした。
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