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第62話 本部の会議と浩子との打ち合わせ

双葉銀行本店の会議室に、午前の光が斜めに差し込んでいた。

長机の中央には、事務企画部長が資料一式を前に置いて座っている。向かいの列には、安東、赤瀬、田口の三人が並んでいた。


「きょうは、上東支店の件を一度整理しておきたいと思う」


部長が、資料の端を指先でそろえながら口を開いた。


「まず視察の報告を、安東君から」


「はい」


安東が小さくうなずき、前に配られた資料の一枚目をめくった。


「上東支店については、ロビーと窓口の連携がよく考えられていると感じました。まず、入口付近にロビー係を立てて、来店されたお客様の用件を早めにうかがっています」


「用件の振り分けだな」


部長が、ペンを手に取りながら言う。


「はい。記帳だけ、現金のお引き出しだけといったお客様には、その場でCDやATMの利用をお勧めしていました。通帳を持ったまま窓口の列に加わろうとしていたお客様を、『お引き出しだけでしたら、こちらの機械のほうが早く済みます』という形で、ご案内していました」


「機械で済むものは、なるべく機械に回すわけだ」


「その通りです。ただ、一方的に押しつけるのではなく、『ご一緒に操作しましょうか』と声をかけていました。ロビー係と窓口とのあいだで、状況がきちんと共有されている印象でした」


安東は、次のページをめくった。


「それから、窓口の待ち方についてです。あの支店では、窓口をご利用になるお客様に、番号札をお渡しする案を検討しています」


「検討段階か」


「はい。すでに支店内での打ち合わせは済んでおり、近いうちに実際の運用に移す予定です。窓口希望のお客様に来店順で番号札をお渡しし、ロビーの一角に『ただいま〇番までご案内中』と掲げたボードを出す、という形で考えています」


部長が、手元のメモに「番号札+表示」と書き込んだ。


「お客様からすると、自分の札とボードの数字を見比べれば、『あと何人で番が来るか』が分かる。『この列でいいのか』『本当にそのくらいで終わるのか』という不安を、いくらか軽くできる、というわけだな」


「はい」


安東がうなずいた。


「この案を最初に出したのは、上東支店の山本という行員です。入口での用件振り分けも、番号札の案も、現場から上がってきたものです」


「現場発の提案ということか」


部長が、少しだけ背をもたせかけた。


「その山本君については、どう見た」


問われて、安東は一度、隣に座る田口に視線を向けた。


「現場での打ち合わせには、田口君も同席しました。OGパートの活用を含めて、詳しい案は田口君のほうで整理しています」


「そうか。では、田口君。例の資料の中身を説明してくれ」


「はい」


田口が姿勢を正し、前に出された数枚の紙をそろえた。


「上東支店から上がってきている改善案は、大きく三つに分けられます」


田口は、一枚目の見出しを指先で押さえた。


「第一に、入口での用件振り分けです。ロビー係が来店時に用件をうかがい、記帳やお引き出しなど機械で済むものは、できるだけCD・ATMにご案内する、というものです」


「うん」


「第二に、今、安東君から申し上げた番号札と表示ボードの導入です。こちらは、待ち時間そのものではなく、『あとどのくらいか分からない』という不安を軽くすることを目的としています」


部長が、黙ってうなずく。


「そして第三に、忙しい時間帯だけ、元行員のOGの方にパートでロビー案内役として入ってもらう案です」


田口は、二枚目の資料をめくった。


「支店からは、『正職員を一人増やすのではなく、元行員の方にパートとして短時間だけ働いてもらう形にできないか』という提案が上がっています。ロビーの案内と、CD・ATMの基本的な操作の補助が主な役割です」


「OGというのは、具体的にはどんな人たちを想定している」


「以前、当行で窓口を担当していた元行員の方です。双葉銀行のやり方を知っている方であれば、簡単な再教育で、すぐに現場で動いていただけるだろうという考え方です」


田口は、手元のメモに目を落とした。


「パート扱いであれば、忙しい曜日や時間帯だけ入っていただくこともできますし、人件費の面でも、正職員を増やすよりはかなり抑えられます。今ある人員と機械を、『混雑する日だけ少し違う形で動かす』ための補助戦力という位置づけです」


部長が、ペンの先で資料の余白を軽く叩いた。


「入口での振り分け、番号札と表示、それにOGパート採用だな」


「はい。山本君自身も、『ATMを増やす話でも、窓口を新設する話でもない。今あるものを、混雑する日だけ少し違う形で動かすだけです』という言い方をしていました」


「分かった」


部長は、資料の一番上に「上東支店 ロビー改善・OG試験」と書き足した。


「それでは、上東支店をモデルにした試験運用案を、一度まとめてほしい。OG採用の枠組みとロビーの運用、CD・ATMの活用や『待ち方』の変化を、どう見ていくかも考えてくれ」


そう言ってから、部長は田口のほうを見た。


「田口君。この件については、君に上東支店に入ってもらうことになると思う。現場で山本君とも相談しながら、案を形にしてきてくれ」


「はい。承知しました」


田口は、はっきりと返事をして、膝の上で資料をそろえた。


(現場から出た小さな提案を、どうやって仕組みに変えていくか。そこから先が、本店側の仕事になる)


そんな言葉を、心の中で反すうしながら、視線を手元のメモに落とした。


      *


同じころ、双葉銀行上東支店のロビーは、午前の客足がひと段落したところだった。


窓口の前では、ロビー係が小さな紙の束を手にしている。


「窓口のご用件のお客様は、こちらの番号札をお受け取りください。ただいま、十五番のお客様までご案内中です」


受け取った札には、大きく「21」と数字だけが書かれていた。

視線を上げると、壁際のボードに「ただいま15番までご案内中」と掲げられている。


(自分の順番まで、あと六人か)


そうつぶやきながら腰を下ろす年配の男性の顔には、「この列でいいのか」という落ち着かない色は、それほど見えない。


カウンターの反対側、CDとATMの上には、「お引き出しはこちら」「お預け入れはこちら」と書かれた札がぶら下がっていた。

通帳を握りしめて立ち止まっている女性に、ロビー係が声をかける。


「お引き出しだけでしたら、こちらの機械でお手続きいただけます。ご一緒に操作しましょうか」


女性が小さくうなずき、ロビー係と並んでCDの前に立つ。

四角い画面の前で、指先の動きをたどりながら説明する声が、低く響いた。


(待ち時間そのものは、急には短くならない。ただ、『あとどれくらいか分からない』状態を、『自分の番がどのあたりまで来ているか見える』状態に変える──)


後方の席からロビー全体を眺めながら、政雄は、以前のミーティングで自分が口にした言葉を思い出していた。


(それだけでも、お客様の表情は変わる。そのことは、きょうのロビーを見ていると、よく分かる)


机の上には、きのう電話で取り決めた予定が書き込まれた手帳が開かれている。


午後一時。

小泉浩子との、二度目の打ち合わせ。

政雄はペンを取り、その予定の横に小さく印をつけた。


(きょうは、『夢』の話から一歩進んで、『現実』の話をしなくてはならない)


机の端には、例の一枚の用紙が置かれている。

「開業相談用」とだけ印刷されたそのシンプルなフォーマットを、政雄は手帳の中に差し込んだ。


壁の時計の針は、十一時を少し回ったところを指していた。


      *


午後一時ちょうど、上東支店のロビーに、浩子の姿が現れた。

白いブラウスに、紺のジャケット。肩から下げた仕事用の鞄が、いかにも営業らしい。


「いらっしゃいませ」


ロビー係が声をかけると、浩子は少し緊張した面持ちでカウンターのほうを見た。


「あの、小泉と申します。きょう一時に、開業の相談で予約を入れております」


「小泉様ですね。少々お待ちください」


ロビー係が内線で奥に連絡を入れる。

ほどなくして、窓口の奥から政雄が姿を見せた。


「小泉様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


「お世話になります」


浩子は軽く会釈をして、政雄のあとについてロビーの奥へ向かった。

番号札を手にしたお客様が腰掛けている待合椅子の横を通り過ぎ、ガラスのパーテーションで区切られた相談ブースに案内する。


「どうぞ、お掛けください」


「失礼します」


向かい合って椅子に座ると、外のざわめきが少しだけ遠くなった。

机の上には、「ご相談受付」と書かれた小さなプレートと、ボールペンが数本差さったスタンド。


「きょうは、お仕事お休みですか?」


政雄が、様子をうかがうように言う。


「いいえ。午前中だけ外回りをして、午後は半休にしました」


浩子は、鞄の中からクリアファイルを取り出した。

前回渡された一枚の用紙が、きれいに挟まれている。


「このシートを家で一度書いてみたんですけど、途中で手が止まってしまって」


そう言って、フォーマットを机の上にそろえた。


「ありがとうございます。拝見してもいいですか」


「お願いします」


政雄は、用紙を軽く自分のほうに引き寄せた。

上の段には、浩子の丁寧な字で、名前や住所、現在の勤務先が書き込まれている。融資希望額の欄にも、迷いながら書いたと思われる金額が記されていた。


真ん中の段に目を移す。

「毎月の売上目標」の欄には、おおまかな金額がひとつ。その下の「仕入」「家賃」「人件費」は、ところどころ空欄が残っている。


いちばん下の「この事業の強み」の欄には、短い言葉がいくつか並んでいた。

そのあとに続く余白は、まだ半分ほど白いままだ。


「……かなり、書いてきていただいていますね」


用紙から顔を上げて、政雄は言った。


「上のほうは、今の小泉さんの状況を書いてくださっていますし、融資希望額も入っています」


「はい。でも、その金額でいいのかどうか分からなくて」


「真ん中の段も、売上のイメージは出していただいていますね。ただ、仕入や家賃、人件費のところで、手が止まっている感じでしょうか」


「そうなんです。そこを考え始めたら、急に怖くなってきてしまって」


浩子は、少し苦笑いを浮かべた。


「月にこれくらい売れたら、とか、家賃はこのくらいで探したいとか、頭の中にはあるんですけど、何の裏付けもなく書いていいのかどうか、自信がなくて」


「そうですね、今の段階ですと大まかに採算が取れるかを計算するものですから、そこまで正確でなくてもいいんです」


「そうなんですか。でもいい加減なことは書けませんから」


「まだいろいろ決まってないことが有りますので、きょうは小泉さんが今、頭の中に持っている『これくらいかな』という目安を、一旦書き出してみて、そのあとで一緒に考え直していきたいと思います」


「分かりました」


浩子は、少し表情を和らげた。


そのあと、現在の勤務先での給料のだいたいの水準や、実家との暮らしぶり、どのくらいのペースで貯蓄ができているかといったことを、政雄の質問に答えながら一つずつ伝えていった。

政雄は、必要な部分だけを紙に書き取り、ときどきフォーマットの空欄を埋めていく。


実家近くの物件の話になると、浩子は事前に用意してきた不動産会社の資料を取り出した。


「こちらが、いま考えている物件です。実家から歩いて十分くらいの場所で、幹線道路に面しています」


カラーの外観写真と、簡単な図面が印刷されている。


「店舗部分が二百平方メートル、敷地全体が六百平方メートル。家賃が月八十万円で、保証金が八百万円と書いてありますね」


「はい。駐車場も十台分くらい取れそうだということで、ここなら車でも来やすいんじゃないかと思って」


政雄は、図面と先ほどの収支メモを交互に見比べた。

浩子は、その視線の動きを不安そうに追っている。


ひと通りの聞き取りを終えると、机の上には、簡単な月々の収支の表と、いくつかのメモが並んでいた。

浩子は、ペンを指先でいじりながら、その紙の束を見つめる。


「……正直に申し上げますと、いまの計画のままでは、ご融資は難しいと思います」


静かな口調でそう切り出してから、政雄は一度、浩子の顔を見た。


「そう、ですか」


覚悟はしていたのか、取り乱した様子はない。ただ、握っていたペンに、少しだけ力がこもった。


「ただ、ここで『やめましょう』という話にしたいわけではありません。小泉さんからうかがったお話と、このシートに書いていただいた内容をもとに、こちらから一つ提案をさせてください」


浩子は、姿勢を正してうなずいた。


「この計画の強みとして、小泉さんが挙げてくださっている点がいくつかありますよね」


政雄は、フォーマットのいちばん下の欄を指で軽く押さえた。


「今後は車での移動がもっと当たり前になって、駅前の何でもそろう店より、幹線道路沿いの専門店が増えていくだろうという見立て。それから、ご実家の工場で作る質のいいベビー服を、手に取りやすい値段で出せること。ベビー用品は、お父さんお母さんだけでなく、おじいちゃんおばあちゃんもお金を出してくれるので、むちゃな安売り競争にはなりにくいという点」


浩子は、黙って聞いていた。

自分で書いた言葉を、別の声で読み上げられているような顔つきだった。


「こういった強みを前提にすると、ロードサイドでベビー用品の専門店をやるという方向性そのものは、悪くないと思います」


政雄は、別のメモ用紙に目を移した。


「問題は、最初から二百平方メートルの店舗と広い敷地を借りて、品ぞろえもほとんど全部そろえようとしているところです。家賃八十万円と保証金八百万円を、この売上の想定でまかなっていくのは、どうしても無理が出てきてしまいます」


「……やっぱり、広げすぎていましたか」


「広げすぎ、というよりは、最初の一歩としては重たい、という感じでしょうか」


 政雄は、ペン先でメモ用紙の一角を軽く叩いた。


「たとえばですが、店舗の広さを今の計画の半分くらいにして、家賃を抑えることを考えてみる。駐車場も、店の前に広く確保する形にこだわらずに、近くの駐車場と提携するやり方を視野に入れる。それから、ベビーカーやベッドのように場所を取るものは、実物を全部置くのではなく、見本を少しだけ置いて、あとはカタログで受注する形にする」


「そうすると……」


「そうすると、必要な広さそのものが変わってきますし、毎月の固定の支払いも、かなり軽くできます。ロードサイドであることや、ベビー用品専門店という方向はそのままにして、規模とやり方だけを一度見直してみる。そのうえで、条件に合いそうな物件を、もう一度探し直してみてはどうかと思います」


浩子は、少しのあいだ視線を落としたまま黙っていた。

やがて、ゆっくりと顔を上げる。


「……最初から、全部を一度にそろえようとしない、ということですね」


「はい。小さく始めて、それでも回っていく形をまず作る。その上で、お客さまがついてきてくださったら、次を考える。銀行としても、そのほうが応援しやすくなります」


浩子は、手元のシートを見下ろした。


「分かりました。いまお話しいただいた条件も含めて、もう一度、物件探しから考え直してみます。それから、この収支のメモも、家に帰ってから自分なりにもう一回やり直してみます」


「ありがとうございます。きょうのお話をもとに、こちらでも条件に合いそうなものがないか、少し見てみます。次にお会いするときに、お互いに案を持ち寄れるといいですね」


「はい。よろしくお願いします」


浩子は、ペンをキャップで閉じ、シートとメモを丁寧にファイルに戻した。

椅子から立ち上がる動きには、迷いと一緒に、どこか吹っ切れたようなものが混じっていた。


「本日は、お時間いただきありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」


軽く会釈を交わし、浩子は相談ブースを出ていった。

ガラス越しに見える背中がロビーの向こうに消えるまで、政雄はしばらく、その場に座ったまま目で追っていた。


この計画は、まだ融資の案件になっていない。

けれど、一度きちんと立て直せば、もう一度持ってきてもらう価値はある。

そんな手応えが、浩子の残したファイルとともに、政雄の前に静かに残っていた。


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