表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/68

第61話 仕事半分お見合い半分?

吉野とのやりとりから数日後、政雄は朝一番でスケジュール帳を見直していた。


(まずはビジネス優先だ)


何度も心の中でそう繰り返す。


お見合い半分だろうが何だろうが、銀行員として新しい事業の相談に乗る以上は、きちんと数字を見なければならない。

担保は何か。自己資金はいくらか。事業計画はどこまで詰めているのか。


吉野から聞いた話をメモに起こすと、ページの端に小さく「仕事半分・お見合い半分」と自分で書いた文字が目に入った。


(……これは忘れよう)


手帳を閉じ、スーツの内ポケットにしまう。


      *


約束の時間の少し前、政雄は吉野の店の前に立っていた。

商店街の角にある衣料品店のガラス戸越しに、マネキンと色とりどりのブラウスが並んでいる。


「いらっしゃい。山本さん、こっちこっち」


店の奥のテーブル席に、先客が一人座っていた。

ショートボブの髪に、薄いグレーのワンピース。派手さはないが、すっと目を引く。


「紹介するわね。この子が、この前話した小泉さん」


吉野が言うと、女性は椅子から立ち上がり、軽く会釈をした。


「小泉浩子と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


よく通る声だった。

整った目鼻立ちに、笑うと小さなえくぼができる。


(……美人だな)


その第一印象が頭をよぎるのを、政雄は慌てて追い払った。


(ビジネス優先、ビジネス優先)


「双葉銀行の山本です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


名刺を差し出すと、浩子もていねいに受け取り、自分の名刺を差し出してきた。

そこには、まだ会社名のない「小泉浩子」の名前と、自宅の住所と電話番号だけが印刷されている。


「まだ屋号も決めていないので、名刺だけ先に作ってしまいました」


浩子が、少し気恥ずかしそうに笑う。


「いえ、とても分かりやすいです」


名刺の紙質や文字の配置から、「服飾系の人だな」と政雄は思った。


「では、早速ですが、お話をうかがってもよろしいでしょうか」


「はい」


浩子は、持ってきていたファイルを開いた。

中には、物件のチラシや手書きのレイアウト案、仕入れ予定のベビー服のカタログの切り抜きが挟まっている。


「自宅のそばの幹線道路沿いに、元ドラッグストアの空き店舗がありまして。敷地が六百平方メートルで、店舗が二百平方メートル。駐車場も二十台分くらいあります」


浩子が指さしたチラシには、「貸店舗 月額八十万円 保証金八百万円」の文字が踊っていた。


「ここで、新生児から小学校に上がるまでくらいのお子さん向けの専門店をやりたいんです。赤ちゃん服や子ども服を中心に、ベビーカーや粉ミルク、オムツなんかも一緒に置いて」


「ベビー・子ども用品の専門店、ですね」


「はい。駅前の百貨店やスーパーの一角じゃなくて、ロードサイドにある“赤ちゃんの何でも屋さん”みたいなお店です」


言いながら、浩子の瞳が少し輝いた。


「実家が東京郊外で縫製工場をしていまして。今は廉価品の受注が中心なんですけど、縫いはきれいですし、肌ざわりの良い生地を使えば、赤ちゃん服には向いていると思うんです」


政雄は、手元のノートに「実家:縫製工場」「ベビー服に転用可」と走り書きした。


「服飾の専門学校を出たあと、中規模のアパレルメーカーで婦人服の営業をしていました。でも、任される商品が、見た目ばかり派手で、あまり着心地のよくない服で……」


浩子が、少し表情を曇らせた。


「お客様にすすめながら、心のどこかで『自分なら、もう少し違うものを着たいな』と思ってしまうような。そういう売り方を、ずっと続けるのがしんどくなってきて」


「着心地の良い服を、自分の納得のいく形で届けたい、と」


「はい」


きっぱりとした返事だった。


「それで、お父様の工場と組んで、ベビー服の専門店を、ということなのですね」


「そうです」


浩子はうなずき、次の紙を取り出した。


「改装費が、およそ六千万円くらいかかると見込んでいます。棚やレジ周り、照明、それから冷暖房設備の入れ替えなど。仕入れや開店準備も含めると、初期費用はだいたい一億円くらいになるかと」


「一億……」


政雄は、内心で息をのんだ。


(自己資金は二千万円と言っていたな)


営業マンの癖で、頭の中で数字が並ぶ。


「自己資金は、わたしの貯金と、父の援助を合わせて二千万円ほど用意できます。残り八千万円について、ご融資のご相談をさせていただきたいと思っていまして」


「連帯保証人は、お父様で」


「はい。父名義のアパートが一棟ありますので、それを担保にできないかと。八世帯の二階建てです」


(アパート一棟で、八千万円をどこまで支えられるか……)


所在地や築年数もまだ分からないが、「担保だけでは少し心細いかもしれない」という感覚があった。


「小泉さん。月々の売上や、かかる経費については、どのくらいまでお考えになっていますか」


「売上は、一年目で月三百万円くらいを目標にしていて、ゆくゆくは五百万円くらいまで伸ばしたいと思っています。経費は、ざっとですけど……」


浩子は、ノートの切り抜きを取り出し、手書きの表を見せた。売上の横に、仕入れや家賃、人件費の数字が並んでいるが、ところどころ空欄になっている。


「細かいところまでは、まだ詰め切れていなくて」


「なるほど」


政雄は、表を目で追いながらうなずいた。


(家賃八十万円、改装費一億、自己資金二千万円……。話の筋は悪くないが、このままでは重すぎる)


ロードサイドの赤ちゃん専門店。幹線道路沿いの広い駐車場。

八〇年代以降、買い物の主役が駅前から郊外へ移りつつあることは、新聞や雑誌でも目にしていた。


(業態の選び方や立地の考え方は間違っていない。ただ、いきなりこの規模で始めるのは危ない)


政雄は、一度ノートを閉じて顔を上げた。


「小泉さん。きょうお話をうかがったかぎりでは、やろうとしている内容そのものは、時代の流れにも合っていますし、ご実家の工場と組む考え方も、とても良いと思います」


浩子の表情が、少しだけ緩んだ。


「ただ、金額の面では、かなり大きな勝負になります。いきなり二百平方メートルで家賃八十万円、初期費用一億円というのは、売上が予定より下回ったときの負担が相当重くなります」


「やっぱり、そうですよね」


浩子はうなずきながらも、真正面から視線を戻してきた。


「できるだけ早く形にしたいと思って、少し背伸びをしているのは、自分でも分かっています。ただ、どこまで小さくすれば現実的になるのかが、よく見えていなくて」


「その部分を、一緒に考えさせてください」


政雄は、鞄の中からクリップボードを取り出した。


「新しくお店を始めたいお客さまには、いつもこれをお渡ししています」


そう言って、一枚の用紙を浩子の前に置く。


「三つの項目に分かれています。上の段が、銀行の書類にそのまま書き写すための基本的なことです。借りたい金額や期間、自己資金、保証人や担保にできるもの。きょうお聞きした内容で、ほとんど埋められます」


浩子が、紙に目を落とした。


「真ん中が、お店のお金の流れを見るところです。毎月どれくらい売りたいか、仕入れや家賃、人件費にいくらかかりそうか。ここが、まだ大まかな数字のままなんですね」


「そうですね……ざっくりとしか考えていませんでした」


「ここを、もう少し現実的な金額で埋めていただきたいんです。たとえば『一か月にこれくらい売れたら続けていける』『家賃はこのくらいまでなら払える』という線を、小泉さん自身の感覚で考えてきてください」


政雄は、用紙の下のほうを指さした。


「いちばん下は、この事業の強みを書いていただく欄です。初期投資が少ないとか、流行に左右されにくいとか、ご実家の工場の技術があるとか。小泉さんが『ここなら負けない』と思うところを、一度言葉にしてみてください」


「分かりました。真ん中の『お金の流れ』のところを、次までにきちんと考えてきます」


「はい。こちらでも、きょうのお話をもとに、家賃や返済額を入れて、この規模で本当に続けていけるかどうかを計算してみます。次回は、この用紙を見ながら、一緒に計画を形にしていきましょう」


「よろしくお願いします」


浩子は、用紙をファイルに挟み、大事そうに閉じた。


ひと通り話し終えて時計を見ると、約束の一時間を少し過ぎていた。


「長く引き止めてしまいましたね」


「いえ。おかげで、自分がどこを曖昧にしたままにしていたのか分かりました」


浩子は、そう言って笑った。

椅子から立ち上がり、バッグを手に取って、二人に向かって頭を下げる。


「では、今日はこれで失礼します」


ドアの鈴が鳴り、外の湿った風が一瞬だけ店内に入り込んだ。

      

      *


「……どうだった?」


浩子の姿が見えなくなった途端、吉野がにやりと笑った。


「え?」


「浩子ちゃん、美人でしょう。どうだった?」


「あ、いえ、その……」


政雄は一瞬、返事に詰まった。


(そういえば、もともとは“仕事半分・お見合い半分”だったんだっけ)


すっかり忘れていた事実を、ここでようやく思い出す。


「どうだったって言われましても。きょうは事業のお話をうかがいに来たわけですし」


「まじめねえ、あんたは」


吉野はおもしろそうに笑った。


「でもさ、仕事の話してるときの顔、悪くなかったわよ。あの子のほうも」


「それは、企画がきちんとしていたからですよ」


そう言いながらも、浩子がファイルを広げて夢中で説明していた横顔が、ふと頭に浮かぶ。


(美人で、人当たりもよくて、夢もある)


前世から変わらない「モテたい」願望が、ほんの少しだけ首をもたげる。


(……まずは、事業のほうをきちんと詰めてからだ)


自分にそう言い聞かせるように、政雄は立ち上がった。


「吉野さん。きょうの内容は、支店のほうでも一度整理してみます。またご連絡しますので」


「はいはい。期待して待ってるわよ、いろんな意味でね」


含みのある笑い声を背中で聞きながら、政雄は店を後にした。


      *


支店に戻ると、ちょうど昼過ぎのロビーはひと息ついたところだった。

自分の机に腰を下ろし、鞄からさきほどのファイルを取り出す。

物件のチラシと、自分のメモ。それから、空欄の多いの聞き取り用紙。


(まずは、きょう聞いた条件を、そのまま当てはめてみるか)


用紙の真ん中、「お金の流れ」と書かれた欄に、ボールペンの先を走らせる。


・月の売上目標 三百万円。

・仕入れを六割として百八十万円。

・家賃八十万円。

・人件費、パート三人で三十万円。

・光熱費や雑費を合わせて二十万円。


 簡単な計算でも、手元に残るのは二十万円前後だ。


(ここから毎月の返済を出したら、ほとんど残らないな)


八千万円を十年返済にすると、元金だけで年八百万円。利息を足せば、月々の支払いは七十万円前後になる。


(売上三百万円では、とても足りない。かといって、いきなり五百万円を前提にするのも無理がある)


用紙の余白に、小さく「現状案は負担大きすぎ」と書き込む。


(やっぱり、店の規模を小さくするしかないか)


物件のチラシを見直す。二百平方メートルの店舗写真。広い駐車場。


(商品を全部そろえようとするから、この広さが要る。ベビーカーや大型のベッドは、サンプルだけ置いて注文取り寄せにしてもいいはずだ)


政雄は、別の紙を引き寄せて、上に「案1」と書いた。


「店舗面積 百平方メートル。

 家賃 四十万円前後。

 駐車場は、近くの月極と提携して数台分確保」


幹線道路沿いで駅前ではないので。駐車場は必修だが、店の前でなくても、近くに停められれば十分だ。


(ベビーカーやかさばる商品は、見本だけ並べて、注文を受けたら倉庫から出すか、メーカーから直送にすればいい。店内は、ベビー服と小物を中心にしたほうが回しやすい)


売場のイメージを、ざっくりと四角で描く。入り口付近にベビー服、その奥に子ども服。壁面に小物。カウンターの近くにカタログ棚。


(改装費も、棚と照明にお金をかけて、床と天井は最低限に抑えれば、六千万円まではかからないはずだ)


「改装 三千万円台に圧縮」「初期費用 六千〜七千万円」と書き足す。


(自己資金二千万円、借入四千〜五千万円なら、返済も月三十万円台で済む。売上三百万円でも、なんとかなるラインが見えてくる)


計算を終えた紙を、聞き取り用紙の下に重ねた。


(もちろん、こんなに都合よく物件が見つかるとは限らない。でも、『このくらいの広さと家賃なら、銀行としても考えやすい』という目安は示しておきたい)


手帳を開き、さきほど決めた次回の面談日を確認する。


(次は、小泉さんが持ってくる数字と、この縮小案を並べて話をしよう)


ホチキスで二枚をとめると、その束を「小泉浩子様」と書いたクリアファイルに差し込んだ。


聞き取り用紙の一番下、「この事業の強み」という欄が、まだ空白のまま目に入る。


(あの人の口から、どんな言葉が出てくるか。そこを聞いてからが、本番だ)


そう心の中で区切りをつけて、政雄はファイルを机の引き出しにしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ