第60話 事務企画課の視察(後半)
「忙しい時間帯だけ、ロビーを手伝ってもらえる人を確保できないかと考えています。そのときに、OGの方にパートで入っていただく形はどうだろうかと」
そう言ってから、政雄は一度、言葉を切った。
「OGというのは、以前この支店で窓口をされていた方や、別の支店を退職された元行員の方です。ロビーの案内と、簡単な機械の扱いが中心であれば、少し再教育させていただくだけで、すぐに戦力になっていただけると思います」
言いながら、政雄は心の中で、前世で見たドラマの社宅の場面をぼんやりと思い出していた。
銀行員の家族が同じ建物に暮らしていて、奥さん同士の集まりがあって、そこでいろいろな役や仕事が回ってくる、という描かれ方をしていた。
(ああいう奥さん会があるなら、求人の話も、そこに流せば早いんだろうな)
その程度の印象だけが、頭の片隅に残っている。
「パート扱いであれば、忙しい時間帯だけ入っていただくという形にもできますし、正職員を一人増やすよりは、人件費の面でも抑えられるはずです」
安東が、ペンを持った手を止めた。
「忙しい時間帯というのは、具体的には?」
「ゴトウビの午前中です」
政雄は、午前中のロビーの光景を思い浮かべながら答えた。
「きょうのように、十日と十五日、二十五日が特に多いと感じています。時間帯で言えば、十時から正午を少し過ぎたあたりまでが、いちばんロビーが詰まります」
「その時間だけ、ということですか」
「はい。モデルケースとして、この支店だけでやらせていただけるのであれば、まずはゴトウビの十時から十三時までの三時間を想定しています」
「人数は?」
今度は赤瀬が、書類から目を離さないまま聞いた。
「二人です。ロビーでの案内と、番号札や記帳専用端末の近くでの声かけを中心にして、一人が離れたら、もう一人がカバーできるくらいの人数が必要だと考えています」
赤瀬が、そこで初めて顔を上げた。
「その条件で来てくれる人がいると思いますか」
政雄は、少しだけ言葉を選んだ。
「ふつうの求人だけで探すのであれば、かなり難しいと思います」
それが正直な感触だった。
「短時間で、月に数回。時間帯も固定で、ゴトウビの午前中が中心ですから、条件だけ見れば、わざわざ外に働きに出るには合わないと感じられる方のほうが多いはずです」
「では、どうやって集めるつもりですか」
「社宅のネットワークを使えないかと考えています」
安東が、少しだけ目を細めた。
「社宅」
「はい。現役の行員のご家庭が住んでおられる社宅で、奥様同士の集まりや、回覧のような形は、すでにあると聞いています。そこに、支店から具体的な条件を付けて『こういうパートの募集をしたい』と流せば、検討してくださる方はいらっしゃるのではないかと」
(会社のためとか、旦那さんのためとか言われると、断りづらいんだろうな)
ドラマの中で見た台詞が、ふと思い浮かんだ。
社内運動会の準備だとか、チャリティーの役員だとか、「内助の功だから」と言われて引き受けていた奥さんたちの姿だ。
(もちろん、ここで同じことをやろうとしているわけじゃないけれど)
そこまでを、心の中だけで付け加える。
「現役の行員の奥様であれば、信用面でも安心です。銀行の中でお客様と接していただくうえでは、その点も大きいと思います」
「なるほど」
安東が、軽くペン先を動かしながらうなずいた。
「ただ、社宅の奥様方にそこまで負担をかけてしまっていいのか、という話にもなりませんか」
支店長が、そこで口を挟んだ。
「そこは、条件のつけ方だと思います」
政雄は、支店長のほうを一度見てから続けた。
「まずはこの支店だけで、人数も二人まで。ゴトウビの十時から十三時の三時間に限って、月に何回まで、と最初から枠を決めておくべきだと思います。それ以上は無理にはお願いしない、という線を、はっきりさせておきたいです」
「モデルケースとして、というわけですね」
「はい。もし実際にやってみて、現場にとって本当に役に立つのかどうか。お客様の反応はどうか。数字に出せる部分と、出せない部分を、ある程度見せられるようにしたいと考えています」
「数字に出せる部分、というと?」
赤瀬の問いに、政雄は手元のノートをめくった。
「たとえば、ゴトウビ一日の窓口の処理件数と、ピーク時の最大待ち時間です。OGの方に入っていただく日と、入っていただかない日で、同じ条件の中でどの程度違いが出るかを比べることができます」
「途中でお帰りになるお客様の数も、でしたね」
「はい。番号札を入れてからは、札の配布数と実際の処理件数の差を見れば、『待ちきれずにお帰りになった可能性のあるお客様の数』も、ある程度は把握できると思います。そこに、OGの方に入っていただいた日とそうでない日との違いも重ねていければと」
しばし沈黙があった。
安東が、手元のメモを一度閉じる。
「窓口を増やしても、高いATMを入れても、結局は人を増やさないと回らない」
穏やかな声で、ゆっくりと言葉をつないだ。
「その人たちは、ふだんの時間帯には余ってしまう。そこを補える形がつくれるなら……検討する価値はありますね」
支店長が、小さくうなずく。
次長も、安堵したように背筋を伸ばした。
「きょううかがった話は、一度持ち帰って、こちらでも整理させてください。モデルケースの話も含めて、前向きに検討してみます」
安東が、そう言って手帳を閉じた。
「本日は本当にありがとうございました」
支店長が席を立ち、頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございます」
安東と赤瀬が立ち上がり、田口もそれに続いた。
*
応接室を出て、廊下を本部の三人と支店長、次長が歩いていく。
ロビーのざわめきが、遠くからかすかに聞こえてきた。
エレベーターホールまで見送ったところで、支店長がもう一度頭を下げる。
「本日はお忙しいところ、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。現場の様子を、よく見せていただきました」
安東が笑顔で答え、赤瀬も軽く会釈した。
その少し後ろで控えていた田口が、ふいに政雄のほうへ歩み寄ってきた。
「山本君、だよね」
「はい」
「君、国立○○大卒だろう?」
「ええ、そうですが……」
「なら、僕の後輩だな」
さらりと言われて、政雄は一瞬、返事に詰まった。
「今回の話、かなり面白く聞かせてもらったよ」
田口は、声を少し落として続けた。
「戻ったら、僕のほうからもプッシュしてみるよ。まあ、僕みたいな下っ端にどれだけ力になれるかは分からないけど」
「いえ……ありがとうございます」
本気とも冗談ともつかない口ぶりに、政雄は頭を下げるしかなかった。
「じゃあ、また」
田口は、ひらりと片手を上げて、安東たちのほうへ戻っていった。
エレベーターの扉が閉まり、表示灯が上の階へ向かっていく。
(あとは、きょう話したことに、こちらが責任を持つだけだ)
そう心の中でつぶやきながら、政雄はロビーへと足を向けた。
*
さっきまでの喧騒がが嘘のように、午後のロビーは落ち着いている。
椅子には数人が腰かけているだけで、午前中のような人だかりはない。
「山本さん」
窓口のほうから、聞き慣れた声が飛んだ。
声の主は、政雄の担当先の一つ、衣料品店を営むおせっかいおばさん、吉野だった。
いつもの派手な柄のブラウス姿で、窓口ではなくロビーのソファにどっかりと座っている。
「吉野さん、いらしてたんですか」
「さっき来たのよ。ちょうどいいところに戻ってきたわね」
吉野は、いかにも「待ってました」と言わんばかりに手招きした。
「ちょっと、話があるの」
「ご融資の件ですか?」
「まあ、広い意味ではそうかもしれないけど」
濁した言い方に、政雄は首をかしげた。
「きょうは、お店のほうは大丈夫なんですか」
「うちはパートさんがしっかりしてるから大丈夫よ。それよりね」
吉野が、声をひそめるふりをしながらも、あまりひそひそになっていない声量で続けた。
「うちの得意先の子がね、新しい商売を始めたいって言ってるのよ」
「新しい商売、ですか」
「そう。詳しい話はあの子から聞いてもらったほうが早いけどね。若いのにしっかりした子でさ。だけど、お金のことは素人だから、一度ちゃんと銀行さんに相談に乗ってもらったほうがいいと思って」
そこまで聞いて、政雄の頭の中には「新規開業資金」「事業計画書」といった単語が浮かぶ。
「でしたら、事業計画を一緒に拝見して――」
「そうそう、それそれ」
吉野が、勢いよくうなずいた。
「それとね」
少し間をおいて、付け足す。
「その子、独り身なのよ」
「はあ」
「山本さんも、独り身でしょう?」
「……まあ、そうですけど」
嫌な予感が、ゆっくりと形を取り始める。
「だから、ちょうどいいと思って」
「ちょうど、とは」
「仕事半分、お見合い半分よ」
さらりと言い切られて、政雄は思わずむせそうになった。
「ちょ、ちょっと待ってください。お見合いって、そんな」
「何がそんな、よ」
吉野は、まるで「セール品がよく売れている」のと同じ調子で言う。
「ちゃんとした子よ。うちの常連さんの紹介でね、お父さんが小さい工場をやってて、その手伝いしながら自分でも何か始めたいって言ってるの。あんた、前に言ってたじゃない。『いいご縁があったら紹介してください』って」
(言った。たしかに言った。けど、こういう形で返ってくるとは言ってない)
前世からの「モテたい」という願望と、現世の胃袋がきゅっと縮む感覚が、同時に胸の中でせめぎ合う。
「お仕事の相談に乗らせていただくのは、もちろん構いませんが」
政雄は、できるだけ事務的な口調を装った。
「それと、お見合いは、また別の話では」
「別に『結婚しなさい』って押しつけてるわけじゃないわよ」
吉野は、ひらひらと手を振る。
「会ってみて、仕事の話して、『あ、この人は違うな』と思ったら、それで終わりでいいじゃない。あんたも、どうせそんなに出会いがあるわけでもないんでしょう?」
図星をえぐる一言に、政雄は反論できなかった。
「……その方とは、どこでお会いすれば」
「うちの店でもいいし、その子のお店の候補地を一緒に見に行くでもいいし」
吉野は、すでに段取りを考えている様子だ。
「とりあえず、日を決めましょう。あたしが間に入るから心配いらないわよ」
「いや、その、支店の予定もありますし」
「予定なんか、調整すればどうにでもなるの」
おせっかいおばさんに「予定」を持ち出しても無駄だということを、政雄は短い付き合いの中で学んでいた。
(新しい商売の話、というのも捨てがたいんだよな)
前世の知識が、別の方向から耳打ちしてくる。
若い世代の小さな商いが、十年、二十年後の町を変えていく。
そこに銀行としてどう関われるか――そういう話は、嫌いではない。
「……一度、上司に相談させてください」
ようやく絞り出した言葉に、吉野は満足そうにうなずいた。
「そうそう、それでいいのよ。じゃあ、あんたの都合がつきそうな日を三つくらい書いてちょうだい。あたしがあの子に聞いてみるから」
そう言って、バッグの中からメモ帳とボールペンを取り出す。
結局、政雄はその場で候補日を三つ書かされることになった。
(仕事半分、お見合い半分、か)
メモを渡しながら、自分で自分に言い聞かせる。
(仕事のほうがちゃんとしていれば、たとえお見合いのほうは空振りでも、まあ、悪い話ではない……はずだ)
吉野は、そのメモを大事そうにバッグにしまいこむと、にやりと笑った。
「決まったら、また連絡するわね」
そう言い残して、ロビーを後にした。




