第54話 混雑する窓口
十二月に入ると、支店の空気は一段とせわしなくなった。
年末が近づくにつれて、窓口の列は少しずつ長くなる。月末も近い。取引先の支払い、賞与の入出金、年内に済ませておきたい振込や集金。普段は昼前後に集中する客足が、この時期ばかりは朝から夕方まで切れにくい。
営業フロアでも、外回りから戻ってきた行員が、机にかじりつく時間が増えていた。年内実行に間に合わせたい融資案件、契約書の確認、担保書類の不足分の催促、稟議の押し込み。誰もが数字を気にしながら、同時に年を越すための事務にも追われている。
政雄も朝から電話を何本も受けていた。
「山本さん、年内に実行できますか」
「書類が今日そろえば、こちらも急ぎます」
そんなやり取りを繰り返しながら、午後には外へ出る。戻れば、窓口のあたりに人がたまり、後方では伝票の束が積み上がっている。為替の後方にいた二年間を思い出さなくても、この時期の支店がどこで詰まりやすいかは、見ていれば分かった。
特に月の五日、十日、十五日といったゴトウビが重なる日はひどい。
朝の開店前から数人が入口の前に立ち、シャッターが上がるころには列ができる。振込、払戻し、集金分の預け入れ、月末前の資金移動。用件は違うのに、客はみな同じ列に並ぶ。記帳だけの人もいれば、現金をまとめて動かす会社の経理担当もいる。窓口の前で伝票を書き直す人が出ると、それだけで後ろが詰まる。
ATMの前にも人が並ぶが、機械に慣れていない客は途中で手を止めて、結局窓口へ戻ってくる。案内する人間が足りないせいで、列の流れが一定しない。
固定で窓口を増やせば済む話ではなかった。
普段の日なら、そこまで混まない。機械を増やすにしても、混雑がひどいのは限られた日と時間だけだ。本部に増設を求めるほどの話かと言われると、支店長も強くは出にくいのだろう。
昼休み前、営業から戻った政雄がフロアを横切ると、支店長が窓口の列を見ながら腕を組んでいた。隣には次長と事務課長も立っている。
「毎月これだ」
支店長がぼそりと言った。
「増員しても、普段は余る。ATMを一台増やしても、置き場所がない。だが、このままじゃ客を待たせすぎる」
次長が苦い顔でうなずく。
「年末だけならまだしも、ゴトウビが重なる日は毎回ですからね」
事務課長が小声で言った。
「窓口も後ろも、今の人数だとどうしても波をさばききれません」
支店長は列の先頭から最後尾まで見渡し、それから短く言った。
「一度、みんなに案を出させよう。今いる人間と今ある設備で少しでも回し方を変えられないか、現場でやれる工夫が欲しい」
その言葉を聞きながら、政雄は窓口の列をもう一度見た。
並んでいる客の半分は、本当は同じ窓口に並ぶ必要がない。
そう見えた。
*
翌朝の朝礼のあと、支店長はそのまま職員を残した。
いつもなら連絡事項が終われば、その場はすぐに解ける。だがその日は、支店長がしばらく全員の顔を見渡していた。
「年末に入って、窓口とATMの混雑が目立っています」
口調はいつもどおり落ち着いていたが、話の中身は少し重かった。
「特にゴトウビが重なる日や月末は、お客様をかなりお待たせしてしまっています。皆さんも現場で感じていると思います」
何人かが小さくうなずいた。
「もちろん、人員や設備の問題もあります。ただ、今すぐ窓口を増やす、ATMを増設するという話は簡単ではありません。普段の日との波もあります、本部に要求を上げるにしても、まず支店でできる工夫を整理しておく必要があります」
支店長は、そこで一度言葉を切った。
「そこで、窓口やATMの混雑を少しでもやわらげる方法について、職員の皆さんから案を出していただきたいと思います」
フロアの空気が少しだけ変わった。
営業も後方も、互いに顔を見合わせる。
支店長は続けた。
「大がかりな話でなくて構いません。並び方、案内の仕方、混雑する日の役割分担、後方との連携、何でも結構です。実際に現場で見ていて気づくことがあるはずです」
その言い方は、命令というより相談に近かった。
「思いつきでもかまいません。遠慮なく出してください。こちらで一度集めて、年明けにでも、試せるものから順にやってみたいと思います」
事務課長が横から一枚の紙を持ち上げる。
「各係ごとでも、個人でもいいので。週明けまでに、簡単にまとめて出してください」
支店長が最後にそう言って話を切り上げると、朝礼の場はようやく解けた。
持ち場へ戻る途中で、何人かがさっそく声を交わしていた。
「やっぱり窓口を一つ増やすしかないんじゃないか」
「でも普段は空くぞ」
「ATMも、もう一台あれば違うんだけどな」
「置く場所がないだろう」
そんな話を聞きながら、政雄は自分の席に戻った。
増やせれば楽なのは分かる。だが、支店長が困っているのも、そこではない。
限られた人員と設備で、混雑する日だけをどうさばくか。
問われているのは、その回し方のほうだった。
机に座ると、政雄は手帳を開いた。
窓口に並ぶ客の顔ぶれ。ATMで止まりやすい場面。後方が詰まる時間帯。為替の伝票が山になる順番。頭の中には、昨日見た支店の流れが、そのまま残っていた。
*
その日の業務が終わってからも、政雄はすぐには席を立たなかった。
営業フロアの照明は半分ほど落ち、窓口のシャッターはもう閉まっている。後方の机には伝票の束が残っていたが、昼間の騒がしさに比べれば、支店の中はだいぶ静かだった。
政雄は手帳を開き、ゴトウビの窓口の様子を思い返した。
列が長くなるのは、客が多いからだけではない。
用件の違う客が、同じ場所に固まるからだ。
記帳だけの客。振込用紙を書きに来た客。売上金を入れに来た商店主。まとまった現金を動かす会社の経理。払い戻しだけの客。窓口でないと不安な年配客。
処理に一分で済む客もいれば、十分以上かかる客もいる。
それが一つの列に並べば、後ろほど遅くなるのは当たり前だった。
(まず、入口で分ける)
窓口の前で詰まる前に、入口に近いところで用件を見分ける。
払戻しや記帳だけなら、できるだけATMへ回す。
伝票の記入が必要な客は、列に並ぶ前に書いてもらう。
時間のかかる法人客や相談客は、最初から通常窓口とは少し動線をずらす。
そうすれば、少なくとも「一人止まると全員止まる」形は減らせる。
(次に、窓口の役割を混雑日仕様にする)
普段と同じ並びのままでは、混んだ日の波を吸収しきれない。
午前中だけでも、窓口の一つを回転重視に寄せる。
記帳や少額の払戻し、単純な入出金を優先する窓口。
法人や内容確認の多い案件は、別の窓口で受ける。
完全に専用化はしなくても、「こちらは簡単なお手続きの方を優先します」と出すだけで流れは変わる。
(ATMの前にも人がいる)
機械の台数だけが問題ではない。
使い方に迷う客が、一台を長く止めてしまう。
後ろで待つ人は増えるが、案内する人がいないから、結局また窓口へ戻ってくる。
ならば、混雑日だけでも案内役を一人つける。
操作の補助をし、記帳だけの客や単純な払戻しの客を、先にATMへ流す。
窓口に並んでから「ATMでできます」と言われるより、最初に振り分けたほうが早い。
(ただ、行内の人員だけでは足りない時間帯がある)
開店直後。昼前。月末前。
列が一気に伸びる時間が、だいたい決まっている。
その時間だけ窓口前に一人立たせるだけでも違う。だが、その一人をどこから出すかが難しい。
営業は外に出る。後方は自分の処理で手一杯。窓口係を案内に回せば、本来の処理が遅れる。
(毎日ではない。混む日だけだ)
そこまで考えたとき、退職した女性行員たちの顔が頭に浮かんだ。
結婚で退職した人。出産で辞めた人。今は子育てが少し落ち着いて、毎日ではないが、短時間なら働ける人もいるかもしれない。
もともと銀行の仕事を知っている。
客への言葉づかいも、伝票の見方も、支店の空気も分かっている。
現金の最終確認や正式処理までは任せなくても、案内や記入補助なら十分にできる。
(混雑日だけ、案内要員として頼めないか)
新しく人を一から教えるより早い。
信用面でも、まったくの外部よりは支店長も話を通しやすいはずだ。
入口での用件の振り分け。
混雑日だけの窓口運用の見直し。
それでも足りない時間帯には、元行員のOGを短時間の案内役として活用する。
書き終えて見直すと、やることは意外に大げさではなかった。
ATMを増やす話でも、窓口を新設する話でもない。
今あるものを、混雑する日だけ少し違う形で回す。それだけだ。
政雄は手帳を閉じた。
支店長が求めているのも、たぶんその程度の現実的な案だろうと思った。
*
週明けになると、各係から集まった改善案が支店長席の横に積まれた。
事務課、為替、窓口、営業、それぞれが短いメモにして出している。昼前、支店長、次長、事務課長、営業課長の四人がそろい、ひとつずつ目を通していた。
「窓口を一つ増やす、か」
支店長が最初の一枚を置いた。
「言いたいことは分かりますが、普段の日まで考えると難しいですね」
事務課長がすぐに言った。
「ATMを増設してほしい、というのも何件かあります」
次長が別の紙を見ながら口を開く。
「置き場所の問題がありますし、本部に通すにも、混雑日が限定的だと弱いです」
「人員を一人増やす、応援を常時つける、という案もあります」
営業課長が苦笑した。
「それができれば苦労しません、という話ですね」
机の上の紙には、現場の不満はよく出ていた。だが、どれも支店長がすでに頭の中で考えたことの延長に近い。間違ってはいないが、今すぐ支店でやれる工夫としては弱かった。
支店長は、次の一枚を手に取った。
「……山本」
紙の右上に書かれた名前を見て、次長が顔を上げた。
「営業の山本ですか」
支店長は、そのまま目を通し始めた。最初の数行を読んだところで、止まる。
「入口での用件の振り分け。混雑日だけの窓口運用変更。ATM前の案内係配置……」
事務課長も身を乗り出した。
「ふむ」
「しかも、足りない時間帯だけ元行員のOGを案内役で使う、ですか」
営業課長が少し意外そうな顔をした。
「山本が、こんなことまで見ていましたか」
支店長は紙を置かず、そのまま最後まで読んだ。
増員や増設を前提にせず、今ある設備と人員の中で回し方を変える。さらに、それでも手薄になる時間帯だけ、教育コストと信用面で有利な元行員を補助に入れる。
派手ではない。だが、現実的だった。
「これだな」
支店長が言った。
「少なくとも、一度話を聞く価値はある」
次長もうなずいた。
「窓口だけでなく、後方の詰まり方まで見ていますね」
「営業なのに、こういうところに目が向くのか」
営業課長が、少し感心したように言う。
「前に為替の後方をやっていたからでしょうか」
支店長は、案の紙を机の端に分けて置いた。
「山本が戻ったら、私のところへ来るよう伝えてください」
午後、外回りから戻った政雄は、机の上の書類を置く前に、女子行員から声をかけられた。
「山本さん、支店長がお呼びです」
「支店長が?」
「はい。戻ったらすぐに、って」
政雄は一瞬だけ手を止めた。
嫌な呼ばれ方ではない。だが、用件はだいたい見当がつく。
手帳を机の引き出しから取り出し、ネクタイを軽く直すと、支店長席のほうへ向かった。
*
支店長席の前まで行くと、支店長だけでなく、次長と事務課長、営業課長もそろっていた。
「山本君、座って」
支店長にうながされ、政雄は空いていた椅子に腰を下ろした。机の上には、自分が出した改善案の紙が置かれている。
「これを読ませてもらったよ」
支店長が紙を指で軽く押さえた。
「面白い案だね。増員や増設ではなく、回し方を変えるという考え方になっている」
「はい」
「どういうつもりでまとめたのか、少し聞かせてもらえるかな」
政雄は一度うなずいてから口を開いた。
「今回の混雑は、単純に人や機械の数が足りないというより、用件の違うお客様が同じ列に並んでしまうことが大きいと思います」
支店長たちは黙って聞いている。
「記帳だけの方、払戻しだけの方、振込や預け入れの方、法人のまとまった入出金の方まで、みな同じ列に並びます。処理に一分で済むお客様もいれば、十分以上かかるお客様もいますから、一人止まると後ろが全部詰まります」
事務課長が小さくうなずいた。
「そのため、窓口の数を増やす前に、まず入口で用件を振り分けるのが先だと考えました。ATMで済む方は最初からそちらへ案内する。伝票の記入が必要な方は、列に入る前に書いていただく。内容確認に時間のかかる案件は、通常の流れと少し分ける。それだけでも、列の進み方はかなり変わるはずです」
支店長が言った。
「なるほど。ただ、それをやるには人が要るね」
「はい。ですから、混雑日だけ案内役を置く形を考えました」
「窓口係を一人回す形かな」
「最初はそれでもいいと思います。ただ、ゴトウビが重なる日や月末前は、それでも足りない時間帯が出るはずです」
そこで政雄は、少し言葉を選んだ。
「毎日人を増やすと、普段の日に余ります。ATMの増設も、置き場所と費用の問題があります。ですから、混雑する日だけ、短時間の補助を入れるのが一番無駄が少ないと思います」
次長が口を挟んだ。
「補助というのは、どういう人を考えているのかな」
「元行員の方です」
営業課長が顔を上げた。
「OGか」
「はい。案内や伝票の記入補助に役割を絞れば、一から教育する必要がありません。言葉づかいや窓口の空気も分かっていますし、信用面でも、まったく新しい人を入れるより話が早いと思います」
事務課長が言った。
「たしかに、それはそうだが、都合よく来てもらえる人がいるかどうかだな」
「以前お勤めだった方の中には、行内結婚で退職された方もおられると思います」
政雄は、そこで営業課長のほうを見た。
「たとえば、課長の奥様のような方に、もしご都合が合えばお願いできるなら、教育の手間も信用面もかなり違うはずです」
一瞬だけ、机のまわりの空気が止まった。
それから営業課長が先に笑った。
「いきなりうちが例に出るのか」
「たとえばの話です」
「分かっているよ」
営業課長は苦笑しながら首を振った。
「でも、言いたいことは分かるな。家内なら、伝票の見方くらいはまだ覚えているかもしれん」
事務課長が、そこでなおも現実的な顔を崩さなかった。
「ただ、そういう人が何人も都合よく見つかるものかな」
政雄はうなずいた。
「一般募集をかけるとなると、費用もかかりますし、混雑日だけという条件では集めにくいと思います。ですが、以前お勤めだった方に絞って、社宅に入っているご家庭や奥様どうしのつながりで話を回せるなら、そのほうが早いはずです」
次長が口元をゆるめた。
「なるほど。たしかに、そのほうが話は通しやすいですね」
営業課長もうなずく。
「支店から直接募集をかけるより、よほど現実的かもしれんな」
支店長はそこで背もたれに寄りかかった。
「費用の面はどうだろう」
「常勤を増やすより、かなり抑えられます。混雑する日の、さらに混む時間帯だけに限れば、必要な時間も短くできます。正式な現金処理や最終確認は行員が持って、補助は案内と記入補助に絞れば、責任の切り分けもしやすいと思います」
「なるほど」
「まずは行内の配置だけで一度試してみて、足りないと分かった場合に、OGの方の応援を考える形でもいいと思います」
支店長はしばらく黙っていたが、やがて案の紙をもう一度見た。
「山本君」
「はい」
「営業の立場で、ここまで見ていたのは感心したよ」
政雄は返事に少し困って、軽く頭を下げた。
支店長は次長と事務課長のほうを見た。
「まずは、年明けのゴトウビで試してみよう。入口での振り分けと、窓口の簡単な役割分けから始めたい。事務課で運用を詰めてもらえますか」
「分かりました」
事務課長がうなずく。
「OGの件は、その結果を見てからですね」
次長が言うと、支店長は少し考えてから答えた。
「そうですね。ただ、心当たりだけは当たっておきましょう。実際にお願いするかどうかは別にして、打診できる相手がいるかは見ておきたい」
営業課長が苦笑したまま言った。
「では、うちにも一度聞いてみます」
「お願いします」
支店長はそう言ってから、政雄へ視線を戻した。
「山本君、この件は君も最後まで関わってもらうよ。案を出して終わりではなく、実際に動かしてみて、どこで詰まるかも見てもらいたいんだ」
「分かりました」
政雄はもう一度頭を下げて席を立った。
自分の案が通ったことよりも、支店長が「試してみましょう」と言ったことのほうが大きかった。
思いつきを並べるのは簡単だ。
だが、現場は回して初めて形になる。
そこまで含めて見ろと言われたのだと、政雄は受け取っていた。




