第5話 予定表と新聞と、騒がしい国の夏
夏休みも、三日目くらいまでは何となく楽しい。
ラジオ体操に行って、朝ご飯を食べて、昼は外で遊んで、夜はテレビ。
前世では、たぶんそんなふうに過ごしていたはずだ。
問題は、そのあとだ。
いつのまにか昼まで寝るようになって、
宿題は八月の終わりにまとめて泣きながらやるはめになる。
前世で何度も繰り返した、そのパターンを思い出して、
俺はちゃぶ台の端で、夏休みの予定表を広げた。
学校から配られた、マス目だけが印刷された薄っぺらい紙。
前世の俺なら、最初の数マスだけ真面目に書いて、あとは真っ白のまま机の引き出しの奥へ押しやられていただろう。
「まずは、ここからだな」
鉛筆を握り直して、小さくつぶやく。
詰め込みはしない。
無茶なガリ勉をしたって、三日で挫折することぐらい、前世の経験でよく知っている。
目指すのは、クラスの上位にいたやつらが、なんとなくやっていたあの感じだ。
無駄を省いて、効率よく、毎日ちょっとだけ。
マス目に、ざっくりと書き込んでいく。
朝はラジオ体操から帰ったあとに一時間。算数と国語。
昼は、遊んでいい時間として丸ごと空ける。
夕方に三十分だけ漢字と英単語。
夜、テレビをつける前に、その日の復習を三十分。
ところどころ、何も書かない「空白の日」も残した。
「これなら、続けられるはず」
自分にそう言っておく。
予定表を埋めることが目的じゃない。
前世と違う「やり方」で、少しでも前よりマシな結果を出すのが目的だ。
そんなふうに毎日を回し始めて、数日たったころ。
ちゃぶ台で鉛筆を動かしていると、母がふと首をかしげた。
「まさお、最近よく勉強してるねえ」
「うん。まあ」
照れ隠しに、わざとそっけなく答える。
前世で一度は年金をもらう歳まで行った人間が、小学生のドリルをやっているのだから、
内心では複雑な笑いもある。
けれど、いざやってみると、案外おもしろい。
分からない問題が解けるようになるのも、
社会の教科書の「昔の話」が、前世のニュースとつながるのも。
だから、もう一つだけ、自分にノルマを課した。
「新聞を読む」
夕飯のあと、父が読み終えた新聞を、ちゃぶ台の自分の前に引き寄せる。
前世では、テレビ欄とスポーツ面くらいしか見なかった紙面だ。
でも今の俺には、漢字も読めるし、言葉の意味も分かる。
まずは一面の見出しを拾う。
「七〇年安保」「大学紛争」「べ平連」「反戦デモ」。
ヘルメット姿の学生が機動隊とぶつかっている写真。
前世で、昭和の映像特集として何度も見た、あの画面の空気が、今ここで「現在進行形のニュース」として紙面を飾っている。
「ふーん……」
思わず、間の抜けた声が出た。
前世では、「昔は大変だったんだなあ」と他人事で眺めていた映像だ。
でも今は一九七〇年で、十歳の俺の夏休みと同時進行で、それが起きている。
次に、社会面を開く。
事件や事故の記事の中に、前世で聞いた単語がぽろぽろ顔を出す。
「ベトナム」「米軍基地」「ストライキ」。
それから、ときどき、こういうのも混ざる。
《三億円強奪事件から二年 迷宮入りの様相》
前世でも、歴史の特集やワイドショーで何度も見た名前だ。
起きたのは一九六八年。犯人はいまだに捕まっていない。
でも、テレビで見た再現ドラマと、新聞の記事は、どこか微妙にズレている。
覚えていた年と、見出しの日付が、少し違う気がする。
犯人像の説明や、現場の描写も、前世の記憶とは細部が噛み合わない。
「やっぱり、まったく同じ世界ってわけじゃないか」
新聞をたたんで、天井を見上げる。
大きな流れは同じだ。
この国では、前世でも聞いたような大事件や学生運動が、ちゃんと起きている。
でも、それは「前に見た歴史番組どおり」ではない。
この世界なりの、少しだけ違う形で進行している。
そのことが分かっただけでも、新聞を読む価値はあった。
そしてもう一つ。
前世のニュースで、やたらと印象に残っている出来事がある。
オイルショックのトイレットペーパー騒動だ。
店頭から紙が消えて、
人が行列を作って、
トイレットペーパーを抱えて帰っていく映像。
当時十三歳だった自分は、ただ母が慌てて走り回るのを、ぼんやり眺めていただけだった。
「どうすればよかったか」を知ったのは、そのずっとあとだ。
大人になってから、新聞や特集記事で読んで、初めて理解した。
本当は、あそこまで慌てる必要はなかったこと。
いつもより少し多めに買って、静かに様子を見ていれば、それで十分だったこと。
その「あとから知った正解」だけは、やけにくっきり頭に残っている。
今は一九七〇年の夏。
オイルショックは、まだ少し先の話だ。
でも、いつか必ず、新聞のどこかに「トイレットペーパー」「品薄」という見出しが並ぶ日が来る。
そのときだけは、前世で大人になってから知った対処法を、そのままこの家族に渡してやれる。
そう思うと、毎日の新聞も、前より少しだけ重みを持って見えた。
勉強も、新聞も、まだ「ちょっと頑張っている小学生」の範囲だ。
それでも、前世では一度もやらなかったことだ。
予定を立てて、
それに沿って行動して、
世界の出来事を、自分の頭で理解しようとする。
たったそれだけなのに、夏休みの三日目にして、前とは違う分かれ道に立っている気がした。
「どうしたの、まさお。新聞なんかずっと見て」
茶碗を下げ終えた母が、覗き込んでくる。
「ううん。ちょっと、気になるだけ」
「へえ、えらいねえ。新聞なんて、大人みたいじゃない」
母は、からかうでもなく、素直に感心したように笑った。
その横で、幸がテレビ欄をのぞき込みながら言う。
「じゃあ今度さ、社会のテスト前にニュース教えてよ。先生より分かりやすかったら、認めてあげる」
「努力目標にしとくよ」
わざと生意気な口調で返すと、幸が「なにそれ」と笑った。
そういう小さな積み重ねが、
いつか「この子の言うことは、聞いておいた方がいいかもしれない」という信用に変わる。
前世では一度も手に入れられなかった、その立場を、
今度こそ掴みにいく夏休みだった。




