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第48話 都銀一年目、研修から配属へ

四月に入行すると、まず待っていたのは一か月の幹部候補研修だった。


社会人としての心構え、ビジネスマナー、銀行業務の基礎、組織全体の各部署の役割と仕事の流れ。

朝から夕方まで、講義とグループワークの連続で、それこそ頭の中に詰め込めるだけ詰め込まれる。

前世でも新人研修はあったが、一週間ほどで終わり、あとは配属先でのOJTが中心だった。


(さすが幹部候補ってところか)


そう思いながらも、政雄はメモを取り続けた。

支店と本部、営業店と事務、個人と法人、国内と海外。

どの部署が何を担当し、どこでつながっているのか。


事務企画部やシステム部の説明が出てくるたびに、政雄は、さりげなくノートに印をつけておいた。


(今すぐじゃない。けれど、いつかはあのあたりに近づきたい)


そう心の中でだけ決めておく。

表立って「事務企画に行きたい」と言うには、まだ早すぎる。


まずは、見習いとしての一年目をきちんとこなすことが先だ。


一か月の研修が終わるころには、顔なじみになった同期も何人かできていた。


「じゃあ、みんな、それぞれの支店でがんばれよ」


最後の日、研修担当の課長が、少しだけくだけた口調でそう言った。

配属先の辞令が出たのは、その直後だった。

封筒に入った紙を開くと、そこには都内のある支店の名前が印刷されていた。


(ここが、当分の自分の職場ってわけか)


そう思いながら、政雄は支店名をもう一度、目でなぞった。


     *


配属初日、政雄はスーツの襟を直しながら、支店の正面入口に立った。


研修センターとは違う、実際の店舗の空気。

ガラス越しに見えるカウンターと、忙しそうに動く行員たちの姿。

扉を開けると、受付の女性が顔を上げた。


「本日から配属になりました、山本と申します」


軽く頭を下げると、すぐに奥から次長が出てきた。


「山本君だね。今日からよろしく。支店長のところへ案内するよ」


支店長へのあいさつと簡単な紹介が終わると、その足でフロアをぐるりと一周する。

窓口、後方事務、為替、融資、ロビー案内。


それぞれの持ち場の空気をざっと眺めたあと、次長が言った。


「山本君は、しばらく為替の後方に入ってもらう。ここで銀行の“血の流れ”みたいなものをつかんでおくといい」


「はい。よろしくお願いします」


為替後方のデスクには、すでに書類の束と端末が並んでいた。

振込伝票、送金依頼書、入出金の記録。

札勘や窓口の前に、まずはここで「紙と数字の流れ」を覚えろ、ということなのだろう。


(発想としては、大学の弁当配達と少し似ている。紙で注文を受けて、順番を決めて、間違えずに流す)


規模も責任も比べものにはならないが、基本の「流れ方」はそう変わらない。


「山本君、今日はまずここからな」


為替担当の先輩が、椅子を引いて席を示した。


「午前中は横について見るだけでいいから、どんな書類がどこから来て、どう処理されて、どこへ行くか、ひたすら追いかけてくれ」


「はい」


政雄は、用意された椅子に腰を下ろし、机の上の伝票の束に目を落とした。


ここから先の何年かをどう過ごすかで、自分の行き先が決まっていく。

そんなことを思いながら、最初の一枚にそっと指をかけた。


      *


配属されてから最初の一週間は、とにかく一日があっという間に終わった。

朝礼があり、窓口が開くと、為替の後方にはひっきりなしに伝票が流れてくる。

市内の他行宛て、地方の支店宛て、公共料金、給料日の振込。


どの紙がどこへ向かい、どの時間帯までに処理しなければいけないのか。

先輩の横に座り、政雄はひたすら目で追いかけ、メモを取り続けた。


二週目の半ばになると、「この時間帯はこれが多い」「この案件は後回しにできない」といった、ざっくりした流れが少しずつ見えてきた。


まだ自分一人に任される仕事はほとんどないが、書類の山のどこに何があるのか、だいたいの見当はつくようになってきた。


(弁当配達のときと同じだ。どの時間に、どの研究室に何個届けるかを先に組んでおくと、あとが楽になる)


スケールも責任も違うが、考え方の基本は、あまり変わらない。


三週目に入るころには、簡単な入力や照合作業を、先輩のチェック付きで任されるようになった。

ミスをしないこと。分からないことは勝手に判断しないこと。


当たり前のことだが、銀行ではそれがシャレにならない重さを持つ。


締め時間が近づくと、フロア全体の空気が少し張りつめるのが分かった。

月末や給料日の前後には、さらにその緊張が増す。


(ここで、まずは“普通にやれる奴”にならないと話にならない)


政雄はそう思いながら、毎日決まった時間に出勤し、決まった時間に机に向かう生活を、淡々と続けた。


     *


最初の一か月が過ぎたころ、ようやく自分の中にも、少しだけ余裕が生まれてきた。


終業後、デスクの上を片づけながら、政雄は頭の中で簡単な線を引いてみる。


(一年目と二年目は、支店での基礎固め)


為替の後方で紙と数字の流れを覚え、いずれは窓口や融資の事務も経験するだろう。


(その次の二、三年で、営業店としての仕事も一通りやる)


外回りや融資の現場に出て、支店全体の動きと、お客さんの顔を知る。


(そのうえで、五年目くらいからが勝負どころだな)


事務企画部に行きたいと、今すぐ口に出すつもりはない。

けれど、少なくとも「こいつは事務や段取りを考えるのが得意そうだ」と思われるようにはしておきたい。


日々の仕事の中で、どこが手間になっているか、どこを変えれば楽になりそうか。

そういう目で見ておくことは、今からでもできる。


(前世では、何となく与えられた場所で、何となく流されてきた。今回は、自分で行き先を決める)


為替の伝票が流れていくデスクを横目に見ながら、政雄は小さく息を吐いた。

まずは、この支店で一人前になること。


そのうえで、いずれ事務企画に手が届くように、今から種をまいておくこと。


       *


配属からしばらくは、為替の後方で紙と数字を追いかける毎日だったが、半年も経つころには、少しずつ仕事の幅も広がっていった。


簡単な振込や送金の入力だけだったのが、定例の大量振込のチェックや、他店からの問い合わせ対応の下準備まで回ってくるようになった。


「山本君、ここを見ておいてくれる?」


ある月末の午後、先輩から一束の書類を渡された。


「この企業の給料振込、件数と金額におかしなところがないか、念のためもう一度見直しておいて。時間はあまりないけど、慌てて見落とさないようにな」


「はい」


月末、しかも給料振込。


一枚一枚の伝票に書かれた口座番号と金額を追いながら、政雄はペンの先でチェックを付けていく。


(こういうのこそ、あとで問題になったら洒落にならないやつだ)


そう思いながら、慎重に目を走らせる。

途中で、一枚だけ、数字の並びに違和感を覚えた。

ほかの社員と比べて、一桁だけ極端に多い。


「あれ?」


振込額の横に書かれた手書きのメモを見ると、「役員」とあった。


(そういうものかもしれない)


一度そう納得しかけてから、政雄はもう一度、一覧表を見直した。

役員は数人いるが、その一枚だけ、桁が違っている。


ひょっとして、と嫌な予感がした。


「すみません、これ……」


先輩のところへ持っていくと、先輩もすぐに顔をしかめた。


「本当だ。一つ桁が多いな。よく気づいたな」


元の資料と照らし合わせると、やはり単純な書き間違いだった。


もしこのまま流していれば、会社の給料日に余計なトラブルになりかねないところだった。


先輩はすぐに企業側へ確認の電話を入れ、振込データを修正した。


「助かったよ。こういうの、一度通しちゃうと面倒なんだ」


「いえ……たまたま、です」


そう答えながらも、政雄は胸のあたりが少し冷たくなるのを感じていた。


(前世の俺だったら、たぶん“役員だしこんなものか”で流していたかもしれない)


今は、そうしなかった。

数字の違和感を、そのままにしなかった。


それだけのことだが、この仕事では、それが大事なのだと実感した。


     *


それからの二年間は、大きな事件も、大出世もなかった。


為替の後方を一通り覚え、札勘の基礎も身につけ、窓口の応援に入ることも増えた。


ロビーでお年寄りの通帳記入を手伝ったり、公共料金の払い込みを案内したり。

融資の書類を運びながら、部屋の隅で飛び交う専門用語に耳を傾けたり。


毎日が目新しいわけではないが、一つ一つの仕事の意味は、少しずつ見えてきた。


(この支店の中だけでも、これだけの人とお金の流れがある)


伝票の束を片づけながら、政雄はときどきそんなことを考えた。

同時に、心のどこかでは、最初の目標を忘れないようにしていた。


日々のルーチンの中で、「ここは無駄が多い」「ここを変えれば楽になりそうだ」と思うところがいくつもあった。


それをいきなり口に出すことはしなかったが、ノートの端にメモだけは残しておく。


時間がかかっても構わない。

一、二年目は、支店の空気と実務を身体に入れる時期。


その先に、営業店のローテーションがあり、さらに先には、事務企画へ手が届くかもしれない。


入行から二年が過ぎたころ、政雄は自分の勤続年数をカレンダーで確認して、小さく息を吐いた。


(ようやく、スタートラインに立ったくらいのものだな)


老後の不安に押しつぶされていた前の人生と違い、今の自分には、まだ時間がある。

この二年間で積み上げたものを、次の場所へ持っていく。


そう考えながら、政雄は机の引き出しにしまってあるノートを、そっと閉じた。




銀行名は双葉銀行としました。

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