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第36話 昼休み四十五分と、弁当配達の話

理工の講義棟に用事があって、午前の授業のあとに高台の奥まで歩いていった。

教室から出てきた同級生に声をかける。


「ここまで来るの、珍しいな」


中学の同級生で、今は理工学部にいる友達だ。白衣を片手に、肩をぐるぐる回している。


「実験、昼またぐのか」


「またぐね。午前の実験片づけて、昼休み四十五分ってことにはなってるけどさ、実際に『飯を食う時間』は二十分あるかどうかだよ」


友達は、学舎が並ぶほうをあごで指した。


「食堂まで歩いて行って、列に並んで、席探して、また戻ってきたら、それだけでほとんど終わり。生協の弁当も、遅く行くと棚がスカスカ」


「じゃあ、どうしてるんだ」


「誰かがちょっと早めに抜けて、まとめて買ってくる。間に合わなきゃ、実験室でカップ麺か、パンかじって午後の実験コース。たまに本気で昼抜き」


笑いながら言うが、目の下にうっすらクマができている。


「文系のゼミ棟も似たようなもんらしいぞ。ゼミの準備で抜けにくいとか、教授が昼どきに会議入れてくるとかで、食堂に行きそびれるってさ」


「教授とか職員は?」


「金はあるけど時間がないってやつ。『並ぶのが一番の無駄だ』って言ってた。まあ、偉い人ほどそう思うんだろ」


友達は苦笑いしながら肩をすくめた。


「実験室から一歩も出ないで弁当届くなら、配達料くらい喜んで払うけどな。文系でも理工でも、教授でも」


何気なくこぼしたその一言が、耳に残った。


「それ、本気でそう思うか」


つい、聞き返していた。


「思うよ。だって、並ぶ時間と戻る時間を考えたら、弁当一個のために四十分とか使ってる感じだもん。多少高くても、部屋まで持ってきてくれるなら、絶対そっち選ぶ」


友達は、当たり前のように言い切る。


「もしさ、本当に弁当配達するようになったら、最初はお前の実験室で試してもらってもいいか」


「マジで? そんな話あるのかよ」


目の下のクマが、少しだけ笑いじわに変わった。


「まだ思いつきの段階だけど。生協の弁当を予約してもらって、俺がまとめて買って、自転車で持っていく。そういうのを考えてる」


「それ、こっちからしたら願ったりかなったりだけど。うちの実験見てる先生には、一応話通さないといけないな」


「そこはちゃんと筋は通す。一週間くらい、『試しに』ってことで」


友達は少し考えてから、うなずいた。


「じゃあ、そのへんの話がまとまったら教えてくれ。うちの分として一枚、手書きでいいからビラ作ってくれたら、実験室に貼っておく。隣の班にも声かけてみる」


「分かった。まずはそっちを最初の相手にさせてもらう」


友達と別れて学舎の中庭を抜けながら、頭の中でさっきの言葉を転がす。


――実験室から一歩も出ないで弁当が届くなら、配達料くらい喜んで払う。


前世では、スマホで料理を頼めば、自転車やバイクが運んでくるサービスがいくらでもあった。

1980年の現在はまだ、スマホもウーバーもないけれど、そば屋で出前をしていたときと同じくらいのことなら、この自転車でもできる。


問題は、どうやって「注文」を受けるかだ。


数日後の夕方。

生協のバイトが一段落したころをねらって、俺は主任に声をかけた。


「主任さん、ちょっと相談いいですか」


帳簿を見ていた主任が顔を上げる。


「なんだ、山本君。また何か考えたのか」


「研究室とか実験室、それからゼミの部屋に、昼の弁当をまとめて届ける仕組みって、ここで新しく始めることってできますか」


主任が少し眉を上げた。


「届ける?」


はい。ここで売っている生協の弁当を、食堂まで行きにくい人のところに運ぶ感じです。昼休みに食堂まで行けない実験室とか、ゼミとか、職員室とか。そういうところ向けに」


主任は腕を組んだ。


「うちは基本、『店で売る』だけだ、配達はやってない。そうゆう決まりなんだ。」


「そこは分かっています。配達そのものは、生協じゃなくて俺がやります」


そう前置きしてから、ゆっくり説明する。


「研究室とか実験室、ゼミ室から、生協に電話か内線をしてもらって、弁当を予約してもらう。生協のほうでは、それを紙に書いて当日十時とか時間決めて締め切ってもらう。俺は昼前にここで、そのぶんの弁当を全部買って、自転車でまとめて配達する。そういう流れを考えています」


主任はじっと俺の顔を見てから、カウンター越しに身を乗り出した。


「確認しとくが、配達をするのはあくまで山本君だ。うちは商品を君に売るだけ。電話を受けて紙に書くくらいはするけど、店を出たあとの責任は全部山本君だぞ」


「それで大丈夫です。研究室からは、弁当代とは別に配達料をもらうつもりですし」


「配達料はいくらくらいにするつもりだ」


「一部屋につき百円で様子を見たいです。弁当の個数に関係なく、一部屋百円。数人で頼んでもらえれば、一人あたり十円とか二十円の上乗せで済みますし」


主任は少し考えてから、うなずいた。


「高いって声が出るかもしれないが、最初からタダ同然にすると、あとで説明しづらいからな。文句が出たら、そのときはまた相談しよう」

レジ横のメモ用紙を引き寄せ、「弁当予約 電話・内線受付 当日十時まで」と書き込む。


「注文の受付は、こっちの職員かレジの子にやらせる。台帳もここでつける。十時で締めて用意しとくから、山本君が見て。そこで何個、どこの部屋に持っていくか確認するってことでいい?」


「はい。会計はお客さんから受け取ったお金のうち、弁当代を、配達が終わったあとでまとめてレジに入れる形で良いですか?」


「そのへんのやり方は、実際にやりながら決めていこう。まずは一週間くらい試してみるか。誰も使わなきゃそこでやめればいいし、そこそこ注文が来るようなら続けよう」


主任のその一言で、「弁当配達の話」は、思いつきから現実に一歩だけ近づいた。


バイトが終わったあと、六畳間のちゃぶ台で紙とペンを広げる。

理工の友達の実験室用に一枚。生協のレジ横に貼ってもらう用に一枚。ビラはその二枚だけだ。


紙の真ん中に、丁寧に文字を書いていく。


「学内の研究室・実験室・ゼミ室のみなさまへ

生協の弁当を部屋までお届けします」


その下に、小さく条件を書く。


「当日午前十時までに、生協へ電話または内線でご予約ください。

配達先の棟名・部屋番号・弁当の種類と個数をお伝えください。

一部屋につき配達料百円をお願いします。

配達:経済学部二年 山本」


最後に、学内の内線番号と、苗字だけの名前を書き足した。


翌日、生協の棚を補充し終わったところで、主任に声をかける。


「これ、レジの横に一枚だけ貼らせてもらってもいいですか」


紙を受け取った主任が、ざっと目を通す。


「手書きか。まあ、そのくらいならいいだろう。目立ちすぎないとこに貼っとけ」

承諾の代わりに、画びょうを一つ渡してくれた。


レジ横の目につきそうな場所に、ビラを一枚留める。

もう一枚は、昼休み前に理工の講義棟まで持っていった。


「お、できたな」


友達が受け取って、にやっと笑う。


「これ、うちの実験室のドアに貼っておく。先生にも見せとくよ。隣の班にも話してみる」


「無理に勧めなくていいからな。嫌だったら使わなくていいって伝えてほしい」


「分かってるって。とりあえず、みんなの反応は見てみたいだろ」


あとは、当日十時までに電話が鳴るかどうかだ。


高台のあちこちで、昼休み四十五分をやりくりしている誰かが、この小さな紙切れに気づくかどうか。


そんなことを考えながら、自転車置き場に向かって歩いた。

千円で手に入れたママチャリのハンドルに触れてみる。冷たい金属の感触が、少しだけ心強かった。


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