第125話 不意打ちの小委員会
「何故俺はここに居る。どうしてこうなった?」
政雄は、大蔵省の会議室で数人の官僚に囲まれながら、心の中でそう叫んでいた。
完全に場違いだった。
先月、橘に話をした時点で、もう自分の役目は終わったと思っていた。
あれで完全にバトンは渡った。
ここからは省内部の話であり、双葉銀行の一行員にすぎない自分の出る幕はないはずだった。
ところが昨日になって、黒沢から突然電話があった。以前に提出した報告書の件で、明日、少し来てほしいという。いつもの補足説明か、せいぜい追加の聞き取りだろう。そう思って言われて来てみれば、この有様である。
黒沢の隣に座らされ、向かいには見覚えのない顔が並び、その端に橘までいる。
誰も政雄に事情を説明しないまま、会議はもう始まろうとしていた。
あとで知ったことだが、この会合は黒沢が半ば執念でこしらえたものだった。
ふつうなら、銀行局の一課長にできるのは、せいぜい同期へ非公式に声をかけるところまでである。
局をまたいで人を集め、正規の会合として看板を立てるなど、そう簡単にできる話ではない。
だが黒沢は、どうしてもそれで終わらせる気がなかった。
そこで橘が、金融ビッグバンの流れに乗せて論点整理の小委員会として通せばよいと知恵を出した。
黒沢はその案に乗り、各局に散った同期へ声をかけて顔ぶれをそろえた。
表向きは小さな実務会合でも、中身は黒沢がようやく省内に持ち込んだ最初の足場だったのである。
そんなことは、このときの政雄には知る由もない。
政雄はただ、黒沢の横に借りてきた猫のように座らされていた。
黒沢が小委員会の趣旨を説明しているあいだ、政雄は配られた資料に目を落とした。
新業態金融取引に関する論点整理
表紙にはそうあり、その下に、
作成者 銀行局 黒沢
協力者 双葉銀行 山本
と記されていた。
政雄は思わず目を止めた。自分の名が、逃げ場のない形でそこに載っていた。
出席者は、銀行局から黒沢、証券局から橘のほか、主税局、大臣官房、国際金融局から実務に通じた課長補佐級が一人ずつという顔ぶれだった。
官の論点整理の場に、民間の人間が最初から席を与えられている。
それがどれほど場違いなことかくらいは、政雄にも分かった。
黒沢はそこでようやく政雄の方へ手を向け、今回の整理にあたって実務面で意見を聞くため、双葉銀行から山本君に同席してもらっていると淡々と紹介した。
黒沢にこんな形で引っぱり出された以上、政雄も腹をくくるしかなかった。
立ち上がると、一度会議室を見渡して口を開いた。
「こちらの資料を作るにあたって、黒沢課長のお手伝いをさせていただきました、双葉銀行の山本です」
一拍置いて続ける。
「このたびの話は、将来的にかなり広い範囲に及ぶものと思っております。どこまでが大蔵省の管轄になるのか、私にはまだ分からないところもありますが、何かのお役に立てれば幸いです。よろしくお願いします」
政雄が頭を下げると、会議室は一瞬、水を打ったように静まり返った。
橘が、わずかに口元をゆるめて黒沢を見る。
――おいおい、ここでそこまで行ってしまうのか。
そんな表情だった。
だが、黒沢は少しも動じなかった。
むしろ、予定どおりとでも言いたげな顔をしている。
「では、第一の論点に入ります」
黒沢は何事もなかったかのようにそう言って、会合を先へ進めた。
政雄は挨拶を終え、席に座った。先ほどは、落ち着いて自分の言いたいことを言えたつもりでいた。ところが椅子に腰を下ろし、改めて自分の発言を思い返すと、背筋が凍るような思いが込み上げてきた。
――やってしまったのではないか。
若輩者が大風呂敷を広げていると思われたのではないかと。
その後も、黒沢は資料の内容を順に説明していった。出席者からは幾つか質問が出され、それぞれの所管に関わる論点について意見が交わされた。
黒沢は話を整理しながら、各人に持ち帰って検討すべき項目を割り振っていく。
会合は一時間余り続いた。
最後に、各自が担当する論点を精査し、次回までに意見をまとめることが確認された。
以後は週に一度、再び集まることになった。
やがて会議が終わり、出席者たちが資料を手に部屋を出ていく中で、黒沢が政雄を呼び止めた。
「山本君、少し残ってください」
橘も席を立たなかった。三人だけになった会議室で、橘が政雄に向かって口を開いた。
「さっきの山本君の挨拶は、なかなかすごかったな。大蔵省の会議で、大蔵省の管轄には収まらない話だと言ってしまうとはね」
「すみません。突然だったもので、咄嗟に思いついたことを言ってしまいました」
政雄は小さくなりながら、恨めしそうに黒沢を見た。
「事前に打ち合わせをしなかったのは、まさにそれが狙いでした」
黒沢は珍しく、いたずらを仕掛けた子供のような笑みを浮かべた。
「この小委員会は、何としても正規の集まりにしたかった。そのために、表向きはビッグバン関連の検討会という形を取った。だが、私が皆に考えてもらいたかったのは、金融の話だけではない」
黒沢は、政雄の方へ視線を向けた。
「君が以前話していた、社会の変化でね。金融の仕組みが変われば、商売が変わる。商売が変われば、人の働き方や暮らしも変わる。やがては行政や法律のあり方まで変わっていく。つまり、これは金融だけの問題ではなく、社会そのものが変わっていく話なんだ」
政雄は黙って黒沢を見返した。
「それなら、黒沢さんが説明すればよかったではありませんか」
「私が説明すれば、役所の人間が考えた将来像として受け取られるだろう。だが、外部の人間である君が、自分の言葉で話せば違って聞こえる。出席者たちに、金融の変化の先にある社会の広がりを考えてもらうには、その方がいいと思った」
黒沢はそこで一度言葉を切った。
「だから、あえて何も打ち合わせをしなかったんですよ」
政雄は、ようやく黒沢の狙いを理解した。
黒沢が求めていたのは、この場で結論を出すことではなかった。
金融の変化が、やがて社会全体に及ぶものであることを、出席者たちに考え始めてもらうこと。
そのうえで、法制化できる論点から順に拾い上げ、省内の正式な議論へ押し上げていくことだった。
そのために、自分はここへ呼ばれたのだ。
そして、腹をくくって口にしたつもりの言葉さえ、最初から黒沢の狙いの中に組み込まれていた。
政雄はそのことを、ようやく思い知った。
*
大蔵省を出ると、政雄はその建物を振り返った。
黒沢には、まんまとしてやられたと思った。事前に何も知らされないまま、あれだけのことを言わされたのである。
次に会ったら、ひと言くらい文句を言ってやらなければ気が済まない。
それでも、黒沢が自分の話を正確に理解してくれていたことには、ありがたさを感じていた。
政雄がまだうまく言葉にできずにいたものを、黒沢は受け止めたうえで、あの場に持ち出してくれたのだ。
してやられたという思いと、分かってもらえていたという思いが、政雄の中で奇妙に入り混じっていた。
調査室に戻ると、大山が顔を上げた。
「どうだった?」
「小委員会が設置されました。来週から、週に一度集まるそうです」
政雄が簡単に報告すると、大山は短くうなずいた。
「そうか。それで、何か言ったのか?」
「この話は、金融だけでは収まらないかもしれない、と申し上げました」
大山が政雄を見る。榊は手元の書類から顔を上げ、片岡も椅子を少し回して政雄を見た。
「大蔵省で、ずいぶん思い切ったことを言ったな」
「黒沢課長に、うまく引き出されたというか……」
政雄は苦笑した。
大山はそれ以上聞かなかった。榊と片岡も、何か言いたそうではあったが、口を挟まずにそれぞれの仕事へ戻っていった。
調査室には、いつもの仕事の音が戻っていた。




