第121話 家族のあり方
二日の昼前、政雄たちは優美を連れて実家へ向かった。
年始の挨拶は毎年のことだが、今年は元日の脳内会議のせいか、例年より少しだけ落ち着いてその日を迎えている気がした。
実家にはすでに姉の一家が来ていた。
和子は前よりずっと口が達者になっていて、幸太は母のそばで菓子を握ったまま落ち着きなく動いている。
優美もすぐにそちらへ引っぱられていった。
子どもが三人いるだけで、居間はずいぶん狭く見える。
母は相変わらずよく動き、父はその横で口数少なく座っていた。
去年と同じ正月のようでもあり、去年より少しだけ年を取ったようでもある。
どこがどうというほどではないが、そういうものは案外目につく。
座が落ち着くと、姉がみかんに手を伸ばしながら言った。
「うちも、そろそろ考えないとね」
何のことかと思っていると、姉は和子と幸太のいる方を見た。
「この子たちも大きくなってきたでしょう。今の公団だと、そのうち手狭になると思うのよ」
良子が「住み替えですか」と聞くと、姉は少し肩をすくめた。
「それもあるし、どうしたものかなって。まだすぐじゃないけどね」
母も子どもたちの方を見て、たしかにこの先は狭くなるかもしれないね、というようにうなずいた。
実際、和子はもう小学生だし、幸太もいつまでも幼児ではない。
今は何とかなっても、あと数年もすれば窮屈さははっきりしてくるだろう。
そこで、義兄が思いついたように口を挟んだ。
「だったら、二世帯住宅でも考えてみるか」
一瞬、座が静かになった。
冗談半分のようでもあり、まるで本気でないとも言い切れない調子だった。
義兄自身、口にしてから場の反応を見ているようなところがある。
姉は少し目を丸くしてから、「あなたねえ」と苦笑したが、まったくありえない話として流したわけでもなかった。
母は曖昧に笑い、父は黙ったままだった。
政雄は、そのことについて考えてみた。
家を持つとなれば、勢いがものを言う面もある。
姉も義兄も勤めは安定しているし、無茶な話というほどではない。
子どもたちが大きくなっていくのも事実だ。
二世帯にすれば、姉たちにとっては子どもの面で助かることもあるだろうし、両親のことを思っても悪くない。
政雄にとっても、それは正直ありがたい話でもある。
本来なら長男である自分がもっと先に考えるべきことかもしれない。
そう思うと、軽々しく賛成するのも、反対するのも違う気がした。
ただ、それでも今すぐ話を進める気にはなれなかった。
金利は下がってきているが、土地はまだ高い。
地価はまだ下がるはずだ、思いつきで決めるには金額が大きすぎる。
政雄は少し考えてから口を開いた。
「二世帯なら、両親のことがありますから、正直ありがたい話ではあるんですけど」
義兄が「じゃあ、いい話じゃないか」という顔をしたので、政雄は少し言葉を選んだ。
「ただ、今はまだ急がない方が良さそうです。金利は下がっていますけど、銀行でもまだ地価は下がるとみていますから」
「そんなものか」
「住み替えにしても建てるにしても、しっかり時間をかけて調べた方がいいと思いますよ」
姉は考え込むように黙った。
「まあ、そう言われるとそうかもね。うちもね、今すぐどうこうって決めてるわけじゃないし」
「その方がいいと思うよ」
政雄はそう言って湯呑を置いた。
話としてはそこでいったん収まったが、完全に消えたわけでもなさそうだった。
義兄はまだ何か考えている顔をしていたし、姉も住まいのこと自体は頭から離れていないようだった。
そのあと話題は子どものことや学校のことに移り、座はまた正月らしい雑多なにぎわいへ戻っていった。優美は和子の後ろについて歩き回り、幸太は途中で眠くなったのか母の膝に寄りかかっている。
父は相変わらず多くを言わなかったが、子どもたちの動きを目で追っていた。
その様子を見ながら、政雄はさっきの二世帯の話を少しだけ引きずっていた。
親と同居する年齢、などと考えるには、まだ少し早い気もする。
だが、まったく先の話とも言い切れない。
元日の脳内会議で親戚担当が言っていたことを、こんなに早く思い出すことになるとは思わなかった。
家を辞して少し歩いてから、良子が言った。
「さっきの二世帯の話、他人ごとじゃないわよね」
「うん」
政雄は少し間を置いてうなずいた。
「いずれ我が家でも考えないといけない話だね」
良子はそれ以上言わなかったが、優美の手を引く横顔は少しだけ考え込んでいるようにも見えた。
外はよく晴れていたが、空気はまだ正月らしく冷えていた。
振り返れば、古い平屋の借家は去年と同じようにそこにあった。
だが、その中で時は流れている、環境は少しずつ変わっていくのだ。
*
三日の昼すぎ、政雄たちは良子の実家へ顔を出した。二日続きの年始回りで優美は少し疲れているかと思ったが、着いてみればそんなことはなく、いつもより愛想よく義母に抱かれていた。
この家は、政雄の実家より明るく見える。南向きのリビングに冬の日がよく入り、庭中央の巨大なソテツがいつものように迎えてくれた。その前を京子が台所と行き来していた。義母の手伝いをしながら、合間には優美にも声をかけている。
義父はソファの端に腰かけて、優美に何か見せていた。
本人はわりに真面目な顔をしているのに、優美の方はよく分からないまま笑っている。
義母はそれを見て、そんな小さい子に難しいことを言ったってだめですよ、と笑った。
料理がひととおり並び、みんなが席について箸をつけ、場がいくらか落ち着いたころだった。
京子もようやく腰を下ろすと、義母がそちらを見た。
「京子の方も、今年は少しは話が進むのかしらねえ」
言い方はやわらかかったが、前から気にしていたことを、正月の席であらためて口にしたという調子だった。
京子はすぐには答えず、少しだけ視線を落とした。
「お母さん、いきなりそういうこと言う」
「いきなりじゃないでしょう。もう長いんだし」
責めているわけではないのだろう。
そろそろ安心させてほしいという気持ちの方が強そうだった。
良子が少し笑った。
「でも、今年は少し違うんでしょう」
京子は良子の方を見た。
「お姉ちゃんまで」
「違うの?」
京子は小さく息をついてから口を開いた。
「まだ決まったってほどじゃないけど。今年はちゃんと話を進めようかってことにはなってるの」
義母の顔がぱっと明るくなった。
「本当に」
義父もそこで、優美の方に気を取られたまま。
「相手は、あの人か」
「そうよ。ほかに誰がいるのよ」
京子は少しあきれたように言ったが、声には照れが混じっていた。
政雄はそこで思わず口をはさんだ。
「京子ちゃん、そんな人いたんだ」
京子が呆れたように政雄を見て。
「え、そこから?」
良子が苦笑した。
「あなたはそういうところ、鈍いところあるものね」
「鈍いって……」
政雄が言いかけると、優美に注意を向けたままの調子で義父が言った。
「男なんてそんなものだろう」
義母も笑った。
「これだから男の人はねえ」
リビングの空気がふっとゆるみ、京子も肩の力を抜いたように笑った。
「いるわよ。もう五年になるんだから」
「五年も」
政雄がそう言うと、また小さな笑いが起きた。
義母が気を取り直したように京子へ向き直る。
「それで、今年は本当に話が進むのね」
京子も今度は少しまじめな顔になった。
「うん。今までは何となく踏み切れなかったけど、今年はちゃんと考えようって話してるの」
「やっぱり、年下だからっていうのもあったの?」
「それもあるし、前はまだ収入もそんなに多くなかったしね」
義母は何度もうなずいていた。前から気にしていたぶん、その事情もおおよそ分かっていたのだろう。
「でも、今は先のことを考えられるようになったのね」
「前よりはね。今年中には、式までいけたらと思ってる」
その言葉に、義母は隠しようもなく嬉しそうな顔をした。義父は優美の手を支えたまま、「そうか」と短く言っただけだったが、その声は悪くなかった。
政雄はその様子を見ながら、京子にもこういう長い時間が流れていたのかと思った。
義母にとっては気をもみ続けた五年だったのだろうし、京子にとっても、ただ待っていただけの五年ではなかったのだろう。
リビングには料理の匂いとみかんの甘い香りが残り、優美の笑い声がときどき重なった。
その中でひとつ話が前に進んだだけなのに、家の中が少し明るくなったような気がした。
*
帰りの電車では、優美はほどなく良子にもたれて眠ってしまった。
政雄は流れていく冬の町並みを、ぼんやりと眺めていた。
京子の結婚話が、まだ頭のどこかに残っていた。
しばらくして、政雄がぽつりと言った。
「京子ちゃんも、結婚したらあの家を出るんだろうね」
良子は眠っている優美の頭をそっと支えながら、静かにうなずいた。
「そうなるでしょうね」
政雄はまた少し窓の外を見た。
「昨日の二世帯の話といい、今日のことといい、今年は住まいのことでいろいろ考えないといけないのかもしれないね」
良子はすぐには答えなかった。電車が大きく揺れたあとで、ようやく口を開いた。
「そうね。どっちの家も、いつまでも今のままってわけにはいかないんでしょうね」
政雄はその言葉を聞きながら、何かが少しずつ動き始めているのかもしれないと思う。
今年の新年の挨拶は、両方の実家だけでなく、自分たちの暮らしのことまで政雄に考えさせるものになった。
人が増える家もあれば、減る家もある。
そして自分たちの家もまた、優美が大きくなっていけば、今の二DKのままでは済まなくなるはずだった。




