第116話 見落としていたこと、気づいたこと
遊園地へは、11月の第三日曜日に行くことになった。
京子は前日の土曜の午後から、政雄たちのアパートへ来ていた。
先日話していた通り、その日の夕食は近くで評判の寿司屋にした。
小上がりを取っておいたので、幼い子がいても少しは気が楽だ。
優美は、いつもと違う場所に、はじめはきょとんとしていた。
座布団の上にちんまり座り、見慣れない店の中をきょろきょろ見回していたが、寿司が運ばれてくると、だんだん落ち着かなくなってきた。
卵焼きを小さく切って口へ運ぶと、すぐに機嫌よく食べ始めた。
かんぴょう巻も気に入ったようで、手の中で少し崩しながら口へ運んでいたが、納豆巻はうまくいかなかった。
つぶした拍子に中身がこぼれ、指先にも座布団にも少しついた。
それでも本人は気にした様子もなく、むしろ楽しそうだった。
ひとしきり食べると満足したのか、そのまま座布団の上で眠ってしまった。店の明かりも人の声もあるのに、舟をこぐ間もなく寝入ってしまったあたり、よほど気に入ったらしい。
大人三人もそのあいだに手早く食事を済ませ、部屋へ戻った。
リビングがわりの洋室でコーヒーを飲みながら、政雄は最近の義父母の様子を聞いた。良子も京子も、明日の支度を気にしていたので、話題は自然と翌日の段取りへ移っていった。
あまり遅くならないうちに出たほうがよさそうだということになり、その夜は風呂も早めに済ませて寝ることになった。
とはいえ、二部屋しかないアパートである。
寝室は京子に使ってもらい、政雄はリビングがわりの洋室にマットを敷いた。
明日は早いのだから、そのくらいはどうということもない。
*
11月も半ばを過ぎ、朝の空気はだいぶ冷たくなっていた。
まだ眠たげな優美に厚着をさせ、ベビーカーに乗せて、四人で部屋を出た。
電車を乗り継いで一時間半ほど。
優美が途中でぐずらなければいいがと思っていたものの、外の景色を見たり、うとうとしたりしているうちに、どうにか最寄り駅まで着いた。
良子と京子が代わる代わる声をかけていたおかげで、機嫌もそれほど悪くならずに済んだ。
駅を出ると、そのまま園へ続く通路になっていた。
段差もほとんどなく、ベビーカーでもそのまま進める。
こういうところは、やはりよく考えられているらしかった。
事前に見た案内では、派手な乗り物や大きな仕掛けを売りにしている場所ではなさそうだった。
だが、こうして来てみると、それでも十分に楽しめそうだった。
何より、隣を歩く良子がもう楽しそうにしていた。
*
園に入ると、まず目に入ったのは、やわらかな色合いで飾られた広場だった。
天井の高い空間に明かりが回り、あちこちから音楽が流れている。
優美はベビーカーの上で身を起こし、見えるものすべてを確かめるように、忙しなく首を動かしていた。
「ほら、あっち」
良子が指さすと、京子もすぐにそちらを見た。
「本当だ。かわいい」
二人の声が重なり、優美もつられたように小さな声を上げた。
何がそんなに分かるわけでもないだろうに、明るい色と動くものが目に入るだけで楽しいらしい。
政雄はベビーカーを押しながら、二人の後ろについて歩いた。
どこを見るか、次にどちらへ向かうか、そのたびに良子と京子が顔を寄せて話している。
気負った様子はなく、どちらかが言えばどちらかがすぐ返す。
その調子が昔からのものなのだろうと、政雄にも何となく分かった。
最初に入ったのは、子どもでも無理なく見ていられる小さな催しだった。
音楽に合わせて人形や飾りが動き、照明がゆっくり変わっていく。優美は政雄の膝の上でそれを見ていた。
途中までは口をぽかんと開けていたが、近くで音が大きく鳴るたびに肩をびくりとさせ、そのたびに良子が背中を軽くさすっていた。
「びっくりしたねえ」
良子が小声でそう言うと、優美は振り向いて母親の顔を見た。
それだけで少し安心するらしく、また前へ向き直った。
催しを見終えて外へ出ると、京子が笑った。
「思ったより私も見入っちゃった」
「子ども向けばかりでもないんだね」
政雄がそう言うと、良子もうなずいた。
「ね。もっと小さい子向けだけかと思ってた」
そう言いながら、良子の足取りは軽かった。
優美の顔を見る時とは別に、自分で周りを見て楽しんでいる顔だった。
そのあとは、ゆっくり動く乗り物の列へ並んだ。
待ち時間もそれほど長くなく、優美も退屈しきる前に順番が来た。
良子が抱いて乗り、京子が隣に座る。政雄は向かいからその様子を見ていた。
動き出すと、優美は最初こそ固まっていたが、すぐに慣れたらしかった。
目の前を過ぎる飾りに手を伸ばし、時々声を上げる。
良子も京子も、そのたびに顔を見合わせて笑っていた。
「ほら、見てる見てる」
「本当だ。分かるんだね」
そんなふうに言い合う二人は、年の離れた姉妹というより、もっと近い友だちどうしのようにも見えた。良子は家では落ち着いていて、京子の前では少しだけ昔の顔に戻る。
その変化が、政雄には新鮮だった。
昼近くになると、人の流れも少しずつ増えてきた。
軽く食べられるものを買って、四人で腰を下ろせる場所を探した。
優美には持ってきたものを食べさせ、大人も簡単に腹を満たす。
食べ終えるころには、優美はさすがに少し疲れたらしく、ベビーカーに乗せるとすぐにうとうとし始めた。
「やっぱり、まだ早かったかな」
良子が小声で言うと、京子が首を振った。
「でも楽しそうだったじゃない。さっきなんて、ずっと目で追ってたし」
「それはそうだけど」
「お姉ちゃんが来たかったんでしょ」
そう言われて、良子が笑った。
「うん、それもある」
隠すつもりもないらしい返事に、京子も笑い出した。
「やっぱり」
政雄はそのやり取りを聞きながら、紙コップの飲み物を口に運んだ。
優美のための外出ではある。
だが、良子自身が今日を楽しみにしていたのも、本当なのだろう。
そう思うと、それはそれでよかった。
優美が目を覚ましたあとも、無理のない範囲でいくつか見て回った。
立ち止まって眺めるだけの場所もあれば、写真を撮る人だかりの向こうからのぞくだけのところもあった。
それでも、良子と京子は何か見つけるたびに声を掛け合い、優美が身を乗り出せば二人して笑っていた。
午後もだいぶ回ったころ、そろそろ帰ろうかということになった。
優美はもう十分に遊んだ顔をしていたし、機嫌も崩れる前に出たほうがいい。
ベビーカーに乗せると、園を出るころにはもう半分眠っていた。
*
帰りの電車では、優美はほどなくして寝入ってしまった。
行きとは違い、帰りは周りの景色にもあまり反応しない。
遊び疲れたのだろう、良子は眠る優美の頬にかかった髪をそっと払っていた。
都心まで戻ったところで、京子とは乗り換えの駅で別れた。
「今日はありがとう。楽しかったです」
京子がそう言うと、良子がすぐに返した。
「こっちこそ。来てくれて助かった」
「優美ちゃんともいっぱい遊べたし」
「また行こうね」
その言い方が、姉妹どうしの約束としてごく自然だった。
京子は軽く手を振り、改札の向こうへ消えていった。
それを見送ってから、政雄たちも帰りの電車へ乗った。
良子は座るなり小さく息をついたが、疲れたというより、遊び終えたあとの気の抜け方に近かった。
優美はそのまま眠り続けている。
部屋へ戻ると、昼間のにぎやかさが嘘のように、急に静かになった。
上着を脱ぎ、荷物を下ろし、眠ったままの優美をそっと布団へ移す。
少し身じろぎしただけで、起きる気配はなかった。
良子もコートを脱ぎながら、小さく笑った。
「思ったより平気だったね」
「そうだね。機嫌よくいてくれて助かった」
「うん。私も楽しかった」
そのひと言が、政雄の耳に残った。
「昨夜、ずいぶん遅くまで話してなかった?」
荷物を片づけながらそう言うと、良子が振り向いた。
「聞こえてた?」
「いや、話し声がしてたくらいだよ」
良子は少しだけ笑った。
「京子にも、いろいろあるみたい」
政雄はそれ以上は聞かなかった。
今日の良子を見ていると、妹とそんな話をする時間も、きっと大事なのだろうと思えた。
普段から、家のことは気にかけているつもりだった。
良子に任せきりにしているつもりもなかった。
それでも、今日一日の良子を見ていると、知らないうちに負担をかけていたのだろうと思う。
外へ出て、気兼ねなく笑って、妹と並んで歩いて、子どもの相手をしながら自分も楽しむ。
そういう時間が、良子には必要だったのだ。
政雄は、荷物を片づける良子の横顔を見ながら、あらためてそう思った。
笑っている顔は、家で見るものと同じはずなのに、どこか少しだけ違って見えた。




