第114話 出てきたもの
十月に入って最初の月曜日、政雄の机の上に、上東支店からの封書が届いていた。
部あてに来たものが、朝のうちに届けられていたらしい。
差出人の欄には、なじみのある支店の名前があった。
開けると、担保受領控えの写しが六通と、支店の報告の写し、それに短い添えの文が入っていた。
控えの番号は、先週の調査で欠けた六つと、ひとつ違わず一致していた。
──出てきた、と思った。
支店の報告によると、窓口の担当が口座の主に確認したところ、本人は最初、何のことだと受け流した。
そこで支店は、本店から届いていた一覧を持っていき、解約と再預入の日付と金額の並びを、本人の前で示した。
その日のうちに、本人は預けている先があると認めた。
預け先の金融機関に頼んで写しを出させたのは、その翌日だという。
別の金融機関。欠けた六通の証書は、そこでの融資の担保になっていた。
「……裏が取れた、というところですね」
榊が席から言った。
「ええ、支店の動きも、思っていたより速かったです」
「速く動けた理由まで、報告に書いてありますよ」
そこまで言って、榊は口を閉じた。この人の言い方では、その続きは自分で考えるしかない。
そこへ、大山がやってきた。
「山本、聞いたか」
「さっき、写しを読んだところです」
「支店長の話じゃ、本人の前で示すものがなくて困っていたところへ、本店から一覧が届いた、そうだ。おかげで追及できた、それで一発だったてぇことだ」
「それは、支店の確認が確かだったからです」
「謙虛だな。まあいい。それより最終の報告書だ。今日中に頼むぞ」
大山が自分の席へ戻ったあと、政雄はもう一度、写しの並びに目を通した。
上東支店の窓口には、政雄が異動前に仕込んだ客の待たせ方があり、窓口担当は変わっても、そのやり方はまだ使われていた。
今回の最初の気づきは、そこからだった。
一覧は、こんな時のために作ったのではなかった。
ただ、あとで確かめられるように、記録を日付の順に並べ替え、支店の誰もが簡単にわかるようにしておいただけだった。
こんな形で役に立つ日が来るとは、作ったときは考えていなかった。
最終の報告は、その日のうちに書き上げた。
事実の並びだけだ。解約と再預入をひと月に六度。
金額は三千万円台と四千万円台の、切りが良くないもの。
六通の番号。差し出し先。本人が認めたこと。
意見は最後に短く、処理は担保を受けている先と支店のあいだで進めるのが妥当だと書いた。
大山の判をもらい、政雄はそれを提出した。
調査室の仕事は、そこで終わった。
案件は、政雄の手を離れた。
融資の担保になっている以上、話は相手の金融機関と審査、そして支店へ移る。
調査室やることは、もうなかった。
*
数日後の朝、大山が入ってくるなり、政雄の机の前に立った。
「山本、ちょいと聞けよ」
「はい」
「今朝、部長のところで口座の件の話が出た。支店からの報告が上まで通ってな」──大山は一旦区切ってから、続けた。
「上層部にも名前が知られたぞ」
「私の、ですか」
「他に誰がいる。支店の報告に、一覧の作り手の名前がそのまま出ている。若手が地味に押さえた、と部長も言っていたぞ」
榊が資料から目を上げた。
「……支店の確認があそこまで速かったのは、山本君の一覧のおかげです。評価されて当然だと思いますよ」
片岡が笑った。
「調査室では、めったにない名誉ね。今日の昼は、山本さんのおごりかしら?」
「勘弁してください。支店の皆さんの確認が確かだっただけです」
「はいはい。照れても、ごはんは逃げられないわよ」
受け流したつもりだったが、耳の後ろが熱かった。
*
午後、来客のない時間に、政雄は写しを封筒へ戻しながら考えていた。
最初に浮かんだのは、うれしさだった。
それは事実だ。
だが、その次に浮かんできたのは、他の心配のほうだった。
まずい、ちょっと目立ってしまった。この時期に目立つのは、良いことばかりではない。
昨年の春、政雄は嫌な意味で、運が良かったと言われたことがある。根拠のない言われ方だったが、言う本人に根拠は要らない。言いやすい相手のところへ、そういう話は集まる。
一覧を作っていたあいだ、政雄は手元の記録に集中しすぎて、まわりの目線を気にかける余裕を失っていた。
誰がどの順で資料に目を通すのか。話は誰の耳へ届くのか。
その辺りを、見落としていた。
前世の記憶は、この案件では何の役にも立たなかった。
大阪で起きた話を、政雄は知ってはいた。
だが役に立ったのは、記録を日付の順に並べ替えて確かめるという、地味な作業のほうだった。
ならば,名前が前面に出ないようにしながら、そつのない資料を作る。
内容は事実だけを正確に、出来るだけ余計な推測や意見などは省く。
目立たずに済ませる方法として政雄にはそれしか思いつかない。
*
そうして、十月も半ばになった。
さっきまでぐずっていた優美をやっと寝かしつけたあと、二人は食卓をはさんでコーヒーを飲んでいた。
「ねえ、優美のことなんだけど」と良子が言った。
「平日は朝から夕方まで、保育園でしょう。家に帰ってからも、夕飯の支度とかでかまってあげられなくて。このままだと、優美が可哀想だと思うの」
「あの子は保育園でも、元気にしてるんじゃないのか」
「それはそれ。親との触れ合いも大切なのよ」いつもとは違い、今夜の良子は押しが強い。
「それでね、休日に遊園地に出かけるのはどうかな?」
政雄の頭に浮かんだのは、テレビのコマーシャルで見る、浦安にある巨大なテーマパークだ。
あの広さを歩くのは、大人でも一仕事だ。
「優美はまだ一歳半だぞ。まだ無理じゃないか?」
良子の目が、少しだけ輝いた。
「そうじゃなくて。多摩ニュータウンに数年前にできたのよ、全天候型の遊園地。建物のなかが、そのまま一つの園になってるの。空調も効いてるから、冬でも寒くないの。敷地もそれほど広くないから、一歳でも行けるって、職場で聞いたの」
政雄は、つい声に出して笑った。
「おいおい。それは、良子が行きたいだけだろう」
「優美のためよ。あら、そうだわ」と良子は手を打った。
「京子も誘えば、少しは楽ができるわね。大人が三人もいれば。ねえ、どうかしら」
「うん、それならいいけど。京子ちゃんも含めて休みの日を調整しなきゃな」
「そうね、京子には私から電話するわ」
政雄は、自分の予定を確認して良子に伝えた。
良子が手回しよく用意していた、その遊園地のパンフレットを手に取ると、なるほど、これなら優美も楽しめるかもしれない。
早速京子に電話する良子を見て、家族で出かけることもそうだが、こうして計画を立てたりする何気ない時間が、前の人生では縁のなかったものだと。
何より貴重なのだと改めて思った。




