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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第十八章 一九六五年 山地採石・炭焼き地帯における資材移動および坑道再開放事例の確認
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第三節

**一九六五年四月十八日 グラウ石切谷を発つ前の記録**


山地の放棄地というものは、使う者が変わるだけで、案外すぐ別の秩序を持ちはじめる。

人間が石を切り、炭を焼き、坑道を掘っていた時には、人間の手順がそこにあった。

その手が引いたあとも、石の棚、窯の跡、沢筋の寄りやすい場所、運びやすい切れ目だけは残る。

残ったものを、次の者が自分の順で使う。

グラウ石切谷で見たのは、たぶんそういうことだった。

人間の仕事が消えたあとに山の者が入ったのではなく、人間の仕事の痕が、そのまま山の者の素材線に組み込まれていたのである。


発つ前の朝、私は谷口の鍛冶場、炭焼き窯跡、封鎖坑道口、沢筋の礫場を、もう一度だけ同じ順で歩いた。

昨夜見た三つの作業点が、朝の地面でもきちんとつながるかを確かめたかったからである。

窯跡では、前夜に立った火の灰が薄く残り、その脇に小炭の選り跡があった。

坑道口では、軽い石がさらに二つ脇へ避けられ、古材の一本が奥へ引かれている。

沢筋では、丸い礫の列が少しだけ変わり、脇に置いた端鉄の欠片が消えていた。

夜に見た順と、朝に残る変化の順が、ほぼ無理なく重なった。

それだけでも、この遠征としては十分な骨格になった。


谷口へ戻ってから、私はハルドと鍛冶場の徒弟、それに役人の三者へ、簡単に見立てを話した。

もちろん、彼らの関心は少しずつ違う。

役人は坑道口の再開放を止めたい。

徒弟は鉄片や炭が減る理由を知りたい。

ハルドは、谷の上の者たちを人間社会の尺度で一括りにされるのを嫌っている。

私はその三つを一度に満たすような答えは持っていなかった。

そこでまず、「盗まれた」と言われていたものを机の上に並べ直した。


炭。

折れた楔。

端鉄。

支保工の古材。

沢筋の丸い礫。

どれも人間の仕事にとっては、余りか、壊れか、消耗材である。

一方で、山の上で昨夜見た作業点を思い返すと、それらは小さな火床、仮の石組み、何かを押さえる楔、熱を受ける当て物として、いかにも使いやすそうだった。

つまり谷の上で起きているのは、人間の価値あるものを奪う盗みというより、**人間の価値判断からこぼれた素材の回収**に近い。

この整理を口にした時、徒弟は少し不服そうな顔をしたが、ハルドは黙ってうなずいた。

同系の者として、そこには納得しやすい何かがあったのかもしれない。


ただし、私はこの時点でも、山の上の共同体を「人間社会に入っていないドワーフ」と簡単には書かなかった。

火と石と鉄の扱いが見えるからといって、文化や交渉の可能性まで一挙に読み込むのは危うい。

街にいるハルドと、谷の上で低く火を使う者たちが、同じ系統に属するとしても、生活圏と外部への開き方はまるで違う。

その差を曖昧にしてしまうと、今度は平地の側の都合がまた記録へ入りすぎる。

私はそのことを、ラーデン谷や修道院領を回ったあとで、ようやく少し分かり始めていた。


役人は、では結局どうすればよいのかと訊いた。

私は少し考えてから、三つだけ答えた。

第一に、谷口の鍛冶場の端鉄と小炭を夜のうちに露出させたままにしないこと。

第二に、危険な坑道口を塞ぐなら、表だけでなく、脇から材を抜けぬよう組み方を変えること。

第三に、谷の上手の放棄地を「人が使わない場所」として放っておかぬこと。

これは追い払いの策ではない。

むしろ、人間側が捨てた素材線のほうを整理しないと、山の上の共同体はこれからも当然のようにそれを使うだろう、という意味だった。

役人は少し不満そうだったが、他に言いようもなかった。


発つ前の整理として、私はノートへこうまとめた。


**グラウ石切谷で“山の小人”として語られていた対象は、人間社会にいるドワーフ系と同じ系統に属する可能性が高いが、谷上手の放棄地を中心とした独自の素材線と生活圏を持つ先住亜人共同体として扱うべきである。

人間側の“盗難”報告の多くは、炭・端鉄・古材・礫など、人間には低価値でも山地共同体にとっては有用な素材の選別回収として読むほうが自然である。

窯跡・封鎖坑道口・沢筋は同一夜の作業点として連続しており、少なくとも複数個体が火、石組み、素材運搬を分担している。

したがって問題の中心は、害意ある破壊ではなく、放棄された人間の資源場を、別の共同体が再利用していることにある。

ただし、技術痕の明瞭さをもって直ちに交渉可能性や文化的一致を前提とすべきではない。**


私はこの記録の見出しを、最終的に

**谷上炉石民(仮)**

とした。

我ながら無骨で、やはり良い名とは言い難い。

だがこの谷で見たものの芯は、低身であることより、谷の上で炉と石と素材を結んでいることにあった。

少なくとも、この遠征を読み返す時には、そのくらいのほうが思い違いが少ないだろうと思った。


この遠征は、ここでいったん閉じる。

再訪するとすれば、冬越しの炭が減る時期か、逆に夏の乾きで沢筋の利用が変わる頃がよいだろう。

ただし、ラーデン谷のように見方そのものを改めるための再訪が必要な記録ではない。

不足はあるが、谷の上の共同体が何をどう使っているかの骨格は、今回の往復でかなり見えた。

それ以上を急いで問い詰めるより、いまはこの差をそのまま残しておくほうがよい。

同じ系統であっても、生活圏が違えば、こちらの理解の仕方も変えねばならない。

この遠征で学んだのは、たぶんその程度のことだった。


谷を下りる道から振り返ると、採石棚も窯跡も、昼の光ではただ古びて見えた。

夜に見た小さな火も、低い影も、どこにもない。

放棄地はいつもそうだ。

使う者の手順だけを夜に見せ、朝にはまた無主の顔へ戻る。

その無主に見える場所へ、実はもう別の秩序が入っているのだと分かっただけでも、この往復としては十分だった。


### 一九八三年春 整理のための短い注記


この記録では、当時の私がようやく「同じ系統」と「同じ文化圏」とを分けて考えられている。

街にいるドワーフ系の職人を知っていたからこそ、山地共同体をすぐその延長へ置きたくなる危険もあった。

若い頃の私にしては、その点を比較的よく抑えられていると思う。


一方で、複数の作業点が一夜のうちに連動して見えると、私はすぐ作業分担と共同体の輪郭をはっきり描きたがっている。

いまなら、そこももう少し保留するだろう。

それでも、この遠征の記録は、のちにラーデン谷へ戻る時、先住民的共同体を人間側の被害語から切り離して見るための下地になった。

そういう意味では、かなり大きな往復だった。

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