第三節
**一九六四年十月二十九日 ヴァルケン修道院領を発つ前の記録**
夜に白い前面が石塀へ乗るのを二度見たあとでは、朝の墓地と葡萄畑は、前よりずっと実際的な場所に見えた。
納骨堂の冷えは小動物を呼び、石塀の縁は低い体を隠し、葡萄畑の列は夜の通路を細く分け、水鉢は鼠を集める。
そこへ羊柵が加われば、傷も出る。
修道院領で「吸血鬼」と呼ばれてきたものの中身は、少なくともこの並びの上にあった。
私は発つ前の朝、墓地、納骨堂、水鉢、葡萄畑列、羊柵を一つの図へ置き直し、そこに夜の白さの出た位置を重ねた。
地面の痕は、今朝も十分に残っていた。
石塀の内側の草は低く押され、納骨堂の入口脇には、昨夜と同じ擦れが細く伸びている。
葡萄畑の列のあいだでは、鼠の走り筋に混じって、より重い低い通り跡が二本だけ出ていた。
羊柵の角の擦れも新しい。
ただし、柵の内へ深く入った気配はない。
昨夜見た通り、対象は柵そのものより、その手前の水鉢と列の陰をよく使っている。
羊の傷はたしかに現実だが、修道院の者が思うほど、羊だけが狙われているわけではなさそうだった。
納骨堂の床では、また小さな吐き戻しの塊が一つ見つかった。
今回は鼠の骨に加えて、甲虫の翅らしい硬い薄片も混じっている。
私はそこで、対象が夜の採食をかなり幅広く行っていることをほぼ確信した。
死体から戻ったものでも、血だけを吸って生きるものでもない。
冷えた石の建物と墓地の隙間に寄る小動物や虫を取り、その延長で羊柵にも触れる。
だが、そのように書いてしまえば、現地の恐怖はたいしたことのない誤解に見える。
実際には、夜番の若い修道士が白い顔だけを見て倒れ、羊に傷がつき、墓地の戸が朝には少し動いているのだから、名が一つにまとまるのも無理はない。
問題は、恐怖の名をそのまま記録名にしないことだけだった。
昼前、私は修道院長へここまでの見立てを簡単に話した。
彼は最後まで「吸血鬼」という語を自分からは使わなかった。
その代わり、
「ならば死者ではなく、夜の獣ということですか」
と訊いた。
私は少し考えて、
「少なくとも、死者の話と同じ紙へそのまま書くべきではありません」
と答えた。
これは回りくどいようだが、現地へ置いていく言葉としてはその程度がよかった。
あまりきっぱり迷信を切れば、今度は現地の損失の実感まで軽く見える。
逆に吸血鬼の名をそのまま残せば、観察の側が曇る。
こういう土地では、中途の言い方が案外いちばん役に立つ。
修道院長は私の図を見て、羊柵の位置を指でなぞった。
「では、夜番は墓地だけでなく、こちらも見たほうがよい」
と言う。
それはその通りだった。
吸血鬼退治の祈祷より、水鉢の位置を変え、夜番の立ち位置をずらし、葡萄畑の列の陰を少し刈るほうが効くだろう。
私はその場で三つだけ勧めた。
水鉢を羊柵から離すこと。
夜番は塀の正面ではなく列の外から見ること。
納骨堂の戸の下の隙間を埋めること。
どれも学術上は大した提案ではない。
だが、この手の遠征では、そういう小さなことのほうが後で長く残る。
発つ前の整理として、私はノートへこうまとめた。
**ヴァルケン修道院領で“吸血鬼”と総称されていた現象は、単一の怪異でなく、墓地・納骨堂・葡萄畑列・羊柵を結ぶ夜行性中小型幻獣群の利用と、病弱者・夜番・家畜被害の不安が重なって成立しているとみるべきである。
対象は淡色の前面部または膜状部を持ち、石塀の縁にそれが先に現れるため、“顔だけが浮く”という目撃を生じる。
少なくとも大小二個体以上が同じ帯を利用しており、納骨堂周辺の小動物、葡萄畑列の鼠群、水鉢付近の餌条件に反応して移動する。
羊の傷は現実だが、血液摂取を目的とした専一的吸血の証拠は乏しく、短い咬着または飛びかかりによる表層傷として扱うのが妥当である。
したがって当地の対策は、怪異の名を強めるより、通路と誘因をずらすほうが先である。**
私はこの記録に、
**墓列淡面獣(仮)**
という見出しを置いた。
良い名ではない。
ただ、ここで見たものの中心は、吸血でも復活でもなく、墓列の脇を低く通り、淡い前面だけを夜へ残す何かだった。
そのくらいに留めておくのが、記録としてはいちばん正確に思えた。
ヴァルケン修道院領の往復は、これでいったん閉じる。
再訪するなら、冬の厳しい時期より、春先の鼠が増える頃のほうがよいだろう。
その頃なら、墓地と羊柵のどちらへ比重が寄るかが、今よりはっきり出るはずである。
もっとも、今回の記録だけでも核になることは十分見えた。
白い顔の噂の下には、ちゃんと低い胴があり、夜の採食の線がある。
吸血鬼の名は、そうした線の上に人間の弱りと恐れが重なってできたものだった。
修道院を離れる馬車の上から振り返ると、石塀も納骨堂も、昼の光の中ではただ冷たく整って見えた。
夜の顔はどこにもない。
人が夜にだけ怪物を見る土地は、たいてい朝になるとひどく理性的な顔をする。
その顔と夜の顔のあいだへ、記録の紙を差し込むのが私の仕事なのだろうと思った。
### 一九八三年春 整理のための短い注記
この記録では、当時の私がようやく「噂がまとめたもの」と「現地で別々に起きていること」を分けて扱えている。
若い頃の私としては、その点はかなりましである。
一方で、大小二個体以上と見た時に、すぐ単位や役目へ寄せて考えたがる癖は、やはりまだ残っている。
いまなら、もう少し長く見てから書く。
とはいえ、この遠征は再調査を急ぐ種類の不足を残してはいない。
季節差の確認は望ましいとしても、少なくとも修道院領で“吸血鬼”と呼ばれていたものの芯は、この往復の範囲でかなり見えている。
若い時期の記録としては、現地へ残す言葉の置き方まで含めて、比較的よく収まった調査であったと思う。




