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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第十六章 一九六四年 南東交易路における通行阻害事例および沿道草地異常踏圧の確認
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第二節

**一九六四年六月四日 南東交易路、土塁列の北側草地**


夜に大型の影を見たあとで昼の踏圧帯を歩くと、前日まで単なる荒れ地に見えていたものが、急に線を持ち始める。

白く粉を吹いた道土、大きな蹄跡、寝た草、土塁の切れ目。

それぞれは珍しいものではない。

だが、夜に切れ目から切れ目へ移る影を一度見てしまうと、どこが人の道で、どこが相手の道なのかが、少し違った具合に見えてくる。

私は朝から、その違いを紙の上へきちんと落としたかった。


まず問題の帯を、街道と直角に横切るように何度も歩いた。

すると、土塁の切れ目は一箇所ではなかった。

宿場側から見て大きく使われているのは二つか三つに見えるが、その外側に、もっと浅い通り筋がまだいくつかある。

大型個体の深い踏み跡は、主に中央の切れ目へ集まる。

一方で、少し小さい蹄跡は、その両脇の浅い切れ目にも散っていた。

つまり、大きなものがいつも先頭で道を割るとは限らず、状況によっては複数の通り筋が同時に使われているのかもしれなかった。


北側の草地へ入ると、踏圧帯は道の近くよりむしろ分かりやすい。

草の倒れ方が片側へ偏り、広い幅で弧を描く。

牛追いの列ならもっと人間の誘導に沿った乱れ方をするだろう。

これは、長い脚でゆっくり重みをかけるものが、毎回ほぼ同じ方向へ抜けている帯だった。

私はそこに沿って歩き、糞の位置と、土の白くなる程度とを一つずつ図へ入れた。

やがて、その帯が北の低い塩草地へ続いているのが分かった。

草丈が周囲より低く、地面に白い粉が出て、風のない朝でも乾いた匂いがする。

もし大型の草食獣が塩分や鉱物を求めるなら、こういう場所へ寄るのは不思議ではない。


私はそこで、宿場の主が言っていた「ただ道を止めるだけです」という言葉を思い出した。

止めるだけ、というのは運ぶ者の言い方である。

相手の側から見れば、塩草地と水場と緩い斜面を結ぶ線の途中に、人間の道があるだけなのだろう。

そう考え始めると、交易路の被害は、襲撃でも侵入でもなく、単に交差の問題へ近づいていった。


昼前、オットーが荷車を一台空で引いてきてくれた。

昨夜の私の話を聞き、昼に自分でも切れ目を見たいと思ったらしい。

私は彼と一緒に道の白い帯を歩いた。

空の荷車は軽く、車輪の軋みも小さい。

問題の切れ目に近づいても、馬は昨夜ほど耳を止めなかった。

だが、白い道土から北側の踏圧帯が見え始める位置で、一度だけ足を浅くした。

私はそこで立ち止まり、馬の視線の先を追った。

草は動いていない。

だが土塁の切れ目の陰に、新しい糞があり、その脇の草先だけが、まだ朝露を残したまま寝ていた。

馬は姿を見るより先に、そこが“使われたばかりの線”だと感じているのかもしれなかった。


オットーは踏圧帯を見て、

「これでは道を塞いでいるのではなく、道に乗っているだけだ」

と言った。

私はその言い方をありがたく思った。

現地の人間が、自分たちの被害の言葉から少し離れてくれると、記録はかなり楽になる。

もっとも、そのあと彼はすぐ、

「だからこそ厄介ですが」

と付け足した。

それもまた、その通りだった。


午後、私は北の塩草地から南の土塁列まで、踏圧の幅を見ようとして少し行きすぎた。

帯は緩く広がり、中央を外れると急に痕が薄くなる。

その薄くなり方を確かめたくて、さらに外へ回ったのである。

結果として、何もなかった。

大きな踏み跡も糞も出ず、ただ乾いた草が広がるばかりだった。

この種の空振りは案外大事で、利用帯の幅を知るには必要なのだが、現地にいる時の気分としてはあまり嬉しいものではない。

若い私は、こういう時に少し先まで行けば急に大きな手掛かりが出るのではないかと考えがちだった。

しかし大型の通路というものは、狭すぎても広すぎても見失う。

その程度のことを、この頃の私はまだ身体で覚え直している最中だった。


夕方、私は昨夜とは別の位置、南側の石囲いの崩れの陰に身を伏せた。

ここからなら、道を横切る正面より、その前後のまとまりを見やすい。

切れ目を出る前から、どの程度まで列ができているかを知りたかったのである。

人間の荷車から見ると「急に道へ現れる」ようでも、相手の側ではもっと手前から順序があるはずだった。


日が落ちてしばらくしたころ、北の塩草地の奥で、草がゆっくり面として沈んだ。

一頭ではない。

前夜よりも早い段階で、複数の位置に重みが出る。

次いで、低い鼻息のような音が短く届いた。

牛ほど重い息ではない。

もっと乾き、短く切れる。

そのあとで、一番大きい影が土塁の切れ目へ出た。

昨夜見たものと同じ程度の体格で、灰褐色の背、低い頭、広い蹄。

ただ今夜は、その後ろの二頭がもっと近い。

一頭は肩の高さが明らかに低く、もう一頭はその中間だった。

さらに少し離れて、かなり小さい影が二つ続く。

私はそこで初めて、この移動が単なる疎い集まりではなく、年齢差を含む一まとまりの単位として考えたほうが自然ではないかと思った。


先頭の大型個体は、道の縁でまた一度止まった。

だが昨夜のように長く土を嗅ぐことはしない。

むしろ後ろのものが詰まらぬよう、道幅を測るような短い静止だった。

その間に、中くらいの個体の一つが少し外へ膨らみ、小さいものの進路を塞がぬように位置をずらす。

私はこの動きを見て、谷のゴブリンで感じた“役分担”とは違うが、少なくとも移動の秩序はここにもあると考えた。

大きいものが先に通り、中くらいが脇を埋め、小さいものが後ろを切らずに続く。

道を横切る数息のあいだだけでも、その順には反復があった。


荷車返し、という宿場の呼び名は、この場面だけを見れば半分正しい。

夜明け前に馬車でこれへぶつかれば、人はたしかに返るしかない。

だが、彼らは道の上で止まってこちらを威嚇するわけでも、進行を妨げるために広がるわけでもない。

切れ目を抜け、白い道土を斜めに渡り、また次の切れ目へ消える。

止まるのは先頭がわずかに様子を見る時だけで、全体としてはむしろ急がず、無駄なく移っていた。

交易路の被害は、敵意というより時刻の重なりで起きているのだろう。


この晩、私は一つだけ見誤りをした。

最後尾の小さい影の一つが、道の中央で一度つまずくように見えたのである。

私はそれを若い個体の未熟さと受け取りかけた。

だが、そのすぐあと、もう一つの小さい影が同じ場所でまったく同じように足を浅くした。

翌朝見に行くと、そこには浅い轍の割れ目があった。

つまりつまずいたのでなく、白い道土の下に固い轍の縁が隠れていただけだった。

大型の記録では、つい対象の動きを意味へ読みすぎる。

地面の都合で起きたことまで、性質にしたくなるのだろう。


それでも、この晩の観察でかなり大きいものが見えた。

道を横切っていたのは、一頭や二頭の偶然の通過ではなく、大小を含む一続きの単位である。

しかも、その単位は切れ目と塩草地とを結ぶかなり古い回廊を持っている。

人間の交易路は、その途中に後から太く引かれただけなのだろう。


夜の記録には、こう残した。


**北の塩草地から南側切れ目へ至る移動を再確認。

大型一、中型二前後、小型二前後の連続した横断があり、体格差を含む一単位として見るほうが自然である。

先頭個体は道幅と足場を短く確かめ、中型個体は脇へ膨らみ、小型個体の通過を乱さない。

したがって、交易路での遭遇は無秩序な侵入でなく、既存回廊上の規則的移動と考えるべきである。

なお、小型個体の不器用さと見えた一例は、翌朝確認すべき地面の問題かもしれず、行動解釈を急がないこと。

次は、道そのものではなく、北の塩草地と南の切れ目のあいだの全体線をさらに広く取って終える。**


ここまで来ると、宿場の“荷車返し”は、だいぶ別の姿を持ち始めていた。


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