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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第十五章 一九六三年 塚地周辺における進路錯誤および時間感覚喪失の報告
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第四節

**一九六三年九月十二日 ハロウ塚地を発つ前の記録**


朝の塚地は、夜よりもむしろ不気味さが薄い。

盛土はただの土の起伏へ戻り、低木は影を失い、前夜まであれほど人を外へ押していた窪みも、上から見ればひどく穏やかに見える。

こういう土地では、昼に立つ者ほど夜の話を笑いやすい。

私はそれを承知で、発つ前にもう一度、三つ目の窪みを中心に内外の線を見直した。


薄膜は、夜に思った以上に多かった。

草の葉先、棘の先、乾いた殻片の縁。

それぞれに、指でつまめばすぐ破れるほど細い膜が引っかかっている。

昆虫の抜け殻に似たものもあれば、もっと薄く、乾いた皮膚の剥片のように見えるものもある。

一枚だけなら何でもない。

だが窪みごとにそれが繰り返し出るとなると、やはり自然に吹き寄せられたものとは考えにくい。

殻片も同じだった。

ただ散っているのではなく、窪みの片側、草の寝た帯に沿って少しずつ偏っている。

前夜、音と低い移動が重なっていた位置とよく合った。


私は三つ目の窪みの内側と外側で、足を置く位置を変えながら何度か歩き直した。

中から抜ける時には、どうしても右へ膨らみやすい。

外から横切る時には、今度は逆に左へ寄る。

これは単に私の癖かもしれぬと思い、村役にも同じように歩いてもらったが、やはりほぼ同じずれ方をした。

塚地の迷いは、方向を完全に失うのでなく、最初にごく小さな偏りが入り、それが塚ごとに積もっていく種類のものらしかった。

その意味では、村人が言う「元の塚へ戻る」という言い方は、思った以上に正確である。

大きくさまようのではなく、短い弧をいくつも描かされるのだろう。


昼前、牧童の少年がまた羊を寄せてきたので、私は羊の動きも改めて見た。

羊は三つ目の窪みの手前で、前日と同じように一度まとまり、耳を動かしてから片側へ寄る。

ただ、その寄り方は人間ほど大きくない。

人は見える村や石囲いへ意識を引かれ、その途中でずれを重ねる。

羊はただ嫌な位置を避けるだけで、そこまで深く塚の列へ入ろうとしない。

これも面白かった。

塚地の現象は、歩く者に一様にはかからない。

何を目印にするかで、押され方が違うのである。


午後、私は村役と最後に少し話をした。

彼は私の図を見て、

「先生は塚を見ているが、村の者は帰り道しか見ていない」

と言った。

その通りだった。

村の者にとって重要なのは、塚地の中で何が鳴るかではなく、家へ戻る時間が妙に長くなることのほうである。

私はその言葉を聞いて、今回の記録をまとめる時には、対象の利用帯だけでなく、人間の側がどこで目印を失うかも並べて書く必要があると思った。

現象だけ、生きものだけ、どちらか一方では足りなかった。


宿へ戻る前に、私は塚地の外れで一度だけ振り返った。

昼の盛土は、昨夜の影をまるで持っていない。

それでも、三つ目の窪みの草の寝方と、そこへ集まる殻片と薄膜を見ていると、夜の軽い音がまだ地面のどこかに残っているような気がした。

ここで「妖精」という語を捨てる必要はない。

村の者はこれからもそう呼ぶだろう。

ただ、その言葉が指している中身は、もっと小さく、もっと反復的で、ひどく実際的なものらしかった。


発つ前の整理として、私はノートへこうまとめた。


**ハロウ塚地で“道を取られる”と語られてきた現象は、盛土列の幾何の歪みだけでなく、窪みの片側へ偏る利用帯、殻片と薄膜による軽い接触音、小型幻獣群の低い移動が重なった結果とみるのが妥当である。

人は大きく迷うのでなく、塚ごとに同じ側へ少しずつ膨らまされる。

その小さな偏りが反復すると、目印の位置感覚と到達時間が崩れる。

対象は単独ではなく、少なくとも大小の差を含む小規模な利用単位を持つ可能性が高い。

ただし、彼らが人を積極的に誘導しているのか、それとも自身の通路と付着物の音が結果として人の進路を狂わせるのかは、現段階では断定しない。**


私は見出しを、かなり迷った末に

**塚窪鳴走獣(仮)**

とした。

例によって良い名ではない。

だが、今回見えたものの中心は、塚そのものでも妖精でもなく、窪みで鳴り、低く走る何かだった。

それを記録の側で取り違えぬためには、このくらい無骨な名のほうがかえってよい気もした。


この遠征は、ここでいったん閉じる。

再訪するなら、草がさらに乾く晩秋か、逆に雨の多い春がよい。

薄膜の出方、殻片の鳴り方、歩きの膨らみの強さが、季節でかなり変わるだろうからである。

ただ、今回の往復で核になるものは一応見えた。

村で妖精塚と呼ばれてきた場所には、確かに夜の利用帯があり、その帯を小さなものが反復して使っている。

人間はそこへ自分の帰り道を重ね、ずれた分だけ物語を作る。

平地の迷いというものは、案外そういう仕組みなのかもしれない。


### 一九八三年春 整理のための短い注記


この記録では、当時の私がようやく「現象が人にどうかかるか」と「対象が土地をどう使うか」を並べて考え始めている。

ラーデン谷では相手側の生活へ寄りすぎ、峠では見え方そのものへ引かれすぎた。

この塚地の往復で、その二つを同じ紙へ置く癖が少し出てきたように思う。


ただし、当時の私はまだ、大小の差や停止の仕方を見ると、すぐ役や単位を読みたがっている。

いまならもう少し長く保留しただろう。

それでも、この遠征の記録は、若い時期のものとしては無理に結論を急がず、比較的よく収まった部類に入る。


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